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上を向く忠義と、目の前の人へのまごころ ― 武士道を学ぶ【第九章】忠義

    忠義と聞いて最初に浮かぶのは、武士と主君の関係を表した言葉の一つ、というイメージだ。
    はっきりとしたものはわからない。
    ふんわりと、そんなイメージを持っている。

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    ## 中と心

    忠という字は、中と心からできている。
    『説文解字《せつもんかいじ》』は忠を「敬なり」と説明し、中は音を表す部分としている。
    一般には、心の真ん中から出るまごころ、と説明されることが多い字だ。

    宋の時代の儒学者、朱子《しゅし》は、論語《ろんご》の注釈でこう書いている。
    「己《おのれ》を尽くす、之《これ》を忠と謂《い》う」

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    ## 主君への忠ではなかった

    論語で、孔子の弟子の曾子《そうし》は、毎日三つのことで自分を省みると言っている。
    その一つが、「人の為に謀《はか》りて忠ならざるか」。
    人のために考える時、まごころを尽くしただろうか。
    ここでの忠は、主君への忠ではなく、目の前の相手への誠実さだ。

    孔子は、主君と家臣の関係について、こう言っている。
    「君は臣《しん》を使うに礼を以《もっ》てし、臣は君に事《つか》うるに忠を以てす」
    主君は礼をもって家臣を使い、家臣は忠をもって主君に仕える。
    忠は、主君の側の礼と一組で語られていた。

    孟子《もうし》は、さらに踏み込んでいる。
    「君の臣を視ること手足の如くなれば、則《すなわ》ち臣の君を視ること腹心の如し。ふ君の臣を視ること土芥《どかい》の如くなれば、則ち臣の君を視ること寇讐《こうしゅう》の如し」
    主君が家臣を自分の手足のように大切にすれば、家臣は主君を自分の腹や心のように思う。
    主君が家臣を土やごみのように扱えば、家臣は主君を仇のように見る。
    忠は、一方通行のものではなかった。

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    ## 封建の徳の要石

    新渡戸稲造《にとべいなぞう》は、『武士道』の中で、忠義を、封建時代の徳をアーチとしてまとめる要石《かなめいし》だと書いている。
    他の徳は、他の倫理の体系や、他の階級の人々とも共通している。
    でも、目上への忠誠だけは、封建の道徳に固有の特徴だという。

    忠のあり方は、時代によっても変わった。
    戦国時代には、主君を変えることは珍しくなかった。
    戦国武将の藤堂高虎《とうどうたかとら》は、「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言ったと伝わる。
    忠が絶対のものとして強く説かれるようになったのは、主従の関係が固定された江戸の泰平の世だったと言われる。

    曾子や孟子の忠と、新渡戸の描く武士の忠義は、同じ字でも少し違う顔をしている。
    前者は、目の前の相手へのまごころ。
    後者は、主君へ向かう忠誠だ。

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    ## 上を向くものだと思っていた

    忠は、上に対する向きのものだと思っていた。
    だから、尽くす相手を考えた時、妻は除いて考えた。
    忠というものを、理解していなかったのだと思う。

    僕の休日に妻が仕事の時は、朝も夜も送り迎えをしている。
    妻に対して、尽くしている感覚はある。
    でも、それが忠と何が違うのかは、わからない。

    主君に仕えるように、心から尽くしたいと思う相手は、正直、思い浮かばない。
    もしそういう人が現れたとしたら、それは自分の中から自然に出てくるものだと思う。

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    ## 寺子屋

    新渡戸は、こんな話も紹介している。
    歌舞伎や人形浄瑠璃の『菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》』の一場面として知られる話だ。

    菅原道真《すがわらのみちざね》の幼い息子をかくまう寺子屋の師匠に、その首を差し出せという命令が下る。
    そこへ、同じ年頃の子が、母に連れられてやって来る。
    母と子は、すでに身代わりになる覚悟を決めていた。
    首を検《あらた》めた役人は、それを本物だと告げ、その夜、家に帰って妻にこう言う。
    『喜べ、妻よ。私たちの愛しい息子は、主君のお役に立ったぞ』

    新渡戸は、『「なんと残酷な話か」と叫ぶ読者の声が聞こえる』と自ら書いている。

    正直、理解できない。
    でも、それが最善だと思う人がいた時代だったのだと、驚いた。

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    ## 良心は、主君の奴隷ではない

    一方で新渡戸は、はっきりとこう書いている。
    『武士道は、私たちの良心を、いかなる主君や王の奴隷にすることも求めなかった』

    主君の気まぐれのために自分の良心を犠牲にする者は、佞臣《ねいしん》、寵臣《ちょうしん》と呼ばれ、蔑まれた。
    へつらって取り入る家臣と、言いなりになって主君の寵愛を得る家臣だ。

    主君と意見が違う時、家臣がとるべき忠の道は、あらゆる手段で主君の誤りを説き伏せることだった。
    それでも聞き入れられなければ、自らの血を流して、言葉の誠を示すこともあったという。

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    ## 咎めることと、伝えること

    相手のために、言いにくいことを伝えたことはあるだろうか。

    あるとは思う。
    でも、具体的には思い浮かばない。
    それくらい少なかったのだと思う。
    咎めるほうが多かった人生だったと思う。

    咎めることは、自分の正義を押し付けていたのだと思う。
    伝えることには、相手への想いがあるのだと思う。
    同じ言葉でも、発する時の心のありようの違いなのかもしれない。

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    ## 心の奥に座る主

    新渡戸は、忠を向ける先が、いつか外の主君から良心へと移っていく時代が来ても、忠と敬う心は消えないと考えた。
    そしてこう書いている。
    『私たちは、どちらにも不忠になることなく、一人の主から別の主へと忠誠を移す。この世の権力を握る支配者の臣下から、心の奥深くに座す君主のしもべになるのである』

    さらに新渡戸は、こうも書いている。
    『国家が強大になりすぎて、市民に良心の命令まで差し出すよう求める日が来るなら、それは災いの日だ』

    それから数十年の後、忠義という言葉は「忠君愛国」として、国のために命を差し出すことの根拠にも使われていった。

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    ## 欲求に忠実だった僕

    忠実という言葉にも、忠の字が入っている。

    昔の僕は、自分の欲求に忠実だった。
    今だけ、金だけ、自分だけ。
    そうやって生きて、心を病んだ。
    そこから少しずつ、病んだ心と共存していく道を見つけながら、少しずつ思うようになった。

    今は、欲求ではない、自分の軸に忠実に生きたい。

    その軸は、まだうまく言葉にならない。
    ぼんやりしている。

    義の章で、自分を守るための嘘をつかないことが、僕の芯になり得ると書いた。
    芯と軸は、僕の中では同じものだ。
    あくまで、なり得る、だった。
    だから今は、暫定の軸として置いている。

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    ## 最後に

    忠義と聞いて浮かんだのは、武士と主君の関係だった。
    でも忠は、もともと、まごころを尽くすことだった。
    上を向くだけのものでも、一方通行のものでもなかった。

    欲求に忠実だった僕は、今、まだぼんやりとした軸に忠実でありたいと思っている。

    あなたは今、何に忠実に生きているだろう。
    それは、あなたが忠実でありたいものだろうか。

     
     
    1991年生まれ。神奈川県在住。 「今だけ、金だけ、自分だけ」で生きた20代。不安障害で底まで落ちて、熊野古道で何かを感じた。 朝晩神棚に手を合わせながら、価値観が大きく変わった自分という人間について少しずつ言語化の途中。 同じ悩みを抱えてる人の力に少しでもなれればと思ってます。

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