
MASTODON "Marrow Deep" 「悲しみの底に広がる感謝と希望の海」
MASTODON の創設者であるブレント・ハインズが悲劇的なバイク事故で亡くなってから、まもなく1年が経とうとしています。亡くなった当時、彼はバンドと対立関係にあったため、バンドにとってもファンにとっても、多くの疑問ややるせなさが未解決のまま残されていました。しかも、実は彼らがその年に経験した衝撃的な喪失は、それだけではなかったのです。アトランタ出身のメタル界の巨匠は、それでも悲しみと真正面から向き合い、最も暗い時期に自分たちを救ってくれた傑作アルバム "Marrow Deep" を完成へと導きました。
その知らせを受けたのは、MASTODON が乗った飛行機がアラスカに着陸した直後でした。あれから10ヶ月が経った今も、ドラマーのブラン・デイラーとベーシストのトロイ・サンダースは、その瞬間のことを鮮明に覚えています。手荷物受取所で待っていた彼らは、ギタリストのビル・ケリハーが電話に出る姿を目にしました。ビルは心配そうな表情を浮かべながら電話の内容に耳を傾け、そうしてメンバーの方を振り返ると、無言で口の形だけで "ブレント" と告げたのです。
「その一言で分かったんだ」とトロイは語ります。「それが何を意味するのか、すぐに理解できたよ」
ビルはかつてのバンド仲間であるブレント・ハインズの元妻、ライサからの着信に気づいた瞬間、様々な最悪の事態を頭の中で巡らせていました。
「"あいつは完全に常軌を逸して刑務所に入ったか、誰かを殺したか……それとも死んだか…" と考えたんだ」とビルは振り返ります。「そして、最悪の事態だとわかった」
2025年8月20日の深夜、アトランタにて、ブレント・ハインズの乗るオートバイが、Uターン中に道を譲らなかったSUVと衝突し、彼は命を落としました。翌日には "アラスカ・ステート・フェア・フェスティバル" への出演を控えていた MASTODON でしたが、深い悲しみに包まれる中、その時はただ、自分たちの荷物が出てくるのを待つことしかできませんでした。そんな中で、ビルにとって唯一の救いは心のどこかで、"少なくとも、今は安らかに眠っているんだ" と思えたことだったのです。

ウィリアム・ブレント・ハインズは、その51年の生涯において様々な顔を見せてきました。MASTODON での25年間、ブラン、トロイ、ビルにとって彼は単なる音楽の天才にとどまらず、兄弟であり、友人であり、心の内を明かせる相手でもあったのです。しかし、それだけではありませんでした。ブレントは深い感受性と愛すべき茶目っ気を持つ一方で、メタル界きっての "ワイルドマン" でもあり、ステージ上でも私生活でも、予測不能、あるいは時に破滅的とも言える行動で周囲を驚かせてきました。
そうした行動が、最終的には2025年3月の "MASTODON とブレントが双方の合意の上で袂を分かつ" という発表の一因となったのは否定できない事実でした。これに対しブレントは、実際には "追い出された" のだと主張し、かつてのバンド仲間たちの人間性を激しく非難する痛烈な反論を行いました。何よりもそれは、常に何ものにも臆することなく、ありのままに生きてきた彼らしい振る舞いだったとも言えるのですが。
「彼には "(身を守るための)ブレーキ" というものが備わっていなかった。僕が知る限り、そんな人間は彼だけだったよ」とブランは振り返ります。「彼と一緒に深みへと足を踏み入れていくような感覚でね。ある時点で僕は "これ以上は行けない、命の危険を感じる" と思って立ち止まるんだけど、彼はそのまま突き進んでしまうんだ」
「彼は本当に、極めて困難な時期を過ごしていたんだ」とトロイも振り返ります。「軽々しく言うつもりはないけれど、あの常軌を逸した人生への愛と自由な精神ゆえに、彼は僕の人生において "あの電話(訃報)" を受けても悲しみはすれど驚きはしないだろう、と思わせる数少ない人物の一人だった。冷酷に聞こえなければいいんだけど…」
空港を後にした後、MASTODON は "みんなでかなり酒を飲んで泣き明かし" 、翌日のライブに向けて気持ちを立て直したといいます。深い悲しみに包まれながらも、目の前にはファンが集まっている。そして、ブレントについて何か――何でもいいから言葉にしなければならないという責務が、彼らに重くのしかかっていました。何しろ、彼がグループを去って以来、バンドはほとんど沈黙を守っていたのですから。
さらに舞台裏では、バンドはもう一つの大きな衝撃に打ちのめされていました。ブレントの死は、ブランにとってはわずか6ヶ月の間に見舞われた二度目の甚大な喪失だったのです。2025年2月12日、彼の最愛の母ミシェル・ジーン・ローレンスが、数え切れないほどの通院や生涯にわたる身体的な痛みに耐え抜いた末に息を引き取っていました。彼女は常に、10代で亡くなった娘――ブランの妹であり、バンドの2009年の傑作 "Crack The Skye" の着想源となったスカイ――を失った悲しみを抱え続けていました。同時にミシェルは極めて強い女性でした。
「ブレントと母は、まるでキース・リチャーズのような人間で、常に "死神" をかわし続けているように見えた」とブランは語ります。「ブレントは絶えず死神を挑発するような生き方をしていたし、母は不運にも人生でひどいカードを引かされ、数々の病魔と闘わなければならなかったから」
ブランは、ブレントの死を受けてファンがバンドからの言葉や詳細な情報を求めていることを知っていました。しかし、当時の彼にはそれに応える余裕がありませんでした。
「僕は昔から "よっ!元気?" って感じの人間なんだ。それは演技じゃなくて、みんなを幸せな気分にしたいからなんだよね。子供の頃からの性分だね。妹が病気だった時、僕は道化役を演じて "よっ、スカイ!" なんてやっていた。母に対しても何年もずっとそうでね。病院に行って、おかしなダンスをしたり、彼女を元気づけるためにできることは何でもやったよ。みんなに対してもそうしたかったんだけど、当時はベッドから起き上がれないほどひどく落ち込んでいて……。まずは自分の中で全てを整理し、ブレントの死について曲を書く必要があったんだ」

アラスカ・ステート・フェアでの公演から1週間後、MASTODON はスタジオに入りました。ブランは "1ヶ月間、家の床下にでも潜り込んでいたい" という心境でしたが、"ベッドに横たわって腐っていくクズの塊" でいるよりは、ボーカルブースで泣く方が建設的だと考え直したのです。そうして生まれたのが "Marrow Deep" です。これは、ウィリアム・ブレント・ハインズとミシェル・J・ローレンスに捧げられた、素晴らしく美しい、しかし同時に痛みを伴う傷跡を抱えた作品となりました。
"Marrow Deep" という言葉は、歌詞の中に登場するわけでも、曲のタイトルになっているわけでもありません。それは、この作品の生みの親たちによる率直な所感でした。
「これは、俺が失った二つの関係――母とブレントとの関係――を象徴するものなんだ」とブランは語ります。「そうした関係は骨の髄(marrow)にまで刻まれている。それほど深く、根源的なものなんだよ」
今、ビルはこのアルバムの歌詞に感嘆の念を抱いています。
「一切の妥協がない、とてつもなく強烈な内容だ」と彼は称賛します。「将来、ファンがこの言葉をタトゥーとして体に刻む姿が目に浮かぶよ。本当に、魂の深淵に触れるような重みのある詩が詰まっているんだ」
こうした深い内省を経た結果、MASTODON は確かにまだ悲しみの最中にありながらも、決して打ちのめされてはいません。DEFTONES の "Diamond Eyes" や ALICE IN CHAINS の "Black Gives Way To Blue" と同様に、"Marrow Deep" は二面性を持っています。それは悲劇を記録した作品であると同時に、その悲劇を乗り越えていく作品でもあるということ。

今のトロイは、その巨大な髭越しに満面の笑みを浮かべながら、この夏の最新ツアーがこれまでで最高のものになりそうだと語っている。それも、文字通り史上最高のレベルで。ビルも同じくらい興奮気味だ。特に、新ギタリストのニック・ジョンストンとの間で深まっている "ラブロマンス(熱い友情)" については、「もう、あいつにキスしたいくらいだよ。本当に最高なんだ」と熱弁します。
では、ブランは?彼は "ダウンロード・フェスティバル" でキアヌ・リーブスに会った興奮がまだ冷めやらない様子。しかも、その時着ていたのは映画 "リバーズ・エッジ" のTシャツだったというから驚きです。
ただ残念なことに、ブランはあまりの感激に舞い上がってしまい、キアヌにあることを伝え忘れてしまった。それは、アルバム "Marrow Deep" 収録の "Poisonous Weapons" という曲が、実はキアヌ主演の1986年のクライム・ノワール映画の音声クリップから始まっている、ということです。
MASTODON は今、素晴らしい状態にありますが、ただそこに至るまでには闘いがありました。アルバムの冒頭で聞こえるのは、トロイが "Barbarians Blood" の中で "俺たちは危機に瀕している/すべてを失いつつある" と叫ぶ声。
「あの冒頭の言葉は、今この瞬間を大切にし、物事をうまく進めていく必要があるという意味なんだ」と彼は語る。「これは MASTODON にとって、新たなレコードを制作できる素晴らしい機会でもある。悲しみの底には、深い感謝の念が広がっているんだ」
そして今、ついに彼らはそのすべてについて語る準備が整いました。悲しみ、感謝、そして新しいレコード。
MASTODON の新たな夜明けです。
2021年当時、ブレントの言葉には胸に迫るものがありました。今となっては、それは不気味なほど予言的だったようにも思えます。
「もうアルバムを作るには、誰かが死ななきゃいけないような気がするんだ。親しい誰かが亡くなると、音楽で彼らに敬意を表さなきゃいけないという義務感に駆られるんだよ」
当時彼が話していたのは、マストドンのアルバム "Hushed And Grim" が、2018年9月に癌で亡くなったマネージャー、ニック・ジョンに捧げられた作品であることについてでした。それは、幾度となく直面してきた悲しみを糧に紡がれてきた彼らのディスコグラフィーにおいて、新たな "追悼歌" となる作品でした。
「幸か不幸か、僕たちは悲劇を乗り越えながらアルバムを作ることに、かなり慣れてきてしまったんだ」とトロイは振り返ります。
「僕はただリフを弾き続けるだけさ」とビルは自身の対処法を説明します。「クソみたいな悲劇を経験すればするほど、新たなリフが湧き上がってくるみたいなんだ」
そうして「正直なところ、今回の制作に入る前は、またネス湖の怪獣やビッグフットについて歌うようなレコードが作れるんじゃないかと思ってたんだよ……」とブランはため息をつくのです。
しかし実際には、彼らはブレントにふさわしい追悼の作品を作らなければならなくなりました。それは決して容易なことではありませんでした。
「MASTODON として共に過ごした25年間があったわけだからね」とトロイは言う。「ブレントが亡くなるまでの過程は、想像以上に複雑なものだった。MASTODON 以前にも7年間ブレントと同じバンドにいたから、彼とは32年間も一緒だったことになる。僕の人生の大半だよ。どんな形であれ、これほど長く続く関係なんてそうそうない。整理すべき歴史があまりにも深いんだ」
"Marrow Deep" は、ブレントの人生と、彼がバンドにもたらした才能を称える作品となりました。リード・シングル "Your Ghost Again" は、彼がいなくなった後にスタジオへ戻ったブランの体験から生まれました。彼はスタジオに入った際、ブレントがいつもの場所にいるのではないかと、半ば期待していたのだといいます。
「彼はいつも僕の右側にいたんだ」とブランは回想します。「気に入ったリフにハマると、彼は大量のウィードを吸って、モーターヘッドのライブも真っ青な爆音でギターを鳴らす。そうすると、俺たちの間にスピリチュアルで音楽的な深い繋がりが生まれるんだ」

しかし、"押しつぶされるような後悔の念" や "存在し得ない未来の幻影" といった言葉が示すように、 "Your Ghost Again" は居心地の悪い真実をも語っています。MASTODON はブレント・ハインズという存在を二度、悼まなければなりませんでした。一度目は彼がバンドを去った時、そして二度目はあの運命の8月の日に。
「彼がバンドを去るというのは、ある意味、時間の問題だった。僕らはそんな事態は望んでいなかったし、分かっていたんだけど……何と言えばいいか」ビルは言葉を選びながら話します。「でも、あのままの状態を続けることは不可能だった。彼に異変が起きていたんだ。あらゆる面で、彼は本当に転落の一途をたどっていたからね」
「彼抜きで前に進まざるを得ないという、非常に残念な結論に至ったよ。なぜなら、彼がいたままでは全く前に進めなかったからね」とトロイは振り返ります。
「でも、いつかはブレントと和解して、抱き合って、 "あの時はバカなことをしたよな……"なんて笑い合える日が来ると思っていたんだ」
彼らは最近公開された動画 "The Mastodon In The Room" の中で、ブレントに何が起きたのかを詳細に語っています。スタジオでの関与が減っていったことや、泥酔して不安定になったブレントの振る舞いが、ライブだけでなく彼ら自身の人生にどのような影響を及ぼしたかについてです。
「彼はとても複雑な人間だった」とトロイは言います。「その心には、確実に素晴らしい才能と愛があった。と同時に、残念ながら人生の至る所に絡みつく "悪魔" のような問題を抱えていて、常にそれと闘っていたんだよ」
「彼は本当に創造力あふれる存在だった」とビルは回想します。「常に素晴らしいギタリストだったから。でも、人には依存症というものがある。誰にでもあり得ることだし、僕だって聖人君子ではないからね。 "ロックスター" としてあれほどの注目を浴びると、人生の道を踏み外してしまうこともあるんだよね」
ビルはそのことを誰よりもよく理解していました。彼自身、ツアー中にアルコールが原因の膵炎で死にかけた経験があったからです。彼は断酒し、ツアーの合間には定期的に帰宅して、ガーデニングに没頭するようになりました。
「ブレントと話しをしようとしたこともあったんだ。"おい、自分の好きなことをやれていることに感謝しようぜ" ってね」と、ビルは彼に思いを伝えようとした時のことを語ります。 「彼はひどく苦悩する魂の持ち主、苦悩するアーティストで、希望の光を見出せずにいた。常に何かに抗おうとしていたんだよな。僕に言わせれば、あれは依存症的な行動だった。だって、四六時中ボロボロで最悪な気分の時に、周りからは "お前が最高だ! 他の連中なんてクソ食らえだ。この薬をやって、酒を飲んで、ステージに上がって、とことんブチかませ" なんて言われるわけだから。そういう言葉が頭にこびりついてしまうんだ。僕らは彼にイエスと言うだけの連中じゃなかった――だからこそ、彼は僕らとつるむのをやめたんだ。僕らは彼に対して、まるで子供を諭すように "ダメだ、そんなことしちゃいけない!" と言っていたから。でも、彼はあらゆる意味で反逆児だったんだ」
そうした経緯で、バンドはブレントを交えて話し合いの場を設けました。トロイは、彼を深く苦しめている事柄をリストにして読み上げましたが、そのすべてが何らかの形でブレントに関わるものでした。ブレントは、話の途中で席を立って出て行ってしまい、それがトロイが彼を見た最後の姿となってしまいました。
「あんな終わり方をしてしまったことは、本当に辛いね」とビルは認めます。「彼が生きていてくれたら、そしていつか僕らも和解できていたら、と思うけど…彼は何かやらかしても、数日後には必ずそれを認めるような男だったから。"俺はクソみたいな振る舞いをした。飲みすぎたよ、本当にすまない。お前らのことが大好きなんだ" と言って、本来の人間らしい彼に戻ってくるんだ。でも、あの "悪魔" たちが彼を…… 翌日にはまた酒に溺れて、嫌な奴になっちまうんだ」
「最後の方はひどい状況だったけど、彼が去ったのは愛情ゆえのことだったし、僕は本当に彼に幸せになってほしかったんだ」とブランは付け加えます。「まさか彼の死で終わるなんて、誰も思っていなかった。いつか和解して、抱き合って、"あの時は馬鹿なことをしたよな……" なんて笑い合える日が来ると思っていたんだ」
だが、運命は別の結末を用意していました。和解は叶わず、その思いは素晴らしい新曲 "Snakes For Dinner" で歌われています。この曲には、ブレントがアルバム "Leviathan" で手掛けた壮大な楽曲 "Hearts Alive" への感動的な言及が含 まれている一方で、心の決着がつかないまま終わってしまった苦しみも描かれています。
「誰かが亡くなると、その人との関係を "解剖" することになるんだ」とブランは説明します。「最初に戻って、起きたことすべてや、もっと違うやり方があったんじゃないかと考えたりしてね。楽しかったこと、辛かったこと、言えなかったこと、ほつれたロープみたいに中途半端に残ってしまったこと……。もう叶わない切望感というか、でもどうにもできないことなんだ。決していい気分じゃないよ」

ブレントの死の直後、ブランの元には大量のメッセージが届きました。その中の一つは QUEENS OF THE STONE AGE のジョシュ・オムからのものでした。彼は単にお悔やみを述べるのではなく、普段ならブランが他者に対して担うような役割を自ら買って出たのです。場の空気を和ませようとしたのです。「彼には本当に感謝しているよ」とブランは言います。ジョシュはコラボレーターとしても力を貸してくれました。 "Snakes For Dinner" への参加は、2006年のアルバム "Blood Mountain" 以来の共演です。
「サビの "When you left, you took the moon and stars(君が去った時、月も星も持っていってしまった)" という歌詞は、(愛する人が)いなくなった翌日のような心境を表しているんだ。何もかも持っていかれてしまったような感覚さ」とブランは語ります。「ただ、その関係について思いを巡らせるしかない。悲しみがじわじわと押し寄せてくるのは、まさにそういう時なんだ」
バンドは、ある種の "区切り" をつける代わりに、思い出を心の拠り所にしてきました。"The Mastodon In The Room" を制作するにあたり、ビル、トロイ、ブランの3人は、膨大な量の過去の映像を見返していたのです。
「"アンダーワールド(ロンドンのライブハウス)" の外で俺たちが走り回っているような映像さ」とビルは微笑みます。「朝の6時で、みんな鼻からタバコの煙を吐き出したりしてね。ブレントは本当に面白かった。彼と二人で笑い合うと、世界で一番愉快な時間になったものさ。あの映像を見ていると、かつての彼の姿を思い出したね。彼はエネルギーと笑い、そして創造性に満ち溢れていたから…あの4人での僕たちは、誰にも止められないような力を持っていたけど、年月とともにそれを失ってしまった……。それでも、あの "奇跡のような瞬間" を、かなりの長期間にわたって掴み取ることができたことには感謝しているよ」
「いい思い出だけを覚えていたいね」とトロイは言います。「実際、そういう思い出は数え切れないほどあるんだから。ブレントがもたらしてくれた情熱やギタープレイ、創造性のおかげで、言葉では言い表せないような魔法を帯びた音楽を生み出すことができたんだから」
そうして、MASTODON が未来へと進んでいくためには、その魔法を再び生み出すための新たな方法を見つけ出さなければなりませんでした。

MASTODON にとって "Marrow Deep" がどのような意味を持つのかを知りたければ、今年3月23日にビル・ケリハーの身に起きた出来事を見れば一目瞭然です。その日は彼の55歳の誕生日でした。彼は新鮮な耳で聴くためにあえてこの作品をしばらく聴くことを控えており、アトランタ市内を車で走りながら――ブラジル産木材の店へ向かう途中で――再生してみたのです。
「冗談抜きでさ」と彼は笑います。「顔中、涙でぐしゃぐしゃになったよ。もう号泣さ。喜びの涙でもあったね。ブラジル産木材の店の駐車場に入ったんだけど、中に入ることができなかった。"車に戻って涙を拭かなきゃ" って感じで。もう、どうしようもない状態だったよ」
彼が耳にしたのは、バンドが耐え忍んできた苦しみだけではありませんでした。それはメンバー全員が同じ方向を向いた、彼がずっと望んでいた通りのバンドの姿でもあったのですから。
「右肩上がりの軌道に乗っているんだ」とビルは誇らしげに語ります。「自分たちのやっていることが、どんどん良くなっていると感じるよ」
この地点に到達するために何が必要だったのかは、 "In The Ruins" という曲で赤裸々に語られています。そこでは、MASTODON のメンバーたちが自らにある実存的な問いを投げかけています。「これを乗り越えられないのなら、成長していくことはできるのか?」と。
ブランにとって、その成長は、母であるミシェル・J・ローレンス)の存在なしに遂げなければならないものでした。彼女は常に彼の "バッテリー" だったから。彼が初めて目にしたライブは、BLACK SABBATH, JUDAS PRIEST, YES, GENESIS, KING CRIMSONのカバーを演奏する母親のものでした。彼がドラムを叩き始めると、彼女はブランの友人たちを招いて演奏を見せ、全員のためにサンドイッチや飲み物を用意してくれたものでした。
「彼女は本当に誇り高い母親だったし、今回のアルバム制作中、彼女の不在を痛感したよ。"The Motherload" の時みたいに彼女が口を挟んだり参加したりできないのに、曲の多くは彼女のことを歌っているんだからね。彼女が転倒して脳出血を起こし、昏睡状態でICUに入っていた時、僕は "Once More ’Round The Sun" の歌詞のほとんどを書いていたんだ。彼女は常に大きなインスピレーションの源だった。理不尽な災難に見舞われても決して屈せず、いつも笑顔を絶やさなかったから」
思い出は次々と蘇ってきます。
「一度、病院を抜け出して僕らのライブに来てくれたことがあったんだ!頭を丸めて現れて、"最高でしょ!" って感じでね」

長年にわたり、ビルとトロイは、ブランが母親のために全力を尽くす姿を尊敬の念を持って見守ってきました。そして、彼女の死が彼をどれほど深く打ちのめしたかも目の当たりにしてきたのです。
「二人の間にあった愛は、今僕が思いつくどんな言葉をも超越するものだよ」とトロイは言います。
「彼は僕が知る限り、最も強い男の一人だ」とビルは話し始めます。「僕らは一緒に多くのことを乗り越えてきたし、彼は辛い時でもあまり感情を表に出さないタイプなんだ。でも今回は、僕が "大丈夫か?" と聞くと、彼は "いや、大丈夫じゃない" と答えた。だから僕は "いいんだよ、俺だって母さんも父さんも亡くしたからさ。本当に、クソみたいに辛いことだよな……" って言ったんだ」
ビルも同調します。
「ブランの母さんは僕らにとって最高の応援団だったし、ブランも彼女が必要としていたあらゆるサポートを全力で行っていた。彼にはこう言ったんだ。『"お前は母さんを幸せで健康に保つために、できる限りのことをすべてやったんだよ" ってね」
"Marrow Deep" のハイライトである "The Vanishing" (消失) は、こうしたテーマの核心に迫ると同時に、"Crack The Skye" とのつながりも感じさせる楽曲です。そこには、MASTODON 史上最も個人的で親密な歌詞が含まれていました。"母が愛する妹と合流する姿が見える/天体が途切れることなく連なり、古の空を飛んでいく" という一節です。
「母と妹の死後の世界について、僕が思い描く理想のイメージは、二人が美しい星座になっているというものなんだ」とブランは語ります。「まるで僕が宇宙へ行って、二人が確実に出会えるように取り計らっているような感覚だった。そして二人が出会ったのを見て、"母さんはスカイを見つけたんだ、もう大丈夫だ" と思えたんだ。それに、ギーザー・バトラーが演奏に参加してくれているという事実も素晴らしい出来事だったね」
実際、"Marrow Deep" には MASTODON の友人たちが多数参加し、バンドを "サポート" しているとブランは言います。その顔ぶれには、前述のジョシュ・オムに加え、CONVERGE のネイト・ニュートンとベン・コラー、LAMB OF GOD のランディ・ブライス、CLUTCH のニール・ファロン、そして "The Vanishing" では GOJIRA のジョー・デュプランティエとこの伝説的ベーシストが演奏を披露しました。ギーザーはミシェルのお気に入りのひとりだったのです。
「母はいつも "彼が歌詞を書いてるのよ!" と言ってたんだ」とブランは微笑みます。「母ならこの曲を間違いなく気に入ったはずだよ。アルバムの中でも、今でも夢じゃないかと思うような瞬間だね。ギーザーがただ開放弦のA(ラ)の音を弾くだけだったとしても、僕は "開放弦のAでギーザー・バトラーがフィーチャーされてる!" って大喜びしていただろうね(笑)」
もし "The Vanishing" が MASTODON が失ったものを思い出させる曲だとするなら、彼らが手に入れたものに感謝することもまた重要でしょう。感動的な運命の巡り合わせとして、新しいギタリストのニックがアトランタに到着し、彼らと顔を合わせたのは、まさにミシェルが亡くなったその日だったのです。
「僕らはひどく悲しんでいて、ブランはショック状態だった。そんな時に "あ、やあニック、アトランタへようこそ……" という感じだったんだ」とトロイは振り返ります。「ニックは本当にいい奴で、 気を遣って "帰ったほうがいいかな?" と言ったんだ。でも僕らは "絶対にダメだ。君がここにいるべきなのは、まさに君のその優しさが証明しているんだ!" と答えた。だから僕らの関係は、人間として可能な限り深く、強い絆で始まったんだよ」
そしてキーボード奏者のジョアン・ノゲイラも加わり、"Marrow Deep" は創造性にあふれた作品に仕上がりました。
「僕にとって、それが一番ワクワクすることだったんだ」とトロイは言います。「5人全員がスタジオに集まって、それぞれが貢献したくてウズウズしているような状況だったからね」

どのバンドにも起こることですが、MASTODON はブレント抜きの新体制によるサウンドに対して懐疑的な見方をする人々がいることを承知しています。彼らはブレントが存命だった頃にも、そうした反応を経験していたからです。
「みんながどう思うか楽しみだね」とブランは言います。「今回のアルバムでは、これまでずっと4人でやってきただけに、これまでとは違う種類のプレッシャーを感じたんだ。今回は、"お手並み拝見といこうか、お前らには無理だろうけどな" という世間の視線を感じるからね」
ニックを迎えて初めてライブをした時、みんなこぞって "ブレントのような音じゃない" とか、"MASTODON=ブレントだった" とか、そんなクソみたいなことを指摘しようとしていたけど、それは事実じゃない。何かが変わると、誰もが悪いことを言いたがるものさ。MASTODON として自分たちのやっていることに満足しているなら、それが僕にとって唯一重要なことだ。通りすがりの誰かのためにリフを書いているわけじゃないからね」
公平を期して言えば、どんなに懐疑的な人間であっても、"Marrow Deep" の最終曲 "The Three Fates" が終わる頃には圧倒されていることでしょう。この曲ではニール・ファロンが力強い歌声を披露していますが、何よりも聴き手を釘付けにするのは、新メンバーによる魅惑的で長尺なインストゥルメンタル・パートです。
「僕たちに忍び寄っていた "ゆっくりと進行する呪い" のようなものに向き合いたかったんだ」とブランは語ります。「呪いというのは、時に即座に現れるものじゃない。ある朝起きたら尻尾が生えていた、なんてことにはならないんだ。それは忍び寄り、人生に網を張り巡らせていくものだからね。ジョアンとニックが互いにやり取りするパートを聴くと、僕たちがその呪いを解いて乗り越え、新たに加わった素晴らしいミュージシャン2人との未来を予感させているように感じるんだ」
「これからも間違いなく、ブレントの遺産を背負い、それを認めながら進んでいくよ」とトロイは決意します。 「MASTODON の結成において、彼がどれほど大きな影響力と圧倒的な存在感を持っていたか、それを否定するつもりは決してない。しかし、悲劇の先には勝利があるものだ。単に自分たちを哀れんだり、あるいは "まあ、いい時代だったな" と言って崩れ落ちたりしなかったことを、僕は誇りに思うよ。活動を続けないことは、自分たちの存在そのものに対する大きな冒涜になってしまうだろうからね。僕たちの中には、まだこれほどまでに強い "生" の力が息づいているのだから」

参考文献: