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Photo bydongmu

🌿 無言が怖くなくなったとき、夫婦はようやく楽になれるのかもしれない。

    ゴールデンウィーク。
    今年は静岡への日帰りをやめて、夫と金沢まで車を走らせた。
    毎年の恒例行事を手放すという選択は、夫にとって少し勇気のいることだったと思う。
    それでも「どこかへ行こう」と言ってくれた。
    その声が、優しく静かに胸に落ちた。


    空は低く、今にもフロントガラスに雨粒が落ちてきそうな雲行き。
    海鮮丼を食べ、道の駅を巡り、ただ車を走らせるだけの一日。
    特別なことは何もないのに、どこか遠い記憶に触れるような旅だった。

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    ふと、昔の自分を思い出す。
    「何を話そう」「機嫌はどうだろう」
    そんなことばかり気にしていた頃の私。
    夫は感情の波が大きい人だ。
    黙り込むときは、何日も、時には何ヶ月も続く。
    そのたびに私は、波にのまれないようにと身構え、家の中の空気が濁らないように、そっと息を潜めていた。
    長く一緒にいると、分かり合えない季節もある。
    無言の時間が重くて、どこにいても落ち着かない日々もあった。


    けれど、最近になってようやく気づいた。
    夫の波に合わせる必要なんて、本当はなかったのだと。

    夫は夫。私は私。


    50代になると、夫婦はそれぞれ違う季節を生きている。
    夫は長いあいだ、仕事という大きな軸で生きてきた。
    その背中には、言葉にしない責任や不安もあったのだと思う。
    私は少しずつ自分の時間を取り戻し、
    夫婦の距離感を現代的な感覚で見つめ直していく。
    その歩幅の違いは、どちらが悪いわけでもない。
    ただ、違う道を歩いてきたというだけ。


    自分の時間を持ちながら、
    ときどき同じ方向を見られたら…
    それだけで、これからの夫婦は十分なのだと思う。


    そんな思いが、ようやく自分の中で形になってきた。
    それから、無言の時間が怖くなくなった。
    車の中で会話がなくても、それぞれが違う景色を見ていても、その静けさが、どこかやわらかく感じられるようになった。


    帰り道、道の駅で旬のたけのこやわらびを選ぶ夫の横顔を見ながら思う。
    若い頃の私は、「同じ気持ちでいなければ」とどこかで思い込んでいた。
    「なんでわかってくれないの」と、心の奥で小さく拗ねていた。


    でも今は違う。
    同じ気持ちじゃなくていい。
    同じ方向を向いていなくてもいい。
    ただ、同じ時間を穏やかに過ごせたら、それで十分だ。


    金沢からの帰り道、雨に濡れた道路を静かに走る車の中で、ふっと肩の力が抜けた。
    ああ、これが今の私たちなんだな、と。


    無言が怖くなくなったとき、
    夫婦はようやく、静かに楽になれるのかもしれない。



     
     
    妻であり、母であり、祖母であり、娘であり、働くひとりの女性。 暮らしの小さな気づきを、隣にそっと座るような静かな言葉で綴っています。 50代から、Kindle絵本「ゆおんのおみみ」を3作出版しました📙 自分の心と身体を大切にしたいと思う揺れや変化を、残しています。

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