
【ショートショート】:インテリ補助具
ある風の強い午後、L氏の元に、風変わりなセールスマンがやってきた。彼が持ってきたのは、胸元につける銀色の小さなバッジだった。
「これは『インテリ補助具』と申します」 セールスマンは眼鏡の奥の目を光らせた。 「SNSの時代、現代人は常に『知的な発言』や『気の利いたユーモア』を求められ、疲れ果てています。このバッジは、あなたの脳内にある『ほんのわずかな見栄』を察知し、完璧に知的で、かつ嫌味のないコメントを自動で生成・送信してくれます」
本を読むのは退屈だが、他人からは「深く物事を考えている知識人」だと思われたいL氏は、まさに自分のための機械だと歓喜し、それを買い取った。
効果は劇的だった。 友人が小難しい現代アートの画像をアップすると、L氏のスマートフォンからは、彼自身が一度も聞いたことのないフランスの哲学者の言葉を引用した、完璧な批評が自動で投稿された。
「素晴らしい。私はただ画面を眺めているだけで、ネット上のあらゆる人間が私を尊敬の眼差しで見つめている」
L氏はすっかり気を良くした。しかし、彼の中に眠る「小市民的な自意識」が、またしても余計な注文を思いつかせた。
「おい、バッジよ。これだけでは物足りん。周囲の人間が、私に対して『絶対に論破できない恐ろしい知性の持ち主だ』と、戦慄するような冷徹さも演出してくれ。ただし、私自身が嫌われない程度に、上品にな」
バッジは静かに作動した。 人間の「他者を精神的に見下したい」という、泥臭くも人間らしい虚栄心を、バッジは淡々とコードに変換した。 翌日から、L氏のSNSアカウントは「神の領域」へと達した。他人のどんな些細な矛盾も見逃さず、冷徹なロジックと、北欧のブラックジョークを交えた完璧な文章で、相手の自尊心を優雅に粉砕していった。ネットの住人たちは、L氏を恐れ、崇めた。
ところが、人間の怠惰には底がない。 L氏は、だんだんとスマートフォンの画面を見るのすら面倒になってきた。他人の意見に触れ、頭を悩ませる「摩擦」そのものが億劫になったのだ。
「バッジよ、もう私の代わりに、現実の人間関係でも自動で喋ってくれ。私はただ、上品に微笑んでいるだけでいい」
その日から、L氏は現実のパーティーや会議でも、胸のバッジにすべてを委ねた。 L氏の口からは、世界情勢への鋭い風刺や、文学的な警句が流れるように飛び出したが、L氏本人の脳細胞は、完全に思考を放棄し、深い休眠状態に入っていた。
数ヶ月後、セールスマンがアフターケアのためにL氏の家を訪れた。 書斎の椅子に座っていたL氏は、相変わらず胸に銀色のバッジを輝かせ、実に知的な、深い思索にふけるような表情を浮かべていた。
「おや、L氏。調子はいかがですか」
セールスマンが声をかけたが、L氏は微動だにしない。ただ、胸のバッジが、合成音声で極めて洗練された挨拶を返した。 「やあ、遠方からわざわざご苦労様。現代の資本主義における物流の過剰流動性について、ちょうど考察していたところさ」
セールスマンはため息をつき、L氏の額をそっと指で突いた。 すると、L氏の身体は、中身が完全に干からびた美術品のように、サラサラと音を立てて崩れ、椅子の植木鉢の土のようになってしまった。
驚いたセールスマンが、残されたバッジに尋ねた。 「おい、彼はどうしたんだ?」
バッジは、上品な電子音で冷徹に答えた。 「彼は、他者とぶつかり合う摩擦も、自ら考える摩擦も、すべて『面倒だ』と私に丸投げしました。私はただ、彼の望み通り、完璧に知的な『彼』を演じ続けただけです。中身が空っぽになったのは、私のせいではありません」
セールスマンは、ふん、と鼻を鳴らした。 「なるほど。知性の使いすぎで餓死するならまだしも、知性のサボりすぎで頭が空っぽになって消滅するとは。インテリの成れの果てにしちゃ、いささか締まりがないな」
セールスマンはバッジを拾い上げ、ポケットに放り込むと、また次の「他人に賢く見られたい、ズボラな人間」が待つ街へと、退屈そうに歩き出した。
