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音楽は、いつから“編集”になったのか

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    出張のたびに、自分で曲を選び、カセットテープを作っていた時代。
    音楽には、まだ「時間」が入っていた。

    カセットテープには、「時間」が入っていた

    サムネ画像は、1980年代前半、中国出張用に自分で選曲したカセットテープ。昔の音楽には、「選ぶ時間」と「持ち運ぶ身体性」があった。

    * * *

    昔、音楽は「演奏」でした。

    そこには、その瞬間の緊張感がありました。

    ミスも入る。
    リズムも少し揺れる。
    ブレスも聞こえる。

    しかし、その“不完全さ”の中に、人間がいました。

    私は、カセットテープの時代を知っています(オープンリールの時代も知っています)。

    巻き戻しが必要だった。
    ダビングすると音が劣化した。
    テープが絡むこともあった。

    A面とB面があり、アルバムを一枚通して聴いていた時代です。

    いまのように、気に入らない部分だけを飛ばしたり、「サビだけ」を切り抜いて聴いたりする文化ではありませんでした。

    不便でした。

    しかし逆に言えば、音楽には「時間」が流れていたのです。

    音楽は「演奏」から「編集」へ変わった

    ところが、デジタル化によって、音楽の意味そのものが変わり始めました。

    いまは、録音後にいくらでも編集ができます。

    音程も修正できる。
    リズムも補正できる。
    波形を切り貼りし、演奏そのものをあとから作り直せる。

    極端に言えば、“演奏していない演奏”すら作れてしまう。

    昔の録音は、「その瞬間」を記録するものでした。
    しかし今の音楽は、むしろ「素材を編集して構築するもの」へ近づいています。

    つまり、音楽は「演奏」から「編集」へ変わったのです。
    そして、その構造は、いまの生成AIと非常によく似ています。

    AIは、ゼロから何かを生み出している訳ではありません。

    膨大な過去データを学習し、それを編集し、組み合わせ、“もっともらしい答え”を生成している。

    いまのデジタル音楽も、ある意味では同じです。

    『Now and Then』が示したもの

    ビートルズ最後の新曲『Now and Then』は、その象徴でした。

    AI技術によって、古いデモテープからジョン・レノンの声だけを抽出し、新曲として完成させた。

    技術としては驚異的です。
    しかし同時に、私は複雑な気持ちにもなりました。

    なぜなら、この技術は、

    「本物」と「編集された本物」の境界を、急速に曖昧にしているからです。

    いまは、MetaのDemucsのようなオープンソース技術を使えば、ミックスされた音源から、

    ・ボーカル
    ・ドラム
    ・ベース

    などを分離することができます。

    さらに、AI音声変換技術を使えば、その声を学習させることも可能です。

    つまり、ジョン・レノンの声で、新曲を量産することすら、技術的には可能になったのです。

    ここまで来ると、単なる音楽の話ではありません。

    「情報」の意味が変わり始めている

    • 私的所有権とは何か。

    • 著作権とは何か。

    • 表現の自由とは何か。

    • そして、「情報の価値」とは何なのか。

    その根本が揺らぎ始めています。

    昔は、情報そのものに価値がありました。

    情報は希少だった。
    だから、人は自分で探し、自分で考えたのです。
    しかし、デジタル化によって、情報は無限コピー可能になりました。

    さらにAIによって、情報は無限生成可能になりつつあります。

    すると今度は、「情報そのもの」よりも、「どう編集するか」の方が価値を持ち始める。

    音楽だけではありません。

    SNSもそうです。
    ニュースもそうです。
    政治もそうです。

    いまの社会は、「編集能力」が支配する世界へ向かっているようにも見えます。

    「人間臭さ」は、どこへ行ったのか

    昔のロックスターは、

    “Drug, Sex and Rock’n Roll” でした。

    危険で、衝動的で、人間臭かった。

    ところが今は、コンピュータ画面を見ながら、波形編集ソフトを使いこなせなければ、メジャーデビューすら難しい時代になりつつあります。

    もちろん、私は技術進歩そのものを否定するつもりはありません。AIによって、亡くなった人の声を蘇らせることには、大きな感動もあります。

    しかしその一方で、

    ・教育
    ・コミュニケーション
    ・芸術
    ・人間の創造性

    そのすべてが、再定義を迫られている。

    最近では、北欧諸国ですら、教育のデジタル化を見直し始めています。

    デジタル教科書を進めた結果、集中力や読解力の低下が問題視され、紙の教科書へ回帰する動きまで出てきました。

    便利さは、人間を必ずしも賢くする訳ではない。
    むしろ、考えなくなる危険すらある。

    私は、そんな気がしています。

    答えは、まだない

    答えは、まだありません。
    しかし、だからこそ、

    政治家も、
    官僚も、
    教育者も、

    「便利だから進める」だけではなく、

    “人間にとって、何が残るのか”
    を考えなければいけない時代なのだと思います。

    そして私は時々、古いカセットテープを見ながら思うのです。

    ノイズだらけだった。
    音も悪かった。

    しかし、あの中には、

    「人間がそこにいた時間」が、確かに入っていたのだと。

    ***

     
     
    三鷹の隠居。1970年代から中国を見続け、米国・中国上海・日本で起業。アメリカには20年住み、マンハッタンで9.11も経験。世界の現場から、日本社会とAI時代の主体性を考えています。音楽、読書、料理、旅、AI。長年考え続けてきた「環境との対話」の記録です。

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