
看護師は誰に支えられているのだろうか?
「看護師は誰に支えられているのだろうか?」
これは私が実際にメンタルヘルスの研修会で発表したエッセイの一部である。
看護師は、命を預かる世界に生きている。
看護師は患者の生活や尊厳にも触れながら、小さな判断を一つずつ積み重ねていく。
何も起きなかった一日は、誰かが考えて迷いながらも答えを出してきた結果であり、それが静かな一日としてつながっていく。
だが、その看護師は誰に支えられているのだろうか?
精神科の現場で働くなかで、この問いについて何度も考えさされてきた。
近年の精神科では患者に高い倫理観をもって接することが求められる。
一方で、患者から向けられる暴言や暴力、避けようのないトラブルには「精神科だから」の一言で片付けられてしまう。
また、夜勤による疲労、多重業務、感情を抑えながら働くつらさは「看護師だから」という言葉の陰に置かれる。
それでも看護師たちは、翌日になると制服に袖を通して各々の戦場に向かう。
戦場にたどり着くとともに、頻回に鳴り響くコール音や途切れることのないスタッフや患者の会話の声。
忙しなくバタバタと走り回る足音や強くドアを開け閉めする音、断続的なタイピングの無機質な音。
「病棟」という独特な喧騒に包まれた、逃げ場の無い閉鎖空間で閉じ込められてしまう。
また、患者のベッドサイドに出向いては、どんなに辛くてしんどくても、冷静で思いやりのある態度で接しないといけない。
そうして今日も多忙な1日を踏ん張って乗り越えていく。
その姿を力強いと表現する人もいるだろう。
ただ、私には線香花火が燃え尽きる直前のようにも見えた。
現場を去った人のすべてが弱かったわけではない。
耐える力がなかったからでもない。
限界まで踏みとどまった末に、自分を守るために離れるしかなかった人もいる。
理由を十分に知られないまま静かに去っていく人たちの背中を、看護の世界の宿命として片づけてよいのだろうか。
私はそうは思えなかった。
だからこそ、できることを探して学び始めた。
これは何者でもなかった一人の看護師が、働く仲間のそばに立つ方法を探してきた記録である。