
母親と私 モヤモヤの正体とは
私は、幼少期の一部の記憶がありません。
カウンセリングを受けたときも、自分がカウンセラーを目指したときも、何度も向き合おうとしましたが、どうしても心の奥で「思い出したくない」と感じている記憶があるようです。
その中心にあるのが、母が一度家を出た出来事です。
物心ついたころの私は、フリフリの洋服を着て、長い髪を結んでもらって、まるでお人形のような見た目だったと思います。
あの頃、保育園に行くのがとても嫌で、「お母さんと離れるのが嫌だ」と感じていたことは、うっすらと覚えています。
今なら、その理由もわかります。
当時の我が家は、父が夜遅くにしか帰ってこない家庭で、たまに帰宅しても、両親は大声で喧嘩をしていました。お皿が割れる音、刃物を手にする母の姿──大きな音と怒鳴り声の中で、私は小さな身体で恐怖と戦っていた記憶があります。
それでも、不思議と「両親を嫌いだった」という気持ちはありませんでした。
ある日、母が料理中に倒れました。
その瞬間は、なぜか鮮明に覚えています。でもその後どうなったのか、私は全く思い出せません。
ただ、叔母が助けに来てくれたこと、そして「母がいなくなるかもしれない」と思った強い恐怖心だけは、今でも覚えています。
そして、ある日。
家には私ひとり。母はおらず、普段は夜遅くしか帰らない父がなぜか家にいました。
何を言われたか、どうして状況を理解できたのかは分からないけれど、**「母が出ていった」**ということだけは、事実として心に残っています。
夜になり、母から電話がかかってきました。
「ごめんね、ごめんね。もうちょっとしたら帰るからね」──
そんな言葉を、電話口で何度も繰り返していたような気がします。
母は、兄を連れて祖母の家に行っていたそうです。
家に残されたのは、私と父。
「兄だけ連れて行った」「私だけ置いていかれた」──
その事実が、私にとってはとてもつらく、苦しい経験でした。
そのとき、私は父にこう言いました。
「私、もう明日から泣かないから。だから今日だけは泣いてもいいかな」
当時の私は、小学校低学年くらいだったと思います。
きっと、心配をかけまいとして、父に向けて言った言葉。
「泣かない子でいよう」と決意してしまった、小さな私の、精一杯の強がりだったのかもしれません。
その後の記憶は、やっぱりぼんやりしています。
母はいつの間にか帰ってきて、家を建てる話が進み、私は転校することになりました。
小学校に上がった記憶も、学校での記憶もあまりありません。
けれど今思うのは──
この記憶の空白こそが、私が「思い出したくない」と感じていた、心の奥に閉じ込めた感情たちだったのかもしれない、ということです。
私はあの頃、
・我慢すること
・大好きな人が離れていくことへの恐怖
・元気でいなきゃいけないというプレッシャー
・本音を言わず、欲求を消すこと
──そういう生き方を、知らず知らずのうちに選んでしまっていました。
そしてそれは、大人になった私の心も静かに縛りつけて、人間関係も恋愛も、すべてにおいて「なぜかうまくいかない」感覚をつくっていたのだと、今ならわかります。
母に対して感じていたあの“モヤモヤ”。
その正体は、この幼少期の体験と感情、そして蓄積された我慢のクセにすべて集約されていたのだと思います。
けれど、自己理解を深めるなかで、ようやく気づくことができました。
私は本当は、あのときどうして欲しかったのか。
どんなふうに泣きたかったのか。
どれだけ「さみしかった」「怖かった」「甘えたかった」と思っていたのか。
あの頃の願いに、ようやく向き合うことができるようになってきました。
今の母との関係については、私がレベルアップした“その後”のお話として、また別の機会に書きたいと思います。
そして──婚約解消を経た私がどうなったのか。
それも、また次回の記事で。