メインコンテンツへスキップ
見出し画像

ナイーブな人ほど、ケア職を目指したがる傾向が強い気がする。アイドル・桜庭遥花の言葉がヒントになるかも

    ナイーブな人ほど、ケア職を目指したがる傾向が強い気がする。

    過去に苦しんだ経験があるからこそ、誰かを救いたいと願う人は多い。

    しかし、「優しいこと」と「ケアができること」は決して同義ではない。

    相手の痛みに呑まれるだけの感情移入は、結果として自分をも相手をも損なう。

    本稿では、人を支える立場に本当に必要な「強さと覚悟」について考えてみたい。

    ※この記事は、AIとの壁打ちをしながら構成・執筆しました。

    1. 「優しさ」と「ケアができること」の決定的な違い

    心理職。ソーシャルワーカー。

    いわゆる「ケア職」を志す人には、ある傾向がある。

    自分自身が、繊細で、傷つきやすい。
    過去に苦しんだ経験があるからこそ、同じように苦しむ誰かの力になりたい。

    そう思う気持ちは、美しい。 否定はしない。

    だが、それは本当に「向いている」ことを意味するのか。

    ここに、大きな誤解がある。

    「優しい人」と「ケアができる人」は、イコールではない。

    画像

    ナイーブな人は、目の前の相手の痛みに、共鳴しすぎてしまう。
    一緒に沈んでしまう。 一緒に迷ってしまう。
    それだけでは、まだ終わらない。
    共感しすぎることで、自分自身の精神まで、削られていく。

    相手の不安定さに、引きずられていく。
    ケアするはずが、自分の方が壊れていく。
    それは、ケアではない。 ただの感情移入だ。

    アイドルグループCUTIE STREETの桜庭遥花が、こんな言葉を語っていた。

    「アイドルって、強くなきゃなれない職業」

    これは、彼女がCUTIE STREETオーディションを受けた、まだ18歳のときの言葉だ。

    やはり年下から学ぶことは、多いなと改めて実感させられた。

    彼女はインタビューで、よく 「私はアイドルに救われた」と振り返る。

    この二つの言葉を並べると、ひとつの解釈が見えてくる。

    アイドルという職業を、まっとうするために自分自身が、強くなりたい。

    救われる側だった経験があるからこそ、今度は救う側に立ちたい。
    だが、救う側に立つには、自分の中に、揺るがない軸が必要になる。

    ケア職も、きっと同じ構造を持っている。

    過去に救われた経験や、傷ついた経験があるのは、悪いことではない。

    問題は、その経験を抱えたまま、ないしは問題を解決しないまま救う側に回ろうとすることだ。
    救う側になるとは、強くなる決意をすることだ。

    画像
    画像

    2. 救う側に求められる「揺るがない軸」と悪者になる覚悟

    本当にケアをすべきなのは、確固たる軸がある人間だ。

    心理職やソーシャルワーカーに、本来必要なのは何か。
    揺るがない、精神の土台。

    相手がどれだけ荒れても、崩れても、泣き喚いても。

    自分自身は、そこに巻き込まれず、冷静に立っていられる強さ。

    それがなければ、支える側が先に倒れる。
    支える人が、支えられる人になってしまう。 これでは、本末転倒だ。

    そしてなだめるだけでは、何も良くならない。

    「大丈夫だよ」
    「あなたは悪くないよ」


    そう言い続けることが、優しさだと思われがちだ。

    だが、それはその場しのぎの鎮痛剤にすぎない。
    痛みは一時的に和らぐ。 けれど、根本は何も変わらない。

    むしろ、変わらなくていい理由を、与えてしまっている。
    時には、悪者になる覚悟を持つ。
    本当のケアとは、なんだろうか。

    最終的には社会になじめるように、後押しすることがケア職の存在意義だと思う。

    そのためには、耳障りのいい言葉だけでは足りない。

    甘えを、指摘しなければならないときがある 。
    現実を、突きつけなければならないときがある 。相手に嫌われる覚悟で、線を引かなければならないときがある。優しい顔だけでは、誰も社会に戻せない。

    画像

    3. ケアとは優しさの証明ではなく、強さの証明である

    ここで、もうひとつ触れておきたいことがある。

    社会になじめるように導いていくことが、ケアの目的であるはずなのに。

    周囲とあつれきを生む行為、ましてや犯罪行為を繰り返す人に対して、ケア一辺倒で接することは、逆効果でしかないと思う。

    もちろん、強迫性障害など、本人にはどうしようもない、先天的な問題を抱えているケースは別だ。
    そこは、きちんと切り分けなければならない。

    だが、そうではなく。 そもそも社会になじむ気がないのなら。
    もう、無人島か、山奥で暮らすしかないのではないか。

    そのほうが、世間にとっても、当人にとっても、よほど良いはずだ。

    画像

    ケアという名のもとに、なじむ気のない人間を無理やり社会に留め続けることは、誰も幸せにしない。

    ケアとは、伴走して、当人に主体性をもたせて社会になじむようにさせることだ。
    寄り添うことと、流されることは違う。

    画像

    共感することと、迎合することは違う。 本当に強い人間だけが、その違いを保ったまま、相手のそばに立てる。 ナイーブな善意では、この仕事は続かない。

    続いたとしても、それは相手のためになっていない。
    ケアとは、優しさの証明ではない。 強さの証明だ。

    弱さから始まった動機は、いずれ限界を迎える。
    本当に人を救えるのは、揺るがない自分を持った人間だ。

    画像
     
     
    元国家公務員(法務省・厚労省)/沖縄出身 派遣社員 30歳手前でアイドルと生成AIをきっかけに少しだけ前向きになりました。気軽に楽しめる記事と生き方を発信しています。 野球・アイドル・生成AI・公務員試験・旅行・MBTI(INFP-T)/推し:板倉可奈・佐野愛花・笹原なな花

    あなたへのおすすめ