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崇道天皇

        崇道天皇。

        この方は天智天皇の息子である志貴皇子の孫。

        光仁天皇の次男で、兄は桓武天皇である。

        元は、早良親王と呼ばれていた人物だ。

        藤原種継の暗殺に関与したという罪で、確固たる証拠がないにも関わらず、陰謀渦巻く政(まつりごと)の世界に巻き込まれ、乙訓寺に幽閉された。

        潔白を進言したが、結局、淡路島に流罪となる。

        そして護送される間に、身をもって無実を証明すべく、断食して薨去なされた。

        その後、天皇家には訃報が相次ぎ、京の都は天変地異に見舞われた。

        それで、
        「早良親王が怨霊になったからだ」
    と貴族が恐れ、鎮魂を目的に「崇道天皇」と追号したのである。

        その崇道天皇にまつわる神社仏閣は、京都・奈良・兵庫に、今尚たくさん存在する。

        私が知っているだけでも、崇道天皇社、崇道神社、崇道天皇八嶋陵、崇道社、と神社ばかりではあるが、四社お示しすることができる。

        何故なら、自らの足で参拝したからだ。

        だが、どの神社へ訪問するにも、必ず道に迷ってしまった。

        方向音痴の一面があるのは否めないが、殊、歴史探訪に於いては入念に行き順をチェックし、かなり詳しい地図を持ち、道標があることも多いから、他ではこう道に迷うことはなかった。

        しかしである。

        何故か崇道天皇をお祀りする神社だけは、かなり近くに行ってさえ迷ったのだ。

        だが、小一時間(こいちじかん)、近辺を探し歩くと、何とか辿り着けたのも事実である。

        道中、幾度も、
        (崇道天皇の祟りか!本当は寄せ付けたくないとお思いか!)
    と考えたが、タイムアップする寸前や、旅の最後には、行き着くことが叶った。

        それは、非常に不思議な体験で、到着する頃には導かれるように、すんなりと辿り着くのである。

        だが、それまでは、雪に降られたり、強風に見舞われたりして、まるで行くてを阻むかの自然現象に遭遇する旅路ばかりだった。

        そうして参拝を果たしたら、天候は穏やかになり、帰り道はスムーズに歩めるのである。

        これはやはり、崇道天皇の魂が現世まで繋がり、強力な力が関与していると感じるところだ。

        中でも一番奇妙な道中を辿ったのは、お示しした四社の最後、崇道社への参拝だった。

        奈良県奈良市にある大安寺に行き、その後、推古天皇社に参拝しようと旅に出たのがきっかけである。

        真冬の寒い日だったが、
         「こんな日ほど探訪日和である」
    と、意気揚々に足を運ばせた。

        というのは、参拝客が少なくゆっくりと過ごせるからだ。

        しかしお目当ての推古天皇社には、当初行き着けなかった。

        そして、どうしたわけか、スケジュールには行くあてのなかったその先の、崇道社という小さなお社(おやしろ)に誘(いざな)われた。

        雪空の下、石の太鼓橋は重厚感を放ち、何かに取り憑かれたかのように、それを超えて本殿の前に私は赴いた。

        太鼓橋の続きには、お社がポツリと鎮座している。

        太鼓橋という結界を跨ぎ、まるで異世界に導かれるかの如く歩みを進めた。

        引き寄せられた私は、無心のまま自然と、二礼二拍手一礼した。

        暫く、その場から足を動かせなかった。

        チラチラと粉雪が舞ってきて我に返った。

        周囲に人は全く居ない。

        ただ、お社(おやしろ)の後ろを白い雪が舞う厚い灰色の空に、何かでこじ開けたかのように雲間(くもま)が割れ、ポッカリと青空が見えてくる。

        一筋の「天使のはしご」がかかる。

        その陽光を見つめ、私は静かに崇道社を後にした。

        そんなスピリチュアルな経験は、ついぞなかったのである。

        そして帰り道、推古天皇社へ参拝が叶った。

        崇道社とたいへん似た造りと雰囲気のお社に驚いた。

        推古天皇社に到達出来たのは、崇道天皇のご加護だと考えている。

        早良親王として、お隠れになった時は、無念を抱えておいでだったろう。

        だが今や神であり、その魂が宿る場所に導かれし者には、手を差し伸べる存在へと、お成りになったのである。

        こうして無事、私は、この日の歴史散策を終えたのだった。

        身体も心も満たされた1日になったのは、言うまでもない。

     
     
    1972年生まれ。1992年3月四天王寺大学短期大学部英語科卒。23歳が発病とされているが病名の確定は33歳で「ベーチェット病と膠原病の重複症候群」と診断。難病指定患者。 主にノンフィクション作品を手掛ける。

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