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Photo bychatteley

あの時、助けてって言えて良かった ❶

    今は亡き伯母さん。
    あの時、「助けて」って言えて良かったと
    未だに思う。
    私は結婚してて、たしか、、
    29歳だったかな?

    20年前、"新婚"と言っても、
    もう一年は経っていて、まだ子供はおらず、
    夫と二人、2DKのアパート暮らしだった。



    母がしつこい

    とにかく頻繁に電話がかかってきた。
    私が結婚するときも「さみしい、さみしい」と
    べそべそ泣いていて、
    「娘なんて、せっかく育てても
    出ていっちゃうんだからつまらない」
    と、”鬼ころし”という日本酒を
    一気飲みしながら言っていたのを覚えている。← (お酒がめちゃ強い)

    あの時、「助けて」って言えたことが、
    20年後の今に繋がると言っても
    過言ではないような気がする。

    私は当時、母に申し訳ない気持ちで
    いっぱいだった。
    母を残して結婚するのが、いたたまれなかったのだ。
    私の家は父方の親子四代、同居をして暮らしていた。
    祖母と曽祖母(実の親子)がいて、6人家族だった。

    103歳まで生きた曽祖母


    私が結婚するちょっと前に番狂わせが起きて、
    祖母のほうが曽祖母より早く亡くなった。
    祖母は82歳だった。
    曽祖母はその時点で101歳だった。
    曽祖母は結局103歳まで生きた。

    明治、大正生まれの女性は10代という若さでの結婚など稀ではなく、
    母娘の歳の差が近かったので、このような寿命の逆転劇もあるのだなと思った。
    母も苦労したから、さみしい思いをするだろうな。お父さんと仲良くしてくれるといいな。
    弟のことも心配だな。そんな風に家族を心配するとても優しい娘であった。

    しかし、結婚しても母からの電話とメールが
    しつこくて😱
    心配だの何だの愚痴が多く、ワガママで一方通行の話に私は辟易していた。
    そして、もう何度となく私がブチ切れては、
    なだめられ、「しょうがないな」で何度も母を許してきた。

    今回も数あるうちの小競り合いのひとつだったと思う。
    これもまた、毒親あるあるかと思うのだが、
    「母の日」「父の日」「毒親の誕生日」、これらの祝い事を私は毎年毎年、毒親から要求されてきた。

    でも、当時は結婚もして、
    毎日、慣れない家事をして、仕事もして、
    新しい生活で忙しかった。
    それで、母の誕生日をすっかり忘れてたのだ。

    そうしたら、、メールが来て、その後電話も来て、
    「さきこちゃん、私のお誕生日をお忘れかしら?昨日だったんだけど」的なことを言われた。

    私はわざとじゃないのに、そんな言い方をされて、怒ったんだと思う。

    でも、その後に謝って、花か何かを母に贈った。→もう、めんどくさくて。
    「これ、一生続くのかな。。。」と思ったら、
    なんだか辛くなってきて、泣けてきて、
    どうやって逃れたらいいのかわからなかった。

    やっぱり私が悪いのか?でも、お母さんだし。。。ウザいと思う私が悪いのか?と
    嫌悪感と罪悪感の葛藤だった。

    そんなとき、私はふと、
    そんなに連絡を取っていない、年賀状くらいしかやり取りのない伯母さん(母の姉)を思い出した。
    伯母さんは、私のことをちょっと”変わった子”
    だと思ってたと思う。
    思春期に私は本当に自我が崩壊して、おかしくなってしまったから。
    親戚中、「さきこちゃん、変わったね」って思ってたと思う。その辺の話はまた今度する。


    母と伯母はタイプが違うので、仲がいいわけではない。伯母さんは数学の教員でもあり、賢く、理知的な人だった。姉妹でも全然違う。


    伯母に「母がしんどい」と電話で伝えた。


    思い立ったが吉日で、私は、伯母に電話☎️をした。
    私は、30歳手前でようやく、
    母との関係が苦しいことに気が付き、
    何を思ったのか、その相談相手は伯母が最適だと、直感で思った。

    伯母の認識では、私の父が子どもたちに暴力を
    振るって、DVの暴君であることは、母の親戚縁者でも有名だった。
    当時はなかった言葉だが、いわゆる父は
    モラハラ男性だった。



    母は、父からいつも理不尽な目に合っている
    被害者という立ち位置で、可哀想な人という
    立場だった。
    それ故、私が母のことで悩んでいるとは、まさか思ってなかったようだ。

    私は、
    「母から結婚しても、頻繁に電話があって、お誕生日の要求をされる。私が悪いのか?忘れちゃった私が悪いのかな?」
    「とにかく父だけじゃなくて、今は母もしんどいんだ」
    と、泣きながら言った。

    伯母は、びっくりして、
    「さきこちゃん、落ち着いて、親が子供に甘えちゃいけないね。」「でも、お母さんは良い人だよね。」と伯母が言ったのは覚えている。

    やはり妹だし、母も姉(私にとっては伯母)に
    見せない一面を私には見せていたので、
    伯母も戸惑ったことだろう。

    迷惑をかけた。
    でも、亡き伯母は、この私の泣き事を母に言うかな?と私は思っていたが、伯母は言わないでいてくれた。
    それは、それから15年後、今から5年前の遺産相続で明らかになる。


    長くなったので、続きはまた書く。


    ここまで読んでいただきありがとうございました。


    続きは、、





    マガジンも纏めてあります。ご覧になってみてください。

    よろしくお願いいたします😊


     
     

    sakita

     
     
    40代半ばから、ようやく毒親と距離を置くことができました。 とても苦しい青年期を毒親に捧げてしまいましたが、人生はまだこれからです。 希望を持って、引き寄せる運を味方につけて生きてゆきたい。 一緒に今を笑って生きましょう( ◠‿◠ )

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