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インスタ苦手なフォトグラファーが神社とSNSについて考える

    私は写真撮影を生業としていますが、インスタが苦手です。

    インスタを見るのは好きです。写真を撮るのも好きです。
    私自身の仕事用アカウントもあります。 (名刺を渡した相手に私がどんな写真を撮っているかを分かりやすくすることが目的なので、集客目的の運用などはせず放置しています。)
    私個人のアカウントとは別で、運用を担っているアカウントもあります。 (こちらは写真ではなくCanvaで作った画像を投稿しています。)
    仕事で撮影した写真を使ってくださっているアカウントも、いくつも存在しています。

    それでも、『自分のアカウントに自分が撮影した写真を投稿すること』だけはどうにも苦手意識があります。

    仕事以外で撮影した個人的な写真に自信が無いから苦手なのか?
    それとも他のアカウントと撮影技術やフォロワー数などを比較してしまうから苦手なのか?
    知らない人からのネガティブなコメントやDMが来る可能性があるから苦手なのか?
    外出先にしろインテリアにしろ食事にしろ、個人的な行動や嗜好をあまり知られたくないから苦手なのか?

    苦手な理由について、これらのどれもが正解なようでいて、どれもしっくり来ません。
    昔は気にせず投稿できていました。
    とにかくいつからか、原因不明の苦手意識だけがありました。

    いつの間にか苦手になったものとは逆に、いつの間にか好きになったものもあります。
    それが神社です。

    私は職業柄、七五三詣りやお宮詣りの撮影で様々な神社に上がらせていただくうちに、神社そのものへの関心も持つようになりました。

    特に信心深いわけではないですが、境内の構造の違いや歴史、建築物としての美しさなどは興味深いです。
    それに七五三詣りやお宮詣りで撮影されるほど、その地域の人がたくさん参拝しているということは、小さな神社であれ大きな神宮であれ、やはりどこか『長年この地域を見守って来られたんだな』と感じられる雰囲気があります。目に見えないけれど、『氏神様とはこういうものなんだな』と。

    そうした空気も好きで、撮影の仕事と関係無く、神社巡りをするようになりました。

    ネットで神社を調べていると、様々な切り口の情報を見かけます。
    健康や商売や学業や縁結びなど何かしらのご利益があると言われている神社や、有名なお祭りを催している神社、映画作品で出てきた神社など。
    そんななか、昨今は“映える”神社の情報もインスタには溢れています。

    この夏、私が参拝した『水無瀬神宮』もインスタで知りました。

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    水無瀬神宮は大阪府三島郡島本町に鎮座する、大阪府内で唯一の神宮です。
    夏はたくさんの風鈴が飾られ、ライトアップも楽しめます。

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    実際に参拝すると、境内では多くの人がカメラやスマホを持って風鈴ライトアップを撮影していました。
    期間限定の御朱印帳も、あまりに綺麗なデザインで一目惚れしてしまいました。

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    どう見ても“映え”が全面的に押し出されていて、その“映え”を目掛けて参拝する人がたくさんいるんですね。
    水無瀬神宮に限らず、こうした方向性については各地であり、もちろん賛否あるようです。

    昨今は各地でオーバーツーリズムの問題が上がっていたり、観光客・動画配信者・フォトグラファーなど撮影ニーズの増加に比例して撮影マナーが悪い人も増えました。

    その地域にとって“氏神様”なのに“観光スポット”となっていくのは複雑な思いがある人もあるでしょう。
    一方で、町の過疎化や氏子の高齢化などによって存続危機にある神社も少なくありません。『参拝者が増えるのなら』と、“映え”施策を前向きに捉えている人ももちろん相当数いるでしょう。

    私はというと、確かに“映え”を享受しました。
    けれど、どういうわけかインスタに投稿する気持ちになれないのです。

    仕事用ではないアカウントも一応持っているし、観光地や料理や購入品など、二十代前半くらいまでは投稿していたのに。

    このことについてどう捉えれば良いかを考えてみました。
    行き着いたのは、『“美しいと感じた体験”を“残す”ために撮影したのに、“映え情報”として“消費する”のが嫌なのかもしれない』という思いでした。

    仕事の依頼でもなくただ自分の琴線に触れてシャッターを切ったのなら、私自身の満足度を高めるための写真と言えます。
    それらの写真をインスタ投稿してしまった瞬間、私の“美しいと感じた体験”が“映え情報”に変換されてしまう。そんな気がするのです。

    私自身がインスタを通して“映え情報”を得て、場所や食事や商品など様々な“映え”を享受しているからこそ、自分にとっての感動体験をそれらと同じ棚に並べることへ物凄く抵抗感があるのだと思います。

    それはきっと、『自分たちの町の大切な氏神様』が『観光地として見られること』への抵抗感にも似ているのかもしれません。

    かつては私も感動を情報として共有したい気持ちがあったし、その頃の私のように共有したい気持ちで発信してくれている人たちを否定する気は一切ありませんし、むしろ感謝して情報を受け取っています。

    インスタに投稿できないけれどnoteには投稿できたのも、私の中でインスタとnoteの利用法が異なるからです。
    インスタは良くも悪くも“ヴィジュアル情報のツール”です。
    noteは情報発信の場でもありつつ、もっと生っぽい、内面的でパーソナルなプラットフォームでもあります。なので、私はnoteであれば情報として消費する感覚ではなく、こうして思考整理や記録のような感覚で投稿できるわけです。

    もちろんこれは私の捉え方であって、人によってプラットフォームの利用法やイメージが異なると思います。
    noteのほうが情報発信目的で、インスタは個人的なアルバムのように利用している人もいるでしょう。私と逆で『noteのほうが苦手で、インスタはコミュニケーションツールとして楽しめる』という人もいると思います。

    つまり私の苦手意識は、インスタやnoteやその他も含めて、SNS自体がどうという話ではなかったんですよね。
    撮影した写真を他者に共有できればそれで良いのか、他者に共有しつつ自分の中の感覚も残したいのか、目的の違いによるものだったわけです。
    目的に合わない場への投稿は誰だって苦手意識が生じることでしょう。

    そもそも写真撮影は『いいな』と感じた瞬間を切り取る行為。
    できるだけ『いいな』のままにしていたいのか、共有して『イイネ』に変換されたいのか、その違いだったようです。