
湾岸タワマンが売れなくなってきた。暴落か、踊り場か、それとも二極化の始まりか。
東京湾岸のタワーマンション市場に、変化が起きている。
勝どき、晴海、豊洲、有明。
ここ数年、驚くような価格上昇を続けてきたエリアだが、最近は売出在庫の増加や成約までの期間の長期化が話題になっている。
強気の価格で売り出しても、なかなか買い手がつかない。値下げを繰り返す住戸も見られる。
「いよいよ湾岸タワマンは暴落するのか?」
そんな声も聞こえてくる。
私は約10以上間、不動産デベロッパーとして住宅の開発・販売に携わってきた。
その経験からすると、現在の湾岸市場には確かに調整圧力がかかっていると思う。
しかし、単純な暴落論にも違和感がある。
なぜなら、中古マンションが売れにくくなっている一方で、新しいマンションを供給するコストは構造的に上昇しているからだ。
さらに、東京という都市そのものも、この20年間で大きく変わった。
短期的な需給と、長期的な都市の価値。
この二つを分けて考えなければ、今の東京の不動産市場は読み解けない。
1.不動産価格は、下がる前に売れなくなる
不動産市場で最初に起こるのは、必ずしも価格下落ではない。
取引の減少だ。
例えば、2億円で売り出したマンションが半年経っても売れない。
売主は「隣の部屋も2億円で売り出している」と考える。
一方、買主は「もう少し待てば安くなるのでは」と考える。
こうして売主と買主の希望価格が乖離し、取引が成立しなくなる。
売出価格は、あくまで売主の希望価格だ。
重要なのは実際の成約価格であり、そこに至るまでの期間である。
特に湾岸の大規模タワーマンションでは、同じ建物内に似た間取りの住戸が何十戸も売り出されることがある。
買主からすれば比較対象が豊富だ。
階数、方角、眺望、価格を横並びで比較できる。
人気マンションであっても、競合住戸が増えれば販売期間は長期化する。
街の人気と、個々の住戸の売りやすさは別問題なのだ。
2.今、同じタワマンを建てたらいくらかかるのか
ここからは、デベロッパーとして特に伝えたい話だ。
中古マンションの価格を考えるとき、私は必ず「再調達価格」を意識する。
つまり、同じ立地に、同じ規模・品質のマンションを今から新しく建てると、いくらかかるのかということだ。
この10年で建設費は大きく上昇した。
鉄筋、コンクリート、設備機器、人件費。
こうした資材価格や労務費の上昇は、比較的わかりやすい。
しかし、実際の開発現場では、それだけではない。
例えば、建設業界で進められている「4週8閉所」。
週休2日の定着によって、従来と同じ人数・施工方法では工期が長くなるケースがある。
特にタワーマンションは、一般的な中低層マンションより工期が長く、工程も複雑だ。
仮に工期が3カ月延びれば、その間の現場管理費、仮設費、金融費用などが増加する。
工期が長い大型プロジェクトほど、その影響は大きい。
さらに、ZEH-M Orientedなど、住宅に求められる環境性能も高度化している。
断熱性能の向上、高効率設備の採用、省エネルギー性能の確保。
住宅の品質向上として望ましいことだが、当然ながら追加のコストも発生する。
そして、見落とされがちなのが間接経費だ。
デベロッパーの社員も、ゼネコンの社員も、サブコンの社員も、人手不足の中で給与が上がっている。
人材確保のための待遇改善は、今後も簡単には後戻りしないだろう。
その人件費は、直接的な施工費だけでなく、現場管理費や一般管理費にも反映される。
つまり、今のマンション価格が高いのは、単に資材が値上がりしたからではない。
マンションをつくるための社会全体のコスト構造が、以前とは違う水準に移行しているのだ。
もちろん、技術革新や施工効率の改善によってコストを下げる余地はある。
それでも、10年前と同じ賃金、同じ労働環境、同じ環境基準に戻るとは考えにくい。
3.売れなければ、新しいマンションは供給できない
もう一つ、供給者側から見た重要な構造がある。
デベロッパーは、土地を買えば必ずマンションを建てられるわけではない。
想定販売価格から、土地代、工事費、設計費、販売経費、金融費用などを差し引き、事業採算が成立して初めて開発に踏み切れる。
ところが、販売価格が下落しても、建設費は同じようには下がらない。
4週8閉所をやめるわけにはいかない。
求められる省エネ性能を無視することもできない。
工期が長期化すれば、資金を回収するまでの期間も延びる。
つまり、売値は下がるのに、原価は下がらない。
こうなれば、デベロッパーは新しい土地を仕入れにくくなる。
土地所有者が価格を下げなければ、事業は成立しない。
結果として、新規供給が減少する。
そして、新しいマンションが供給されなくなれば、既存マンションの希少性は相対的に高まる。
ここに不動産市場の興味深い循環がある。
価格が下がることで供給が減り、その供給減少が将来の価格を支える。
ただし、供給調整には時間がかかる。既に着工したマンションや、売却を急ぐ中古所有者の存在によって、短期的には価格が下落することもある。
再調達価格が高いからといって、中古価格が必ず維持されるわけではない。
それでも、都心のように用地が限られ、建設費の高止まりが続く市場では、新規供給の制約は長期的な価格形成に大きな影響を与えるはずだ。
4.東京は、この20年で別の都市になった
もう一つ、湾岸市場を考えるうえで無視できないのが、東京そのものの変化だ。
私は2009年から長く東京で暮らし、仕事でも都心の不動産開発に携わってきた。
その間、東京の街並みは大きく変わった。
20年前の東京駅を覚えているだろうか。
今のような立派な丸の内駅舎も、整然とした駅前広場もなかった。
日本橋は、週末になると人通りが少なく、まるでゴーストタウンのようだった。
虎ノ門には古い中小規模のオフィスビルが立ち並び、現在のような超高層ビル群はなかった。
六本木ヒルズが開業したのは2003年。東京ミッドタウンが開業したのは2007年だ。
今では当たり前になった風景も、20年ほど前にはまだ新しいものだった。
そして、八重洲が大きく変わったのは、つい最近のことだ。
2023年には東京ミッドタウン八重洲が開業し、2026年には新たな超高層複合ビルが竣工した。
かつて雑居ビルが並んでいた東京駅前に、世界的なラグジュアリーホテルや国際的なビジネス拠点が誕生している。
さらに、銀座も大きく変わった。
2017年にはGINZA SIXが開業し、世界的なラグジュアリーブランドが集積する一方、インバウンド消費が拡大した。
街を訪れる人たちも変わった。
かつては国内の富裕層や買い物客が中心だった市場に、海外からの観光客や富裕層が加わった。
つまり、東京の商業施設は、日本国内の購買力だけでなく、世界の購買力を取り込めるようになったのだ。
そして、もう一つ大きく変わったのがホテルだ。
ザ・リッツ・カールトン東京、アマン東京、フォーシーズンズホテル東京大手町、ブルガリ ホテル 東京。
世界の富裕層が滞在先として選ぶようなホテルが、都心のさまざまな場所に誕生した。
これは単にホテルの数が増えたという話ではない。
世界的なホテルブランドが、東京を投資先として選び、国際的な富裕層を受け入れるための都市機能が整ってきたということだ。
オフィス、住宅、商業施設、ホテル、文化施設。
それぞれが高度化し、相互に価値を高め合っている。
さらに今後も、築地市場跡地をはじめ、大規模再開発が続いていく。
東京は、単に不動産価格が上がった都市ではない。都市そのものの商品価値が、この20年間で大きく変わったのだ。
もちろん、それが東京のすべてのマンション価格を正当化するわけではない。
しかし、20年前の価格を基準に現在の東京を「高くなりすぎた」と判断するだけでは、この構造的な変化を見落としてしまう。
5.湾岸もまた、20年前とは別の街になった
東京の進化は、丸の内や日本橋、虎ノ門だけではない。
湾岸エリアも、この20年間で劇的に変わった。
かつての豊洲や晴海、有明には、工場、倉庫、物流施設などが広がっていた。
もちろん昔から住宅地も存在したが、現在のような大規模なタワーマンション群はなかった。
2006年には、ららぽーと豊洲が開業した。
その後もタワーマンションの建設が続き、商業施設、学校、公園、医療施設などが整備されていった。
2020年には有明ガーデンが開業し、2024年には晴海フラッグの入居が本格化した。
人口が増えることで商業施設が成立し、生活利便性が高まることで、さらに人が集まる。
そんな循環が生まれた。
そして、街の魅力は施設の数だけではない。
広い歩道、運河沿いの遊歩道、公園、整然とした街並み。
子育て世帯が集まり、ランニングや散歩を楽しむ人が増え、湾岸ならではのライフスタイルが形成されてきた。
20年前には存在しなかった「湾岸に住みたい」という需要が、街の成長とともに育ってきたのだ。
私は、ここに湾岸エリアの本質的な価値があると思っている。
不動産価格が上がったから人気になっただけではない。
住む場所としての魅力が高まり、その結果として価格が上昇してきた側面がある。
もちろん、人口増加には副作用もある。
交通機関の混雑、学校や医療施設への負荷、同じような住戸の大量供給。
そして今、湾岸では中古マンションの売出在庫が増え、成約までの期間が長期化するという新たな課題も生まれている。
ただし、短期的な需給悪化と、20年間かけて積み上げられた街の価値は分けて考えるべきだろう。
仮に今後、中古マンション価格が一時的に下落したとしても、整備された公園や商業施設、成熟した生活コミュニティが突然なくなるわけではない。
だからこそ、私は今の湾岸市場を単純な暴落の始まりとは考えていない。
6.それでも、湾岸には湾岸特有のリスクがある
ただし、東京の将来性が高いからといって、湾岸のタワーマンションがすべて上昇するとは思わない。
特に気になるのは、供給戸数の多さだ。
例えば1,500戸のマンションで5%の住戸が売りに出れば、それだけで75戸になる。
さらに近隣のタワーマンションでも同時に売却が進めば、買主の選択肢は一気に増える。
駅直結か、駅徒歩10分か。
眺望が抜けているか、将来建物が建つ可能性があるか。
管理状態はどうか。
大規模修繕に備えた積立金は十分か。
同じ湾岸でも、物件ごとの評価は今後さらに分かれていくだろう。
また、2億円のマンションを購入できる人は、決して多くない。
仮に1億6,000万円を35年返済で借りると、金利1.5%で毎月約49万円、2.5%なら約57万円の返済になる。
管理費、修繕積立金、固定資産税も加わる。
住宅ローン金利の上昇は、購入可能な世帯数を確実に絞り込む。
いくら街の価値が高くても、買主が融資を受けられなければ取引は成立しない。
再調達価格は長期的な価格の支えにはなっても、短期的な成約価格の下限を保証するものではない。
ここは冷静に見ておきたい。
7.暴落か、踊り場か。それとも二極化の始まりか
今の湾岸タワーマンション市場には、複数の調整要因が重なっている。
売出在庫の増加、成約までの期間の長期化、住宅ローン金利の上昇。
そして、ここ数年の急激な価格上昇によって、購入できる人そのものが限られてきた。
短期的には、価格調整が進む物件も出てくるだろう。
しかし、長期的に見れば、今は上昇過程の踊り場にすぎない可能性もある。
なぜなら、東京という都市そのものの価値は、20年前、10年前とは大きく変わっているからだ。
大規模再開発によって都心の機能は高度化し、東京は世界中の投資家や企業から選ばれるグローバル都市になっている。
一方で、マンションを新しく供給するコストは構造的に上昇している。
資材費、人件費、4週8閉所による工期の長期化、環境性能の高度化。
これらは、景気が悪くなったからといって簡単に元に戻せるものではない。
販売価格が下がっても建設コストが下がらなければ、デベロッパーは新しいマンションを供給できなくなる。
新規供給が減れば、既存マンションの希少性が高まる。
だからこそ、私は東京の都心不動産について、長期的な悲観論には立っていない。
ただし、ここからが重要だ。
次の上昇局面が訪れたとしても、すべてのマンションが再び同じように値上がりするとは限らない。
これまでは、湾岸というエリア全体の人気上昇によって、さまざまなマンションが恩恵を受けてきた。
しかし、今後はより厳しく選別される可能性がある。
東京都心か郊外か。
同じ都心でも、再開発の恩恵を受けるエリアかどうか。
同じ最寄り駅でも、駅直結か徒歩10分か。
同じマンションでも、眺望が抜ける住戸か、周囲を建物に囲まれた住戸か。
立地、建物、管理、眺望、希少性。
これまで以上に、一つひとつの不動産が持つ競争力が問われる。
さらに、価格が高騰したことで、買主の目も厳しくなっている。
1億円、2億円という価格を支払う人たちは、当然ながら比較検討する。
代わりがいくらでもある住戸と、そこにしかない価値を持つ住戸。
その価格差は、今後さらに広がるかもしれない。
私は、今の調整局面を単純な暴落の始まりとは考えていない。
しかし、以前のように「湾岸のタワマンを買っておけば、どこでも値上がりする」という時代は終わりつつあるのかもしれない。
今回の調整は、東京の不動産市場における長期上昇トレンドの踊り場であると同時に、物件ごとの二極化が始まる転換点なのではないか。
10年後に振り返ったとき、2026年はそう評価されている可能性がある。
不動産市場で本当に重要なのは、次の半年で価格が上がるか下がるかだけではない。
次の10年、20年で、どの不動産が選ばれ続けるのか。
東京の成長を信じることと、東京の不動産を何でも高値で買うことは、まったく違う。
私はそこに注目している。