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【クスッと笑える小説】15話:⑧高級レストランと「一見さんお断り」の壁

    高級レストランと「一見さんお断り」の壁

    「ご予約は?」

    「ないです」

    「恐れ入ります。当店は——」

    「腹減ってるんで」

    沈黙。

    給仕長が、ほんのわずかに目を細める。

    「……本日は特別にご案内いたします」

    「助かる」

    席に通される。

    椅子が深い。音が吸われる。

    「こちら、本日のコースでございます」

    「コースか」

    「季節の記憶を再構築した一皿から始まります」

    「何言ってるか分からん」

    「前菜です」

    「それでいい」

    皿が置かれる。

    小さい。中央に何かある。

    「……これだけ?」

    「余白をお楽しみください」

    「足りるか」

    「味わいは十分でございます」

    男が一口で食べる。

    「……酸っぱいな」

    「初夏の輪郭でございます」

    「酢だろ」

    「……」

    「次」

    「承知しました」

    パンが来る。

    「こちら、空気を多く含ませ——」

    「軽いな」

    「はい」

    「軽すぎる」

    「……」

    「もう一個」

    「追加料金となります」

    「だろうな」

    沈黙。

    ワインが注がれる。

    「こちら、記憶に残る苦味が——」

    「コーヒーっぽい」

    「葡萄でございます」

    「知ってる」

    一口飲む。

    「……渋い」

    「余韻をお楽しみください」

    「残るな」

    「はい」

    「ずっと残るな」

    「はい」

    「ちょっとしつこいな」

    「……」

    給仕長の指が、わずかに止まる。

    「次のお料理で調和を」

    「頼む」

    皿が変わる。

    魚。だが形が曖昧。

    「こちら、海の記憶を分解し——」

    「焼いた?」

    「低温で火入れを」

    「焼いたな」

    「……はい」

    食べる。

    「……柔らかいな」

    「ありがとうございます」

    「ただ」

    「はい」

    「味、薄いな」

    「素材を活かして——」

    「塩ある?」

    沈黙。

    「……ご用意できます」

    「頼む」

    小皿が来る。

    男が振る。

    「……ちょうどいい」

    「……」

    「最初からこれでいいだろ」

    「……」

    給仕長が、ほんのわずかに息を吸う。

    「お客様」

    「なんだ」

    「失礼ですが」

    「うん」

    「どちらでお食事を?」

    「定食屋」

    「……」

    「うまいぞ」

    「……」

    「量もある」

    沈黙。

    「ですが当店は」

    「分かってる」

    「体験を——」

    「分かってるって」

    間。

    男が、水を飲む。

    「……なあ」

    「はい」

    「このソース」

    「はい」

    「煮込み足りてないだろ」

    沈黙。

    空気が、止まる。

    「……シェフ渾身の——」

    「火、弱かったな」

    「……」

    「味が中途半端だ」

    「……」

    給仕長の喉が、わずかに動く。

    「……なぜそう思われますか」

    「分かる」

    「……」

    「家庭でもやる」

    「……」

    「あと三分いける」

    長い沈黙。

    厨房の奥で、音が一瞬だけ止まる。

    「……」

    給仕長が、ほんの少しだけ頭を下げる。

    「確認いたします」

    下がる。

    男は、パンをもう一つ頼む。

    しばらくして、皿が戻る。

    同じ料理。

    香りが違う。

    「……」

    男が食べる。

    「……うん」

    「……」

    「よくなった」

    「……ありがとうございます」

    沈黙。

    「なあ」

    「はい」

    「さっきのより、いいだろ」

    「……」

    「正直に」

    長い、間。

    「……はい」

    小さく。

    「明らかに」

    「だろ」

    沈黙。

    給仕長が、男を見る。

    初めて、測るような目。

    「……お客様」

    「なんだ」

    「ご職業は」

    「食う側だ」

    「……」

    「ずっとな」

    間。

    「……失礼ですが」

    「うん」

    「お名前を」

    男は、少しだけ考える。

    「言わなくていい」

    「ですが」

    「いいって」

    沈黙。

    「……では」

    給仕長が一歩下がる。

    「本日は、最後まで責任を持ってご提供いたします」

    「頼む」

    料理が続く。

    一皿ごとに、わずかに変わる。

    言葉は減る。

    音も減る。

    最後のデザート。

    「こちら、甘味の記憶を——」

    「普通に甘いな」

    「……はい」

    男が食べ終わる。

    水を飲む。

    「……ごちそうさん」

    「ありがとうございました」

    会計。

    男が立つ。

    「……また来る」

    「ぜひ」

    ドアに向かう。

    その背中に、給仕長が言う。

    「……次回は」

    男が止まる。

    「ご予約を」

    振り返る。

    「しない」

    「……」

    「腹減ったら来る」

    沈黙。

    それから、給仕長がほんの少しだけ笑う。

    「……お待ちしております」

    男が出ていく。

    ドアが閉まる。

    静寂。

    厨房の奥で、誰かが小さく言う。

    「……誰だ、あれ」

    給仕長が答える。

    「……知らない」

    一拍。

    「ただ」

    「……」

    「一番、正確だった」

    その声だけが、やけに残った。


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