
京都言葉物語:第2話 「一口」と書いて、なんと読む?――京都で最も読めない地名の謎
京都には、「読めない」という言葉では足りないほど、不思議な地名があります。今日、沙月先生が黒板に書いたのは――たった二文字。
一口
「さあ、読んでみてください」
ひとくち?
ところが、京都では違います。
「いもあらい」
なぜですか?
誰が、いつ、こんな読み方を始めたのでしょう。
そして、この二文字の裏には、かつて京都南部に広がっていた巨大な水辺、巨椋池と、そこに暮らした人々の歴史が隠れていました。
今回は、沙月先生と一緒に「一口」という、たった二文字の中へ入ってみましょう。

沙月先生が黒板の前に立った。
そして、白いチョークで、たった二文字を書いた。
一口
「さて、皆さん。これは何と読みますか?」
私はすぐに答えた。
「ひとくち……ですよね」
沙月先生は笑った。
「それでは、京都の地名としては不正解です」
チョークが、二文字の下にゆっくり走る。
いもあらい
「一口と書いて、いもあらい。場所は京都府久御山町です。現在は『東一口』『西一口』という地名として残っています」
いったい、どうして?
「ここには、かつて巨椋池という巨大な水域がありました。木津川、宇治川、桂川が流れ込む水郷で、東一口はその巨椋池のそばにある集落だったのです」

そして沙月先生は、一口の文字を指した。
「実は、この『一口』という漢字が使われるようになる前には、『芋洗』と書かれた例があります。中世の史料にも『いもあらい』という名前が登場します」
つまり、もともと「いもあらい」という呼び名が先にあり、その後、「一口」という漢字が使われるようになったらしい。
「では、なぜ『いもあらい』なのでしょう?」
沙月先生は、今度は黒板に大きく、
???
と書いた。
「ここが、この地名の面白いところです。実は、由来にはいくつもの説があって、決着していません」
ある説では、昔のこの土地は三方を沼や水域に囲まれ、出入口が一方だけだったから『一口』と呼ばれたといいます。
一方、「いもあらい」という言葉については、疫病などを避けるための「忌み払い」に結びつける説や、水辺で芋を洗ったことに結びつける説など、さまざまな説明が伝わっています。
「つまり――」
沙月先生は静かに言った。
「漢字の由来と、もともとの呼び名の由来が、同じとは限らないのです」
私は、もう一度「一口」を見た。
たった二文字。
けれど、その向こうには、水に囲まれた土地があり、そこで魚をとり、暮らしていた人々がいる。

東一口はかつて漁業を営む集落として栄え、巨椋池では魚市場も営まれていたと伝えられています。

やがて昭和8年から16年にかけて巨椋池の干拓が進み、巨大な水域は農地へと姿を変えました。

沙月先生は黒板に最後の一行を書いた。
一口 → いもあらい
「読めないでしょう?」
私はうなずいた。
「でも、読めないからこそ、調べてみたくなる」
沙月先生は笑った。
「そうです。難読地名というのは、暗号ではありません」
「その土地が、自分の歴史を名前の中に残したものなのです」
黒板には、「一口」という二文字だけが残った。
今度は、もう「ひとくち」とは読めなかった。
その二文字の奥に、かつて水に囲まれた京都の風景が見えるような気がした。
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