
需要と共有のバランス感覚
少し前のこと。
買い物のついでに店内を歩いていると、ふとCD-Rが必要になったことを思い出しました。
昔なら文房具や記録メディアの棚に当たり前のように並んでいた品だ。
近くにいた若い店員さんに声をかけた。
「あのー、CD-R、置いてますか?」
すると店員さんは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「CD-R……ですか?」
その反応に、自身も少し驚く。
やがて彼は申し訳なさそうに、
「どんな商品でしょうか? お調べします」
と丁寧に答えてくれた。
「えっ」と思わず時代の流れを感じた。
かつては音楽を焼いたり、データを保存したりするために、何十枚入りのスピンドルケースを抱えてレジに並んだものです。
容量を気にしながらファイルを整理し、書き込みが終わるまで息を潜めて待っていた時代が確かにあった。
けれど、クラウドやストリーミングが当たり前になった今、CD-Rという言葉そのものが若い世代の方には馴染みのない存在になっているのかもしれない。
若い店員さんに悪気はないし、商品知識の乏しさを咎める気もない。
むしろ、その純粋な「それは何ですか?」という反応が新鮮でした。
気がつけば、自分にとっての当たり前が、誰かにとっては歴史の一ページになっていた。
店を後にしながら、少しだけ可笑しくて、少しだけ懐かしい気持ちになりました。
まるでCD-Rの表面に焼き付けた昔の思い出が、不意に蘇りました。

現在はサブスクリプションサービスで音楽を聴くことが当たり前の時代になり、自身もサブスクリプションサービスを利用しています。
アイドルや話題のヒットソングなんか聴くときは主にサブスクリプションです。
音源をリリースする立場だからということもありますが、気になる作品があればできるだけCDを購入しています。(レコードプレイヤーは持ってません)
ほんのわずかかもしれませんが、その方がアーティストへの還元につながるような気がするからです。
もちろん、それが正しいのかどうかは分かりません。音楽の楽しみ方は人それぞれですし、サブスクリプションによって多くの素晴らしい音楽と出会えることも事実です。
ただ、自分にとっては手に取れる形で作品を迎え入れることに心地よさがあります。
そんな経緯があり、Lemon's Chairはサブスクリプション解禁していません。
タイミングが合えば解禁する予定ではあります。
ジャケットを眺め、歌詞カードをめくり、棚に並んだ作品を見返す。
そんな何気ない時間も含めて、音楽を楽しんでいることに安心感を感じます。時代の流れとは少し違う方向を向いているのかもしれません。
ですが、その距離感が今の自分にはちょうど良く、居心地のよい音楽との付き合い方になっています。
バナナが描かれたジャケットからバナナ・アルバムとも呼ばれるTHE VELVET UNDERGROUNDのアルバム。

バナナの絵の端には「Peel Slowly and See(ゆっくりはがして、見ろ)」と書かれていて、レコード盤では貼ってあるバナナのステッカーをはがすとバナナの果肉が現れる仕組みになっている。
1967年当時は『このアイデアにやられたー』となったかどうかはわかりませんが。
THE MAD CAPSULE MARKET'Sは綺麗な南国の青い空と海にヤシの木が浮かんでいるジャケットで、「こちらのジャケットはごみ箱にお捨てください。」という注意書きが記載されており、内ジャケットは表紙の南国の海岸が実際にあった死体の写真で覆い尽くされている戦場を描いたものとなっていたり、そんなからくりもありました。
物には魂が宿るという言葉があります。
長く使い続けた道具や、思い出の詰まった品々を前にすると、その言葉は決して迷信ではないように思えます。
古びた傷や色褪せた跡にさえ愛おしさを感じるのかもしれない。
物は言葉を持たない。
これからの人生、人の心へ語りかけてくれる作品(CD)と何枚出会えるだろうか。
