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東京駅の”あの”アナウンスから「聞こえた」、3つの光景とある感情

    私は静岡県富士市在住で、基本的には富士市で生活をしています。
    それでも仕事柄、時々、本当に時々東京を訪れることも。

    東海道新幹線で東京に着いた時に流れるアナウンス、「とうきょう、とうきょう」。女性の声で、ゆっくりとしていて、何となく無機質。
    そのアナウンスが耳に入る時、いつものことながら何とも言えぬ感覚に襲われるのです。
    今回は、その感覚をエッセイにしてみます。

    東京と、江戸と、TOKYO

    東海道新幹線で新富士を出発し、品川を過ぎ、東京に到着。降車してホームの地面を踏みしめた時に頭に降り注ぐ、「とうきょう、とうきょう」のアナウンス。
    わずか数秒の出来事ではあるものの、何故か、東京にまつわる3つの光景が私の中を交差するのです。

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    押しも押されぬ東京が見せる、多層性と品格

    一つ目の「東京」は、世間一般的なイメージの東京。
    静岡県富士市では考えられないほどの、おびただしい数の高層ビル。「お客さんの取り合いに困らないんだろうか」と心配になるほど密集する、商業ビルや飲食店、店の数々。そして、都会ならではの圧倒的な情報量。
    東京に来るたび、その情報量に頭から「ばさっ」と叩かれるような感覚さえあります。

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    かと思えば、井の頭沿線のエリアのような牧歌的なイメージ、どっしりとした歴史と迫力を見せる浅草、住宅地から漂う生活感と、一つにとどまらない姿を見せてくれるところも、東京らしいと感じます。

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    それでいて、どこにおいても「首都・東京」という凛とした品格は共通している。
    「とうきょう、とうきょう」のアナウンスに、まず私の頭の中にはこのようなイメージや光景が広がります。

    江戸から東京に変わるまでの歴史

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    続いての響きは、江戸から東京に移り変わるまでの、歴史の重み。

    改めて調べてみると、東京という名称が誕生したのは1868年(慶応4年)で、江戸時代。明治維新を経て江戸から東京に変わり、東京府が設置され、1943年(昭和18年)にそれまで分かれていた東京府と東京市が併合され、東京都になりました。
    「東京都」の名称は昭和に確立されたものだということで、少し意外な感じもしました。

    江戸から東京に変わりしその時、明治天皇も京都から東京に移り、事実上の「東京遷都」。合わせて法制度、経済、インフラが以前にも増して強固となり、日本にとって東京は首都として圧倒的な立ち位置になっていきます。

    そんな流れの中で、どれだけのエネルギーが動いたことでしょう。
    文名開化を皮切りに、銀座にはレンガ造りの建造物が並び、ガス灯が姿を見せ、馬車と鉄道が登場し、散切り頭に洋服をまとい、傘を持った人が歩く。今でこそ「レトロ」と話題を集める食文化の変化も、当時にとっては斬新だったに違いありません。
    そうたどっていくと、自分の足の下で時空がダイナミックに動くような、滅多に感じることのないイメージが浮かんできます。

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    江戸から東京へ、エネルギーと文化の変容。
    新しきものの流れは強く、なおかつ古きものもどこかしらに表情を見せている。
    エネルギーの移り変わりと、それでもたたずまいをなお見せ続ける江戸の香り。

    その光景と香り、当時のエネルギーが、「とうきょう、とうきょう」のアナウンスに何らかの重みを残しているような気がしてなりません。

    未来に向けて変貌を続ける、TOKYO

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    「とうきょう、とうきょう」のアナウンスの響きは極めて日本的なのですが、そこから浮かび上がる3つの光景の最後として、「TOKYO」という文字とイメージが姿を現してきます。

    日本人のみならず、世界中にとっても憧れの場所であるTOKYO。首都だからこその活気と情報量の多さ、ファッション性、迫力、随所に光るホスピタリティ……などなど、挙げていけばキリがありません。

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    さらにその魅力は衰えることなく、未来へ向かって前に前に進んでいく。
    一個人の力では想像しえないような熱量を持ち、うねるような動きを見せながら突っ走っていく。

    そうしてたどり着く姿も、その時には今日のものとして受け入れられ、また変貌を遂げていくのでしょう。
    東京からTOKYO、TOKYOから東京、引き続いてTOKYO。
    こうした繰り返しが、東京の光景に独特なエッセンスを与えてくれているのだなと、つくづく思います。
    そのエネルギーの進みを、あのアナウンスから感じるのです。

    子供のころに抱いた、東京への畏怖

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    東京駅のアナウンスを聞き、自分の中で行き来する3つの光景。
    「その背景はどこにあるのだろう?」と思い起こしていたところ、子供のころの東京行きの記憶が根底にありました。

    生まれも育ちも静岡県、子供時代の私にとっては、東京はひたすら大きい街。
    地元で感じることのないスケール感と、地下鉄を含め複雑怪奇な電車の路線の数々、大都会と繁華街、そして下町と多様な姿を見せる魔性の力。
    あまりの迫力に歩くスピードが遅くなっては、両親に叱られたことをよく覚えています。

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    そのためか、今でも東京は私にとって、ある意味畏怖の対象なのだと思います。

    怯むような情報量とスケール感、賑やかさと豊かさ、洗練さをこれでもかと見せつけながら、私を迎えてくれる。
    私が幼かろうと、力がなかろうと、特に拒むことなく受け入れてくれる。
    でも、ちょっと気を抜くと、吞み込まれてしまう気がする。
    少しオーバーな表現にはなりますが、そんな静かながら大きな渦のようなイメージを抱くこともあります。

    覚悟を決める間もなく、東京に一歩踏み出す

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    ここまで色々と文章を書いてみましたが、こういったイメージや光景を思い浮かぶのは、実際にはほんの数秒か数分。
    その後は感傷に浸る時間もなく、急かされるように改札に進みつつ、周辺のお土産ショップに目を輝かせる「おのぼりさん」と化します。
    あれだけ強く感じたイメージも、シャボン玉のごとく消えてしまうのです。


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    それはそれで、私が東京を好きなことには変わりません。
    学生時代には井の頭公園付近に住んでいたこともあり、今でも周辺を歩いては心が浮き立つことも。
    地元ではなかなか得難い景色と躍動感に出会えるのも、東京の大きな魅力ですね。

    「あの空間に溶け込めたら」と何度か思ってみましたが、私はきっと溶け込むことはできないでしょう。
    東京駅のアナウンスから広がる3つの光景と、幼い私の心に根付いた畏怖感がずっと残るのだと思います。

    でも、それでいいし、そうであってほしい。
    どんな時でも凛としていて、時々、日常とは違うものを見せてくれる場所であり続けてほしい。
    そんな願いを最後に持ち、今回のエッセイを締めくくります。

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    フリーランスライターとして、医療機関(病院・クリニック)や治療院業界(接骨院・整骨院、整体院など)、歯科医院・クリニックへのライティングと取材のお仕事に携わっております。またシンガーとしてライブやレコーディング、デュオ・バンド活動、イベント参加などもしております。

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