
教師に期待しない学校環境づくり~映像授業の導入
「今日の算数は、No.5の先生の動画を、見てくださいね」
もしそんな学校があったら、みなさんはどう感じるでしょうか。
少し冷たく聞こえますか?
でも、ここには「子どもたちを守るため」の発想があります。
今日は、そんな学校のかたちについて、考えてみたいと思います。
1. 教師不足なのに、少子化。この矛盾をどう考えるか
「教師が足りない」というニュースをよく目にします。
一方で、子どもの数は減り続けています。
一見、矛盾しているように見えますが、実はそうではありません。
「なりたい人が減っている」ことと、「必要な人数が確保できない」ことは、別の問題として同時に起きているのです。
だとしたら、今までと同じやり方を続けていても、この矛盾は解決しないのではないでしょうか。
限られた人数の先生で、これからの子どもたちを、どう支えていくか。
そのためには、「先生一人ひとりの頑張り」に頼るのではなく、仕組みそのものを見直す必要があると思うのです。
そこで考えたいのが、授業のかたちです。
教室にはみんなで集まりますが、黒板を見るのではなく、一人一台のモニターで、それぞれ授業動画を見るという形式です。
たとえば算数の時間なら、一流の予備校講師による授業を、自分のペースで視聴する。
60分の授業も、プロが作った動画なら30分ほどで、要点をしっかり伝えられます。
わからないところがあれば、巻き戻して見返せますし、理解できたところは早送りしてもいい。
そして、つまずいたときは、ヘルプボタンを押す。
ここが、今までの学校とは大きく違うところです。
まず最初に対応してくれるのは、AIです。
正直なところ、教科書レベルの座学であれば、その多くはAIで十分に答えられるはずです。
「なぜこの公式になるのか」「この漢字の使い分けは何が違うのか」——そういった質問には、AIが一つひとつ、根気強く付き合ってくれます。
何度聞いても、嫌な顔をされることもありません。
そして、AIに聞いてもどうしても納得できなかったときだけ、教室にいる先生のところへ行く。
先生の役割は、「教える人」から、「AIでも解決できなかった、本当に難しいつまずきに、寄り添う人」に変わっていく。
これは、先生の仕事を減らすためではありません。
限られた先生の力を、本当に必要なところに、集中して使ってもらうための提案です。
2. 「先生の当たり外れ」は、子どもにとってあまりにも酷なこと
もうひとつ、ずっと感じてきたことがあります。
特に公立の学校は、全国どこで生まれても、同じように学べる場所であってほしいということです。
でも現実には、教え方の上手な先生に出会えるかどうかは、正直なところ「運」に近い部分があります。
同じ学年、同じ教科なのに、担任の先生によって理解度がまったく違う。
そんな話を、誰しも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
子どもは、先生を選べません。
たまたま割り当てられた先生との相性が悪かっただけで、その教科が嫌いになってしまう。
そう考えると、あまりにも切ないことだと思うのです。
だからこそ、同じ算数でも、タイプの違う講師を3人ほど用意して、子ども自身が「この先生の教え方、好きだな」と思える人を選べるようにしてはどうでしょうか。
もちろん、優秀な子は、誰から教わってもきちんと理解できます。
でも、そうではない子ほど、「誰から教わるか」で、理解度が大きく変わってしまう。
だとしたら、選べる余地を残しておくこと自体が、一つのやさしさなのではないかと思うのです。
そして、義務教育を超えて、本当に力のある子については、いずれ自習中心でも十分伸びていけるはずです。
でも、義務教育くらいまでは、「動画授業+AI+そっと見守る先生」という形が、ちょうどいい落としどころのように思えます。
3. 田舎の教職は、時にちょっと"特別"になりすぎることがある
ここから先は、あくまで個人的な経験として、感じてきたことです。
大人になって振り返ると、学校の先生は、世間離れしてる人が多すぎたと気づくことがあります。
一般企業で働いた経験もなく、それでいて「社会で通用する力を」と語る。
ただ、知識を伝えるという点も含めて、正直、プロの予備校講師やAIのほうが、圧倒的にわかりやすい場面もあるのも事実です。
そしてもう一つ、地方に暮らしてきた中で感じてきたことがあります。
田舎では、教職の年収が、地域の中で相対的に高くなりやすいという現実です。
それ自体は悪いことではありません。
ただ、その環境の中で、ごく一部ではありますが、「自分は特別な存在だ」と、少し勘違いをしてしまっているように見える先生に出会うことも、正直ありました。
これは、あくまで自分が見てきた範囲での話であり、すべての先生に当てはまるわけでは、もちろんありません。
でも、こうした"当たり外れ"や"相性"や"人による差"を、できるだけ小さくしていくことこそが、これからの学校に必要なことなのではないでしょうか。
教師に「教える」ことを、過度に期待しない。
その代わりに、教師にしかできない、子どもに寄り添うという仕事に、専念してもらう。
なお、体育や家庭科、技術のように、体を動かして覚える教科は、これからも間違いなく対面での指導が大切だと思います。
これが、これからの学校の、ひとつのかたちなのかもしれません。
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