<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss xmlns:webfeeds="http://webfeeds.org/rss/1.0" xmlns:note="https://note.com" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/" version="2.0">
  <channel>
    <title>遠回りした男の、人生と商売の話。</title>
    <description>19歳から商売。成功、失敗、借金、アウトローな世界、夜逃げ、自己破産を経て上海へ。現在は中国で飲食店経営・商品開発・顧問業。日本と中国の飲食、商売、そして少し遠回りした人生を書いています。</description>
    <link>https://note.com/mas0314</link>
    <atom:link rel="self" type="application/rss+xml" href="https://note.com/mas0314/rss/"/>
    <copyright>遠回りした男の、人生と商売の話。</copyright>
    <webfeeds:icon>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:icon>
    <webfeeds:logo>https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_note_logo_202212-f2394a9e5b60c49f48650eee13f6e75987c8c4f1cfa7555629a9697dc6015cd9.png</webfeeds:logo>
    <webfeeds:accentColor>249F80</webfeeds:accentColor>
    <webfeeds:related layout="card" target="browser"/>
    <webfeeds:analytics id="UA-48687000-1" engine="GoogleAnalytics"/>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Sun, 08 Nov 2026 10:51:10 +0900</lastBuildDate>
    <item>
      <title>第2章 第7話｜刑務所の中で、男はまた商売を始めた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/328151642/rectangle_large_type_2_4106baa39de2189c768508a70bdb80c1.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="F09C1E50-4F45-4BF8-A847-44CDF10335FE" id="F09C1E50-4F45-4BF8-A847-44CDF10335FE">お粥を入れる器すらなかった男が、刑務所の中で金を稼ぎ、人まで雇うようになった。しかし、そこで最も苦しかったのは、貧しさでも不自由さでもなかった。<br><br>両手で受け取った朝飯<br><br>前回、石井という男がマニラで罠にはめられたという話を書いた。<br><br>日本では繁盛するスナックを経営し、フィリピンクラブを始めて店を失った。<br><br>それでもマニラへ渡り、インターネットを使った新しい商売を成功させた。<br><br>ところが、今度はその商売を狙われ、KTVで突然捕まってしまったという。<br><br>そして石井は、フィリピンの刑務所に収監されることになった。<br><br>期間は1年8ヶ月。<br><br>ここからの話は、後に石井から聞いたものだ。<br><br>石井自身が経験したこともあれば、他の囚人から聞いた話も混ざっているのかもしれない。<br><br>ただ、その話は俺がそれまで想像していた刑務所とは、まるで違う世界だった。<br><br>まず、食事の話だ。<br><br>朝になると、大きなバケツに入ったお粥が配られる。<br><br>係の人間が柄杓で一人ずつ器に注いで回るという。<br><br>ところが、その器が支給されない。<br><br>欲しければ、器を売っている囚人から買わなければならないらしい。<br><br>石井が刑務所に入った初日。<br><br>彼には器がなかった。<br><br>そこで両手を合わせて差し出し、そこにお粥を注いでもらったという。<br><br>京都の大学を卒業し、日本で繁盛店を経営していた男だった。<br><br>マニラでも、新しい商売を成功させている。<br><br>そんな男が、今度は朝飯を入れる器さえ持っていない。<br><br>何とも言えない話だった。<br><br>食事には、もう一つ妙な話があった。<br><br>毎週水曜日には、イワシのような魚が2匹配られたという。<br><br>しかし、焼いた魚ではない。<br><br>生の魚だった。<br><br>それを食べるためには、カセットコンロを持っている囚人を探し、焼いてもらう必要があったらしい。<br><br>もちろん、ただではない。<br><br>金が必要になる。<br><br>しかし、当時の石井には、その金さえなかった。<br><br>お粥を入れる器にも金がいる。<br><br>魚を焼いてもらうにも金がいる。<br><br>塀の中にも、金を持っている人間と持っていない人間がいる。<br><br>そして、その違いが生活のすべてに影響していた。<br><br>しかし、石井はここでも商売を始めることになる。<br><br>きっかけは、ある恐ろしい人物との出会いだった。<br><br>⸻<br><br>150件以上の殺人に関わったという男<br><br>その刑務所には、アブ・サヤフという武装組織の、かなり上位の幹部だといわれる男がいたという。<br><br>アブ・サヤフは、フィリピン南部を中心に活動していた武装組織だ。<br><br>石井が聞いていた話では、その男は150件以上の殺人に関わったといわれる人物だったらしい。<br><br>どこまでが事実だったのか、俺には分からない。<br><br>ただ、刑務所の中では相当な力を持つ、ボスのような存在だったという。<br><br>ところが、その男には意外な一面があった。<br><br>刑務所の中で、オオトカゲやニシキヘビなどを飼っていたのだ。<br><br>俺も最初にこの話を聞いた時は、何の冗談かと思った。<br><br>しかし、石井はそこで仕事を見つけた。<br><br>朝になると、その男のところへ行く。<br><br>そして、飼っている動物たちの世話をするのだ。<br><br>刑務所の中には、小さな池のような場所があったらしい。<br><br>石井はオオトカゲやニシキヘビをそこへ連れて行き、水遊びをさせる。<br><br>そして、また元の場所まで連れて帰る。<br><br>それが仕事だった。<br><br>世話が終わると、小遣いをもらえたという。<br><br>石井はその金で、お粥を入れる器や日用品を買うようになった。<br><br>日本で店を経営していた男が、今度は刑務所でオオトカゲやニシキヘビの世話をして生活費を稼いでいる。<br><br>しかも、金をくれる相手は武装組織の大物幹部だといわれる人物だった。<br><br>しかし、この出会いが石井の人生を大きく変えていく。<br><br>刑務所の中だけではない。<br><br>やがて出所した後の人生まで、この男の影響を受けることになるのだ。<br><br>⸻<br><br>刑務所の中でパン屋を始める<br><br>動物の世話を続けるうちに、石井はそのボスを頼るようになったという。<br><br>そして、今度は商売を始めた。<br><br>タバコ屋とパン屋だった。<br><br>刑務所の中で、である。<br><br>外に買い付けに行くこともできない。<br><br>自由に仕入れをすることもできない。<br><br>ところが、そのボスの口利きで、刑務官が商品を仕入れてくれたらしい。<br><br>そして、石井はそれを刑務所の中で販売するようになった。<br><br>パン屋にも、驚くような話があった。<br><br>売れ残ったパンはどうするのか。<br><br>石井の店では、売れるまで置いておいたという。<br><br>少しくらいカビが生えても、気にしない。<br><br>それでも売っていたらしい。<br><br>そして、最後には必ず売り切っていたというのだ。<br><br>衛生的には、とても褒められた話ではない。<br><br>しかし、それが当時の石井から聞いた刑務所の商売だった。<br><br>自由に買い物へ行けない場所では、買う側にも選択肢が限られている。<br><br>そんな環境だからこそ、成り立ってしまう商売もあったのだろう。<br><br>石井はさらに商売を広げた。<br><br>今度はバスケットボールのノミ屋だった。<br><br>試合の勝敗を賭けの対象にして金を集める、違法な賭博の胴元だ。<br><br>ところが、ここにも石井らしい工夫があった。<br><br>賭け金のレートを、低額と高額の2種類に分けたのだ。<br><br>金を持っている囚人もいれば、ほとんど持っていない囚人もいる。<br><br>高いレートだけでは、参加できる人間が限られてしまう。<br><br>そこで、金の少ない囚人でも遊べるように低いレートを用意したという。<br><br>もちろん、違法な賭博であることに変わりはない。<br><br>ただ、俺はこの話を聞いて、石井はやはり商売というものを分かっていたのだと思った。<br><br>客が違えば、懐具合も違う。<br><br>それに合わせて商売の形を変える。<br><br>石井は刑務所の中でも、そんなことを考えていたのだ。<br><br>そして、実際に儲けを増やしていったという。<br><br>⸻<br><br>塀の中に、もう一つの街があった<br><br>石井から聞いた刑務所の話には、ほかにも不思議なものがあった。<br><br>歯科医が収監されると、刑務所の中に歯医者ができる。<br><br>俳優が収監されると、今度は刑務所の中で映画の撮影が始まる。<br><br>そんな話だった。<br><br>実際にどんな形で行われていたのか、俺には分からない。<br><br>ただ、そこでは囚人が持っている技術や経験まで、商売になっていたらしい。<br><br>歯を治せる人間がいる。<br><br>電気を扱える人間がいる。<br><br>物を仕入れる人間がいる。<br><br>そして、それを買う人間がいる。<br><br>石井もそんな世界で商売をしていた。<br><br>金を稼ぐようになると、生活も大きく変わった。<br><br>まず、個室に住むようになった。<br><br>そして、その部屋に扇風機を付けたという。<br><br>ただし、刑務所から支給されたわけではない。<br><br>扇風機は、刑務所の中で中古品を買った。<br><br>ところが、扇風機を買っただけでは使えない。<br><br>そこで、電気の配線を扱う別の囚人から配線を買う。<br><br>そして今度は、それを取り付けてくれる囚人がいる。<br><br>扇風機を売る人間。<br><br>配線を売る人間。<br><br>取り付けをする人間。<br><br>すべて刑務所の中の話である。<br><br>俺はこの話を聞いて、刑務所の中に、もう一つの街があるように感じた。<br><br>商売があり、技術があり、金が動いている。<br><br>石井は、その経済の中で少しずつ生活を豊かにしていった。<br><br>食事も、もう配給に頼る必要はなかった。<br><br>刑務所の中の食堂で食べる。<br><br>毎日ジムにも通う。<br><br>そして、他の囚人をメイドのように雇い、身の回りの世話までさせていたという。<br><br>最初はお粥を受け取る器さえなかった男だった。<br><br>それが、いつの間にか個室に住み、扇風機を付け、人まで雇うようになっていた。<br><br>しかし、同じ刑務所の中でも、誰もがそんな生活をしていたわけではない。<br><br>あのボスの誕生日には、さらに驚くようなことがあったという。<br><br>男は自分の誕生日に、外から食材と料理人を呼んだ。<br><br>そして、刑務所内の食堂で料理を作らせ、気心の知れた者たちに振る舞ったらしい。<br><br>刑務所の中で誕生日会である。<br><br>しかも、配給の食事ではない。<br><br>外から料理人を呼んで作らせた料理だった。<br><br>同じ塀の中には、朝のお粥を入れる器も買えない囚人がいる。<br><br>その一方で、誕生日には外から料理人を呼び、仲間に振る舞う人間がいる。<br><br>塀の中にも、金と力による格差があった。<br><br>そして石井は、その社会の中で次第に力を持つ側に近づいていった。<br><br>しかし、それは決して良いことばかりではなかった。<br><br>⸻<br><br>殴らなければ、自分が殴られる<br><br>石井は、刑務所内の風紀委員会のような組織にも入っていたという。<br><br>喧嘩など、問題を起こした囚人に罰を与える組織だったらしい。<br><br>そして、その罰が恐ろしかった。<br><br>いわゆる「ケツバット」だった。<br><br>ただし、冗談でやるようなものではない。<br><br>本気でバットを振るうのだ。<br><br>石井は最初、その実行役をしていたという。<br><br>そして、手加減は許されなかった。<br><br>本気でフルスイングしなければならない。<br><br>もし手を抜けば、今度は自分が代わりに同じ罰を受けるというのだ。<br><br>他人を殴らなければ、自分が殴られる。<br><br>何とも恐ろしい仕組みだった。<br><br>そして石井は、その後、罰を実行するだけの立場ではなくなった。<br><br>今度は、何回殴るかを決める側になったという。<br><br>刑務所の中で、一定の力を持つようになっていたのだろう。<br><br>しかし、石井はこのことについて、刑務所生活で一番苦しかったと話していた。<br><br>俺には、この言葉が強く印象に残っている。<br><br>金がなかったことでもない。<br><br>食事がひどかったことでもない。<br><br>自由がなかったことでもない。<br><br>他人に罰を与えなければならなかったことが、一番苦しかったというのだ。<br><br>石井は商売で金を稼ぎ、生活を良くしていった。<br><br>個室に住み、人まで雇うようになった。<br><br>しかし、それで何もかも楽になったわけではなかった。<br><br>自分を守るために、他人を本気で殴らなければならない。<br><br>しかも、手加減すれば今度は自分が殴られる。<br><br>俺はこの話を聞いて、刑務所で力を持つということには、そんな一面もあったのかと思った。<br><br>石井は、そんな生活の中で身体も鍛えていた。<br><br>何が起きても、自分で対応できるようにするためだったという。<br><br>その理由が分かるような話も、ほかにあった。<br><br>⸻<br><br>塀の向こうから飛んでくる石<br><br>刑務所の塀のすぐ隣に、木で組まれた火の見櫓のようなものがあったという。<br><br>その上には人がいて、毎日のように刑務所の中へ石を投げてきたらしい。<br><br>なぜそんなことをしていたのか。<br><br>俺には詳しい事情までは分からない。<br><br>ただ、石井からはそんな話を聞いた。<br><br>ところが、ある日、その櫓に異変が起きた。<br><br>風で木造の櫓が傾いたのだ。<br><br>そして、上にいた男たちが刑務所の塀の内側へ落ちてしまったという。<br><br>その後、どうなったか。<br><br>落ちてきた男たちは、囚人たちからリンチを受けたというのだ。<br><br>毎日のように石を投げていた人間たちが、今度は塀の中に落ちて、暴力を受ける側になってしまった。<br><br>もちろん、石井がそのリンチに加わったという話ではない。<br><br>ただ、そんな出来事まで起きる場所だったということだ。<br><br>誰かが誰かを殴る。<br><br>そして、立場が変われば今度は自分が殴られる。<br><br>刑務所の中での1年8ヶ月。<br><br>石井は、そんな世界で生活していた。<br><br>⸻<br><br>1年8ヶ月後<br><br>やがて石井は刑務所を出ることになった。<br><br>1年8ヶ月。<br><br>長い時間だった。<br><br>ようやく自由になった。<br><br>しかし、ここでまた問題が起きる。<br><br>石井には、行くあてがなかった。<br><br>そして、なんと刑務官の家に居候することになったという。<br><br>刑務所から出たばかりの日本人が、今度は刑務官の家族と一緒に暮らしている。<br><br>本当に、この男の人生は普通ではなかった。<br><br>ところが、その生活も長くは続かなかった。<br><br>原因は、一匹の犬だった。<br><br>ある日、石井はその家で飼われていた犬に噛まれた。<br><br>腕だったか足だったか、そこは俺もはっきり覚えていない。<br><br>ただ、噛まれたところがひどく腫れたという。<br><br>傷口から何かの菌が入ったのかもしれない。<br><br>そして、それが家族にとって大きな騒ぎになった。<br><br>石井から聞いた話では、犬に噛まれた人間が狂犬病で死亡すると、飼い主が刑務所に入ることもあると、家族は恐れていたらしい。<br><br>実際の法律がどうだったのか、俺には分からない。<br><br>ただ、その家族は石井に万が一のことが起きるのを相当に心配していたという。<br><br>その夜は、家族みんなで石井の様子を一晩中見ていたらしい。<br><br>そして朝になった。<br><br>少なくとも、その夜の間には家族が恐れていたような異変は起きなかった。<br><br>すると、どうなったか。<br><br>石井はその家から追い出されてしまった。<br><br>もちろん、一晩無事だったからといって、狂犬病などの危険がなくなるわけではない。<br><br>しかし、石井が聞かせてくれた居候生活の結末は、そういうものだった。<br><br>刑務所の中では個室に住み、扇風機まで付け、人を雇っていた。<br><br>ところが、ようやく自由になったと思ったら、今度は寝泊まりしていた家から追い出されてしまった。<br><br>塀の中では自分の居場所を作った男が、塀の外に出た途端、また居場所を失ってしまったのだ。<br><br>しかし、石井はここでも終わらなかった。<br><br>⸻<br><br>また刑務所に戻った男<br><br>行くあてを失った石井が次に向かったのは、なんと刑務所だった。<br><br>もちろん、再び捕まったわけではない。<br><br>面会に行ったのだ。<br><br>相手は、あのアブ・サヤフの幹部だといわれる男だった。<br><br>オオトカゲやニシキヘビの世話をすることで小遣いをもらい、刑務所内で商売を始めるきっかけを作ってくれた人物だ。<br><br>石井は、その男を再び頼った。<br><br>そして、仕事をもらったという。<br><br>ただし、今度の仕事はこれまでとはまるで違った。<br><br>覚醒剤の売人だった。<br><br>石井は、今度も金を稼ぐようになったという。<br><br>そして、その取引は、やがて1億円を超える規模にまでなったと聞いた。<br><br>もちろん、それがすべて石井の利益だったという意味ではない。<br><br>しかし、相当な金額を動かすようになっていたらしい。<br><br>日本ではスナックを大繁盛させた。<br><br>マニラでも新しいネット事業を成功させた。<br><br>刑務所の中ですら、タバコ屋、パン屋、バスケットボールのノミ屋まで始めた。<br><br>そして出所後には、違法薬物の取引にまで手を出し、大きな金を動かすようになったという。<br><br>確かに、商売をする能力はあったのだろう。<br><br>しかし、今度は明らかに犯罪の世界だった。<br><br>そして石井は、また同じような失敗を繰り返すことになる。<br><br>⸻<br><br>また、女だった<br><br>石井は再び大金を失った。<br><br>原因は、また女だったという。<br><br>詳しい経緯まで、俺がすべて把握しているわけではない。<br><br>ただ、石井はまた女に騙され、金を失ったと聞いた。<br><br>日本では、女の子たちに夢中になって儲かっていた店を失った。<br><br>マニラでは、協力者だった女に仕組まれたという罠によって刑務所に入ることになった。<br><br>そして出所後も、大きな金を手にしたところで、また女に騙されたという。<br><br>本当に、不思議な男だった。<br><br>商売では何度も成功する。<br><br>ところが、金と人間関係が絡むと、なぜかいつもうまくいかなくなる。<br><br>結局、石井はまた大きな金を失い、生活に困るようになった。<br><br>ただ、完全に無一文になったわけではなかった。<br><br>少しばかり残った金で古びたアパートに住み、ときどきBARへ飲みに行く。<br><br>そんな生活を続けていたらしい。<br><br>そして、その頃の石井と、俺は数年ぶりに再会することになる。<br><br>⸻<br><br>数年ぶりに会った石井<br><br>俺はその後、フィリピンタレントのプロダクションを辞め、別の仕事をするようになっていた。<br><br>石井とも会わなくなっていた。<br><br>それから何年かが過ぎた。<br><br>2010年から2012年頃だったと思う。<br><br>ある用事で、俺はマニラへ行くことになった。<br><br>宿泊先はダイヤモンドホテルだった。<br><br>ホテルに到着し、Facebookにそのことを投稿した。<br><br>すると、それを見た石井がホテルまでやって来た。<br><br>数年ぶりの再会だった。<br><br>久しぶりに会った石井は、俺の知っている姿とはずいぶん変わっていた。<br><br>昔は細身で、いかにもインテリという雰囲気の男だった。<br><br>ところが、目の前にいる石井は、がっしりした体格になっていた。<br><br>理由を聞くと、刑務所で何が起きても自分で対応できるように身体を鍛え始めたのだという。<br><br>なるほどと思った。<br><br>あの刑務所での話を聞けば、身体を鍛えた理由も分かる気がした。<br><br>ただ、それ以上に印象に残っているのは、久しぶりに会った石井が望んだものだった。<br><br>バーガーキングが食べたい。<br><br>ダイヤモンドホテルの湯船に浸かりたい。<br><br>そんなことだった。<br><br>そして金については、こんなことを言っていた。<br><br>「もし余った金があったら、その分を置いていってくれ。必ず日本に帰って返すから」<br><br>最初から金をくれとか、貸してくれと言ってきたわけではなかった。<br><br>俺が日本に帰る時、余った金があれば置いていってほしい。<br><br>そういう話だった。<br><br>かつて日本で繁盛店を経営し、マニラでも新しい商売を成功させた男だった。<br><br>刑務所の中ですら商売を始め、出所後には1億円を超える規模の取引にまで関わったという。<br><br>そんな石井が、今は古びたアパートに住み、ときどきBARへ飲みに行く程度の生活をしていた。<br><br>昔のような金は、もうなかった。<br><br>それでも、俺の前に現れたのは、間違いなくあの石井だった。<br><br>⸻<br><br>最後の夜<br><br>マニラで過ごした最後の夜だった。<br><br>俺と石井は、二人でBARへ行った。<br><br>俺の記憶では、UKカフェという名前だったと思う。<br><br>当時マニラでは有名な、売春婦と客が出会うような店だった。<br><br>客と女たちが話をし、条件が合えば一晩を過ごす。<br><br>そんな場所だった。<br><br>ところが、そこで石井がまた下手を打った。<br><br>通りすがりの女の尻を、いきなり触ったのだ。<br><br>当然、その女は怒った。<br><br>見知らぬ男に突然身体を触られたのだから、当たり前だ。<br><br>ところが石井は、逆に腹を立て始めた。<br><br>俺は嫌な予感がした。<br><br>こういう場所で、つまらないことで揉めるのはよくない。<br><br>俺もフィリピンでは、いろいろな世界を見てきた。<br><br>だから、こういう場所で揉め事になった時の怖さは、ある程度分かっていた。<br><br>俺は石井に帰ろうと言った。<br><br>しかし、石井は平気だという。<br><br>俺には、とても平気だとは思えなかった。<br><br>これ以上ここにいても、ろくなことにはならない。<br><br>そう感じた俺は、石井を連れて半ば強引に店を出ようとした。<br><br>⸻<br><br>店の出口にいた男たち<br><br>出口へ向かった時だった。<br><br>数人の男たちと、入口ですれ違った。<br><br>何とも物々しい雰囲気だった。<br><br>その瞬間、何となく分かった気がした。<br><br>これはまずい。<br><br>俺は石井の背中を押すようにして、とにかく早く行けと促した。<br><br>石井はまだ、大丈夫だと思っていたのかもしれない。<br><br>しかし、俺にはそうは思えなかった。<br><br>急いで店を離れた。<br><br>そして振り返ると、さっき入口ですれ違った男たちが、石井に尻を触られた女と話していた。<br><br>あの男たちが何者だったのか。<br><br>何のために来たのか。<br><br>そこまでは分からない。<br><br>しかし、それ以上確かめたいとも思わなかった。<br><br>とにかく石井を急がせた。<br><br>ホテルまで戻ることだけを考えていた。<br><br>ところが、当の石井は違った。<br><br>⸻<br><br>逃げながら、まだ女の話をしていた<br><br>ホテルまで急いでいる最中だった。<br><br>石井は、懲りずに女の話を始めたのだ。<br><br>あの店では、日本人の客はたいていビリヤード台のある辺りで女たちと話をするのだという。<br><br>そこで条件を交渉し、一晩の値段を決める。<br><br>当時の相場は、日本円で4,000円から5,000円ほどだったらしい。<br><br>ところが、石井は違うという。<br><br>閉店間際を狙って行くのだ。<br><br>そして、500円を提示する。<br><br>当然、女たちは断る。<br><br>しかし、石井には石井なりの計算があった。<br><br>女たちの中には、家までバスで2時間ほどかけて帰る者もいる。<br><br>そして翌日、また2時間かけて店まで来る。<br><br>それならどうか。<br><br>今から2時間かけて帰り、また明日2時間かけて来るくらいなら、ホテルで温かいシャワーを浴び、ピザでも食べて、一晩一緒に過ごした方がいいだろう。<br><br>そうやって口説くのだという。<br><br>石井によれば、大抵の女の子は最後には応じてくれたらしい。<br><br>本当にそんなにうまくいっていたのか、俺には分からない。<br><br>ただ、石井はそのやり方を一生懸命説明していた。<br><br>俺たちは、さっきの店から逃げるようにホテルへ向かっていた。<br><br>俺は、あの男たちのことが気になっていた。<br><br>ところが石井は、女を500円で口説く方法を熱心に話している。<br><br>何とも石井らしいと思った。<br><br>あれだけのことを経験しても、この男は相変わらずだった。<br><br>⸻<br><br>返さなくていいから、日本へ帰れ<br><br>何とかダイヤモンドホテルまで戻った。<br><br>石井には風呂を使わせた。<br><br>久しぶりに、ゆっくり湯船に浸かりたかったのだろう。<br><br>そして俺は、最後に10万円ほどの日本円を渡したと思う。<br><br>石井は、余った金があれば置いていってほしい、必ず日本に帰って返すと言っていた。<br><br>しかし、俺は返してもらうつもりはなかった。<br><br>返さなくていい。<br><br>それより、早く日本に帰ることを考えろ。<br><br>そう伝えた。<br><br>あれだけ商売を成功させてきた男だった。<br><br>日本では繁盛店を経営していた。<br><br>マニラでも新しい商売を成功させた。<br><br>刑務所の中ですら金を稼ぎ、出所後には大きな取引にも関わるようになったという。<br><br>それなのに、今は俺が置いていく10万円ほどの金を必要としている。<br><br>石井の商売の才能を、俺は否定するつもりはない。<br><br>実際、何度も成功している。<br><br>しかし、あのマニラでの最後の夜を思い返すと、やはりこの男は危なっかしかった。<br><br>1年8ヶ月も刑務所に入っていた。<br><br>その中で暴力の恐ろしさも経験し、自分を守るために身体まで鍛えた。<br><br>それなのに、BARで女にちょっかいを出して揉める。<br><br>俺が危険を感じて店から連れ出しているのに、帰り道ではまだ女の話をしている。<br><br>身体は見違えるほど変わっていた。<br><br>しかし、人間というのは、そう簡単には変わらないものなのだろう。<br><br>俺が石井に望んだのは、もう一度大きな商売を成功させることではなかった。<br><br>とにかく、日本へ帰ることだった。<br><br>これ以上、マニラで厄介なことに巻き込まれず、無事に帰ってほしかった。<br><br>あの夜、ホテルまで急いで戻ったことは、今でもよく覚えている。<br><br>そして、逃げながら女の話を続けていた石井のことも。<br><br>商売では何度も勝った男だった。<br><br>しかし、自分自身には、なかなか勝てない男だった。<br><br>そんな石井に、俺は金を返さなくていいから日本へ帰れと伝えた。<br><br>それが、俺の記憶に残る石井との再会だった。<br><br>⸻<br><br>――石井編・完。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n6b01c57fbd06'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 25 Oct 2026 07:24:09 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n6b01c57fbd06</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n6b01c57fbd06</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章 第6話｜マニラで仕掛けられた罠。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/327708174/rectangle_large_type_2_335164b127e959e4c6a815666903ec4a.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="3C6C6427-2413-4508-A79A-1A86D3A9A535" id="3C6C6427-2413-4508-A79A-1A86D3A9A535">成功したネット事業。突然現れた捜査官。そして護送車で待っていた、手錠姿の日本人。<br><br>商売の才能だけはあった男<br><br>前回、石井という男の話を書いた。<br><br>京都の大学を卒業し、日本人スタッフのスナックを大繁盛させた、プライドの高いインテリ経営者。<br><br>金もあった。<br><br>商売の才能もあった。<br><br>ところが、次に始めたフィリピンクラブで女の子たちに夢中になり、最後には儲かっていた店まで失ってしまった。<br><br>普通なら、そこで懲りると思う。<br><br>しかし、石井という男は違った。<br><br>店を失った石井は、その後フィリピンのマニラへ渡ることになる。<br><br>そして、また商売を始めた。<br><br>しかも、今度も成功してしまうのだ。<br><br>俺はこの男の人生を思い返すたびに、商売がうまいことと、人生をうまく生きることは、まったく別なのだと思う。<br><br>⸻<br><br>マニラで始めた新しい商売<br><br>きっかけは、以前石井が雇っていたフィリピン人の女の子と、スクラップ屋を経営する社長から声がかかったことだった。<br><br>新しい商売の話だった。<br><br>日本とフィリピンをインターネットでつなぎ、日本にいる男が、現地の女の子と一対一でライブで会話できる仕組みを作る。<br><br>言ってみれば、インターネットを利用したテレクラのようなものだ。<br><br>今でこそ、海外にいる人間とインターネットで会話することなど珍しくない。<br><br>しかし、当時はまだ、そんなサービスが今ほど身近ではなかった時代だ。<br><br>石井は、その事業を立ち上げるためにマニラへ渡った。<br><br>そして、商売は成功した。<br><br>日本で店を失った男が、フィリピンで再び金を稼ぎ始めたのだ。<br><br>俺は石井のこういうところを、ある意味すごいと思っている。<br><br>どこへ行っても商売を見つけ、実際に金を稼ぐ。<br><br>誰にでもできることではない。<br><br>ところが、この成功が、また新しい問題を呼び込むことになる。<br><br>今度は女の子に夢中になって商売を失ったわけではない。<br><br>成功した商売そのものが、狙われたのだ。<br><br>⸻<br><br>KTVで突然起きたこと<br><br>ある日、石井はマニラのKTVで酒を飲んでいた。<br><br>KTVとは、フィリピンにあるカラオケクラブのような店だ。<br><br>その日、石井の隣には一人の女の子が座っていた。<br><br>初めて会う女の子だったという。<br><br>ところが、酒を飲んでいると突然、捜査官たちが店に入ってきた。<br><br>普通の警察ではない。<br><br>NBI。<br><br>フィリピン国家捜査局と呼ばれる、アメリカのFBIのような国家捜査機関だったと聞いている。<br><br>そして、石井の隣に座っていた女の子について、驚くようなことを告げられた。<br><br>その女の子は未成年だというのだ。<br><br>初めて会ったばかりの女の子だった。<br><br>石井には、何が起きているのか分からなかっただろう。<br><br>しかし、そんなことは関係なかった。<br><br>石井はその場で捕まってしまった。<br><br>ここから、彼の人生はまた大きく変わることになる。<br><br>⸻<br><br>護送車にいた日本人<br><br>店の外には護送車が待っていた。<br><br>石井が車に乗せられると、そこにはすでに一人の日本人がいたという。<br><br>中年のおじさんだったらしい。<br><br>その男も手錠をかけられていた。<br><br>考えてみてほしい。<br><br>外国で突然捕まる。<br><br>何がどうなっているのかも分からない。<br><br>言葉も法律も違う国で、これから自分がどうなるのかさえ分からない。<br><br>そんな時、同じ日本人が乗っていたら、少しは安心するかもしれない。<br><br>その男は石井に、なぜ捕まったのかと尋ねたという。<br><br>石井は、KTVで突然捜査官が入ってきたこと、隣に座っていた女の子が未成年だと言われたことを説明した。<br><br>すると、その男は妙な話を持ちかけた。<br><br>日本から300万円ほど送金してもらえ、というのだ。<br><br>その金を捜査官に渡さなければ、刑務所に行くことになる。<br><br>そう言われたらしい。<br><br>しかし、石井は信じなかった。<br><br>突然捕まったと思ったら、同じように手錠をかけられた日本人から、いきなり300万円という大金の話をされる。<br><br>普通に考えれば、怪しい話でもある。<br><br>石井は、その金を払わなかった。<br><br>しかし、この話にはさらに恐ろしい裏があった。<br><br>⸻<br><br>手錠をかけられた男まで仲間だった<br><br>実は、この事件そのものが仕組まれていたというのだ。<br><br>石井がマニラで始めたインターネット事業。<br><br>その事業に協力していたフィリピン人女性が、石井から商売を奪おうとしていたという。<br><br>俺が聞いた話では、これは偶然の摘発ではなかった。<br><br>最初から仕組まれた罠だったという。<br><br>事業に協力していた女。<br><br>KTVで初めて石井の隣に座った女の子。<br><br>突然現れた捜査官たち。<br><br>そして、護送車で先に手錠をかけられていた日本人のおじさん。<br><br>これらの人間が、すべて同じ側で動いていたという話だった。<br><br>もちろん、俺が一人ひとりの関与を直接確認したわけではない。<br><br>しかし、そう聞いて改めて考えると、恐ろしい仕組みだった。<br><br>まず、相手を警察沙汰にする。<br><br>何が起きたのか分からない状態に追い込む。<br><br>そこへ、同じ日本人が現れる。<br><br>しかも、その男まで手錠をかけられている。<br><br>自分も捕まった人間のように見せながら、助かるためには金が必要だと持ちかける。<br><br>助けてくれるように見えた人間まで、最初から仕掛ける側だったというのだ。<br><br>これほど厄介な話もない。<br><br>さらに、300万円を用意して払ったところで、それで終わるような話ではなかったらしい。<br><br>金を払っても釈放されず、事業まで奪われる。<br><br>そういう筋書きだったと聞いた。<br><br>つまり、狙われていたのは300万円だけではない。<br><br>石井が成功させた商売そのものだった。<br><br>⸻<br><br>繁盛している店は、奪えばいい<br><br>こうした、相手を罠にはめて金や財産を奪おうとする手口を、当時の俺たちの周りでは「セットアップ」と呼んでいた。<br><br>俺が知っていたフィリピンの世界では、決して珍しい話ではなかった。<br><br>実際、俺はほかにも似たような事件を知っている。<br><br>昔、繁盛していた焼肉屋があった。<br><br>その店は、チャイニーズマフィアと呼ばれるような連中に狙われたという。<br><br>オーナー夫婦が襲撃され、店を奪われた。<br><br>しかも、店だけではない。<br><br>従業員まで、そのまま引き継がれてしまったというのだ。<br><br>俺も当時、その事件を知っていた。<br><br>普通、繁盛している店があれば、同じような店を作って対抗しようとする。<br><br>料理を工夫し、サービスを良くし、客を奪い合う。<br><br>それが商売の競争というものだろう。<br><br>しかし、あの頃の俺が知っていた世界には、まるで違う考え方をする人間たちがいた。<br><br>繁盛している店があるなら、その店を丸ごと取ってしまえばいい。<br><br>ライバルとして競争する必要などない。<br><br>すでに客がいて、従業員がいて、売上がある店を、そのまま自分のものにしてしまう。<br><br>そんな連中までいたのだ。<br><br>もちろん、これがフィリピン全体の商売のやり方だったという意味ではない。<br><br>ただ、当時の俺が関わっていた世界の周辺には、そういうことが現実に起きる怖さがあった。<br><br>そして、金を貸す商売にも、独特の世界があった。<br><br>金の取り立てに警官が出てくる<br><br>日本にもフィリピンにも、賭け麻雀で負けた人間に金を貸す商売があった。<br><br>麻雀で負ける。<br><br>手持ちの金がなくなる。<br><br>それでも勝負を続けたい。<br><br>そこで金を借りる。<br><br>もちろん、借りた金は返さなければならない。<br><br>しかし、フィリピンでは、その取り立てに警官が出てくることまであった。<br><br>本来、法律を守らせる立場の人間が、金貸しの回収に関わっている。<br><br>そんな話も、当時の俺の知っていた世界にはあった。<br><br>もちろん、すべての警官がそうだったわけではない。<br><br>ただ、少なくとも一部では、警官という肩書きが必ずしも安心につながるものではなかった。<br><br>金を持っている人間。<br><br>力を持っている人間。<br><br>その力を利用する人間。<br><br>それぞれが表からは見えないところでつながっていることがあった。<br><br>そんな世界を知っていたからこそ、石井の話を聞いた時も、俺にはまったく理解できない事件というわけではなかった。<br><br>協力者だった女に商売を狙われる。<br><br>捜査官が現れる。<br><br>護送車には、手錠をかけられた日本人まで用意されていたという。<br><br>そして300万円を要求される。<br><br>本当にどこまでが仕組まれていたのか、俺が直接確認できたわけではない。<br><br>それでも、石井が巻き込まれたという事件は、俺の知っていた当時の世界と無関係には思えなかった。<br><br>あの世界では、商売に成功したからといって、必ずしも勝ったことにはならなかった。<br><br>金を稼ぐことと、その金や商売を守ること。<br><br>それは、まったく別の話だったのだ。<br><br>⸻<br><br>300万円を払わなかった男<br><br>石井は結局、300万円を払わなかった。<br><br>弁護士も雇わなかったという。<br><br>そのまま拘束され、取り調べを受けることになった。<br><br>そして、ここからの話も驚くようなものだった。<br><br>石井から聞いた話では、取り調べが終わると、夜になる。<br><br>すると、捜査官たちから別室に呼ばれる。<br><br>何をするのか。<br><br>ポーカーのようなカードゲームだったという。<br><br>それも、一度や二度ではない。<br><br>毎晩のように誘われたらしい。<br><br>昼間は取り調べを受ける。<br><br>ところが夜になると、その捜査をする側の人間たちとカードで金を賭ける。<br><br>日本の感覚では、ちょっと想像しにくい光景だった。<br><br>しかも、石井はそのゲームで金を失っていった。<br><br>日本には、年老いた父親がいた。<br><br>父親から少しばかり仕送りをしてもらったこともあったという。<br><br>しかし、その金さえ手元には残らなかった。<br><br>カードゲームで失ってしまったのだ。<br><br>考えてみれば、何とも言えない話だった。<br><br>日本では繁盛店を経営していた。<br><br>マニラでも新しい事業を成功させた。<br><br>そんな男が、今度は年老いた父親から送ってもらったわずかな金まで失っている。<br><br>しかも、外国で身柄を拘束されている最中の話だ。<br><br>石井は、何度も金を稼いできた男だった。<br><br>しかし、稼いだ金を守ることは、どういうわけか苦手だった。<br><br>日本でも、マニラでも。<br><br>形を変えながら、同じようなことが起きていた。<br><br>⸻<br><br>金だけではなく、自由まで失った<br><br>そして石井は、マニラ市刑務所に送られることになった。<br><br>俺が聞いたところでは、その刑務所で過ごした期間は、実に1年8ヶ月だった。<br><br>日本で店を失った。<br><br>マニラで新しい商売を始め、それを成功させた。<br><br>ところが今度は、仕組まれたという罠によって、自由まで失ってしまった。<br><br>金なら、また稼げるかもしれない。<br><br>実際、石井は何度もそうしてきた。<br><br>しかし、失った時間は戻らない。<br><br>それも、日本の刑務所ではない。<br><br>フィリピンの刑務所だ。<br><br>言葉も習慣も違う環境の中で、石井の新しい生活が始まった。<br><br>そして、そこでも信じられないような話がいくつもあった。<br><br>⸻<br><br>両手で受け取った朝飯<br><br>刑務所に入ると、朝にはお粥が配られたという。<br><br>バケツを持った人間が回ってきて、柄杓で一人ずつ器に注いでいく。<br><br>ところが、その器が支給されない。<br><br>欲しければ、器を売っている囚人から買わなければならなかったらしい。<br><br>石井が刑務所に入った初日。<br><br>彼には、器がなかった。<br><br>だから、両手を合わせて差し出した。<br><br>そして、そこにお粥を注いでもらったという。<br><br>日本で繁盛店を経営し、マニラでも商売を成功させた男が、今度は朝飯を受け取る器さえ持っていない。<br><br>俺はこの話を聞いた時、何とも言えない気持ちになった。<br><br>しかし、石井という男の本当の面白さは、ここからだった。<br><br>初日に両手でお粥を受け取っていた男が、やがて刑務所の中で商売を始め、金を稼ぎ、人まで雇うようになってしまうのだ。<br><br>しかも、そのきっかけになったのは、刑務所の中で出会った、ある恐ろしい人物だったという。<br><br>どこへ行っても商売を始めてしまう男。<br><br>それが石井だった。<br><br>――第7話「刑務所の中で、男はまた商売を始めた。」へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/ndd19aa47d293'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 24 Oct 2026 03:37:59 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/ndd19aa47d293</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/ndd19aa47d293</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章 第5話｜女を見下した男が、店を失うまで。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/325248564/rectangle_large_type_2_282f6c66b8a2ed2ca742b97a937735fc.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="D5D5B6B9-964D-4115-9BF8-11E9E90CE61C" id="D5D5B6B9-964D-4115-9BF8-11E9E90CE61C">金もあった。学歴もあった。商売の才能もあった。それでも、自分の感情だけはコントロールできなかった。<br><br>女に金を吸い取られる男たち<br><br>フィリピンタレントのプロモーターをしていると、本当にいろいろな男を見た。<br><br>女の子に夢中になり、金を貢ぎ、最後にはボロボロになっていく男。<br><br>そんな人間は珍しくなかった。<br><br>日本のフィリピンパブで知り合った女の子を追いかけ、わざわざフィリピンまで会いに行く。<br><br>ところが、向こうで待っているのは彼女一人ではない。<br><br>父親がいる。兄弟がいる。親戚まで出てくる。<br><br>食事に連れて行けば全員分を払う。<br><br>買い物に行けば、あれも欲しい、これも欲しい。<br><br>気がつけば、彼女に会いに来たはずの男が、家族や親戚の財布になっている。<br><br>もっとすごい話もあった。<br><br>実は、その女の子にはフィリピンに旦那がいる。<br><br>ところが、日本から男が遊びに来ると、その旦那を自分の「弟」だと紹介する。<br><br>そして、その旦那に運転手をさせるのだ。<br><br>日本から来た男は、彼女の弟だと信じている。<br><br>一緒に食事をして、買い物に連れて行ってもらい、車まで運転してもらう。<br><br>しかし、その運転手は彼女の本当の亭主だった。<br><br>冗談のような話だが、実際にそんな女の子もいた。<br><br>もちろん、すべてのフィリピン人女性がそうだったわけではない。<br><br>ただ、当時の俺の周りでは、そんな話がゴロゴロ転がっていた。<br><br>そして、もっと不思議なことがあった。<br><br>女の子に夢中になってしまうのは、客だけではなかった。<br><br>女の子を雇って商売をする側の、店のオーナーまでハマってしまうのだ。<br><br>その中に、一人の忘れられない男がいた。<br><br>仮に、石井と呼ぶことにする。<br><br>⸻<br><br>インテリの成功者<br><br>石井は、京都の大学を卒業した男だった。<br><br>当時の水商売の世界では、いわゆるインテリ経営者のような存在だった。<br><br>以前は、日本人スタッフで構成されたスナックを経営していた。<br><br>その店が、とにかく流行っていた。<br><br>商売は大成功。<br><br>金も持っていた。<br><br>ただ、その店は奥さんがママを務めていた。<br><br>そして、離婚と同時に店も閉まってしまった。<br><br>そんな石井が、次の商売として目をつけたのがフィリピンクラブだった。<br><br>石井は髙橋さんの知り合いだった。<br><br>年齢も近かった。<br><br>その縁もあって、俺たちのプロダクションから女の子を送り込み、店の運営までサポートすることになった。<br><br>しかし、この石井という男、プライドが高かった。<br><br>日本人スタッフの店で成功してきたという自負もあったのだろう。<br><br>フィリピン人の女の子たちを、どこか馬鹿にしていた。<br><br>「フィリピン人なんて」<br><br>そんな感覚だった。<br><br>しかし、フィリピンクラブが儲かる商売だということは分かっていた。<br><br>だから、自分もやりたい。<br><br>最初は純粋に商売として考えていたのだと思う。<br><br>ところが、人間というのは本当に分からない。<br><br>あれほどフィリピン人を馬鹿にしていた男が、いつの間にか女の子たちを気にするようになっていった。<br><br>そして、少しずつ様子がおかしくなっていく。<br><br>⸻<br><br>女の子の寮に泊まり始めた<br><br>石井は酒を飲むと、女の子たちの寮に行くようになった。<br><br>そして、そのまま泊まってしまう。<br><br>一度や二度ではない。<br><br>繰り返し、寮に入り浸るようになった。<br><br>当然、女の子たちからプロダクションにクレームが入る。<br><br>考えてみれば当たり前だ。<br><br>女の子たちにとって、寮は仕事を終えて帰る生活の場所だった。<br><br>そこに店のオーナーが酔っ払ってやって来て、泊まっていく。<br><br>迷惑な話だった。<br><br>別に、石井が毎回そこで何かをしていたというわけではない。<br><br>ただ、女の子たちに構ってほしかったのだ。<br><br>俺にはそう見えた。<br><br>あれほどフィリピン人を馬鹿にしていた男が、今度はその女の子たちに相手をしてもらいたくて仕方がない。<br><br>自分が雇った女の子たちなのに、その女の子たちに自分の感情を振り回されるようになっていた。<br><br>この変化は、なんとも不思議だった。<br><br>人間の感情というのは、学歴や商売の経験だけではどうにもならないものなのだろう。<br><br>⸻<br><br>髙橋さんの警告<br><br>石井と髙橋さんは、もともと知り合いだった。<br><br>年齢も近い。<br><br>だから髙橋さんも、何度となく石井に注意していた。<br><br>しかし、石井は言うことを聞かなかった。<br><br>注意されても、また酒を飲んで寮に行く。<br><br>そして泊まってしまう。<br><br>同じことの繰り返しだった。<br><br>プロダクションとしても、これを放っておくわけにはいかない。<br><br>女の子たちの生活を管理しているのはこちらだ。<br><br>店のオーナーだからといって、何をしてもいいわけではない。<br><br>そして、髙橋さんはとうとう石井から、ある約束を取り付けた。<br><br>次にまた問題を起こしたら、店を手放す。<br><br>石井は、その約束をしてしまった。<br><br>ここが大きな分かれ道だったと思う。<br><br>というのも、その頃、石井のフィリピンクラブは儲かっていたからだ。<br><br>客が来なくて困っていたわけではない。<br><br>商売が失敗していたわけでもない。<br><br>ちゃんと利益を生んでいる店だった。<br><br>それなのに、石井は自分の店を失うかもしれない約束をしてしまった。<br><br>今思えば、この時点で石井は、ずいぶん冷静さを失っていたのだと思う。<br><br>⸻<br><br>儲かっていた店が取られた<br><br>そして、とうとうその時が来た。<br><br>確か、石井が酒に酔って女の子にちょっかいを出したことがきっかけだったと記憶している。<br><br>それまで何度も注意されていた石井だったが、今度は女の子への行動が重大な問題として扱われた。<br><br>プロダクション側は、一気に動いた。<br><br>すでに、次に問題を起こせば店を手放すという約束がある。<br><br>その約束をもとに、店を引き渡す話が進んだ。<br><br>そして結果的に、石井は店から放り出され、店はプロダクション側の手に渡った。<br><br>ここで大事なのは、何度も言うが、その店は儲かっていたということだ。<br><br>潰れかけた店を引き取ったわけではない。<br><br>石井が経営に行き詰まって、仕方なく手放したわけでもない。<br><br>利益を生んでいる店だった。<br><br>その店を、石井は失った。<br><br>もちろん、女の子たちに迷惑をかけ、何度注意されても行動を改めなかった石井に問題があった。<br><br>それは間違いない。<br><br>しかし、俺が今でも考えてしまうのは、その先の話だ。<br><br>⸻<br><br>最初から狙っていたのか<br><br>社長と髙橋さんは、最初から石井の店を手に入れることまで視野に入れていたんじゃないか。<br><br>もちろん、二人からそう聞いたわけではない。<br><br>だから、断定はできない。<br><br>ただ、あの二人の商売のやり方を見ていた俺からすると、そんな可能性もあったように思う。<br><br>女の子を送り込んでいるのはこちらだ。<br><br>店の運営もサポートしている。<br><br>石井が女の子たちに夢中になり、何度も問題を起こしていることも知っている。<br><br>そのうえで、次に問題を起こせば店を手放すという約束まで取り付けていた。<br><br>そして実際に問題が起きると、一気に動いた。<br><br>あの二人は、石井よりもずっと冷静に状況を見ていたのだと思う。<br><br>石井は女の子たちに構ってほしかった。<br><br>一方、プロダクション側が見ていたのは、その先にある商売だったのかもしれない。<br><br>同じフィリピンクラブという世界にいながら、見ているものがまるで違った。<br><br>俺はこの仕事を通じて、そんな人間たちを何人も見てきた。<br><br>商売をしているつもりが、自分の欲望に振り回される人間。<br><br>そして、その欲望さえも商売の機会として見ている人間。<br><br>どちらも、同じ世界にいた。<br><br>⸻<br><br>商売ができることと、人生をうまく生きること<br><br>俺は、この石井という男を単純に愚かな人間だったとは思っていない。<br><br>実際、日本人スタッフのスナックを大繁盛させていた。<br><br>学歴もあった。<br><br>金もあった。<br><br>商売の才能は、確かに持っていたのだと思う。<br><br>しかし、その才能と、自分自身をコントロールできるかどうかは別の話だった。<br><br>フィリピン人を馬鹿にしていたはずの男が、女の子たちに構ってほしくて寮に入り浸る。<br><br>何度注意されてもやめられない。<br><br>そして最後には、自分の店まで失ってしまった。<br><br>俺はこの世界で、女の子に金を貢ぎ、財産を失う男を何人も見た。<br><br>しかし石井は、ただ金を貢いだだけではなかった。<br><br>自分が金を稼ぐために始めた商売そのものを、失ってしまったのだ。<br><br>普通なら、ここでこの男の話は終わると思うだろう。<br><br>ところが、石井はここで終わらなかった。<br><br>店を失った石井は、その後フィリピンへ渡ることになる。<br><br>そしてマニラで、また新しい商売を始めた。<br><br>しかも、その商売を成功させてしまうのだ。<br><br>やはり、この男には商売の才能があったのだと思う。<br><br>しかし、そこで石井を待ち受けていたのは、日本での失敗とはまるで違う出来事だった。<br><br>今度は、儲かっている商売を狙って、石井自身が罠にはめられることになる。<br><br>そして数年後。<br><br>俺はマニラで、すっかり姿の変わった石井と再会することになる。<br><br>その間に石井が経験した出来事は、俺の想像をはるかに超えるものだった。<br><br>――第6話「マニラで仕掛けられた罠。」へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n9135838f1f80'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 17 Oct 2026 10:57:07 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n9135838f1f80</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n9135838f1f80</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第２章第4話｜100人の女を預かるという商売。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/324579424/rectangle_large_type_2_e7a25255955d0ea1f2ccd07e8a44973d.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="E78EFF6B-348A-4824-88CA-499A44381766" id="E78EFF6B-348A-4824-88CA-499A44381766">5日間で2,000人を面接する。金、恋愛、貧困、そして日本を目指した女たちの人生。<br><br>前回は、フィリピンから送られてきた実弾1発をきっかけに、銃器対策課が動いた話を書いた。<br><br>女の子は逮捕され、大阪の南港で約1週間留置された。<br><br>俺と髙橋さんは、何度もそこへ足を運んだ。<br><br>普通に考えれば、なかなか経験することのない事件だと思う。<br><br>しかし、当時の俺がいた世界では、普通では考えられないような出来事が時々起こっていた。<br><br>そもそも、フィリピンタレントのプロモーターとは、どんな仕事だったのか。<br><br>単純にフィリピンから女の子を呼び、日本の店に紹介して終わりというものではなかった。<br><br>当時、俺が管理していた女の子は約100人。<br><br>100人と聞けば多いと思うかもしれないが、この業界ではそれほど珍しい人数ではなかったと思う。<br><br>基本的な世話は、女の子たちが働くそれぞれの店が担当していた。<br><br>俺のところに話が回ってくるのは、店では解決できなくなったときだった。<br><br>喧嘩、借金、病院への付き添い、酔っ払いの処理。<br><br>そして、ウータンと呼ばれる前借りの相談。<br><br>そんなことが日常的に起こる商売だった。<br><br>では、そもそも彼女たちはどうやって日本へやって来ていたのか。<br><br>そこにも、一般にはあまり知られていない世界があった。<br><br>⸻<br><br>5日間で2,000人を見る<br><br>当時、俺には髙橋さんという6歳年上の上司がいた。<br><br>地元も近く、昔からの知り合いだった。<br><br>実は髙橋さんは、俺の親父からこの仕事を教わった人間の一人でもある。<br><br>髙橋さんの主な仕事は、フィリピン現地でのオーディションと、日本の店が必要とする女の子の人数調整だった。<br><br>店のオーナーにも、それぞれ好みがある。<br><br>それを把握し、次にどんな女の子を呼ぶかを考える。<br><br>俺も何度か、そのオーディションに同行したことがある。<br><br>フィリピンへ行けば、だいたい5日間はオーディションだった。<br><br>現地のプロダクションを次々と回る。<br><br>小さなローカルのプロダクションなら、女の子は10人から30人程度。<br><br>大きなところになると、300人ほどいることもあった。<br><br>面接は5人ずつ部屋に入れる。<br><br>手元の資料を見ながら、一人ずつ確認していく。<br><br>まずは見た目。<br><br>そして会話力。<br><br>受け答えや愛嬌を見る。<br><br>地方から出てきた女の子も多く、化粧の仕方を知らなかったり、髪がボサボサだったりする子もいた。<br><br>しかし、だからといって魅力がないわけではない。<br><br>その場で少し髪型を変えてみる。<br><br>化粧を落としてもらう。<br><br>それだけで、驚くほど印象が変わる子もいた。<br><br>そんなことを繰り返しながら、多いときには5日間で2,000人ほどを見ることもあった。<br><br>ところが、2,000人も見て、本当に良いと思えるのは毎回せいぜい2人くらいだった。<br><br>それでも日本の店からは、最低でも7人か8人を必要とされている。<br><br>2人しか選べません、では商売にならない。<br><br>結局、かなり妥協しながら、何とか人数を揃えていた。<br><br>歌が上手くても、売れるとは限らない<br><br>当時、女の子たちはダンサーやシンガーという名目で日本へやって来ていた。<br><br>しかし、少なくとも俺たちが関わっていた店では、それは建前に近かった。<br><br>実際に求められていたのは、ホステスとしての仕事だったからだ。<br><br>だから現地のオーディションでは、歌を歌わせることも、踊らせることもなかった。<br><br>ただし、彼女たちに歌や踊りの才能がなかったわけではない。<br><br>日本へ来てカラオケを歌うと、プロ並みに上手い女の子がたくさんいた。<br><br>本当に驚くほど上手かった。<br><br>しかし、歌が上手いことと、ホステスとして人気が出ることは別の話だった。<br><br>いくら可愛くても、愛想がなく、いつもムスッとしている女の子もいた。<br><br>逆に、オーディションではそれほど期待していなかった子が、日本の店で思いがけず人気者になることもあった。<br><br>結局、愛嬌なのだと思う。<br><br>そして、生まれ持った接客のセンス。<br><br>これは、短時間の面接ではなかなか見抜けなかった。<br><br>家族の生活がかかったオーディション<br><br>オーディションに来る女の子たちは、みんな緊張していた。<br><br>だから、こちらも少し冗談を交えながら話をする。<br><br>「お客さんに胸を触られても、叫んだらダメよ」<br><br>今考えれば、ずいぶんしょうもない冗談まで言っていた。<br><br>そんなことを話しながら、少しでも緊張をほぐし、普段の表情や会話力を見ていた。<br><br>しかし、彼女たちが緊張するのには理由があった。<br><br>とにかく貧しかったのだ。<br><br>当時、俺が見聞きした現地の飲食店では、8時間働いても日給は良くて800円ほど。<br><br>月に15,000円程度の収入で、親や兄弟を養っている女の子も多かった。<br><br>日本へ行けるかどうか。<br><br>それによって、本人だけではなく家族や親戚の生活まで変わってくる。<br><br>だから、彼女たちには明らかな悲壮感があった。<br><br>それでも、俺は割り切っていた。<br><br>どれだけ貧しくても、全員を日本へ連れていくことはできない。<br><br>日本の店には希望があり、必要な人数がある。<br><br>こちらはそれに応えなければならない。<br><br>そうでないと、やれない商売だった。<br><br>女の子に投資するマネージャーたち<br><br>実は、女の子たちがオーディションへ来るまでにも、別の商売があった。<br><br>フィリピン側のマネージャーたちだ。<br><br>当時、ダンサーやシンガーとして日本へ行くためには、規定のレッスンを受け、ARB（アーティスト・レコード・ブック）というものを取得する必要があった。<br><br>その準備や費用を負担していたのが、現地のマネージャーだった。<br><br>自分の金を使って女の子を育てる。<br><br>そして、オーディションに送り出す。<br><br>しかし、選ばれる保証はない。<br><br>落ちれば、また次のオーディションへ向かう。<br><br>女の子は日本へ行くために必死だった。<br><br>マネージャーは、自分の投じた金が将来の収入につながる可能性に賭けていた。<br><br>日本側は店の条件に合う女の子を探す。<br><br>同じオーディションでも、それぞれに違う事情があった。<br><br>昼はオーディション、夜はカジノと酒と女<br><br>そんなオーディションを終えると、夜は髙橋さんとよく飲みに行った。<br><br>いや、「よく」というより毎日だった。<br><br>カジノ、酒、女。<br><br>とにかくよく遊んだ。<br><br>当時のプロモーターには、そういう人間が多かったと思う。<br><br>フィリピンは、とにかく物価が安かった。<br><br>航空券やホテルは日本側の経費。<br><br>食事も現地プロダクションの接待だったり、会社の経費で払ったりする。<br><br>だから、10万円もあれば結構遊べた。<br><br>飲み代なんて驚くほど安かった。<br><br>カジノもある。<br><br>射撃もできる。<br><br>俺が出会ったフィリピンの人たちは明るくて優しかった。<br><br>金さえあれば、何でもできる。<br><br>当時の俺には、そんな国に見えた。<br><br>一方で、昼間のオーディションに来る女の子たちは、月に15,000円ほどの収入で家族を養っていた。<br><br>俺たち日本人が遊びに使う10万円。<br><br>それは、彼女たちが現地で半年以上働いて得る金額に相当した。<br><br>同じ国でも、持っている金によって、まるで違う世界が存在していた。<br><br>しかし、当時の俺がそのことに特別な使命感を持っていたわけではない。<br><br>仕事は仕事。<br><br>遊びは遊び。<br><br>そう割り切っていた。<br><br>女の子一人に動く金<br><br>では、日本へ来た女の子たちは、実際にいくら稼いでいたのか。<br><br>初めて日本へ来る女の子を「ファーストタイム」と呼んでいた。<br><br>本人の手取りは、月にだいたい8万円。<br><br>2回目になると12万円ほど。<br><br>3回目なら18万円ほどになることもあった。<br><br>もちろん、全員が同じ条件ではない。<br><br>では、なぜ来日回数を重ねると給料が上がるのか。<br><br>日本の店からリクエストが入るからだ。<br><br>「あの子をもう一度呼びたい」<br><br>そういう需要がある女の子は、次の来日で条件が良くなる。<br><br>そして、上がるのは本人の給料だけではない。<br><br>現地のマネージャーやフィリピン側プロダクションの手数料も上がっていく。<br><br>一方、日本の店が女の子一人に対して支払う金額は、月に最低23万円ほど。<br><br>通常は28万円から35万円くらいだった。<br><br>日本側プロダクションの取り分は、一人あたり月10万〜15万円ほどだったと記憶している。<br><br>ただし、そこから会社を運営するための経費もかかる。<br><br>主な経費は事務所の家賃、事務員の給料、髙橋さんと俺の給料、交通費などだった。<br><br>日本側のプロダクションが女の子たちの寮を用意していたわけではない。<br><br>航空券については、先に日本からフィリピンへ代金を送り、現地で往復のチケットを購入していた。<br><br>一人の女の子が日本へやって来る。<br><br>その裏では、いくつもの人間と会社に金が流れていた。<br><br>当時、フィリピンが稼ぐ外貨の4割は、海外で働くタレントたちが稼いでいるという話まで聞いたことがある。<br><br>もちろん、その数字が本当だったのかは分からない。<br><br>ただ、それほど大きな存在として、この商売が語られていた時代だった。<br><br>日本は、とにかく飯が美味かった<br><br>さて、日本へやって来た女の子たちは、半年間をひたすら我慢して働いていたのか。<br><br>そんなことはなかった。<br><br>むしろ、日本での生活を楽しんでいる子が多かった。<br><br>まず、日本はとにかく飯が美味い。<br><br>憧れの寿司や天ぷら。<br><br>そして何といっても、ラーメンと焼肉。<br><br>これは本当にみんな大好きだった。<br><br>お客さんとの同伴もある。<br><br>同伴に行けば、好きなものを食べさせてもらえる。<br><br>フィリピンでの生活と比べれば、明らかに良い暮らしをしている女の子が多かった。<br><br>ところが、ここで一つ問題が起こる。<br><br>とにかく太るのだ。<br><br>日本の飯が美味しいものだから、よく食べる。<br><br>気がつけば、ぷくぷくと太っている。<br><br>そんな女の子も珍しくなかった。<br><br>そして、それを見てよく怒っていたのが髙橋さんだった。<br><br>もちろん、見た目の問題もある。<br><br>何千人もの中から選び、日本の店から求められてやって来た女の子たちだ。<br><br>しかし、それだけではなかった。<br><br>日本での暮らしが良くなったからといって、だらけてしまっては困る。<br><br>髙橋さんには、そういう考えもあった。<br><br>フィリピンでは月に15,000円ほどの金で家族を養っていた女の子が、日本では好きなものを食べ、客に美味しい店へ連れて行ってもらう。<br><br>明らかに生活が変わる。<br><br>そして、その生活に慣れていく。<br><br>そんな女の子たちを、髙橋さんは時々厳しく叱っていた。<br><br>これもまた、当時のプロダクションの日常だった。<br><br>女の子たちは、よく食べ、よく笑い、日本での生活を楽しんでいた。<br><br>ウータンという前借り<br><br>当時、女の子たちはまず3か月働き、一度延長して合計6か月で帰国するのが基本だった。<br><br>その間、渡されるのは食事代だけ。<br><br>給料は帰国するときにまとめて支払う仕組みだった。<br><br>だから、途中でまとまった金が必要になると、前借りの相談が来る。<br><br>これを「ウータン」と呼んでいた。<br><br>「兄弟が殺されたから、葬式のお金が必要だ」<br><br>そんな理由で金を借りに来る子もいた。<br><br>本当だったのかどうか、分からない話もあった。<br><br>金を貸すのは日本の店ではなく、プロダクションだった。<br><br>本人からサインを取り、帰国時の給料から前借り分を差し引いて精算する。<br><br>これも、俺の仕事の一つだった。<br><br>もちろん、問題は前借りだけではない。<br><br>客から金を借りて揉める。<br><br>女の子同士で喧嘩する。<br><br>お客さんと喧嘩になる。<br><br>酔っ払いの処理。<br><br>体調が悪くなれば病院へ連れていく。<br><br>以前にも書いたように、妊娠や、映画『エクソシスト』を思わせるような出来事まであった。<br><br>100人もいれば、何かしら問題が起こる。<br><br>しかし、どんなことが起きても、ほかの店は営業している。<br><br>女の子たちも働いている。<br><br>一つ解決すれば、また別の問題が出てくる。<br><br>それが当時の仕事だった。<br><br>客もオーナーもフィリピンにハマる<br><br>この仕事には、もう一つ独特な世界があった。<br><br>とにかく、フィリピンにハマる人間が多かった。<br><br>お客さんが女の子にハマる。<br><br>それはまだ分かる。<br><br>しかし、店のオーナーまでハマっていく。<br><br>女の子に惚れる人間もいれば、フィリピンという国そのものにどっぷりハマる人間もいた。<br><br>俺が見てきた中で、そうならなかったのは当時のプロダクションの社長くらいだった。<br><br>その社長も、女が嫌いだったわけではない。<br><br>普段は酒と女と麻雀。<br><br>ただ、俺にはこの会社を金のために経営している人に見えた。<br><br>一方、日本の店では、女の子と客が本気で結婚することも珍しくなかった。<br><br>俺が知っていた普通の夜の店より、結婚まで進む話は多かったと思う。<br><br>そんな話になると、髙橋さんに連絡が入る。<br><br>髙橋さんは、そういう相談にも結構親身になっていた。<br><br>日本で働いている間に、こちらと女の子たちとの関係も少しずつ育っていくからだ。<br><br>もちろん、すべてが純粋な恋愛というわけでもない。<br><br>男は本気で惚れている。<br><br>しかし、女の子には家族を養わなければならないという現実がある。<br><br>日本人と結婚すれば、日本で暮らしていく道が開けるかもしれない。<br><br>中には、最初から金を目的に男と付き合っている子もいた。<br><br>一方で、本当に惚れ合って結婚する男女もいた。<br><br>恋愛なのか。<br><br>金なのか。<br><br>生活なのか。<br><br>それが簡単には切り離せない世界だった。<br><br>半年後、彼女たちは帰っていく<br><br>6か月の仕事を終えると、女の子たちは給料をまとめて受け取り、フィリピンへ帰国する。<br><br>前借りがあれば、そこから差し引く。<br><br>そして、また新しい女の子たちが日本へやって来る。<br><br>しかし、帰国すれば全員との関係が終わるわけでもなかった。<br><br>次のリクエストがあると分かっている子。<br><br>また日本へ呼ばれる可能性のある子。<br><br>あるいは、俺の知り合いのお客さんの好みに合いそうな子。<br><br>そういう女の子とは、帰国後も連絡を取っていた。<br><br>ただ、4回目、5回目と何度も日本へ来る子は、それほど多くなかった。<br><br>4回目ともなれば、もう超ベテランという扱いだった。<br><br>何度か日本へ来た後、結婚する子もいた。<br><br>フィリピンで自分の商売を始める子もいた。<br><br>飲食店。<br><br>美容室。<br><br>雑貨屋。<br><br>そういう商売を始める子が多かった。<br><br>日本で稼いだ金を元手に、自分の国で新しい生活を始める。<br><br>彼女たちにとって、日本での半年間は人生の一部分だった。<br><br>しかし、プロダクションの仕事は終わらない。<br><br>誰かが帰れば、また新しい女の子を探す。<br><br>現地でオーディションをする。<br><br>日本へ呼ぶ。<br><br>店に送り、働いてもらう。<br><br>そして、問題が起きれば対応する。<br><br>それを繰り返していた。<br><br>俺がハマったのは、女ではなくフィリピンだった<br><br>俺自身、管理していた女の子たちに恋愛的な興味はまったくなかった。<br><br>彼女たちは仕事で関わる相手だった。<br><br>しかし、不思議なことに、フィリピンという国そのものには、少しずつ興味を持つようになっていた。<br><br>物価の安さ。<br><br>明るくて優しい人々。<br><br>カジノ、酒、射撃。<br><br>金さえあれば、何でもできるように感じられる世界。<br><br>一方で、日本へ行くために必死でオーディションを受ける女の子たち。<br><br>自分の金で彼女たちを育てるマネージャー。<br><br>日本の店で女の子に惚れ込む客。<br><br>商売をしているはずなのに、フィリピンにどっぷりハマってしまうオーナー。<br><br>みんな、それぞれ違う目的で動いていた。<br><br>そして、その真ん中には金があった。<br><br>日本人にとっては、10万円もあれば十分に遊べる国。<br><br>フィリピンの女の子たちにとっては、その10万円を稼ぐことが簡単ではない国。<br><br>同じ金でも、立場が違えば意味がまるで違う。<br><br>一人の女の子が日本へ来ることで、いくつもの人間の生活が動く。<br><br>そんな世界で、俺は約100人の女の子を管理していた。<br><br>同情だけではできない。<br><br>綺麗事だけでもできない。<br><br>だから、仕事は仕事として割り切っていた。<br><br>今振り返れば、ずいぶん特殊な世界だったと思う。<br><br>しかし、当時の俺にとっては、それが普通だった。<br><br>100人の女を預かるという商売。<br><br>それは、100人の人生の一部分に関わる仕事だった。<br><br>そして俺自身も、知らず知らずのうちに、フィリピンという国の魅力に引き込まれ始めていた。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n5902371048fe'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 15 Oct 2026 12:40:22 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n5902371048fe</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n5902371048fe</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編最終話から本編第2章4話へ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/319688651/rectangle_large_type_2_ea096bfc1fff3dd8c357acdcac1e9e45.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="FFBD1311-DA90-40F9-9A91-8766EE527D80" id="FFBD1311-DA90-40F9-9A91-8766EE527D80">番外編①〜⑧では、俺の親父のことをかなり深く書きました。<br><br>若い頃の俺に大きな影響を与えた人。<br>そして、俺とフィリピンとの縁も、実は親父から始まっています。<br><br>今回の第2章では、その親父が関わっていた世界と、俺自身が後に入っていったフィリピンタレントの仕事が、少しずつつながってきます。<br><br>「なぜ俺がこの世界にいたのか」<br><br>その背景を知りたい人は、ぜひ番外編①〜⑧も読んでみてください。<br><br>今の俺だけを見ても、分からない。<br>ここに来るまでには、親父から始まった長い流れがありました。<br><br>本編・第2章 第4話へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n45d83f1fc9da'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 01 Oct 2026 21:55:40 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n45d83f1fc9da</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n45d83f1fc9da</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章 第3話｜フィリピンから届いた実弾。早朝、銃器対策課が来た</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/319522318/rectangle_large_type_2_1458e2c709b36eb2cee8405ffd8f7dea.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="7B0E0E9D-EDD9-4396-BE2B-0B7AD61C36E3" id="7B0E0E9D-EDD9-4396-BE2B-0B7AD61C36E3">「大阪や！」<br><br>店に着いた俺に向かって、<br><br>いきなりそう言われた。<br><br>その一言で、<br><br>普通の刑事じゃないことは分かった。<br><br>当時の俺の感覚では、<br><br>「大阪や！」<br><br>というのは、<br><br>組織対策や銃器を扱うような刑事たちが使う、独特の名乗りだった。<br><br>暴力団相手なんかにも、<br><br>こういう入り方をする。<br><br>相手に一発で、<br><br>「普通の刑事とちゃうぞ」<br><br>と分からせるような言葉だった。<br><br>⸻<br><br>その日の朝、<br><br>髙橋さんから連絡が入った。<br><br>「すぐ店に行ってくれ」<br><br>詳しい説明はなかった。<br><br>俺は急いで、<br><br>舞鶴にあるフィリピン人タレントが働いていた店へ向かった。<br><br>着いてみると、<br><br>車が2台。<br><br>その周りには、<br><br>多数の刑事がいた。<br><br>一人や二人じゃない。<br><br>明らかに、<br><br>ただ事ではなかった。<br><br>そして俺を見るなり、<br><br>第一声が、<br><br>「大阪や！」<br><br>だった。<br><br>何があったのか。<br><br>原因は、<br><br>店で働く一人のフィリピン人タレント宛てに届いた荷物だった。<br><br>フィリピンから送られてきたもの。<br><br>その中に入っていたのは、<br><br>実弾が一発。<br><br>拳銃じゃない。<br><br>何十発もの弾でもない。<br><br>たった一発だった。<br><br>でも、<br><br>実弾は実弾だった。<br><br>⸻<br><br>その女の子は、<br><br>フィリピンのミンダナオ島出身だった。<br><br>送ってきたのは、<br><br>彼女の母親。<br><br>なぜ、<br><br>母親が娘に実弾なんか送るのか。<br><br>本人は、<br><br>こう説明した。<br><br>離れて暮らす娘を守るための、<br><br>お守りのようなもの。<br><br>俺たちからすれば、<br><br>「実弾がお守り？」<br><br>という感覚だった。<br><br>でも、<br><br>その子は本気でそう話していた。<br><br>少なくとも、<br><br>誰かを傷つけるために送られたものではない。<br><br>彼女の説明では、<br><br>母親が娘を守る気持ちで送ったものだった。<br><br>⸻<br><br>刑事たちは、<br><br>店の中を調べた。<br><br>寮も調べた。<br><br>そして、<br><br>簡単な聞き取りが始まった。<br><br>俺も刑事に、<br><br>女の子から聞いた話をそのまま伝えた。<br><br>「母親がお守りの意味で送ってきたらしいです」<br><br>俺はさらに、<br><br>「一発だけなら、本当にその話なんじゃないですか」<br><br>そんなことを言った。<br><br>すると刑事が言った。<br><br>「一発あれば、人は殺められる」<br><br>そして、<br><br>「目的は一発で達成できる」<br><br>と。<br><br>俺は少し黙った。<br><br>確かにそうだった。<br><br>俺たちからすれば、<br><br>「たった一発」。<br><br>彼女からすれば、<br><br>「母親からのお守り」。<br><br>でも、<br><br>銃器を扱う刑事から見れば、<br><br>一発あれば十分。<br><br>見る立場が違えば、<br><br>同じ一発の弾でも、<br><br>意味はまるで違った。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>話はそこで終わらなかった。<br><br>女の子は、<br><br>逮捕された。<br><br>そのまま大阪へ連れて行かれた。<br><br>俺の記憶では、<br><br>南港にある銃器対策課の施設だった。<br><br>そこから、<br><br>一週間ほど留置された。<br><br>俺と髙橋さんは、<br><br>その間、<br><br>何度か大阪まで通った。<br><br>彼女には、<br><br>通訳も付いた。<br><br>初めて来た日本。<br><br>言葉も十分には分からない。<br><br>そんな中で突然逮捕され、<br><br>知らない場所に留置される。<br><br>相当怖かったと思う。<br><br>⸻<br><br>警察と、<br><br>女の子と、<br><br>俺たち。<br><br>話には、<br><br>かなり時間がかかった。<br><br>彼女は、<br><br>何度話しても首を横に振った。<br><br>そして、<br><br>泣いていた。<br><br>理由は単純だった。<br><br>彼女は、実弾が送られてくることを事前には知らなかった。<br><br>母親から荷物が届く。<br><br>それは分かっていたかもしれない。<br><br>でも、<br><br>その中に実弾が入っていることは、<br><br>届くまで知らなかった。<br><br>だから、<br><br>「知っていました」<br><br>とは言えない。<br><br>当然だったと思う。<br><br>⸻<br><br>俺の記憶では、<br><br>その途中で刑事から、<br><br>こんな趣旨の話をされた。<br><br>実弾が送られてくることを、<br><br>本人が事前に知っていたという形にした方が、<br><br>話が進みやすい。<br><br>その内容で調書を取れるよう、<br><br>本人にも説明してほしい。<br><br>そんな話だった。<br><br>でも彼女は、<br><br>首を横に振る。<br><br>知らなかったものは、<br><br>知らなかった。<br><br>彼女からすれば、<br><br>なぜ自分の記憶とは違うことを、<br><br>「そうだった」<br><br>と言わなければならないのか。<br><br>分からなかったと思う。<br><br>⸻<br><br>警察という世界も、<br><br>独特だと思う。<br><br>俺は若い頃から、<br><br>警察に関わることが何度かあった。<br><br>そこで感じていたことがある。<br><br>警察は、<br><br>起きた出来事を一つずつ調べ、<br><br>一つの事件として組み立てていく。<br><br>もちろん、<br><br>それが捜査なんだと思う。<br><br>でも時には、<br><br>俺には、<br><br>先に一つのストーリーがあって、<br><br>そこに事実を当てはめていくように見えることもあった。<br><br>今回も、<br><br>俺には少しそう見えた。<br><br>これは、<br><br>あくまで俺がその場で感じたことだ。<br><br>⸻<br><br>当時、<br><br>フィリピン人タレントを扱う仕事に対して、<br><br>警察が警戒する背景があったことも分かっていた。<br><br>全部の会社が悪かったわけじゃない。<br><br>全部の店が悪かったわけでもない。<br><br>でも、<br><br>この仕組みを利用して悪いことをする人間もいた。<br><br>売春。<br><br>不法就労。<br><br>結婚詐欺。<br><br>偽装結婚。<br><br>暴力団の資金源。<br><br>そういう事件があった。<br><br>フィリピン人タレント。<br><br>プロモーター。<br><br>夜の店。<br><br>そんな言葉が並ぶだけで、<br><br>当時はどうしても、<br><br>悪い印象が付きまとっていた。<br><br>警察からすれば、<br><br>「本当にタレントを入れているだけなのか」<br><br>「裏に別の商売があるんじゃないか」<br><br>そう疑う背景はあったんだと思う。<br><br>そこへ、<br><br>フィリピンから実弾が一発届いた。<br><br>「こいつら、<br><br>裏の世界ともつながっているんじゃないか」<br><br>そんなところまで疑われたとしても、<br><br>俺には不思議ではなかった。<br><br>⸻<br><br>実弾が見つかり、<br><br>店や寮を調べる。<br><br>そのためには、<br><br>裁判所の令状も必要になる。<br><br>これは俺の推測だけど、<br><br>最初は、<br><br>俺たちの会社の後ろに何かある。<br><br>ブローカーがいる。<br><br>裏社会とのつながりがある。<br><br>そんな可能性も含めて、<br><br>かなり早い段階で捜査が進んだんじゃないかと思う。<br><br>でも、<br><br>実際に調べてみれば、<br><br>何も出てこない。<br><br>銃もない。<br><br>怪しい組織もない。<br><br>俺たちが裏で何かをやっていたわけでもない。<br><br>残ったのは、<br><br>母親から娘へ送られた、<br><br>一発の実弾。<br><br>しかも、<br><br>その女の子は、<br><br>それが送られてくることを事前には知らなかった。<br><br>そうなると、<br><br>刑事たちも少し困っていたんじゃないか。<br><br>俺には、<br><br>そう見えた。<br><br>⸻<br><br>ただ、<br><br>俺にとって、<br><br>フィリピンタレントの仕事は、<br><br>最初から怪しい世界ではなかった。<br><br>俺は、<br><br>子供の頃からこの仕事を知っていた。<br><br>なぜなら、<br><br>俺の親父が、<br><br>日本にフィリピンタレントを連れてきた初期の人間の一人だったからだ。<br><br>親父は、<br><br>フィリピンが好きだった。<br><br>女も好きだった。<br><br>そこから、<br><br>この商売を思いついたんだと思う。<br><br>でも親父は、<br><br>この仕事を最初から怪しい商売としてやっていたわけではない。<br><br>少なくとも、<br><br>俺が見てきた親父は違った。<br><br>フィリピンから女の子を呼ぶ。<br><br>日本の店で働いてもらう。<br><br>契約を守る。<br><br>そして、<br><br>帰国させる。<br><br>それを一つの商売として、<br><br>真面目に作っていた。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>フィリピンの女の子たちから、<br><br>「マスター」<br><br>とは呼ばれていなかった。<br><br>パパイイオ。<br><br>そう呼ばれていた。<br><br>当時、<br><br>日本でもフィリピンでも、<br><br>この世界ではかなり知られた存在だった。<br><br>俺は、<br><br>そのパパイイオの息子だった。<br><br>そして、<br><br>今回逮捕された女の子が働いていた店のオーナーは、<br><br>パパイイオの娘。<br><br>俺の異母姉だった。<br><br>髙橋さんも、<br><br>フィリピンの女の子たちから、<br><br>「クヤ・タカシ」<br><br>と呼ばれていた。<br><br>「クヤ」は、<br><br>お兄さんというような意味だ。<br><br>髙橋さんは、<br><br>女の子たちから人気があった。<br><br>⸻<br><br>警察と話をするたび、<br><br>彼女は首を横に振って、<br><br>泣いていた。<br><br>でも、<br><br>俺たちは何度も会いに行った。<br><br>俺が、<br><br>パパイイオの息子だということも、<br><br>彼女は周りから聞いていたと思う。<br><br>クヤ・タカシもいる。<br><br>知らない日本人の刑事ばかりに囲まれている中で、<br><br>俺たちの存在が、<br><br>少しは安心材料になったのかもしれない。<br><br>本当のところは、<br><br>彼女にしか分からない。<br><br>でも、<br><br>話し合いを重ねる中で、<br><br>程なく彼女は、<br><br>刑事から示されていた話の形を受け入れることになった。<br><br>俺たちも、<br><br>この話を早く終わらせたい。<br><br>彼女も、<br><br>早くここから出たい。<br><br>怖さもあっただろう。<br><br>安心したい気持ちもあっただろう。<br><br>いろんなものが、<br><br>全部混ざっていたんだと思う。<br><br>ただ、<br><br>俺は今でも覚えている。<br><br>彼女が最初から言っていたことは、<br><br>一つだった。<br><br>「届くまで知らなかった」<br><br>それだった。<br><br>⸻<br><br>こういう世界は、<br><br>フィリピンだけにあるわけじゃない。<br><br>どんな業界にも、<br><br>その中で生きている人間にしか分からない世界がある。<br><br>暗黙の了解。<br><br>独特のルール。<br><br>独特の常識。<br><br>外から見れば、<br><br>「なんでそんなことが普通なんや」<br><br>と思うことでも、<br><br>その中では日常だったりする。<br><br>俺がいたのは、<br><br>かなりニッチな世界だった。<br><br>フィリピンタレント。<br><br>プロモーター。<br><br>夜の店。<br><br>現地のプロダクション。<br><br>店のオーナー。<br><br>警察。<br><br>入管。<br><br>日本とフィリピン。<br><br>いろんな人間が、<br><br>それぞれの常識で動いていた。<br><br>外から見れば、<br><br>異常に見えることもある。<br><br>でも、<br><br>その場所にいた俺にとっては、<br><br>こういうことも、<br><br>仕事の中で起きる日常の一つだった。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>考えてみれば、<br><br>これも飲食店の商売を動かす、<br><br>一つの歯車だった。<br><br>今の飲食業とは、<br><br>まったく違う。<br><br>でも、<br><br>タレントを呼ぶ。<br><br>店に入れる。<br><br>客が来る。<br><br>酒が出る。<br><br>料理が出る。<br><br>店が回る。<br><br>その中の一つを、<br><br>俺たちは担っていた。<br><br>だから俺にとって、<br><br>フィリピンタレントのプロモーターという仕事も、<br><br>飲食とまったく別の世界ではなかった。<br><br>形は特殊だった。<br><br>時代も違った。<br><br>でも実際には、<br><br>飲食店に絡む商売の一つだった。<br><br>今の俺が、<br><br>上海でラーメンを作っている姿だけを見れば、<br><br>ずいぶん遠いところから来たように見えるかもしれない。<br><br>でも振り返れば、<br><br>昔からずっと、<br><br>人が集まる店と、<br><br>その店をどう回すかという世界の中にいた。<br><br>ただ、<br><br>その頃の俺がいた場所は、<br><br>今とは比べものにならないくらい、<br><br>狭くて、<br><br>ニッチで、<br><br>独特な世界だった。<br><br>そして、<br><br>そんな世界も、<br><br>いつまでも同じではなかった。<br><br>フィリピンタレントを取り巻く環境は、<br><br>少しずつ変わり始めていた。<br><br>今まで普通にできていたことが、<br><br>一つ、<br><br>また一つと、<br><br>できなくなっていく。<br><br>そして俺たちの仕事そのものも、<br><br>やがて、<br><br>大きな転換点を迎えることになる。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n3ee6305d68dd'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 01 Oct 2026 14:22:06 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n3ee6305d68dd</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n3ee6305d68dd</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編⑧【最終回】｜ずっと、変な親父だと思っていた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/319505139/rectangle_large_type_2_b74e0714c6c930a733bc3b54ba007f3e.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="A21721D9-C094-43FE-BE78-F79B93E0A4F9" id="A21721D9-C094-43FE-BE78-F79B93E0A4F9">無茶苦茶で、理解できなくて。それでも最後に、初めて「お父さん」と呼んだ。<br><br>俺はずっと、<br><br>親父のことを、変な人だと思っていた。<br><br>普通の親父とは、<br><br>かなり違っていた。<br><br>この番外編を書きながら、<br><br>昔のことを一つずつ思い出してみても、<br><br>やっぱり、<br><br>変な人だったと思う。<br><br>⸻<br><br>18歳で初めて、<br><br>親父のいるフィリピンへ行った。<br><br>そこで俺は、<br><br>日本にいる時には知らなかった、<br><br>親父の別の世界を見た。<br><br>銃口を向けられたこともあった。<br><br>翌日には、<br><br>「女を選べ」<br><br>なんて言われた。<br><br>何やねん、この世界は。<br><br>そんなことばかりだった。<br><br>⸻<br><br>もっと昔。<br><br>俺がまだ赤ん坊だった頃には、<br><br>俺本人は日本にいるのに、<br><br>俺のパスポートだけが台湾へ渡っていた。<br><br>そして、<br><br>俺より一週間早く生まれた腹違いの兄が、<br><br>そのパスポートで日本へ来た。<br><br>大人になってから聞いた話だけど、<br><br>普通に考えれば、<br><br>これも相当おかしい。<br><br>⸻<br><br>俺が高校へ進もうとしていた頃には、<br><br>親父から連絡があった。<br><br>普通の親なら、<br><br>「勉強しろ」<br><br>「ちゃんと卒業しろ」<br><br>そんなことを言うのかもしれない。<br><br>親父は違った。<br><br>「18歳になって、月の手取りが100万円なかったら、息子を辞めてもらう。」<br><br>高校へ行こうとしている息子に、<br><br>何を言っとるんや。<br><br>当時の俺には、<br><br>そんな感じだった。<br><br>⸻<br><br>俺が焼鳥屋をやろうと考えた時には、<br><br>親父は、<br><br>約100本の焼鳥をわざわざ用意した。<br><br>一本一本、<br><br>丁寧に仕事された焼鳥。<br><br>大きなオードブルのような器2個に、<br><br>きれいに盛られていた。<br><br>親父は、<br><br>それを俺に見せて言った。<br><br>「これでたったの1万円やぞ。」<br><br>材料代。<br><br>人件費。<br><br>家賃。<br><br>いろんな経費。<br><br>全部引いたら、<br><br>最後にいくら残る。<br><br>売上じゃない。<br><br>最後に残る金を見ろ。<br><br>十代の俺に、<br><br>そんなことを教えていた。<br><br>⸻<br><br>ある時は、<br><br>手のひらを広げた。<br><br>親指から小指まで、<br><br>約20センチ。<br><br>親父の身長は、<br><br>165センチくらいだった。<br><br>そこに20センチを足せば、<br><br>185センチ。<br><br>並んで立てば、<br><br>まるで違って見える。<br><br>でも、<br><br>実際の差を目の前に出せば、<br><br>手のひら一つ分。<br><br>たった20センチ。<br><br>若い頃の俺には、<br><br>その意味を全部理解できていなかった。<br><br>でも、<br><br>今なら少し分かる気がする。<br><br>とんでもなく遠くに見える人間との差も、<br><br>最初から諦めるほど、<br><br>遠いものではないのかもしれない。<br><br>⸻<br><br>親友が結婚する時、<br><br>祝儀を出す金がなくて、<br><br>親父に相談したこともある。<br><br>俺は、<br><br>金を貸してくれると思っていた。<br><br>でも、<br><br>親父が教えたのは、<br><br>金の借り方じゃなかった。<br><br>今は十分な祝いをしてやれない。<br><br>だったら、<br><br>正直にそう言えばいい。<br><br>いつか、<br><br>今日できなかった何倍もの祝いができる男になる。<br><br>それまで待ってくれ。<br><br>そう言えばいい。<br><br>それで離れていくなら、<br><br>そこまでの関係。<br><br>それでも付き合っていけるのが、<br><br>親友なんや。<br><br>そんな考え方だった。<br><br>⸻<br><br>やっぱり、<br><br>変な人だった。<br><br>言っていることが、<br><br>全部正しいのかどうかなんて、<br><br>若い俺には分からない。<br><br>無茶苦茶やな、<br><br>と思うことも多かった。<br><br>ただ、<br><br>不思議なくらい、<br><br>親父の言葉は残った。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>その親父が癌になった。<br><br>金沢の病院に入院した。<br><br>ある夜中、<br><br>突然連絡が来た。<br><br>関西空港まで行って、<br><br>指定した土産物屋で、<br><br>置物を買ってこいと言う。<br><br>俺は、<br><br>約2時間半かけて関西空港まで行った。<br><br>ところが、<br><br>店はもう閉店していた。<br><br>親父に連絡すると、<br><br>今度は、<br><br>「花を8個用意してくれ。」<br><br>と言われた。<br><br>俺は関西空港から、<br><br>親父が入院している病院近くの花屋を調べて、<br><br>電話した。<br><br>そして、<br><br>そこからさらに約3時間かけて金沢へ向かった。<br><br>用意してもらったのは、<br><br>同じものを8個じゃない。<br><br>全部違う8つのアレンジメント。<br><br>この頃はまだ、<br><br>親父の目は見えていた。<br><br>病室へ花を運ぶと、<br><br>一つずつ確認した。<br><br>気になるところは、<br><br>自分で少し手直しした。<br><br>8つ全部。<br><br>そして最後に言った。<br><br>「ナースステーションに持って行け。」<br><br>自分のためじゃなかった。<br><br>毎日、<br><br>自分の世話をしてくれている、<br><br>看護婦さんたちへの花だった。<br><br>⸻<br><br>それから、<br><br>病気はさらに進んだ。<br><br>親父は、<br><br>目が見えなくなった。<br><br>そんな時、<br><br>また連絡が来た。<br><br>「寿司のええやつ、買ってきてくれ。」<br><br>俺は舞鶴から、<br><br>3時間以上かけて金沢へ行った。<br><br>金沢で、<br><br>ええ寿司を買った。<br><br>当然、<br><br>親父が食べるんだと思っていた。<br><br>でも、<br><br>親父は一口も食べなかった。<br><br>その寿司は、<br><br>ずっとそばで看病していた、<br><br>ラニーのためだった。<br><br>親父にはもう、<br><br>ラニーが寿司を食べる姿も見えない。<br><br>だから俺に聞く。<br><br>ちゃんと食べているか。<br><br>美味しそうに食べているか。<br><br>俺がそうだと答えると、<br><br>親父は言った。<br><br>「そうか、良かった。」<br><br>そして、<br><br>「ラニーは寿司が好きなんや。」<br><br>⸻<br><br>本当に、<br><br>変な人だった。<br><br>「人に感謝しろ」<br><br>なんて説教はしない。<br><br>「恩を忘れるな」<br><br>なんて長々と話す人でもない。<br><br>でも、<br><br>看護婦さんたちには、<br><br>8つの花を用意する。<br><br>ラニーには、<br><br>自分が一口も食べない寿司を買わせる。<br><br>俺を何時間も走らせて。<br><br>そして最後は、<br><br>いつものように、<br><br>「もう帰れ。」<br><br>「仕事しろ。」<br><br>ありがとうでもない。<br><br>ご苦労さんでもない。<br><br>仕事しろ。<br><br>最後まで、<br><br>そういう親父だった。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>親父に残された時間が、<br><br>本当に少なくなった。<br><br>俺は、<br><br>金沢の病院にいた。<br><br>親父はもう、<br><br>目が見えない。<br><br>身体も、<br><br>かなり弱っていた。<br><br>そんな親父が、<br><br>俺に話し始めた。<br><br>最初に言ったのは、<br><br>こんな言葉だった。<br><br>「君のお母さんは、君にサラリーマンになってほしいと願ってると思う。」<br><br>親父は、<br><br>母親が俺に、<br><br>安定した人生を歩んでほしいと思っていることも、<br><br>分かっていたんだと思う。<br><br>そのうえで、<br><br>親父は続けた。<br><br>「商売はよいぞ！」<br><br>「楽しい！」<br><br>「ものすごく魅力がある！」<br><br>そして、<br><br>俺に商売の道へ行ってほしい、<br><br>という話をした。<br><br>⸻<br><br>最後の最後まで、<br><br>商売だった。<br><br>高校へ進もうとした時も、<br><br>商売。<br><br>100本の焼鳥も、<br><br>商売。<br><br>手のひら20センチの話も、<br><br>結局は、<br><br>自分で前へ出ろという話だった。<br><br>そして、<br><br>死ぬ間際になっても、<br><br>やっぱり商売。<br><br>俺は、<br><br>親父の話を聞いて答えた。<br><br>「はい、分かりました。」<br><br>そして、<br><br>続けた。<br><br>「お父さん。」<br><br>⸻<br><br>俺はそれまで、<br><br>親父を、<br><br>「お父さん」<br><br>と呼んだ記憶がない。<br><br>ずっと、<br><br>親父だった。<br><br>周りの人間からは、<br><br>マスターと呼ばれていた。<br><br>俺自身も、<br><br>「お父さん」<br><br>なんて呼ぶことはなかった。<br><br>なぜなのかは、<br><br>今となっては分からない。<br><br>照れ臭かったのかもしれない。<br><br>何か距離があったのかもしれない。<br><br>でも、<br><br>その時、<br><br>初めて言った。<br><br>「はい、分かりました。お父さん。」<br><br>俺が親父を、<br><br>「お父さん」<br><br>と呼んだのは、<br><br>あれが最初で最後だった。<br><br>⸻<br><br>その直後だった。<br><br>心電図の音が変わった。<br><br>病室の空気が、<br><br>一気に変わった。<br><br>ラニーが泣き出した。<br><br>看護婦さんたちが、<br><br>次々と病室へ入ってきた。<br><br>5人、<br><br>6人くらいだったと思う。<br><br>そして、<br><br>医者も入ってきた。<br><br>俺は、<br><br>そこにいることしかできなかった。<br><br>そして、<br><br>親父は亡くなった。<br><br>⸻<br><br>今でも、<br><br>強烈に覚えている光景がある。<br><br>看護婦さんたちだ。<br><br>泣いていた、<br><br>という程度じゃない。<br><br>号泣していた。<br><br>何人もの看護婦さんが、<br><br>親父のベッドの周りで、<br><br>声を上げて泣いていた。<br><br>あの、<br><br>8つの花を渡した人たちだ。<br><br>親父は、<br><br>患者だった。<br><br>世話をしてもらう側だった。<br><br>でも、<br><br>ただ世話をされていただけの患者では、<br><br>なかったんだと思う。<br><br>あの病院でも、<br><br>親父なりに、<br><br>人と付き合っていた。<br><br>⸻<br><br>親父と信頼関係のあった医者から、<br><br>あとで話を聞いた。<br><br>親父は、<br><br>最初から最後まで、<br><br>鎮痛剤を拒んでいたという。<br><br>癌は、<br><br>かなりひどい状態まで進んでいた。<br><br>普通では想像できないような、<br><br>かなりの苦痛だったはずだと、<br><br>医者は言った。<br><br>そして、<br><br>「今、やっと楽になったんです。」<br><br>そう言った。<br><br>最後に、<br><br>親父のことを、<br><br>こう言った。<br><br>「本当に強い人です。」<br><br>⸻<br><br>俺には、<br><br>親父がどれほど痛かったのか、<br><br>本当のところは分からない。<br><br>本人にしか、<br><br>分からない。<br><br>ただ、<br><br>あれだけの状態で、<br><br>最後に俺へ話したことが、<br><br>自分の痛みでも、<br><br>死ぬ怖さでもなく、<br><br>商売の話だった。<br><br>やっぱり、<br><br>変な人だった。<br><br>⸻<br><br>でも、<br><br>ここからは、<br><br>綺麗な話だけじゃない。<br><br>親父が亡くなった時、<br><br>俺は悲しかった。<br><br>でも、<br><br>正直に言えば、<br><br>少しホッとした。<br><br>⸻<br><br>親父の世話をしていたのは、<br><br>一人じゃない。<br><br>ラニーもいた。<br><br>病院の人たちもいた。<br><br>周りの人たちもいた。<br><br>みんなで、<br><br>親父を支えていた。<br><br>俺も、<br><br>舞鶴と金沢を行き来した。<br><br>関空まで走ったこともある。<br><br>花を用意した。<br><br>寿司を買いに行った。<br><br>親父から連絡が来れば、<br><br>動いた。<br><br>嫌だったわけじゃない。<br><br>でも、<br><br>みんな、<br><br>少しずつ疲れていたんだと思う。<br><br>俺も、<br><br>少し疲れていた。<br><br>⸻<br><br>それに、<br><br>親父の考え方は、<br><br>最後まで独特だった。<br><br>分かることもある。<br><br>分からないこともある。<br><br>すごいと思うこともあれば、<br><br>そこまでせんでもええやろ、<br><br>と思うこともあった。<br><br>俺自身、<br><br>親父の考え方の前で、<br><br>戸惑っていた。<br><br>だから、<br><br>親父が亡くなった時、<br><br>悲しいのと同時に、<br><br>「終わったんやな。」<br><br>という感覚もあった。<br><br>少し、<br><br>肩の力が抜けた。<br><br>それを、<br><br>今になって、<br><br>綺麗に隠すつもりはない。<br><br>⸻<br><br>親父が亡くなったあと、<br><br>俺は舞鶴へ帰った。<br><br>その途中、<br><br>母親とラーメンを食べた。<br><br>何を話したのか、<br><br>細かくは覚えていない。<br><br>ただ、<br><br>二人でラーメンを食べた。<br><br>それだけだった。<br><br>でも、<br><br>今になって振り返ると、<br><br>あの一杯は、<br><br>ただのラーメンじゃなかった気がする。<br><br>俺にとって、一つの終わりの儀式だった。<br><br>長く続いていた何かが、<br><br>そこで終わった。<br><br>親父が亡くなって、<br><br>舞鶴へ帰る途中。<br><br>母親と二人で、<br><br>ラーメンを食べた。<br><br>湯気の向こうで、<br><br>ようやく、<br><br>少し現実に戻ったような気がした。<br><br>⸻<br><br>俺は長い間、<br><br>親父を、<br><br>変な人だと思っていた。<br><br>今でも、<br><br>変な人だったと思う。<br><br>全部を美談にするつもりもない。<br><br>親父のやり方が、<br><br>何もかも正しかったとも思わない。<br><br>俺なら、<br><br>違うやり方をすることもある。<br><br>理解できなかったこともある。<br><br>戸惑ったこともある。<br><br>疲れたこともある。<br><br>そして、<br><br>亡くなった時、<br><br>正直、<br><br>ホッとした部分もあった。<br><br>それも全部、<br><br>俺と親父の関係だったんだと思う。<br><br>⸻<br><br>でも、<br><br>50歳を過ぎて、<br><br>自分もずっと商売をして、<br><br>失敗して、<br><br>金をなくして、<br><br>また立ち上がって、<br><br>日本を離れて、<br><br>今も中国で商売をしている。<br><br>そんな今だから、<br><br>分かることもある。<br><br>親父は、<br><br>俺に大きな財産を残したわけじゃない。<br><br>でも、<br><br>俺の中には、<br><br>思っていた以上に、<br><br>親父が残っていた。<br><br>売上ではなく、<br><br>最後に何が残るのかを見ること。<br><br>大きな差に見えても、<br><br>最初から諦めないこと。<br><br>金がない時こそ、<br><br>人との付き合い方を見ること。<br><br>世話になった人を、<br><br>忘れないこと。<br><br>言葉だけじゃなく、<br><br>行動で返すこと。<br><br>そして、<br><br>自分の力で生きていくこと。<br><br>⸻<br><br>親父。<br><br>やっぱり、<br><br>あんたは変な人やった。<br><br>今でも、<br><br>そう思う。<br><br>でも、<br><br>昔とは、<br><br>少し意味が違う。<br><br>あの頃は、<br><br>理解できないから、<br><br>変な人だと思っていた。<br><br>今は、<br><br>少しだけ分かるようになった。<br><br>それでも、<br><br>やっぱり変な人だったと思う。<br><br>⸻<br><br>最後に、<br><br>俺はあなたを初めて、<br><br>「お父さん」<br><br>と呼んだ。<br><br>そして、<br><br>舞鶴へ帰る途中、<br><br>母親とラーメンを食べた。<br><br>あの一杯で、<br><br>俺の中の何かも、<br><br>一つ終わったんだと思う。<br><br>でも、<br><br>親父が俺に残したものは、<br><br>そこで終わらなかった。<br><br>あの日、<br><br>親父は俺に言った。<br><br>「商売はよいぞ。」<br><br>「楽しい。」<br><br>「ものすごく魅力がある。」<br><br>そして、<br><br>俺に商売の道へ行ってほしいと言った。<br><br>あれから、<br><br>ずいぶん時間が経った。<br><br>いろいろあった。<br><br>失敗もした。<br><br>金もなくした。<br><br>遠回りもした。<br><br>また、<br><br>やり直した。<br><br>それでも――<br><br>親父。<br><br>俺、今も商売やってます。<br><br>――親父マスター編　完</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n2bbe0334c2f7'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 01 Oct 2026 13:13:05 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n2bbe0334c2f7</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n2bbe0334c2f7</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編⑦｜3時間かけて買いに行った寿司を、親父は一口も食べなかった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/319489411/rectangle_large_type_2_5cf181b4e352843035fd91ec12627098.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="EE859DB7-208B-4683-AFB2-BEFC47CEAF76" id="EE859DB7-208B-4683-AFB2-BEFC47CEAF76">目が見えなくなった親父が欲しかった「ええ寿司」。でも、それは自分のためじゃなかった。<br><br>⑥で書いた、<br><br>8つの花の話から、<br><br>少し時間が経った頃。<br><br>親父の癌は、<br><br>さらに進んでいた。<br><br>花を一つずつ自分の目で確認していた頃とは違う。<br><br>この頃には、<br><br>親父はもう目が見えなくなっていた。<br><br>⸻<br><br>そんなある日、<br><br>親父から連絡があった。<br><br>そして言われた。<br><br>「寿司のええやつ、買ってきてくれ。」<br><br>寿司。<br><br>しかも、<br><br>ええやつ。<br><br>俺は当然、<br><br>親父が食べたいんだと思った。<br><br>癌で入院している。<br><br>目も見えなくなった。<br><br>食べたいものがあるなら、<br><br>少しでも良いものを食べさせてやりたい。<br><br>そう思った。<br><br>⸻<br><br>俺は舞鶴から、<br><br>親父のいる金沢へ向かった。<br><br>3時間以上かけて。<br><br>目的は、<br><br>寿司。<br><br>それだけだった。<br><br>今考えれば、<br><br>寿司を買うためだけに、<br><br>3時間以上かけて金沢へ行っている。<br><br>でも、<br><br>その時は別に不思議とも思わなかった。<br><br>親父が、<br><br>「買ってきてくれ」<br><br>と言った。<br><br>だから行く。<br><br>昔から、<br><br>そんな感じだった。<br><br>⸻<br><br>金沢に着いてから、<br><br>寿司を買った。<br><br>親父に言われた通り、<br><br>できるだけ、<br><br>ええ寿司。<br><br>それを持って、<br><br>病院へ向かった。<br><br>俺は、<br><br>親父が喜んで食べるものだと思っていた。<br><br>病室に着いて、<br><br>寿司を出した。<br><br>ところが、<br><br>親父は食べなかった。<br><br>一口も。<br><br>⸻<br><br>親父が、<br><br>その寿司を食べさせたかった相手は、<br><br>ラニーだった。<br><br>俺はそこで初めて分かった。<br><br>寿司は、<br><br>親父のために買わせたものじゃなかった。<br><br>ラニーのためだった。<br><br>⸻<br><br>ラニーは、<br><br>親父が病気になってからも、<br><br>ずっとそばにいた。<br><br>身の回りのことをして、<br><br>看病して、<br><br>親父を支えていた。<br><br>目が見えなくなって、<br><br>自分一人ではできないことが増えていく。<br><br>そんな親父のそばに、<br><br>ラニーはいた。<br><br>親父は、<br><br>それをちゃんと分かっていたんだと思う。<br><br>⸻<br><br>ラニーが、<br><br>寿司を食べ始めた。<br><br>でも、<br><br>親父には、<br><br>その姿が見えない。<br><br>もう、<br><br>目が見えないからだ。<br><br>だから、<br><br>俺に聞いた。<br><br>ラニーが、<br><br>ちゃんと食べているか。<br><br>美味しそうに食べているか。<br><br>俺は、<br><br>ラニーの方を見ながら答えた。<br><br>ちゃんと食べている。<br><br>美味しそうに食べている。<br><br>それを聞いた親父が言った。<br><br>「そうか、良かった。」<br><br>そして、<br><br>こう言った。<br><br>「ラニーは寿司が好きなんや。」<br><br>⸻<br><br>俺はその時、<br><br>何とも言えない気持ちになった。<br><br>舞鶴から、<br><br>3時間以上かけて金沢へ来た。<br><br>金沢で、<br><br>できるだけ良い寿司を買った。<br><br>当然、<br><br>親父が食べるものだと思っていた。<br><br>でも、<br><br>親父は一口も食べない。<br><br>自分では、<br><br>その寿司を見ることすらできない。<br><br>それでも、<br><br>ラニーが美味しそうに食べていると聞いて、<br><br>「そうか、良かった。」<br><br>それで満足していた。<br><br>⸻<br><br>前回の、<br><br>8つの花もそうだった。<br><br>親父は、<br><br>病院で世話になっている看護婦さんたちのために、<br><br>8つ全部違う花を用意した。<br><br>病室に並べて、<br><br>一つずつ確認して、<br><br>気になるところは、<br><br>自分で少し手直しした。<br><br>そして、<br><br>ナースステーションへ持って行かせた。<br><br>今度は、<br><br>ラニーに寿司。<br><br>どちらも、<br><br>親父自身のためではなかった。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>「世話になった人には感謝しろ」<br><br>なんて、<br><br>俺に何度も言う人ではなかった。<br><br>人には優しくしろ。<br><br>恩を忘れるな。<br><br>そんな話を、<br><br>長々と聞かされた記憶もない。<br><br>でも、<br><br>親父が病気になってから、<br><br>俺は言葉ではなく、<br><br>行動でそれを見ることになった。<br><br>世話になったことを、忘れない。<br><br>看護婦さんたちには、<br><br>8つの花。<br><br>ずっとそばで支えてくれたラニーには、<br><br>好きな寿司。<br><br>親父は、<br><br>親父なりのやり方で、<br><br>返していたんだと思う。<br><br>⸻<br><br>若い頃の俺にとって、<br><br>親父は、<br><br>まず商売の人だった。<br><br>高校へ進もうとしていた俺に、<br><br>「18歳になって、月の手取りが100万円なかったら、息子を辞めてもらう。」<br><br>そう言った。<br><br>約100本の焼鳥をわざわざ用意して、<br><br>「これでたったの1万円やぞ。」<br><br>と教えた。<br><br>手のひらを広げて、<br><br>20センチの差を見せた。<br><br>厳しい。<br><br>変わっている。<br><br>無茶苦茶なことも言う。<br><br>そんな親父だった。<br><br>⸻<br><br>でも、<br><br>癌になってから、<br><br>俺はそれまであまり見えていなかった、<br><br>親父の別の部分を見るようになった。<br><br>自分の身体が弱っていく。<br><br>目まで見えなくなる。<br><br>人に世話をしてもらわなければ、<br><br>できないことが増えていく。<br><br>そんな時に、<br><br>誰のことを考えるのか。<br><br>親父は、<br><br>自分のことだけを考えていたわけじゃなかった。<br><br>目は見えなくなっても、<br><br>誰が自分のそばにいてくれているのかは、ちゃんと見えていた。<br><br>⸻<br><br>俺は今でも、<br><br>あの寿司のことを覚えている。<br><br>どこの店だったかより、<br><br>何を食べたかより、<br><br>親父が一口も食べなかったことを覚えている。<br><br>3時間以上かけて、<br><br>俺を金沢まで来させて、<br><br>寿司を買わせた。<br><br>でも、<br><br>それは自分のためじゃなかった。<br><br>ラニーが、<br><br>好きな寿司を食べる。<br><br>親父には、<br><br>その姿すら見えない。<br><br>それでも、<br><br>美味しそうに食べていると聞いて、<br><br>「そうか、良かった。」<br><br>そして、<br><br>「ラニーは寿司が好きなんや。」<br><br>それだけだった。<br><br>⸻<br><br>食べ終わったあとは、<br><br>いつもの親父だった。<br><br>特別なことは言わない。<br><br>俺に長々と礼を言うこともない。<br><br>最後は、<br><br>いつものように、<br><br>「もう帰れ。」<br><br>「仕事しろ。」<br><br>それで終わり。<br><br>⸻<br><br>若い頃には、<br><br>分からなかった。<br><br>親父が俺に残したものは、<br><br>商売の考え方だけじゃなかったんだと思う。<br><br>人に何かをしてもらったら、<br><br>忘れない。<br><br>自分が苦しい時でも、<br><br>世話になった人を忘れない。<br><br>そして、<br><br>言葉より、<br><br>行動で返す。<br><br>目が見えなくなっても、<br><br>親父は、<br><br>最後までそういう人だった。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>親父に残された時間は、<br><br>もうそれほど長くなかった。<br><br>やがて俺は、<br><br>親父の最期に立ち会うことになる。<br><br>そこで、<br><br>俺は親父から、<br><br>最後の言葉を聞く。<br><br>そして初めて、<br><br>親父を、<br><br>「お父さん」<br><br>と呼ぶことになる。<br><br>あの日のことは、<br><br>今でも忘れていない。<br><br>――番外編⑧へ続く。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nfb65eba07386'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 01 Oct 2026 12:18:01 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nfb65eba07386</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nfb65eba07386</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編⑥｜夜中の3時、親父に関西空港へ行けと言われた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/318658867/rectangle_large_type_2_a35681b4dfa339910b41f008522c1a14.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="6ED0569B-4E2F-4979-952A-A47AC27D2006" id="6ED0569B-4E2F-4979-952A-A47AC27D2006">関空まで2時間半。そこから金沢まで3時間。最後に分かった、親父が8つの花を必要とした理由。<br><br>親父が癌で入院していた頃の話だ。<br><br>まだこの頃は、<br><br>親父の目は見えていた。<br><br>病気は進んでいたけれど、<br><br>自分の目で人を見て、<br><br>物を見ることもできていた。<br><br>そんなある日。<br><br>夜中の3時頃だったと思う。<br><br>親父から連絡があった。<br><br>そして、<br><br>いきなり言われた。<br><br>「関西空港のお土産屋に行って、置物を買ってきてくれ。」<br><br>何に使うのか。<br><br>なぜ今なのか。<br><br>俺には分からなかった。<br><br>でも、<br><br>親父が言うなら行く。<br><br>昔から、<br><br>そんな感じだった。<br><br>⸻<br><br>俺は車を走らせた。<br><br>関西空港まで、<br><br>約2時間半。<br><br>夜中に連絡を受け、<br><br>そのまま向かった。<br><br>ところが、<br><br>関西空港に着いてみると、<br><br>親父が言っていた店は、<br><br>すでに閉店していた。<br><br>店そのものがなくなっていた。<br><br>当然、<br><br>置物は買えない。<br><br>俺は親父に連絡した。<br><br>店がもうないことを伝えた。<br><br>すると親父は、<br><br>少し考えて、<br><br>今度はこう言った。<br><br>「それなら、花を8個用意してくれ。」<br><br>花？<br><br>しかも、<br><br>8個。<br><br>一つでも、<br><br>二つでもない。<br><br>8個。<br><br>その時も、<br><br>何に使うのかは分からなかった。<br><br>⸻<br><br>俺は関西空港から、<br><br>親父が入院している金沢の病院の近くにある花屋を調べた。<br><br>店を見つけて、<br><br>電話をした。<br><br>お願いしたのは、<br><br>同じ花を8個ではない。<br><br>8つ全部、別々のアレンジメント。<br><br>それぞれ違う花で、<br><br>違う雰囲気にしてほしい。<br><br>そう頼んだ。<br><br>注文を済ませると、<br><br>今度は関西空港から金沢へ向かった。<br><br>約3時間。<br><br>関西空港まで2時間半。<br><br>そこから、<br><br>さらに金沢まで3時間。<br><br>今考えれば、<br><br>かなりの移動だ。<br><br>しかも、<br><br>最初に向かった店は閉店。<br><br>そこから花屋を探して、<br><br>8つの花を頼んで、<br><br>また車を走らせる。<br><br>でも当時の俺は、<br><br>それを特別なことだとは思っていなかった。<br><br>親父に言われたから、<br><br>やる。<br><br>ただ、<br><br>それだけだった。<br><br>⸻<br><br>金沢に着き、<br><br>病院近くの花屋へ向かった。<br><br>そこには、<br><br>頼んでいた8つのアレンジメントが並んでいた。<br><br>全部、別々。<br><br>花も違う。<br><br>色合いも違う。<br><br>形も違う。<br><br>それを全部受け取って、<br><br>親父のいる病院へ運んだ。<br><br>⸻<br><br>病室に、<br><br>8つの花を並べた。<br><br>すると親父は、<br><br>一つずつ見始めた。<br><br>一つ目。<br><br>二つ目。<br><br>三つ目。<br><br>全部、<br><br>自分の目で確認する。<br><br>ただ眺めるだけじゃない。<br><br>少し気になるところがあれば、<br><br>手を伸ばして、<br><br>自分で少し手直しする。<br><br>花の向きなのか。<br><br>高さなのか。<br><br>全体のバランスなのか。<br><br>そこまでは覚えていない。<br><br>ただ、<br><br>8つとも、<br><br>親父は一つ一つ確認した。<br><br>適当に、<br><br>「それでええ。」<br><br>とは言わなかった。<br><br>⸻<br><br>俺は横で見ながら、<br><br>思っていた。<br><br>これ、誰に渡すんやろう。<br><br>自分の病室に飾るなら、<br><br>8個もいらない。<br><br>誰か一人に贈る量でもない。<br><br>そして、<br><br>全部の確認を終えた親父が言った。<br><br>「ナースステーションに持って行け。」<br><br>そこで、<br><br>初めて分かった。<br><br>⸻<br><br>あの8つの花は、<br><br>親父のためじゃなかった。<br><br>病院で、<br><br>毎日自分の世話をしてくれている、<br><br>看護婦さんたちに渡すための花だった。<br><br>考えてみれば、<br><br>最初に関西空港へ買いに行かされた置物も、<br><br>たぶん同じ目的だった。<br><br>世話になっている人たちへ、<br><br>何かを渡したかったんだと思う。<br><br>でも店がなくなっていた。<br><br>それなら、<br><br>花にする。<br><br>しかも、<br><br>同じものを8つではない。<br><br>全部違うアレンジメントを用意させ、<br><br>病室まで持ってこさせ、<br><br>自分で一つずつ確認して、<br><br>少し手直しまでした。<br><br>そこまでしてから、<br><br>渡す。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>そういう人だった。<br><br>癌で入院している。<br><br>世話をされる側になっている。<br><br>身体だって、<br><br>当然しんどかったと思う。<br><br>普通なら、<br><br>自分のことで精一杯でもおかしくない。<br><br>でも、<br><br>親父は、<br><br>自分が世話になっている人間のことを忘れていなかった。<br><br>自分が何をしてもらっているのか。<br><br>それを、<br><br>ちゃんと見ていた。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>俺に<br><br>「人には感謝しろ」<br><br>なんて説教をする人ではなかった。<br><br>⑤で書いた焼鳥の時もそうだった。<br><br>俺に商売を教えるために、<br><br>約100本の焼鳥をわざわざ用意した。<br><br>そして、<br><br>それを目の前に置いて言った。<br><br>「これでたったの1万円やぞ。」<br><br>口で長々と説明するより、<br><br>実物を見せる。<br><br>今回も、<br><br>同じだったのかもしれない。<br><br>「世話になった人には感謝しろ。」<br><br>そんな言葉は、<br><br>一度も聞いていない。<br><br>でも、<br><br>親父は自分が癌で入院している時に、<br><br>8つの花を用意した。<br><br>それを見れば、<br><br>十分だった。<br><br>⸻<br><br>俺は今でも、<br><br>あの病室の光景を覚えている。<br><br>8つの、<br><br>全部違う花。<br><br>それを一つずつ見る親父。<br><br>少し気になるところに、<br><br>自分で手を入れる。<br><br>そして、<br><br>全部を確認してから、<br><br>「ナースステーションに持って行け。」<br><br>あの頃の俺は、<br><br>言われたことをやっただけだった。<br><br>関空へ行った。<br><br>店がなかった。<br><br>金沢の花屋を探した。<br><br>8つの花を頼んだ。<br><br>また3時間、<br><br>車を走らせた。<br><br>それだけだった。<br><br>⸻<br><br>でも、<br><br>50歳を過ぎた今になって、<br><br>あの日のことを思い出すと、<br><br>少し違って見える。<br><br>人に何かをしてもらったことを、<br><br>当たり前にしない。<br><br>自分が苦しい時でも、<br><br>世話になっている人を忘れない。<br><br>何かを渡すなら、<br><br>適当に済ませない。<br><br>全部違うものを用意して、<br><br>一つ一つ、<br><br>自分の目で確認する。<br><br>それが、親父のやり方だった。<br><br>⸻<br><br>そして、<br><br>花を渡し終えた俺に、<br><br>親父が長々と礼を言うこともなかった。<br><br>いつものように、<br><br>最後は、<br><br>こんな感じだった。<br><br>「もう帰れ。」<br><br>「仕事しろ。」<br><br>それで終わり。<br><br>親父は、<br><br>最後まで、<br><br>そういう人だった。<br><br>⸻<br><br>この頃は、<br><br>まだ親父の目は見えていた。<br><br>しかし、<br><br>その後、<br><br>病気はさらに進んだ。<br><br>そして、<br><br>親父は目が見えなくなった。<br><br>その頃、<br><br>また親父から、<br><br>俺に頼み事があった。<br><br>今度は、<br><br>花ではない。<br><br>「寿司のええやつ、買ってきてくれ。」<br><br>俺は当然、<br><br>親父が食べるんだと思った。<br><br>でも、<br><br>その寿司も、<br><br>親父のためではなかった。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nb0e3ea3163dc'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 29 Sep 2026 02:06:17 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nb0e3ea3163dc</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nb0e3ea3163dc</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編⑤｜18歳で月100万円なかったら、息子を辞めてもらう。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/318566285/rectangle_large_type_2_823b073832f2fbf974e08029a96bb2cf.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="21DC57D8-EA9D-43AD-8813-C5624E158DA5" id="21DC57D8-EA9D-43AD-8813-C5624E158DA5">約100本の焼鳥、手のひら20センチ、そして親友への祝儀。親父が俺に残した商売と人付き合いの考え方。<br><br>高校へ進む頃だった。<br><br>ある日、<br><br>親父から連絡があった。<br><br>話は、<br>俺の高校進学のことだった。<br><br>親父は昔から、<br><br>学校へ行くことよりも、<br><br>商売を覚えること。<br><br>自分で金を稼げるようになること。<br><br>そっちを大事にする人だった。<br><br>そして俺に言った。<br><br>「18歳になって、月の手取りが100万円なかったら、息子を辞めてもらう。」<br><br>今考えても、<br><br>高校へ進もうとしている息子に言う言葉としては、<br>かなり無茶苦茶だと思う。<br><br>普通なら、<br><br>「勉強しろ」<br><br>「ちゃんと卒業しろ」<br><br>そんな話になるのかもしれない。<br><br>でも、<br><br>俺の親父は違った。<br><br>俺に覚えてほしかったのは、<br><br>学校の勉強より、<br><br>商売だった。<br><br>⸻<br><br>親父から教わったことで、<br><br>今でも強く覚えている場面がある。<br><br>親父がやっていたフィリピンクラブ、<br><br>「花蓮」<br><br>でのことだった。<br><br>俺がまだ若い頃、<br><br>焼鳥屋をやろうと思ったことがある。<br><br>すると親父は、<br><br>俺に商売を教えるために、<br><br>わざと焼鳥を用意した。<br><br>少しの量ではない。<br><br>約100本。<br><br>一本一本、<br><br>きちんと仕込まれ、<br><br>串に刺され、<br><br>丁寧に焼かれている。<br><br>それが、<br><br>大きなオードブルのような器2個に、<br><br>きれいに盛り付けられていた。<br><br>見ただけでも、<br><br>どれだけ手間がかかっているのか分かる。<br><br>仕込みをする。<br><br>串を打つ。<br><br>一本一本焼く。<br><br>そして、<br><br>きれいに盛り付ける。<br><br>親父はそれを俺に見せて言った。<br><br>「これでたったの1万円やぞ。」<br><br>約100本。<br><br>これだけ丁寧な仕事をして、<br><br>たった1万円。<br><br>親父が俺に見せたかったのは、<br><br>1万円の売上ではなかった。<br><br>これだけ手間をかけて、<br><br>1万円。<br><br>そこから、<br><br>材料代がかかる。<br><br>人件費がかかる。<br><br>家賃もかかる。<br><br>ほかにも経費がかかる。<br><br>全部引いたら、<br><br>最後にいくら残るんや。<br><br>親父が俺に考えさせたのは、<br><br>そこだった。<br><br>⸻<br><br>若い頃は、<br><br>たくさん売れれば、<br>儲かっているように見える。<br><br>店が忙しければ、<br>繁盛しているように見える。<br><br>でも、<br><br>どれだけ忙しくても、<br><br>どれだけ丁寧な仕事をしても、<br><br>最後に利益が残らなければ、<br><br>商売としては続かない。<br><br>今、<br><br>俺は飲食の仕事をしている。<br><br>売上を見る。<br><br>原価を見る。<br><br>人件費を見る。<br><br>家賃を見る。<br><br>そして、<br><br>最後にいくら残るのかを見る。<br><br>今では当たり前のようにやっていることだけど、<br><br>考えてみれば、<br><br>その感覚を最初に教えたのは、<br><br>親父だった。<br><br>約100本の焼鳥。<br><br>丁寧な仕事。<br><br>そして、<br><br>「これでたったの1万円やぞ。」<br><br>あの光景と親父の言葉は、<br><br>今でも俺の中に残っている。<br><br>⸻<br><br>親父には、<br><br>もう一つ、<br><br>忘れられない教えがある。<br><br>親父の身長は、<br><br>165センチくらいだった。<br><br>ある時、<br><br>親父が、<br><br>手のひらを広げた。<br><br>親指の先から、<br><br>小指の先まで。<br><br>だいたい、<br><br>20センチ。<br><br>そして、<br><br>165センチに、<br>この20センチを足してみろ、<br><br>という話をした。<br><br>185センチになる。<br><br>165センチと、<br><br>185センチ。<br><br>並んで立てば、<br><br>見た目はかなり違う。<br><br>でも、<br><br>親父が目の前で手のひらを広げると、<br><br>その差は、<br><br>たったこれだけだった。<br><br>手のひら一つ分。<br><br>20センチ。<br><br>⸻<br><br>若かった俺には、<br><br>その意味を全部理解できていたわけじゃない。<br><br>でも、<br><br>今になって、<br><br>親父のあの手のひらを思い出すことがある。<br><br>商売でも、<br><br>人生でも、<br><br>自分よりはるかに先を歩いているように見える人がいる。<br><br>「あいつは凄い。」<br><br>「自分とは違う。」<br><br>「とても追いつけない。」<br><br>そう思うこともある。<br><br>でも、<br><br>165センチと185センチ。<br><br>見た目では、<br><br>まるで違う。<br><br>それでも、<br><br>実際の差は、<br><br>20センチ。<br><br>親父が目の前に出した、<br><br>手のひら一つ分だった。<br><br>そう考えれば、<br><br>最初から諦めるほどの差ではない。<br><br>一気に20センチ進めなくてもいい。<br><br>1センチでもいい。<br><br>少しずつ前へ出ればいい。<br><br>その差を一つずつ埋めていけば、<br><br>いつか、<br><br>自分には遠いと思っていた場所にも届くかもしれない。<br><br>ものすごく大きな差に見えても、<br><br>実際は手のひら一つ分かもしれない。<br><br>俺の中には、<br><br>今でも親父のあの20センチが残っている。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>人との付き合い方についても、<br><br>独特の考えを持っていた。<br><br>俺の親友が結婚する時だった。<br><br>当然、<br><br>祝ってやりたい。<br><br>でも、<br><br>その時の俺には、<br><br>十分な祝儀を出せるだけの金がなかった。<br><br>俺は親父に相談した。<br><br>金を借りたいという気持ちもあった。<br><br>でも、<br><br>親父は単純に、<br><br>金を貸して終わりにはしなかった。<br><br>親父が俺に言ったのは、<br><br>今、金がないなら、<br><br>それを正直に親友へ話せばいい、<br><br>ということだった。<br><br>今の自分には、<br><br>十分な祝いをしてやれない。<br><br>でも、<br><br>いつか今より稼げる男になって、<br><br>今日できなかった何倍もの祝いをしてやる。<br><br>それまで待ってくれ。<br><br>そう言えばいい。<br><br>それで関係が終わるような相手なら、<br><br>そこまでの関係。<br><br>それでも付き合っていけるのが、<br><br>親友なんだ。<br><br>俺は、<br><br>そんな意味として受け取った。<br><br>⸻<br><br>若かった俺は、<br><br>結婚祝いなら、<br><br>祝儀を渡さなければならない。<br><br>金を出すことが、<br><br>相手を祝うことだと思っていた。<br><br>でも、<br><br>親父が見ていたのは、<br><br>金額ではなかったんだと思う。<br><br>金がない時に、どう付き合えるのか。<br><br>格好をつけず、本当のことを言える相手なのか。<br><br>親父が見ていたのは、<br><br>そっちだった。<br><br>⸻<br><br>親父は、<br><br>いわゆる普通の父親ではなかった。<br><br>俺を抱きしめて、<br><br>「頑張れよ」<br><br>なんて言う人でもなかった。<br><br>褒められた記憶も、<br><br>そんなにない。<br><br>言われることは、<br><br>厳しいことが多かった。<br><br>18歳で月100万円。<br><br>商売を覚えろ。<br><br>売上だけを見るな。<br><br>最後に何が残るのかを考えろ。<br><br>人との差なんて、<br><br>手のひら一つ分かもしれない。<br><br>そして、<br><br>金がないからといって、<br><br>人との付き合いまでなくす必要はない。<br><br>当時の俺には、<br><br>分からないことも多かった。<br><br>無茶苦茶な親父やな、<br><br>と思ったこともある。<br><br>⸻<br><br>でも、<br><br>50歳を過ぎた今になると、<br><br>時々思う。<br><br>俺はこれまで、<br><br>店を作った。<br><br>失敗した。<br><br>金をなくした。<br><br>また商売をした。<br><br>また失敗した。<br><br>それでも、<br><br>またやった。<br><br>日本でも。<br><br>中国でも。<br><br>結局、<br><br>今も商売をしている。<br><br>親父の言った通りに生きてきたわけじゃない。<br><br>むしろ、<br><br>言うことを聞かなかったことの方が多いと思う。<br><br>それでも、<br><br>店を見る時。<br><br>原価を見る時。<br><br>利益を考える時。<br><br>人と付き合う時。<br><br>俺の頭のどこかには、<br><br>今でも、<br><br>親父から聞いた言葉が残っている。<br><br>⸻<br><br>親父が俺に残したものは、<br><br>金ではなかった。<br><br>家でもない。<br><br>財産でもない。<br><br>考え方だった。<br><br>親父が死んだ後も、<br><br>それは俺の中に残っている。<br><br>そして、<br><br>商売を続けている限り、<br><br>たぶんこれからも消えない。<br><br>高校へ進もうとしていた頃、<br><br>親父から連絡があった。<br><br>そして言われた。<br><br>「18歳になって、月の手取りが100万円なかったら、息子を辞めてもらう。」<br><br>あの頃の俺には、<br><br>ただ無茶苦茶な言葉にしか聞こえなかった。<br><br>今でも、<br><br>100万円という金額自体が正しかったのかなんて、<br><br>分からない。<br><br>ただ、<br><br>50歳を過ぎた今の俺には、<br><br>あの言葉の奥には、<br><br>親父なりの、<br><br>「自分の力で生きていける男になれ。」<br><br>という考えがあったようにも思える。<br><br>親父から教わったことは、<br><br>教科書には載っていない。<br><br>でも、<br><br>俺にとっての商売の教科書は、<br><br>たぶん、<br><br>昔から親父だった。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n2f8de6670c53'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 28 Sep 2026 20:36:46 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n2f8de6670c53</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n2f8de6670c53</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編④｜俺は日本にいた。でも、俺のパスポートは台湾にあった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/318478403/rectangle_large_type_2_d8905c0841b4bb95740a6a8d63ff8d5f.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="AE0496B5-C831-4065-AFC9-75D1BAFDBCE7" id="AE0496B5-C831-4065-AFC9-75D1BAFDBCE7">俺より一週間早く生まれた兄を、日本へ連れて帰るために。<br><br>俺は日本にいた。<br><br>まだ何も知らない赤ん坊だった。<br><br>でも――<br><br>俺のパスポートは台湾にあった。<br><br>そして、そのパスポートを使って日本に入ってきたのは、<br><br>俺ではない。<br><br>俺より一週間早く生まれた、腹違いの兄だった。<br><br>⸻<br><br>これは当然、俺自身が覚えている話ではない。<br><br>俺が大きくなってから知った、<br>自分が生まれた頃の話だ。<br><br>俺の実の親父――マスターは、<br>当時、俺の母親と台湾・台北でスナックを経営していた。<br><br>俺は、その台湾にいた頃に母親のお腹にできた。<br><br>出産が近づき、<br>母親は日本へ帰国する。<br><br>そして俺が生まれた。<br><br>だが、同じ頃。<br><br>台湾にはもう一人、<br>親父の子供がいた。<br><br>母親は違う。<br><br>台湾人の女性、ヤーリー。<br><br>彼女が産んだ男の子の名前が、<br><br>秀和。<br><br>俺より、たった一週間早く生まれていた。<br><br>つまり秀和は、<br>俺の腹違いの兄になる。<br><br>⸻<br><br>ここからが、<br>今考えても普通ではない。<br><br>親父は母親に、<br>まだ赤ん坊だった俺のパスポートを取らせた。<br><br>ところが、<br><br>俺本人は台湾へ行っていない。<br><br>親父と母親は、<br>俺を日本に残したまま、<br><br>俺のパスポートだけを持って台湾へ向かった。<br><br>当然、そのままではおかしい。<br><br>日本にいるはずの人間のパスポートが、<br>いきなり台湾に存在することになる。<br><br>そこで親父は、<br><br>俺が日本を出国したように見せるためのスタンプを用意したと聞いている。<br><br>ハンコ屋で作らせたとも聞いた。<br><br>今なら考えられない。<br><br>いや、<br><br>当時でも普通に考えれば、<br>やっていることは無茶苦茶だ。<br><br>でも親父は、それをやった。<br><br>⸻<br><br>台湾へ渡った親父は、<br>ヤーリーから秀和を預かった。<br><br>そして母親が、<br><br>まだ赤ん坊の秀和を抱いた。<br><br>手元にあるのは、<br><br>俺のパスポート。<br><br>写真も名前も、<br><br>俺のものだ。<br><br>でも母親の腕の中にいるのは、<br><br>俺ではない。<br><br>秀和だった。<br><br>そうして秀和は、<br><br>俺のパスポートで台湾を出て、日本へ入った。<br><br>その時、<br><br>俺は日本にいる。<br><br>自分は一歩も国外へ出ていない。<br><br>それなのに記録の上では、<br><br>俺は台湾から日本へ帰国したことになっていた。<br><br>そしてそのパスポートで日本へ帰ってきた赤ん坊が、<br><br>一週間違いで生まれた俺の兄だった。<br><br>⸻<br><br>やがて、<br><br>親父と母親は離婚した。<br><br>俺は母方の実家へ。<br><br>秀和は親父のところへ。<br><br>親父と、家にいた使用人たちに育てられた。<br><br>同じ父親から生まれて、<br><br>生まれた日は一週間しか違わない。<br><br>それなのに、<br><br>育った場所も、<br>育った環境も違った。<br><br>俺が子供の頃には知る由もなかったが、<br><br>自分の人生は、<br><br>生まれた時からすでに少し普通ではなかったらしい。<br><br>⸻<br><br>18歳になって初めてフィリピンへ行き、<br><br>俺はそこで、<br><br>自分の知らなかった親父の世界を見た。<br><br>銃口を向けられ、<br><br>翌日には「女を選べ」と言われた。<br><br>でも、<br><br>あのフィリピン旅行よりずっと前。<br><br>俺がまだ何も話せない赤ん坊だった頃から、<br><br>親父の周りでは、<br><br>俺の常識では考えられないことが起きていた。<br><br>俺は日本にいた。<br><br>でも、俺のパスポートは台湾へ渡り、<br><br>腹違いの兄を日本へ連れて帰ってきた。<br><br>それが、<br><br>俺が生まれた頃の話だ。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n11c924c02a9b'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 28 Sep 2026 16:10:20 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n11c924c02a9b</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n11c924c02a9b</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編③｜昨日は銃口。翌日は「女を選べ」と言われた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/318157545/rectangle_large_type_2_4f99ad4fba7f82843c2794dadd2a0655.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="64CE6B46-7523-46D1-8C77-C7D3718E4B7D" id="64CE6B46-7523-46D1-8C77-C7D3718E4B7D">18歳、初めてのフィリピンで見たのは、俺の知らない親父の世界だった。<br><br>前日の夜。<br><br>マニラの検問で、俺は警察官に銃口をこめかみに押しつけられた。<br><br>親父はカジノで300万円ほど勝っていた。<br><br>俺のポケットには、200円ほどしか残っていなかった。<br><br>なんとかホテルへ戻った。<br><br>普通なら、<br><br>「昨日は大変だったから、今日は少し大人しくしよう」<br><br>となると思う。<br><br>でも、俺の親父にそんな感覚はなかった。<br><br>翌日。<br><br>当然のように、またカジノへ行った。<br><br>⸻<br><br>「早くしろよ」<br><br>その夜、酒を飲みに行った。<br><br>この頃には、ラニーも合流していたと思う。<br><br>俺が普通に飲んでいると、親父が突然言った。<br><br>「早くしろよ」<br><br>「えっ？ なにを？」<br><br>親父は説明しない。<br><br>昔からそうだった。<br><br>聞いても、必要以上のことは言わない。<br><br>俺が意味も分からずにいると、ラニーが言った。<br><br>「今日寝る女を選ぶのよ」<br><br>……は？<br><br>要するに、<br><br>今夜一緒に寝る女を選べ、ということだった。<br><br>俺は18歳。<br><br>ただ、別にウブだったわけじゃない。<br><br>若い頃から、それなりに遊んでもいた。<br><br>だから女が怖くて断ったわけではない。<br><br>ただ、<br><br>親父に突然、<br><br>「今日寝る女を選べ」<br><br>と言われて、その場にいる女の中から一人を選ぶ気にはならなかった。<br><br>「いや、いらん」<br><br>俺はそう言って、その場を出た。<br><br>親父が何を思ったのかは知らない。<br><br>特に何も言われなかった。<br><br>⸻<br><br>親父の膝に座った、小さな女の子<br><br>この旅行で、もう一つ妙に覚えていることがある。<br><br>車で移動していた時だった。<br><br>途中から、小さな女の子が乗ってきた。<br><br>2歳くらいだったと思う。<br><br>耳にはピアスをしていた。<br><br>その子は何のためらいもなく親父のところへ行き、<br><br>膝の上にちょこんと座った。<br><br>親父も普通にしている。<br><br>何の説明もない。<br><br>俺も聞かなかった。<br><br>しばらく一緒に車に乗り、<br><br>その子はまた、どこかで降りていった。<br><br>当時の俺には、<br><br>あの子が誰なのか分からなかった。<br><br>ただ今になって考えると、<br><br>思い当たることがある。<br><br>⸻<br><br>「益市さんの妹さんに送るんです」<br><br>この旅行から2年か3年ほど前。<br><br>俺が親父の事務所へ行った時のことだ。<br><br>俺が事務所に入った途端、<br><br>事務員が慌てて何かを片付け始めた。<br><br>段ボールがいくつかあった。<br><br>中には、<br><br>ベビーカーや子供用品が入っていた。<br><br>「なにこれ？」<br><br>俺が聞いた。<br><br>事務員は少し言いにくそうな顔をして答えた。<br><br>「益市さんの妹さんに送るんです」<br><br>妹？<br><br>その時の俺には、よく分からなかった。<br><br>詳しく聞いた記憶もない。<br><br>そして数年後。<br><br>初めて行ったフィリピンで、<br><br>親父の膝にちょこんと座っていた小さな女の子。<br><br>時期を考えると、<br><br>たぶん、あの子がセシリアだったんだと思う。<br><br>30年以上前の記憶だから、断定はできない。<br><br>でも、<br><br>耳にピアスをした小さな女の子が、<br><br>当たり前のように親父の膝に座っていた光景だけは、<br><br>今でも覚えている。<br><br>⸻<br><br>親父には、フィリピンにも生活があった<br><br>そう考えると、<br><br>あとからつながることがいくつもある。<br><br>フィリピンで作った俺の免許証には、<br><br>住所の欄に、<br><br>記憶では「ダコダマンション」と書かれていた。<br><br>正確な名前はもう自信がない。<br><br>ただ、<br><br>少なくとも親父には、フィリピンにも何らかの生活拠点があったんだと思う。<br><br>それに親父は、<br><br>カオルには美容室と自宅を建ててやったと聞いていた。<br><br>日本にいる俺の知らないところで、<br><br>親父には家があり、<br><br>家族がいて、<br><br>そこでの生活があった。<br><br>18歳の俺は、<br><br>そのほとんどを知らなかった。<br><br>⸻<br><br>初めて見た、「マスター」のもう一つの世界<br><br>18歳。<br><br>初めての海外旅行。<br><br>出発する車の中では、<br><br>飛行機事故のビデオを見せられた。<br><br>伊丹空港では、突然散髪へ行った。<br><br>親父はビジネスクラス。<br><br>俺はエコノミー。<br><br>マニラに着けば、<br><br>「俺は舌平目のムニエルにした」<br><br>と、よく分からない報告をされた。<br><br>俺の記憶では、<br><br>写真を一枚撮っただけで、翌日にはフィリピンの免許証が届いた。<br><br>カジノでは、<br><br>知らないホテル従業員がさっきまで履いていた、<br><br>生暖かい革靴を借りて入場した。<br><br>帰り道では、<br><br>警察官に銃口をこめかみに押しつけられた。<br><br>そして翌日は、<br><br>「今日寝る女を選べ」<br><br>と言われた。<br><br>移動中の車には、<br><br>俺の妹だったかもしれない小さな女の子が乗ってきた。<br><br>親父は、何も説明しない。<br><br>⸻<br><br>日本にいた時、<br><br>俺は親父のことをほとんど知らなかった。<br><br>誰と付き合っているのか。<br><br>どんな商売をしているのか。<br><br>海外でどんな生活をしているのか。<br><br>そして、<br><br>俺の知らないところに、<br><br>どんな家族がいるのか。<br><br>初めてのフィリピン旅行で俺が見たのは、<br><br>観光地じゃなかった。<br><br>俺の知らない「マスター」という男の世界だった。<br><br>でも――<br><br>親父の無茶苦茶さは、<br><br>俺が18歳になってから始まったものではない。<br><br>俺自身が覚えていないだけで、<br><br>俺が生まれた頃には、<br><br>すでにとんでもないことをしていたらしい。<br><br>俺は日本にいた。<br><br>でも、俺のパスポートは台湾にあった。<br><br>――番外編④へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n47e5d9f05c82'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 27 Sep 2026 18:23:26 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n47e5d9f05c82</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n47e5d9f05c82</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編②｜18歳、初海外。フィリピンでこめかみに銃口を突きつけられた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/318020173/rectangle_large_type_2_8741e7a3f8e3ae31379e8932622d892b.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="5CB2B8D3-D465-4649-99AB-63AA64FE0BEF" id="5CB2B8D3-D465-4649-99AB-63AA64FE0BEF">親父は300万円ほど勝っていた。俺のポケットには、200円ほどしか残っていなかった。<br><br>前回書いた、<br>実の親父「マスター」。<br><br>親父には、<br>意味の分からないエピソードが山ほどある。<br><br>今回はその中でも、<br>今でも鮮明に覚えている話を書こうと思う。<br><br>18歳の時。<br><br>俺は親父と二人で、<br>初めてフィリピンへ行った。<br><br>俺にとって、<br>人生で初めての海外だった。<br><br>親父は店をやる一方で、<br>当時はプロモーターの仕事もしていた。<br><br>そしてこのフィリピン行きには、<br>俺の運転免許を取るという目的もあった。<br><br>⸻<br><br>「ご子息をお預かりします」<br><br>出発の日。<br><br>親父は俺を家まで迎えに来た。<br><br>車は、<br><br>ビュイック・パークアベニュー・ウルトラ。<br><br>家を出る時、<br>親父は俺の母親に言った。<br><br>「ご子息をお預かりします」<br><br>冗談だった。<br><br>今思い返しても、<br>親父が俺に関して言った冗談は、<br><br>あれが最初で最後だった気がする。<br><br>親父と俺は、<br>実の親子なのに妙によそよそしかった。<br><br>親父も俺に対してそうだったし、<br>俺も親父に対してそうだった。<br><br>そして俺たちは、<br>伊丹空港へ向かった。<br><br>まだ関西国際空港ができる前の話だ。<br><br>⸻<br><br>初めて海外へ行く息子に、事故のビデオ<br><br>俺にとって、<br><br>初めての海外。<br><br>初めての国際線。<br><br>普通なら、<br>少しくらい緊張をほぐすような話をしてもいいと思う。<br><br>でも親父は違った。<br><br>空港へ向かう車の中で、<br>親父が流していたのは、<br><br>飛行機事故。<br><br>交通事故。<br><br>海外で起きた事故ばかりを集めたビデオだった。<br><br>これから初めて飛行機に乗って<br>海外へ行こうという18歳の息子の横で、<br><br>飛行機が墜ちる映像を見せている。<br><br>何のためだったのか。<br><br>今でも分からない。<br><br>でも、<br><br>そういう男だった。<br><br>⸻<br><br>空港で消えた親父<br><br>伊丹空港に着いた。<br><br>すると、<br>親父がいなくなった。<br><br>俺は一人、<br>チケットカウンターの近くで待っていた。<br><br>しばらくすると、<br>親父が戻ってきた。<br><br>散髪をしていた。<br><br>これから海外へ行く直前に、<br>空港で髪を切ってきたらしい。<br><br>親父が歩き出したので、<br>俺もその後ろについて行った。<br><br>すると親父が言った。<br><br>「君は向こうだ」<br><br>いつもの、<br>少しよそよそしい言い方だった。<br><br>「お前」でもない。<br><br>名前でもない。<br><br>「君」。<br><br>まあ、<br>俺も似たようなものだった。<br><br>親父はビジネスクラス。<br><br>俺はエコノミークラス。<br><br>初めての海外。<br><br>親父と二人で行くのに、<br><br>飛行機に乗るところから別々だった。<br><br>⸻<br><br>「俺は舌平目のムニエルにした」<br><br>そして、<br>マニラに着いた。<br><br>飛行機を降りると、<br><br>また親父がいない。<br><br>当時18歳の俺は、<br>プライオリティーなんてものを知らない。<br><br>ビジネスクラスの客が先に動くことも、<br>何も知らなかった。<br><br>初めて来た外国。<br><br>英語も話せない。<br><br>どこへ行けばいいのかもよく分からない。<br><br>人の流れについて歩きながら、<br>少し迷った。<br><br>そして、<br>たまたま出口の辺りで親父を見つけた。<br><br>やっと会えた。<br><br>普通なら、<br><br>「大丈夫だったか？」<br><br>とか、<br><br>「迷わなかったか？」<br><br>とか、<br><br>そんな言葉が最初に出ると思う。<br><br>でも親父は違った。<br><br>俺を見るなり言った。<br><br>「メシは何だった？」<br><br>そこかよ。<br><br>俺は答えた。<br><br>「チキンかポークって言われて、ポークにした」<br><br>すると親父は、<br><br>「そうか。俺は舌平目のムニエルにした……」<br><br>……知らんがな。<br><br>初めての海外。<br><br>知らない空港で迷って、<br><br>やっと親父を見つけた時の会話が、<br><br>ポークと舌平目のムニエル。<br><br>今思い返しても、<br>意味が分からない。<br><br>⸻<br><br>入国も普通ではなかった<br><br>入国の時も、<br>俺の記憶では普通ではなかった。<br><br>パスポートを見せて、<br><br>その場で入国スタンプを押してもらった記憶がない。<br><br>そのまま通った。<br><br>親父は空港の人間と<br>何か話がついていたようだった。<br><br>あとになって、<br><br>スタンプの押されたパスポートが<br>ホテルまで届けられたと思う。<br><br>18歳の俺には、<br><br>何がどうなっているのか分からない。<br><br>ただ、<br><br>親父と一緒にいると、<br><br>こういうことが普通に起きた。<br><br>⸻<br><br>写真を一枚撮った。それだけだった<br><br>泊まったのは、<br><br>マニラのダイアモンドホテル。<br><br>当時、<br>できたばかりのホテルだった。<br><br>今回の目的の一つが、<br><br>俺の運転免許だった。<br><br>ところが、<br><br>試験を受けた記憶はない。<br><br>役所に行った記憶もない。<br><br>ホテルにカメラマンが来た。<br><br>そして、<br><br>俺の写真を一枚撮った。<br><br>それだけ。<br><br>本当に、それだけだった。<br><br>翌日。<br><br>赤い小さなケースに入った<br>フィリピンの運転免許。<br><br>そして、<br><br>グレー色で<br>パスポートより少し大きな国際免許。<br><br>二つがホテルに届いた。<br><br>写真を一枚撮っただけ。<br><br>それなのに、<br>翌日には免許がある。<br><br>俺には何がどうなっているのか<br>まったく分からなかった。<br><br>⸻<br><br>マニラにも、親父の世界があった<br><br>ダイアモンドホテルの1階には、<br>日本食レストランがあった。<br><br>そこには、<br>着物を着た日本人女性がいた。<br><br>話を聞くと、<br>その店の責任者だった。<br><br>親父とはかなり仲が良かった。<br><br>その女性の旦那さんはフィリピン人で、<br><br>ジャーナリストをしながら、<br><br>日本のマスコミ関係者が<br>フィリピンに来た時のアテンドなどもしていると聞いた。<br><br>俺たちは滞在中、<br>よくその店で食事をした。<br><br>日本にいる時には見えなかった、<br><br>親父の別の顔。<br><br>親父には、<br>マニラにも親父の世界があった。<br><br>⸻<br><br>生暖かい革靴<br><br>初日の夜。<br><br>親父とカジノへ行った。<br><br>親父は、<br>とにかくカジノが好きだった。<br><br>ホテルの名前は、<br>長い間「ヘリテージホテル」だったと記憶していた。<br><br>ただ、時代を調べ直すと少し合わない。<br><br>当時カジノがあったホテルを辿ると、<br><br>おそらくシラヒス・インターナショナル・ホテルだったと思う。<br><br>30年以上前の記憶なので、<br>ここは断定できない。<br><br>でも、<br>そこで起きたことは今でもはっきり覚えている。<br><br>入口で、<br><br>俺だけ止められた。<br><br>原因は靴だった。<br><br>俺はスニーカーを履いていた。<br><br>当時はドレスコードがあり、<br>革靴でなければ入れなかった。<br><br>18歳の俺は、<br><br>カジノにそんなルールがあることすら知らない。<br><br>どうするんだろうと思っていると、<br><br>親父は近くにいたホテルマンを呼んだ。<br><br>そして、<br><br>金を渡した。<br><br>するとホテルマンが、<br><br>その場で自分の革靴を脱いだ。<br><br>親父は俺に、<br><br>それを履け、<br><br>という。<br><br>仕方なく履いた。<br><br>さっきまで他人が履いていた革靴。<br><br>まだ、<br><br>生暖かかった。<br><br>あの感触は、<br>今でも覚えている。<br><br>俺は見ず知らずのホテルマンの<br>生暖かい革靴を履いて、<br><br>親父の後ろについて<br>人生初のカジノへ入った。<br><br>⸻<br><br>親父は約300万円。俺は約200円。<br><br>俺も少し賭けた。<br><br>そして負けた。<br><br>カジノを出る頃、<br><br>俺の手元に残っていた金は、<br><br>日本円にすれば200円ほど。<br><br>一方の親父は、<br><br>かなり勝っていた。<br><br>俺の記憶では、<br><br>300万円くらい勝っていたと思う。<br><br>カジノを出て、<br><br>タクシーでホテルへ戻った。<br><br>俺と親父は後部座席。<br><br>しばらく走ったところで、<br><br>運転手が突然言った。<br><br>「Oh my God……」<br><br>前を見ると、<br><br>警察官が何人も立っていた。<br><br>6人くらいだったと思う。<br><br>いや、<br><br>もう少しいたかもしれない。<br><br>検問だった。<br><br>⸻<br><br>親父がカバンを隠した<br><br>その瞬間、<br><br>親父が持っていたカバンを足元に落とした。<br><br>そして、<br><br>運転席の下へ押し込んだ。<br><br>俺はまだ、<br><br>何が起きているのか分かっていなかった。<br><br>運転手が何か違反でもしたのだろう。<br><br>その程度にしか思っていなかった。<br><br>タクシーが止まった。<br><br>一人の警察官が、<br><br>俺の座っている側へ歩いてきた。<br><br>そして、<br><br>ライフルの後ろ側で窓を叩いた。<br><br>コン、コン。<br><br>俺が窓を開けた。<br><br>次の瞬間。<br><br>こめかみに、<br><br>銃口を突きつけられた。<br><br>⸻<br><br>「Hungry」<br><br>警察官が言った。<br><br>「Hungry」<br><br>実に分かりやすかった。<br><br>金を出せ。<br><br>そういう意味だった。<br><br>でも、<br><br>俺のポケットにあるのは、<br><br>日本円にして200円ほど。<br><br>俺は思った。<br><br>こんな金額を出したら、<br><br>「日本人がこれだけしか出さないのか」<br><br>「馬鹿にしているのか」<br><br>そう思われるんじゃないか。<br><br>俺は親父を見た。<br><br>親父が言った。<br><br>「お前が出せ！」<br><br>俺は言った。<br><br>「いや、200円ほどしかない」<br><br>すると、<br><br>「いいから出せ！」<br><br>俺がもたもたしていると、<br><br>ガチャガチャと音がした。<br><br>見ると、<br><br>他の警察官まで<br>銃口をこちらへ向けていた。<br><br>もう、<br><br>余裕なんてなかった。<br><br>⸻<br><br>「All money. All money.」<br><br>俺はポケットの小銭を全部出した。<br><br>英語なんて話せない。<br><br>だから、<br><br>「All money.<br><br>All money.」<br><br>何度も言った。<br><br>これで全部だ。<br><br>本当に、<br>これしかない。<br><br>そう伝えるしかなかった。<br><br>その間、<br><br>親父は静かだった。<br><br>なぜ何も言わなかったのか。<br><br>なぜ俺に金を出させたのか。<br><br>今でも分からない。<br><br>俺は怖くて、<br><br>吐き気がしていた。<br><br>喉の奥から、<br>嗚咽が上がってくる。<br><br>すると警察官が言った。<br><br>「No gun？」<br><br>俺は、<br><br>「Yes」<br><br>と答えた。<br><br>すると、<br><br>行け。<br><br>そんな仕草をされた。<br><br>タクシーが動き出した。<br><br>助かった。<br><br>⸻<br><br>「さすがにおまえ、終わったと思ったよ」<br><br>しばらくして、<br><br>親父は運転席の下から<br>カバンを取り出した。<br><br>そして俺に言った。<br><br>「さすがにおまえ、終わったと思ったよ」<br><br>それだけだった。<br><br>大丈夫だったかとも言わない。<br><br>怖かったなとも言わない。<br><br>説明もしない。<br><br>それ以上、<br><br>何も話さなかった。<br><br>タクシーはそのまま<br>ホテルへ向かった。<br><br>18歳。<br><br>初めての海外。<br><br>初めてのフィリピン。<br><br>初めてのカジノ。<br><br>そして、<br><br>こめかみに銃口を突きつけられた。<br><br>ただ、<br><br>これが人生で初めてではなかった。<br><br>17歳の時、<br><br>俺は一度だけ、<br><br>本物の銃を使ったロシアンルーレットをしたことがある。<br><br>だから、<br><br>こめかみに銃口を向けられたのは、<br><br>これが二度目だった。<br><br>それでも、<br><br>怖いものは怖かった。<br><br>これだけでも十分だったはずなのに、<br><br>親父とのフィリピンは、<br><br>まだ始まったばかりだった。<br><br>翌日も、<br><br>もちろんカジノへ行った。<br><br>そしてその夜、<br><br>親父はまた、<br><br>俺には理解できないことを言い始めた。<br><br>――番外編③へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nf8b4807b8095'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 27 Sep 2026 11:39:44 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nf8b4807b8095</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nf8b4807b8095</guid>
    </item>
    <item>
      <title>番外編①｜俺には、親父が二人いた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/317858916/rectangle_large_type_2_f0f85d319811ada1bdd1f2d2aac88f41.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="22A61E04-68E1-482D-987E-3446B76C60AC" id="22A61E04-68E1-482D-987E-3446B76C60AC">バツ5の「マスター」と、地元で恐れられた「チャーナのおっちゃん」<br><br>俺には、親父が二人いた。<br><br>一人は、<br>俺をこの世に作った実の親父。<br><br>もう一人は、<br>俺を育てた親父。<br><br>そして、この二人。<br><br>どちらも普通の親父ではなかった。<br><br>今回は本編から少し離れて、<br>俺の人生に大きな影響を与えた<br>この二人の親父について書いてみようと思う。<br><br>まずは、<br>実の親父から。<br><br>⸻<br><br>みんなが「マスター」と呼んだ男<br><br>実の親父は、<br>昭和9年生まれだったと聞いている。<br><br>身長は165センチもなかったと思う。<br><br>小柄で、<br>少し太っていた。<br><br>ウェーブのかかったクセ毛を<br>肩くらいまで伸ばし、<br><br>普段はヘアバンドをしていた。<br><br>服装は意外と地味だった。<br><br>タバコも吸わない。<br><br>でも、<br>見た目には独特の存在感があった。<br><br>そして周りの人間は、<br>みんな親父のことを<br><br>「マスター」<br><br>と呼んでいた。<br><br>俺にとっては親父。<br><br>でも街に出れば、<br><br>「マスター」。<br><br>そんな男だった。<br><br>⸻<br><br>バツ5。結婚した女性は6人<br><br>親父は、<br>バツ5だった。<br><br>つまり、<br>結婚した女性は6人いる。<br><br>順番に、<br><br>日本人。<br><br>日本人。<br><br>台湾人。<br><br>日本人。<br><br>フィリピン人。<br><br>フィリピン人。<br><br>こうやって並べるだけでも、<br>なかなかの人生だと思う。<br><br>最初の奥さんは、<br><br>「ルニーのママ」<br><br>とみんなから呼ばれていた。<br><br>その人との間に生まれたのが、<br><br>俺より16歳上の腹違いの姉、<br><br>恵美子。<br><br>2番目の奥さんが、<br>俺の母親だ。<br><br>みんなからは、<br><br>「たけちゃん」<br><br>と呼ばれていた。<br><br>そして、<br>その間に俺が生まれた。<br><br>普通なら、<br>俺が親父の長男になる。<br><br>ところが、<br>そうはならなかった。<br><br>⸻<br><br>俺より一週間早く生まれた兄<br><br>当時、<br>親父には別の女性がいた。<br><br>台湾人の、<br><br>「ヤーリー」。<br><br>そしてヤーリーも、<br>俺の母親とほぼ同じ時期に妊娠していた。<br><br>生まれた子供は男。<br><br>名前は、<br><br>秀和。<br><br>そして秀和が生まれたのは、<br><br>俺が生まれる、<br>たった一週間前だった。<br><br>一週間。<br><br>たったそれだけ。<br><br>本来なら俺が長男だった。<br><br>でも、<br>一週間の差で俺には兄ができた。<br><br>その後、<br>親父は俺の母親、たけちゃんと離婚した。<br><br>そしてヤーリーが、<br>3番目の奥さんになった。<br><br>⸻<br><br>4人目、5人目、そして最後の嫁<br><br>ヤーリーとの結婚も終わった。<br><br>4番目の奥さんは、<br>また日本人だった。<br><br>名前は、<br><br>ゆみ。<br><br>大人しくて、<br>頭のいい女性だった記憶がある。<br><br>ゆみとの間に、<br>子供はいなかった。<br><br>そして5番目。<br><br>フィリピン人の、<br><br>カオル。<br><br>親父の店で働いていた<br>タレントだった。<br><br>カオルとの間には、<br>娘が生まれた。<br><br>セシリア。<br><br>俺の腹違いの妹だ。<br><br>そして最後。<br><br>6番目の奥さんも、<br>フィリピン人だった。<br><br>ラニー。<br><br>彼女も、<br>親父の店で働いていたタレントだった。<br><br>ラニーとの間に生まれたのが、<br><br>一成。<br><br>俺の腹違いの弟だ。<br><br>親父は最後、<br>ラニーと一緒に暮らし、<br>人生を終えた。<br><br>ただ、<br><br>このラニーについては、<br>俺にはかなり思うところがある。<br><br>俺にとっては、<br>親父の6人の嫁の中でも<br>特別な存在だった。<br><br>良い意味ではない。<br><br>その話は、<br>また別で書こうと思う。<br><br>⸻<br><br>父親は同じ。でも母親は違う<br><br>整理すると、<br><br>一番上に、<br><br>恵美子。<br><br>そして、<br><br>俺より一週間だけ早く生まれた秀和。<br><br>その一週間後に、<br><br>俺。<br><br>さらに、<br><br>セシリア。<br><br>そして、<br><br>一成。<br><br>父親は同じ。<br><br>でも、<br>母親は違う。<br><br>日本人。<br><br>台湾人。<br><br>フィリピン人。<br><br>今こうやって書いてみると、<br>かなり複雑な家族だと思う。<br><br>でも、<br>子供の頃の俺にとっては、<br><br>これが自分の家族だった。<br><br>⸻<br><br>親父の周りには、いつも店があった<br><br>親父は、<br>女関係が派手だっただけの男ではない。<br><br>商売人だった。<br><br>昔から、<br><br>料理屋。<br><br>クラブ。<br><br>ラウンジ。<br><br>ライブハウス。<br><br>ホステスを抱える店。<br><br>いろいろな商売をしていた。<br><br>親父が最初に始めた店が<br>どこだったのか、<br><br>俺自身、<br>正確には知らない。<br><br>たぶん、<br><br>「樽」<br><br>という店だったと思う。<br><br>俺が聞いている話を辿れば、<br>そこが始まりだったように思う。<br><br>俺が小さい頃には、<br><br>「ぎょえん」<br><br>という店をやっていた。<br><br>漢字は正確には覚えていない。<br><br>たぶん、<br><br>「魚苑」<br><br>だったと思う。<br><br>蟹とフグの割烹料理屋だった。<br><br>親父は、<br>そこのマスターだった。<br><br>⸻<br><br>ルニー、Amigo、花蓮、B.Blue<br><br>親父の周りには、<br>ほかにもいくつもの店があった。<br><br>最初の奥さん、<br>ルニーのママの店。<br><br>「Lounge ルニー」。<br><br>俺の母親、<br>たけちゃんの店。<br><br>「Snack Amigo」。<br><br>そして、<br><br>「クラブ花蓮」。<br><br>この店の女性と親父が<br>どういう関係だったのか。<br><br>愛人だったのか。<br><br>それとも、<br>また別の関係だったのか。<br><br>子供だった俺には分からなかったし、<br><br>今でも、<br>正確なところは分からない。<br><br>さらに、<br><br>姉・恵美子の店、<br><br>「emikoルニー」。<br><br>そして記憶では、<br><br>「B.Blue」<br><br>というラウンジもあった。<br><br>親父の周りには、<br><br>いつも店があった。<br><br>酒があった。<br><br>女がいた。<br><br>そして人が集まっていた。<br><br>その中心にいたのが、<br><br>みんなから<br><br>「マスター」<br><br>と呼ばれていた親父だった。<br><br>⸻<br><br>でも、俺にはもう一人親父がいた<br><br>ここまで書いたのは、<br><br>実の親父の話だ。<br><br>俺には、<br>もう一人親父がいる。<br><br>俺を育てた男。<br><br>みんなから、<br><br>「チャーナのおっちゃん」<br><br>と呼ばれていた。<br><br>韓国人だった。<br><br>身長は190センチくらい。<br><br>ガタイがよく、<br><br>見た目だけなら、<br><br>どう見てもヤクザ。<br><br>地元では恐れられていた。<br><br>そして同時に、<br><br>かなり煙たがられていた。<br><br>超アウトロー。<br><br>そんな男が、<br><br>俺を育てた親父だった。<br><br>⸻<br><br>実の親父は、<br><br>バツ5。<br><br>6人の女性と結婚した<br>商売人の「マスター」。<br><br>育ての親父は、<br><br>地元で恐れられた<br>韓国人の「チャーナのおっちゃん」。<br><br>俺には、<br><br>そんな二人の親父がいた。<br><br>今振り返れば、<br><br>俺の人生が<br>最初から少し普通と違っていたのも、<br><br>まあ、<br><br>当然だったのかもしれない。<br><br>そして、<br><br>マスターの話は、<br>こんなものでは終わらない。<br><br>むしろ、<br>ここからがおかしい。<br><br>18歳の時。<br><br>俺は親父と二人で、<br>初めてフィリピンへ向かった。<br><br>その時、<br><br>空港へ向かう車の中で<br>親父が俺に見せていたものは、<br><br>飛行機事故ばかりを集めたビデオだった。<br><br>これから初めて海外へ行く<br>18歳の息子に。<br><br>なぜそんなものを見せるのか。<br><br>今でも意味は分からない。<br><br>でも、<br><br>それが、<br><br>俺の親父だった。<br><br>――番外編、まだまだ続きます。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n0a2a449d3b2a'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 26 Sep 2026 22:32:48 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n0a2a449d3b2a</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n0a2a449d3b2a</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章 第2話｜客と消えたフィリピン人タレント。俺たちはそれを「ランナウェイ」と呼んだ</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/317649008/rectangle_large_type_2_17fc4385831e9e5fd22617f8a29d368c.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="796C3C53-FD4B-4E97-826C-5A7297D7E2F0" id="796C3C53-FD4B-4E97-826C-5A7297D7E2F0">女の子が一人、消えた。<br><br>店にもいない。<br><br>寮にも帰ってこない。<br><br>連絡も取れない。<br><br>俺たちは、こういう失踪を<br><br>「ランナウェイ」<br><br>と呼んでいた。<br><br>Run away。<br><br>逃げる。<br><br>俺がフィリピンホステスのプロモーターになって、最初に経験した大きなトラブルだった。<br><br>⸻<br><br>当時、フィリピンから来るタレントは、一度の出入国でだいたい4人から5人。<br><br>多い時には8人くらいが一緒に動くこともあった。<br><br>ただ、それは一回の出入国の人数だ。<br><br>会社全体では、100人前後のフィリピン人タレントの面倒を見ていた。<br><br>彼女たちはマニラから日本へ来る。<br><br>当時はタイ国際航空を使って来るのがいつもの流れだった。<br><br>日本に着けば、それぞれの店へ入る。<br><br>働く場所は、普通のスナックではない。<br><br>店にはステージがあり、控室がある。<br><br>タレントは客席を通らず、控室からそのままステージへ上がれるような造りになっていた。<br><br>当時の風俗営業2号の許可を持つ、いわゆるクラブだった。<br><br>この世界には、この世界なりのランクもあった。<br><br>初めて日本へ来る子は、<br><br>ファーストタイム。<br><br>2回目なら、<br><br>セカンドタイム。<br><br>日本へ来る回数が増えたり、<br><br>客から、<br><br>「次もこの子を呼んでほしい」<br><br>とリクエストが入ったり、<br><br>店のオーナーから指名されるようになると、ギャラも上がっていく。<br><br>ファーストタイムの女の子一人に対して、店からプロモーター会社へ支払われる金額は、だいたい月22万円から23万円。<br><br>そこからマニラ側のプロダクションへもマージンを払う。<br><br>女の子本人の手取りは、7万円から8万円くらいだった。<br><br>それとは別に、食事代として一日500円。<br><br>米は店から支給される。<br><br>同じ店に所属するタレント同士で金を出し合い、おかずの材料を買って寮で自炊していた。<br><br>住む場所は店が用意する。<br><br>門限もある。<br><br>勝手に外泊することもできない。<br><br>俺たちの仕事は、<br><br>フィリピンから女の子を連れてきて終わりではなかった。<br><br>店へ入れる。<br><br>日本で生活させる。<br><br>問題が起きれば対応する。<br><br>そして契約期間を終えたら、フィリピンへ帰す。<br><br>そこまでが仕事だった。<br><br>⸻<br><br>俺自身は固定給だった。<br><br>一人連れてくれば俺にいくら入る、という仕事ではない。<br><br>ただ、<br><br>この仕事が金になることは分かっていた。<br><br>考えてみれば、俺は子供の頃から親父のやっていることを見てきた。<br><br>普通の家庭とは少し違っていたと思う。<br><br>子供ながらに、<br><br>「親父のやってることは普通じゃないな」<br><br>とは分かっていた。<br><br>同時に、<br><br>でも、金にはなる。<br><br>それも分かっていた。<br><br>だからこの世界に入った時も、<br><br>「とんでもない世界に来てしまった」<br><br>とは思わなかった。<br><br>俺にとっては、<br><br>こういう商売もある。<br><br>そのくらいの感覚だった。<br><br>でも、100人近い人間が動けば、<br><br>当然、何も起きないわけがない。<br><br>そして最初に起きたのが、<br><br>ランナウェイだった。<br><br>⸻<br><br>逃げた女の子は、京都府舞鶴市の店で働いていた。<br><br>相手の男は、<br><br>その店の客ではなかった。<br><br>女の子が以前、千葉県の店で働いていた時に知り合った男だった。<br><br>どうやら舞鶴へ来てからも、二人の関係は続いていたらしい。<br><br>そしてある日、<br><br>女の子が消えた。<br><br>ランナウェイする女の子には、ある程度パターンがあった。<br><br>スーツケースは寮に残す。<br><br>大きなスーツケースを持って出れば、<br><br>「逃げるんじゃないか」<br><br>とすぐに分かる。<br><br>だから逃げる前から、荷物を少しずつ送っておく。<br><br>何回かに分けて、逃げる先へ送る。<br><br>そして最後は、<br><br>普段と変わらない格好で寮を出る。<br><br>スーツケースは残ったまま。<br><br>一見すると、<br><br>ちょっと出かけただけに見える。<br><br>でも、<br><br>帰ってこない。<br><br>⸻<br><br>問題は、<br><br>どこへ逃げたのか。<br><br>だった。<br><br>そこで俺たちは、逃げる前に送った荷物を手掛かりにした。<br><br>別のフィリピン人の女の子と郵便局へ行った。<br><br>逃げた本人のふりをしてもらい、<br><br>「この前送った住所のメモをなくした。もう一度同じところへ送りたい」<br><br>そんなふうに聞いてもらった。<br><br>今なら、まず無理だと思う。<br><br>でも当時の田舎の郵便局は、<br><br>良く言えば親切。<br><br>悪く言えば、<br><br>個人情報はズブズブだった。<br><br>そして、<br><br>住所が出てきた。<br><br>千葉県。<br><br>個人宅ではない。<br><br>会社の住所だった。<br><br>調べてみると、<br><br>どうやら鉄工所のようだった。<br><br>以前その女の子が働いていたのも千葉。<br><br>駆け落ちした相手も千葉の男。<br><br>そして荷物の送り先も千葉。<br><br>話がつながった。<br><br>⸻<br><br>その頃、<br><br>フィリピン側でも動いていた。<br><br>逃げた女の子が所属している現地のプロダクションとマネージャーが、<br><br>フィリピンにいる本人の家族へ連絡を入れる。<br><br>本人から何か聞いていないか。<br><br>連絡は来ていないか。<br><br>日本では俺たちが追う。<br><br>フィリピンでは家族まで確認が入る。<br><br>一人の女の子が消えると、<br><br>日本とフィリピンの両方が動く。<br><br>それがランナウェイだった。<br><br>⸻<br><br>俺たちのプロダクションは京都の伏見にあった。<br><br>社長には電話だけ入れた。<br><br>そして髙橋さんと二人、<br><br>ベンツに乗って舞鶴を出た。<br><br>目指すは千葉。<br><br>6時間以上の道のりだった。<br><br>当時、車には今みたいなナビは付いていない。<br><br>頼りにしたのは、<br><br>ノートパソコンに入っていた地図ソフト。<br><br>画面で道を確認しながら、<br><br>知らない土地をひたすら走った。<br><br>寒い日だった。<br><br>千葉へ着いた頃には、<br><br>もう早朝になっていた。<br><br>少し食事をして、<br><br>仮眠を取った。<br><br>そして午前中、<br><br>郵便局で手に入れた住所へ向かった。<br><br>⸻<br><br>着いた先は、<br><br>本当に小さな鉄工所だった。<br><br>大きな工場ではない。<br><br>町にある、小さな鉄工所。<br><br>事務所の玄関先へ行くと、<br><br>一人のおばさんが出てきた。<br><br>髙橋さんが聞いた。<br><br>「◯◯さんは、ここにおられますか？」<br><br>おばさんはすぐに答えた。<br><br>「いいえ。そんな人、知りません」<br><br>その瞬間、<br><br>俺には嘘だと分かった。<br><br>鉄工所の名前と、<br><br>荷物の受取人の苗字が同じだった。<br><br>どう考えても、<br><br>この男の実家がやっている鉄工所だ。<br><br>目の前のおばさんは、<br><br>たぶん母親。<br><br>息子を庇っている。<br><br>俺は黙って二人のやり取りを見ていた。<br><br>その時、<br><br>ふと上を見ると、<br><br>事務所に表彰状のようなものが飾ってあった。<br><br>総理大臣から贈られたものだった。<br><br>髙橋さんも、それを見ていた。<br><br>そして少し強く出た。<br><br>「フィリピンの女のことも知ってますよね？」<br><br>おばさんの表情を見る。<br><br>「このあと警察も入管もここに来ますよ」<br><br>さらに、<br><br>「もう息子さんの逮捕の話まで出てますから」<br><br>もちろん、<br><br>そんな話は出ていない。<br><br>髙橋さんが、<br><br>かましただけだった。<br><br>でも、<br><br>おばさんの表情が少し変わった。<br><br>戸惑っている。<br><br>「息子さんはここに住んでますか？」<br><br>俺は横で黙って見ている。<br><br>「息子さんの自宅、どこですか？」<br><br>少し間があった。<br><br>「◯◯団地です」<br><br>やっぱり知っている。<br><br>「その後の住所は？」<br><br>すると、<br><br>「一度行ったことはあるけど、本当に分かりません。もう帰ってください」<br><br>と言った。<br><br>最初は、<br><br>「そんな人、知らない」<br><br>だった。<br><br>それが今では、<br><br>「一度行ったことがある」<br><br>に変わっている。<br><br>俺たちは、<br><br>間違った場所には来ていなかった。<br><br>⸻<br><br>とりあえず、<br><br>◯◯団地へ向かった。<br><br>地図にはちゃんと載っている。<br><br>そこへ行けば何とかなると思っていた。<br><br>ところが、<br><br>着いてみて愕然とした。<br><br>俺たちの街にある団地とは規模が違う。<br><br>棟がいくつも並んでいる。<br><br>どこまで続いているのか分からない。<br><br>髙橋さんも言った。<br><br>「これ、どうする？」<br><br>マンモス団地だった。<br><br>とりあえず、<br><br>目についた一番手前の棟に入った。<br><br>郵便ポストがずらりと並んでいる。<br><br>名前のあるもの。<br><br>何も書かれていないもの。<br><br>郵便物やポスティングのビラも大量に刺さっている。<br><br>俺たちは手分けして、<br><br>その男の名前を探した。<br><br>一つずつ、<br><br>ポストを見ていく。<br><br>すると、<br><br>一軒だけあった。<br><br>少し変わった苗字だったから目についた。<br><br>「これかな？」<br><br>他に手掛かりはない。<br><br>部屋まで行き、<br><br>呼び鈴を鳴らした。<br><br>返事はない。<br><br>もう一度。<br><br>それでも誰も出てこない。<br><br>しばらく待ったが、<br><br>反応はなかった。<br><br>「工場へ戻ろう」<br><br>俺たちは、<br><br>もう一度あの鉄工所へ向かった。<br><br>⸻<br><br>再び、<br><br>あのおばさんと話した。<br><br>小さな鉄工所とはいっても、<br><br>従業員は何人かいた。<br><br>髙橋さんが言った。<br><br>「息子さんに電話してください」<br><br>おばさんは動かない。<br><br>「そうじゃないと警察呼びますよ」<br><br>そして、<br><br>またかました。<br><br>「午後からは家宅捜査になりますから」<br><br>もちろん、<br><br>そんな予定もない。<br><br>おばさんは困ったような表情をした。<br><br>電話をするのかと思った。<br><br>でも、<br><br>電話はしなかった。<br><br>代わりにメモに何かを書き始めた。<br><br>そして、<br><br>俺たちに渡した。<br><br>住所だった。<br><br>見ると、<br><br>さっき俺たちが偶然見つけた、<br><br>あの部屋だった。<br><br>合っていた。<br><br>⸻<br><br>俺たちは、<br><br>もう一度団地へ戻った。<br><br>同じ部屋。<br><br>呼び鈴を鳴らす。<br><br>今度は、<br><br>男が出てきた。<br><br>コイツだ。<br><br>髙橋さんが話をする。<br><br>男は言った。<br><br>女の子から荷物が実家の工場に送られてきたのは事実。<br><br>でも、<br><br>女の友達が取りに来ただけ。<br><br>自分が知っているのは、<br><br>そこまでだと言う。<br><br>俺たちは、<br><br>家の中を少し見せてほしいと頼んだ。<br><br>男は嫌がった。<br><br>「いや、掃除もしてないし」<br><br>「万年独身で汚いから嫌なんですよ」<br><br>髙橋さんは、<br><br>それでも丁寧に話を続けている。<br><br>俺は横で黙って、<br><br>玄関から見える部屋の中を目で追っていた。<br><br>何かないか。<br><br>女がここにいた痕跡はないか。<br><br>その時だった。<br><br>ん？<br><br>台所にコップが見えた。<br><br>そこに、<br><br>歯ブラシが二本。<br><br>水色。<br><br>そしてピンク。<br><br>まるで漫画みたいに、<br><br>仲良く二本並んでいる。<br><br>俺のスイッチが入った。<br><br>「なめとんか！ オマエ！」<br><br>男の胸ぐらを掴んだ。<br><br>今にも殴りそうな勢いだった。<br><br>髙橋さんが驚いた。<br><br>「どしたんや！」<br><br>俺が言った。<br><br>「コップの歯ブラシ、並んでますやん！」<br><br>そのまま胸ぐらを掴んで、<br><br>土足で何歩か部屋の中へ入った。<br><br>すると、<br><br>さらに見えた。<br><br>ブラジャー。<br><br>パンティー。<br><br>干してある。<br><br>確定した。<br><br>女は、<br><br>この部屋にいた。<br><br>⸻<br><br>髙橋さんが俺を止めた。<br><br>「まあまあ、落ち着け」<br><br>それから男に、<br><br>優しい口調で言った。<br><br>「早よ言うた方が良いで」<br><br>男は黙っている。<br><br>「コイツもイライラしてるから、どつかれるだけですまんで」<br><br>そこからは、<br><br>俺も演技に入った。<br><br>「いやー、もうしばきあげてしまいますわ！」<br><br>髙橋さんが静かに話す。<br><br>俺が横で荒れる。<br><br>男は観念した。<br><br>そして話し始めた。<br><br>俺たちが最初に鉄工所へ来た時点で、<br><br>女の子を知り合いの家へ逃がしたという。<br><br>その話は本当だと思った。<br><br>部屋には、<br><br>明らかに女が暮らしていた痕跡がある。<br><br>でも、<br><br>今はいない。<br><br>男をベンツに乗せた。<br><br>そして、<br><br>女がいるという場所へ向かった。<br><br>⸻<br><br>住宅街へ入ると、<br><br>男が言った。<br><br>「ここで待っていてください」<br><br>男は一人で歩いていった。<br><br>5分。<br><br>10分。<br><br>15分。<br><br>戻ってこない。<br><br>逃げたか？<br><br>そう思い始めた頃、<br><br>向こうから男が戻ってきた。<br><br>一人ではなかった。<br><br>横に、<br><br>女の子がいた。<br><br>探していた、<br><br>あのフィリピン人タレントだった。<br><br>やっと見つけた。<br><br>舞鶴から消えて、<br><br>千葉まで追い、<br><br>郵便局で住所を掴み、<br><br>鉄工所へ行き、<br><br>マンモス団地を探し、<br><br>ようやく見つけた。<br><br>でも、<br><br>髙橋さんは怒らなかった。<br><br>女の子に、<br><br>優しく言った。<br><br>「大丈夫か？」<br><br>それだけだった。<br><br>女の子は安心したのか、<br><br>泣き出した。<br><br>男が女を抱きしめた。<br><br>「大丈夫、大丈夫」<br><br>そう言って宥めていた。<br><br>その姿を見て、<br><br>俺にも少し分かった。<br><br>この二人、<br><br>本当に好きなんだ。<br><br>⸻<br><br>俺は伏見の社長へ電話した。<br><br>「見つかりました」<br><br>発見を報告する。<br><br>そして、<br><br>「今日中にフィリピンへ帰すんで、チケットお願いします」<br><br>こういう場合は、<br><br>即刻帰国だった。<br><br>すると社長が言った。<br><br>「男と離れた後、埋めてまえ！」<br><br>一瞬、<br><br>耳を疑った。<br><br>「えっ？」<br><br>「そんなピンコー、山に埋めたれ！」<br><br>さらに、<br><br>「入管には失踪した届け出したらかまわへん」<br><br>社長の理屈では、<br><br>失踪したことにして山に埋めれば終わり。<br><br>そんな無茶苦茶な話だった。<br><br>さすがに、<br><br>俺も髙橋さんも苦笑いした。<br><br>「いやいや、今から関空行くんで、チケットお願いします」<br><br>すると、<br><br>「ほな、そうせーや」<br><br>で終わった。<br><br>そんな社長だった。<br><br>⸻<br><br>すると男が、<br><br>髙橋さんに懇願した。<br><br>「空港まで付いて行きたい」<br><br>女の子を男の車に乗せるわけにはいかない。<br><br>また逃げられても困る。<br><br>事故でも起きれば、<br><br>さらに面倒なことになる。<br><br>かといって、<br><br>男を俺たちのベンツに乗せることもできない。<br><br>髙橋さんが言った。<br><br>「自分の車で後ろから付いてくるならええで」<br><br>男は、<br><br>小さな軽自動車で俺たちの後ろを付いてきた。<br><br>たぶん中古だったと思う。<br><br>俺たちのベンツ。<br><br>その後ろを、<br><br>小さな軽自動車が必死についてくる。<br><br>なんとも変な光景だった。<br><br>⸻<br><br>千葉から関西までは長い。<br><br>途中、<br><br>何度かサービスエリアに止まった。<br><br>俺たちが車を降りる。<br><br>男も軽自動車から降りてくる。<br><br>すると二人は、<br><br>すぐに駆け寄って抱き合った。<br><br>休憩のたびに同じだった。<br><br>女の子も男から離れようとしない。<br><br>男もずっと女の子を気にしている。<br><br>何度かそれを見ているうちに、<br><br>俺にもはっきり分かった。<br><br>本当に好き同士なんや。<br><br>遊びではない。<br><br>男が女を騙して連れ出したようにも見えない。<br><br>二人とも、<br><br>本気だった。<br><br>ただ、<br><br>やり方を知らなかった。<br><br>⸻<br><br>そのうち髙橋さんが、<br><br>二人に国際結婚の方法を教え始めた。<br><br>髙橋さんの前の奥さんは、<br><br>フィリピン人だった。<br><br>だから、<br><br>その辺りのことはよく知っていた。<br><br>「そんなに一緒におりたいんやったら、ちゃんと結婚したらええやん」<br><br>どういう手続きが必要なのか。<br><br>日本で何をするのか。<br><br>フィリピンで何をするのか。<br><br>二人は真剣に聞いていた。<br><br>さっきまで、<br><br>逃げた女を探して男を問い詰めていた俺たちが、<br><br>今度はサービスエリアで国際結婚のやり方を教えている。<br><br>変な話だった。<br><br>でも、<br><br>髙橋さんも、<br><br>たぶんこの二人を悪い人間だとは思わなかったんだろう。<br><br>もちろん、<br><br>ランナウェイしたことは問題だ。<br><br>店にも迷惑がかかる。<br><br>会社にも迷惑がかかる。<br><br>フィリピン側にも、<br><br>家族にも、<br><br>入管にも関わってくる。<br><br>でもこの二人には、<br><br>一緒になるための正しい方法を知る知識がなかった。<br><br>だから、<br><br>逃げるという方法を選んだ。<br><br>それしか思いつかなかったんだと思う。<br><br>⸻<br><br>車を走らせ、<br><br>まず京都・伏見の会社へ寄った。<br><br>女の子のパスポートを受け取る。<br><br>そしてそこから、<br><br>さらに1時間ほどかけて関西国際空港へ向かった。<br><br>空港に着くと、<br><br>俺たちは淡々と帰国の手続きを進めた。<br><br>その横で、<br><br>二人は別れを惜しんでいる。<br><br>やがて、<br><br>女の子はゲートの中へ入っていった。<br><br>それでも男は、<br><br>なかなか帰ろうとしなかった。<br><br>「どこかから見えないかな」<br><br>ゲートの向こうにいる彼女を、<br><br>まだどこかから見ることができないか。<br><br>ずっと探していた。<br><br>俺の記憶では、<br><br>当時の関西空港には英國屋の喫茶店があって、<br><br>その辺りから出国ゲートの向こうを少し見られる場所があったように思う。<br><br>男はそこまで行って、<br><br>もう一度、<br><br>彼女の姿が見えないか探していた。<br><br>最後まで、<br><br>見ようとしていた。<br><br>その姿を見て、<br><br>やっぱりこの二人は、<br><br>本当に好き同士だったんだと思った。<br><br>俺たちはそれを、<br><br>「ランナウェイ」<br><br>と呼んでいた。<br><br>でも、<br><br>本人たちにとっては、<br><br>ただ逃げたかったわけじゃない。<br><br>一緒にいたかった。<br><br>ただ、<br><br>その方法を知らなかっただけだった。<br><br>そこで、<br><br>男とは別れた。<br><br>女の子はフィリピンへ帰る。<br><br>男は日本に残る。<br><br>そして、<br><br>俺たちの仕事も終わった。<br><br>⸻<br><br>関空を出た俺と髙橋さんは、<br><br>帰り道に岸和田の健康ランドへ寄った。<br><br>昔よくあった、<br><br>大きな風呂に入って、<br><br>横になって休めるような場所だ。<br><br>湯船に浸かった瞬間、<br><br>一気に疲れが出た。<br><br>舞鶴から千葉。<br><br>千葉から京都。<br><br>そして関西空港。<br><br>何時間走ったのかも、<br><br>もうよく分からない。<br><br>風呂に浸かって、<br><br>そのまま少し仮眠を取った。<br><br>逃げた女の子を追いかけ、<br><br>舞鶴から千葉まで行き、<br><br>最後は関西空港からフィリピンへ帰す。<br><br>これが、<br><br>俺が最初に経験した<br><br>「ランナウェイ」だった。<br><br>⸻<br><br>次回予告<br><br>フィリピンホステスのプロモーターをしていると、<br><br>ランナウェイ以外にも、<br><br>普通では考えられないようなことが起きた。<br><br>ある日の早朝。<br><br>突然、<br><br>銃器対策課がやって来た。<br><br>理由は、<br><br>一人のフィリピン人タレント宛てに届いた荷物。<br><br>その中に入っていたのは、<br><br>フィリピンから送られてきた実弾だった。<br><br>なぜ、彼女のところに実弾が届いたのか。<br><br>そして、<br><br>銃器対策課は何を調べに来たのか。<br><br>次回、<br><br>第2章 第3話｜フィリピンから届いた実弾。早朝、銃器対策課が来た<br><br>へ続く。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n15081486b307'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 26 Sep 2026 11:58:47 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n15081486b307</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n15081486b307</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章 第1話｜27歳、俺はフィリピンホステスのプロモーターになった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/317469613/rectangle_large_type_2_dbea24e33f5329b07c494603e46b6314.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="FBF06C6C-769A-4B3E-BF05-4FB81D23423F" id="FBF06C6C-769A-4B3E-BF05-4FB81D23423F">先輩が消えた。<br><br>あれだけ毎日のように一緒にいて、<br>あれだけ色々なことに巻き込まれていた人間が、突然いなくなった。<br><br>当然、その後は何度も話し合いが行われた。<br><br>誰にいくら借りていたのか。<br>何が残っているのか。<br>誰がどこまで知っているのか。<br><br>先輩の周りには、とにかく色々な人間がいた。<br><br>金を貸していた人間。<br>仕事で関わっていた人間。<br>怖い人たち。<br>そして、俺のようにいつも近くにいた人間。<br><br>その中で、先輩に金を貸していた人から、俺のロレックスの代金も返してもらった。<br><br>だから、先輩が消れたからといって、俺自身がすぐに金に困ったわけではなかった。<br><br>それまで飲み食いの金は、ほとんど先輩が出していた。<br><br>毎日忙しくて、自分の金を使う暇もほとんどない。<br><br>給料もそこそこもらっていた。<br><br>金は残っていた。<br><br>ただ——<br><br>仕事だけが、突然なくなった。<br><br>そんな時だった。<br><br>俺より6歳上の男から声がかかった。<br><br>ここでは仮に、<br><br>髙橋さん<br><br>としておく。<br><br>髙橋さんがやっていた仕事は、<br><br>フィリピンホステスのプロモーター。<br><br>今の俺だけを知っている人なら、<br><br>「なんで急にフィリピン？」<br><br>と思うかもしれない。<br><br>でも俺にとっては、まったく知らない世界ではなかった。<br><br>むしろ、<br><br>子供の頃から見ていた世界だった。<br><br>⸻<br><br>俺の親父は、サウナだけをやっていたわけではない。<br><br>親父の仕事の中心にあったのは、<br><br>フィリピン人のプロモーターと、フィリピンクラブの経営だった。<br><br>身内にもフィリピンクラブを経営している人間が何人かいた。<br><br>俺が中学1年くらいの頃には、すでにそういう世界が身近にあった。<br><br>フィリピンクラブも、<br>そこで働くフィリピン人の女の子たちも、<br>プロモーターという仕事も、<br><br>俺にとって特別珍しいものではなかった。<br><br>親父と仕事をしていた頃には、プロモーターの仕事もある程度手伝っていた。<br><br>だから髙橋さんから声をかけられた時も、<br><br>「そんな仕事があるのか」<br><br>ではなかった。<br><br>「ああ、あの仕事か」<br><br>という感覚だった。<br><br>2003年。<br><br>先輩が消れて、ほとんど間もなく、<br><br>俺はその世界に入った。<br><br>27歳だった。<br><br>拠点は舞鶴。<br><br>最初から一店舗だけを担当したわけではない。<br><br>京都。<br>福井県の小浜。<br>兵庫県の明石。<br><br>この3ヶ所が、ほぼ同時に始まった。<br><br>月の手取りは30万円ほど。<br><br>それとは別に、空港で女の子たちの荷物が重量オーバーした時に発生するペナルティから、旅行会社からバックが入ることもあった。<br><br>これが意外と大きかった。<br><br>全部合わせれば、<br><br>月40万円以上にはなっていたと思う。<br><br>食事代なども、ある程度は経費として精算できた。<br><br>当時の俺には十分だった。<br><br>ただ、この仕事は、<br><br>女の子を店に紹介して終わりではない。<br><br>むしろ、<br><br>日本に入ってきてからが仕事だった。<br><br>⸻<br><br>まず、契約している店の代わりにフィリピンへ行く。<br><br>現地でオーディションをする。<br><br>店のオーナーには、それぞれ好みがある。<br><br>顔。<br>スタイル。<br>歌。<br>ダンス。<br>雰囲気。<br><br>その店に合いそうな女の子を探して、ギャラを決める。<br><br>当時、日本へ来る女の子たちは、シンガーやダンサーとして来るケースが多かった。<br><br>俺が扱った中には、<br><br>マジシャンも一人だけいた。<br><br>フィリピン側にもプロダクションがある。<br><br>海外へ送り出せる資格を持ったインターナショナルのプロダクション。<br><br>その下にはローカルのプロダクションがあり、さらにマネージャーが一人、二人と女の子を抱えていることもある。<br><br>日本側でオーディションの日程が決まれば、フィリピン各地から女の子たちがマニラへ集まってくる。<br><br>そして俺たちは、その中から選ぶ。<br><br>決まれば書類を申請する。<br><br>手続きを終え、日本への入国が決まる。<br><br>関西の場合、迎えに行くのはほとんど関西空港だった。<br><br>一人ずつ来るわけではない。<br><br>入れ替えの時期になると、数人まとめてやって来る。<br><br>関空まで迎えに行く。<br><br>大量の荷物を積む。<br><br>そのまま寮へ連れて行く。<br><br>必要な書類や保険の手続きをして、店に引き渡す。<br><br>外国人登録のために役所へ連れて行く。<br><br>病気になれば病院。<br><br>店とのトラブル。<br>女の子同士のトラブル。<br>男とのトラブル。<br><br>何か起きれば、<br><br>基本的にプロモーターに電話がかかってくる。<br><br>昼でも夜でも関係ない。<br><br>そして、中には妊娠する女の子もいた。<br><br>そんな時は病院へ連れて行く。<br><br>当時、手続き上必要になると、<br><br>俺が彼氏の役をして、中絶の書類にサインしたこともある。<br><br>本当の彼氏でもない。<br><br>父親でもない。<br><br>それでも、その場では俺が「彼氏」になる。<br><br>今考えると、かなり特殊な仕事だったと思う。<br><br>でも当時の俺には、<br><br>それすら仕事の一つだった。<br><br>女の子を日本へ連れてくるだけではない。<br><br>日本にいる間に起きることの、ほとんど全部を面倒見る。<br><br>それがプロモーターだった。<br><br>⸻<br><br>子供の頃から見ていた世界だったから、俺自身は最初、特別変わった仕事を始めたという感覚さえなかった。<br><br>でも、自分が責任を持つ側になると話は違った。<br><br>客と一緒に突然いなくなった女の子を追って、関東まで行ったこともある。<br><br>そして、<br><br>今でも何だったのか分からない出来事もあった。<br><br>最初に起きたのは、<br><br>小浜だった。<br><br>夜中に電話がかかってきた。<br><br>呼ばれて行ってみると、一人の女の子がベッドに押さえつけられていた。<br><br>その周りを、他のフィリピン人ホステスたちが囲んでいる。<br><br>手には聖書のようなものを持ち、何かを唱えていた。<br><br>店のオーナーは、フィリピンにいる祈祷師のような人に電話をしていた。<br><br>女の子は普段とは明らかに違った。<br><br>声も違う。<br><br>言動も違う。<br><br>そして何より、<br><br>力が異常だった。<br><br>身長150センチくらいの、小柄な女の子だった。<br><br>それなのに、<br><br>男4人で押さえても、吹き飛ばされるほどだった。<br><br>朝になっても収まらない。<br><br>近所に霊媒師をしているというお婆さんがいると聞き、そこにも連れて行った。<br><br>それでも終わらなかった。<br><br>今度は、<br><br>もう一人の女の子まで同じような状態になった。<br><br>最初の子から何かが乗り移ったのか。<br><br>集団ヒステリーのようなものだったのか。<br><br>俺には今でも分からない。<br><br>ただ、二人同時となると、さすがに俺たちだけではどうしようもなかった。<br><br>結局、<br><br>救急車を2台呼んだ。<br><br>救急車の中でも暴れていた。<br><br>担架に固定されても起き上がろうとする。<br><br>体を固定していたベルトが、<br><br>バリバリと音を立てるほどだった。<br><br>ベルトだけでは抑えられない。<br><br>その上から俺と後輩、救急隊員で押さえた。<br><br>それでも起き上がろうとする。<br><br>俺には医学的なことは分からない。<br><br>本当に何かに取り憑かれていたのかも分からない。<br><br>ただ、<br><br>あの夜、俺が実際に見たものを言葉にするなら——<br><br>まさに『エクソシスト』だった。<br><br>そして、<br><br>こんなことが起きたのは、<br><br>一度だけではない。<br><br>俺はその後、<br><br>もう一度、似た光景を見ることになる。<br><br>その話は、また後で書こうと思う。<br><br>⸻<br><br>先輩が消えて、<br><br>俺の人生から一つの世界が突然終わった。<br><br>でも、立ち止まる暇はなかった。<br><br>気づけば俺は、<br><br>フィリピンと日本を行き来し、<br><br>女の子を選び、<br><br>日本へ連れてきて、<br><br>彼女たちに起きる問題を処理する側になっていた。<br><br>今、上海でラーメンを作っている俺からは、たぶん想像できないと思う。<br><br>でも、<br><br>これも全部、今につながっている。<br><br>俺の人生は、<br><br>まだラーメンにはたどり着かない。<br><br>⸻<br><br>次回<br><br>俺はフィリピンへ渡った。<br><br>日本の店で働くチャンスを求めて、全国からマニラへ集まってくる女の子たち。<br><br>その前に座り、<br><br>今度は俺が、<br><br>「選ぶ側」になった。<br><br>第2章 第2話。<br><br>マニラでのオーディション。<br><br>続く。<br><br>この物語を最初から読む方はこちら<br><br>第1章 第1話｜所持金460円で東京へ。</p><figure embedded-content-key="emb8effbc85474f" embedded-service="note" data-src="https://note.com/mas0314/n/nc8708bc4e621" contenteditable="false" name="3C108126-1612-417E-BB68-1BDC21120FCE" id="3C108126-1612-417E-BB68-1BDC21120FCE" data-identifier="nc8708bc4e621">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n5f4ac92e6041'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 25 Sep 2026 21:45:53 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n5f4ac92e6041</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n5f4ac92e6041</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第2章予告｜俺は、フィリピンホステスのプロモーターになった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/317279026/rectangle_large_type_2_0cd27a9419ee7dab2f27d0a910934268.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="C559A345-4057-4E36-B736-E4CF829BC21F" id="C559A345-4057-4E36-B736-E4CF829BC21F">博打、借金、危ない人間関係。<br>そんな世界を抜けたあと、俺が次に入ったのは——<br><br>フィリピンホステスの世界だった。<br><br>店を持つわけでもない。<br>ラーメンを作るわけでもない。<br><br>女の子を集め、店につなぎ、<br>人と金が動く世界。<br><br>今、上海でラーメンを作っている俺からは、<br>たぶん想像できないと思う。<br><br>でも、これも全部つながっている。<br><br>どうして俺が、ラーメン屋になったのか。<br><br>その途中には、まだまだ書いていない人生がある。<br><br>第2章、始めます。<br><br>「フィリピンホステスのプロモーターになった男」<br><br>もちろん、誇張なしの実話です。<br><br>⸻<br><br>この話を最初から読む方はこちら。<br><br>第1話｜所持金460円で東京へ。<br>https://note.com/mas0314/n/nc8708bc4e621<br><br></p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n033d12dba2e3'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 25 Sep 2026 10:30:55 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n033d12dba2e3</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n033d12dba2e3</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第10話｜ボロボロのふとん屋、その通帳には3億数千万円。そして先輩は消えた。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/316958707/rectangle_large_type_2_c57e43f99502dc71b55bb301d8c4ac9f.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="EE8CBC14-FF14-4A19-8FA9-51C84EB702D4" id="EE8CBC14-FF14-4A19-8FA9-51C84EB702D4">第10話｜ボロボロのふとん屋、その通帳には3億数千万円。そして先輩は消えた。<br><br>その日は、久しぶりの休みだった。<br><br>家で鍋をつついていた。<br><br>あの頃の俺にとって、何も起きない一日は珍しかった。<br><br>そんな時、店から連絡が入った。<br><br>また何かあった。<br><br>俺は鍋を途中で切り上げ、店へ向かった。<br><br>店に着いた時には、女の子はすでに救急車で病院へ運ばれていた。<br><br>ソファー席には三人。<br><br>先輩。<br><br>ヤクザの本部長。<br><br>そして、見たことのないおっさん。<br><br>話を聞いて、すぐに頭に血が上がった。<br><br>先輩が経営していたラウンジの女の子に、そのおっさんが睡眠薬を飲ませ、女の子が倒れたという。<br><br>俺はそのまま、おっさんに詰め寄った。<br><br>ところが、<br><br>先輩が俺を止めた。<br><br>「まあまあ、ええから」<br><br>妙に優しかった。<br><br>俺には、それが理解できなかった。<br><br>女の子は救急車で運ばれている。<br><br>警察だって来る。<br><br>普通なら怒鳴りつけてもおかしくない。<br><br>なのに先輩は、<br><br>おっさんを責めるどころか、むしろ安心させるように話をしていた。<br><br>対応が優しすぎる。<br><br>でも、しばらくすると分かった。<br><br>おっさんが先輩に心を開き始めた。<br><br>そして言った。<br><br>「彼女には慰謝料で100万円払うから……」<br><br>すると先輩は静かに言った。<br><br>「そんな簡単に100万払うって言える人間はな、一桁増えても払える人間や」<br><br>おっさんは黙って頷いた。<br><br>100万円だった話は、<br><br>その場で1000万円になった。<br><br>⸻<br><br>次は病院だった<br><br>それで終わりではない。<br><br>女の子は救急車で病院へ運ばれている。<br><br>当然、警察も動いている。<br><br>俺は病院へ向かった。<br><br>そこには女の子の母親も来ていた。<br><br>女の子はすでに意識を取り戻していた。<br><br>先輩からは、<br><br>被害届を出さないことで示談の話ができていることを、<br><br>本人と母親に伝えるよう言われていた。<br><br>もちろん母親は怒っていた。<br><br>当たり前だ。<br><br>自分の娘が睡眠薬を飲まされ、<br><br>救急車で運ばれている。<br><br>俺は二人に事情を説明した。<br><br>何度も話をして、<br><br>最終的には納得してもらった。<br><br>そして次は、<br><br>刑事だった。<br><br>担当した刑事は、<br><br>俺もよく知っている人だった。<br><br>50代。<br><br>迷彩のTシャツ。<br><br>パンチパーマ。<br><br>地元ではよく知られた刑事だった。<br><br>その刑事は、<br><br>あのおっさんのことを前から知っていた。<br><br>以前にも似たようなことがあったらしい。<br><br>精神的な問題もあると聞いていて、<br><br>それまで簡単には逮捕できなかったという。<br><br>俺が示談の話をすると、<br><br>刑事は言った。<br><br>「なんとか逮捕させてくれ」<br><br>そして続けた。<br><br>「そうせんと、こいつはまたやる。そのうち大変なことになるぞ」<br><br>今でも、この言葉は覚えている。<br><br>おっさん自身も、<br><br>自分が簡単には逮捕されないことを分かっているように見えた。<br><br>でも、この時の俺たちは、<br><br>おっさんを守る側に回った。<br><br>あの刑事の言葉を、<br><br>俺は後になって何度も思い出すことになる。<br><br>⸻<br><br>ボロボロのふとん屋<br><br>翌日。<br><br>先輩と俺は、<br><br>そのおっさんのふとん屋へ行った。<br><br>店を見て驚いた。<br><br>古い。<br><br>というより、<br><br>ボロボロだった。<br><br>店の中には、<br><br>ふとんが山のように積まれている。<br><br>その奥に、<br><br>小さな小上がり。<br><br>そこに小さなこたつ。<br><br>おっさんは、<br><br>そのこたつの前に座っていた。<br><br>どう見ても、<br><br>1000万円を簡単に払える人間には見えない。<br><br>ただ、このおっさん。<br><br>ただの町のふとん屋ではなかった。<br><br>家は代々、<br><br>防衛関係への納入をしていた。<br><br>自衛隊の宿舎や艦艇などに、<br><br>ふとん、毛布、枕といった寝具を納める商売をしていたらしい。<br><br>いわば、<br><br>代々続く商売の家のボンボンだった。<br><br>店だけ見れば、<br><br>そんな背景があるなんて、とても想像できない。<br><br>すると、おっさんが通帳を出した。<br><br>そして言った。<br><br>「ほらな。金はあるんや」<br><br>俺は通帳を見た。<br><br>数字を追った。<br><br>一、十、百、千、万……<br><br>3億数千万円。<br><br>確か、<br><br>3億6000万円とか、<br><br>3億8000万円とか、<br><br>そのくらいだったと思う。<br><br>正確な数字までは覚えていない。<br><br>でも、<br><br>3億円を大きく超えていたことだけは覚えている。<br><br>ボロボロのふとん屋。<br><br>山積みのふとん。<br><br>小さな小上がり。<br><br>小さなこたつ。<br><br>その前に座る、<br><br>少し変わったおっさん。<br><br>そして、<br><br>その通帳には3億数千万円。<br><br>俺は驚いた。<br><br>横を見ると、<br><br>先輩がニコッと笑った。<br><br>その顔を見た瞬間、<br><br>俺には分かった。<br><br>1000万円で終わる気なんかない。<br><br>俺には、<br><br>そう見えた。<br><br>⸻<br><br>4000万、5000万と金が動いた<br><br>実際、<br><br>1000万円だけでは終わらなかった。<br><br>その後も、<br><br>あの女の子を話の表に出して、<br><br>「一緒に店を出そう」<br><br>とか、<br><br>そんな話をしながら、<br><br>先輩はおっさんから金を引っ張っていった。<br><br>4000万円。<br><br>5000万円。<br><br>正確な総額は分からない。<br><br>でも、<br><br>そのくらいの金が動いた。<br><br>俺は思った。<br><br>これだけあれば、<br><br>借金をかなり返せるやん。<br><br>先輩には、<br><br>7000万円を超えるような金の問題があった。<br><br>何千万も返済に回せば、<br><br>状況は一気に楽になる。<br><br>普通なら、<br><br>そう考えると思う。<br><br>でも、<br><br>先輩は違った。<br><br>その金は、<br><br>カジノや大きな博打へ流れていった。<br><br>また勝負する。<br><br>また増やそうとする。<br><br>そして、<br><br>また消える。<br><br>俺は何度も思った。<br><br>なんで返さんのや。<br><br>これだけ金を作れるなら、<br><br>一回全部整理したらええやん。<br><br>でも、<br><br>先輩にとっては借金を減らすことより、<br><br>次の一発で全部ひっくり返すことの方が魅力的だったのかもしれない。<br><br>金を作る才能は、<br><br>本当にあった。<br><br>ただ、<br><br>金を残すことができなかった。<br><br>金を作る。<br><br>張る。<br><br>消える。<br><br>また作る。<br><br>その繰り返しだった。<br><br>今思えば、<br><br>その繰り返しが、<br><br>少しずつ先輩自身を追い込んでいったんだと思う。<br><br>⸻<br><br>あの刑事の言葉<br><br>このふとん屋の話には、<br><br>今でも俺の中で整理できていない続きがある。<br><br>その後、<br><br>あのおっさんに関係する別の出来事の中で、<br><br>幼い子どもたちが亡くなった。<br><br>今回の事件と、<br><br>直接の因果関係があったわけではない。<br><br>そこを結びつけるつもりもない。<br><br>ただ、<br><br>俺の頭には、<br><br>あの刑事の言葉が何度も浮かんだ。<br><br>「そのうち大変なことになるぞ」<br><br>何かできなかったのか。<br><br>あの時、<br><br>別の対応があったんじゃないか。<br><br>考えても、<br><br>答えは出ない。<br><br>直接関係がなかったとしても、<br><br>人が亡くなったという事実だけは、<br><br>簡単には頭から消えてくれない。<br><br>人生には、<br><br>何十年経っても整理できない記憶がある。<br><br>俺にとって、<br><br>これはその一つになった。<br><br>⸻<br><br>マッチ箱いっぱいの小さな文字<br><br>そして、<br><br>ちょうどその頃だった。<br><br>先輩の部屋で、<br><br>奇妙なものを見つけた。<br><br>マッチ箱だった。<br><br>何気なく見ると、<br><br>あんな小さな箱に、<br><br>さらに小さな文字でびっしりと何かが書かれていた。<br><br>何を書いていたのかまでは覚えていない。<br><br>でも、<br><br>そのマッチ箱を見た瞬間、<br><br>妙な感じがした。<br><br>この人、<br><br>相当追い込まれてるんちゃうか。<br><br>そう思った。<br><br>先輩は、<br><br>いつも強気だった。<br><br>金がなくても、<br><br>面倒なことが起きても、<br><br>最後には何とかする。<br><br>実際、<br><br>それまで何度も何とかしてきた。<br><br>だからこそ、<br><br>あの小さなマッチ箱いっぱいに書かれた文字が、<br><br>妙に気になった。<br><br>口では何も言わない。<br><br>でも、<br><br>何かが壊れ始めている。<br><br>そんな感じがした。<br><br>⸻<br><br>ロレックスを質屋に入れた<br><br>俺は、<br><br>少しでも先輩を助けたかった。<br><br>もちろん、<br><br>先輩が抱えていた問題を、<br><br>俺がどうにかできるような金額ではない。<br><br>それでも、<br><br>せめて飲み代くらいにはなるやろ。<br><br>そう思った。<br><br>俺は自分のロレックスを質屋へ持っていった。<br><br>そして、<br><br>数十万円を作った。<br><br>その金を先輩に渡した。<br><br>すると先輩は、<br><br>いつもの調子で言った。<br><br>「なんや、これ」<br><br>「アホなことせんでええ！」<br><br>「金なら大丈夫や！」<br><br>強気だった。<br><br>確かに、<br><br>この人はそれまで何が起きても何とかしてきた。<br><br>俺も、<br><br>今回もそうなると思っていた。<br><br>⸻<br><br>『ミナミの帝王』を読んで金を作る男<br><br>先輩には、<br><br>普通の人にはない才能があった。<br><br>ある時、<br><br>『ミナミの帝王』の漫画を持ってトイレに入った。<br><br>1時間くらい出てこない。<br><br>何してんねん。<br><br>そう思っていたら、<br><br>しばらくして笑顔で出てきた。<br><br>そして一言。<br><br>「ええこと思いついたわ！」<br><br>漫画を読んで、<br><br>そこに出てきた話から、<br><br>現実で金を作る方法を考える。<br><br>そして、<br><br>本当にやる。<br><br>そんな人だった。<br><br>普通の人なら、<br><br>漫画を読んで「面白かった」で終わる。<br><br>先輩は違った。<br><br>そこから、<br><br>どうやったら金になるのかを考える。<br><br>頭の回転は速かった。<br><br>人を動かす力もあった。<br><br>何もないところから、<br><br>金を作る力もあった。<br><br>良い悪いは別として、<br><br>それなりの才能がある人だった。<br><br>だから今でも思う。<br><br>この人が、<br><br>違うところにその才能を使っていたら、<br><br>全然違う人生になっていたんじゃないか。<br><br>でも先輩は、<br><br>作った金をまた勝負に突っ込んだ。<br><br>そして、<br><br>また次の金を作った。<br><br>⸻<br><br>「おまえは頑張って生きろよ」<br><br>それから、<br><br>そんなに経っていないある日。<br><br>俺は先輩を車に乗せ、<br><br>女の家まで送っていた。<br><br>いつもと同じような夜だった。<br><br>ところが、<br><br>車の中で先輩が突然、<br><br>妙なことを言った。<br><br>「おまえ、頑張れよ」<br><br>そして、<br><br>「俺に何が起きても心配すんな」<br><br>「おまえは頑張って生きろよ」<br><br>何を言うてんねん。<br><br>俺はそんな感じだった。<br><br>「そんなん分かってるし」<br><br>「なんも起きんて」<br><br>たしか、<br><br>そんな返事をした。<br><br>本気で受け止めていなかった。<br><br>だって、<br><br>それまで何が起きても、<br><br>この人は最後には何とかしてきた。<br><br>今回も、<br><br>そうだと思っていた。<br><br>女の家に着いた。<br><br>先輩を降ろした。<br><br>俺はそのまま、<br><br>車を走らせた。<br><br>まさか、<br><br>あの会話が別れの言葉になるなんて、<br><br>思っていなかった。<br><br>その後すぐ、<br><br>先輩は姿を消した。<br><br>⸻<br><br>そして、先輩は消えた<br><br>借金。<br><br>博打。<br><br>女。<br><br>ヤクザ。<br><br>車。<br><br>いろんな人間との約束。<br><br>いろんなものを残したまま、<br><br>先輩はいなくなった。<br><br>何を考えていたのか。<br><br>本当のところは分からない。<br><br>金の問題が危ないところまで来ていたのは、<br><br>確かだと思う。<br><br>でも、<br><br>俺はそれだけじゃなかったと思っている。<br><br>たぶん、<br><br>疲れたんだと思う。<br><br>何かが起きる。<br><br>何とかする。<br><br>また何かが起きる。<br><br>また何とかする。<br><br>ずっと、<br><br>その繰り返しだった。<br><br>あれだけ何とかしてきた人だからこそ、<br><br>全部捨てて、<br><br>もう一度ゼロからやり直したかったのかもしれない。<br><br>本人にしか分からない。<br><br>ただ、<br><br>今でも俺は時々思い出す。<br><br>あのマッチ箱。<br><br>小さな箱いっぱいに書かれた、<br><br>細かい文字。<br><br>そして、<br><br>あの車の中で言われた言葉。<br><br>「俺に何が起きても心配すんな」<br><br>「おまえは頑張って生きろよ」<br><br>あの時は、<br><br>何を言っているのか分からなかった。<br><br>でも今になって思えば、<br><br>あの時にはもう、<br><br>何かを決めていたのかもしれない。<br><br>⸻<br><br>19歳で店を持った。<br><br>父のサウナを継いだ。<br><br>そして、<br><br>全部失った。<br><br>漁師になった。<br><br>先輩と出会った。<br><br>博打を覚えた。<br><br>何百万、<br><br>何千万という金が動く世界を見た。<br><br>韓国のカジノ。<br><br>ヤクザ。<br><br>借金。<br><br>女。<br><br>普通に生きていれば、<br><br>一生関わらなかったかもしれない世界が、<br><br>あの頃の俺には日常だった。<br><br>正しい人生だったとは思わない。<br><br>人に勧められる生き方でもない。<br><br>失敗もした。<br><br>間違ったこともした。<br><br>でも、<br><br>これも全部、<br><br>俺の人生だ。<br><br>そして、<br><br>先輩が消えたことで、<br><br>俺の人生の一つの時代も終わった。<br><br>ただ、<br><br>俺の遠回りは、<br><br>まだ始まったばかりだった。<br><br>第1話で書いた、<br><br>東京で所持金460円になったあの日までには、<br><br>まだまだ長い道のりがある。<br><br>そこへたどり着くまでに、<br><br>俺はまだ何度も仕事を変え、<br><br>いろんな人間と出会い、<br><br>何度も失敗し、<br><br>また違う世界へ入っていく。<br><br>そして最後には、<br><br>自己破産まで経験することになる。<br><br>それでも、<br><br>人生は終わらなかった。<br><br>今なら言える。<br><br>人生は、<br><br>何度でもやり直せる。<br><br>いや、<br><br>俺の場合は、<br><br>やり直すしかなかった。<br><br>そして俺は、<br><br>また次の人生へ歩き始めた。<br><br>⸻<br><br>第1章　完。<br><br>ここまで読んでいただき、<br><br>ありがとうございました。<br><br>先輩が消れて、<br><br>俺の人生の一つの時代が終わりました。<br><br>でも、<br><br>第1話で書いた「東京・所持金460円」の場面までは、<br><br>まだまだ先です。<br><br>第1話では、<br><br>この先に起きる一場面を先に書きました。<br><br>そこへたどり着くまでにも、<br><br>まだ書かなければならない話がたくさんあります。<br><br>遠回りは、<br><br>まだ続きます。<br><br>そして次に俺が足を踏み入れたのは、<br><br>今までとはまた違う世界でした。<br><br>⸻<br><br>次章予告｜フィリピンホステスのプロモーターへ<br><br>先輩が消れた後、<br><br>俺が次に始めたのは、<br><br>フィリピンホステスを店へ送り出すプロモーターの仕事だった。<br><br>女の子を集める。<br><br>店につなぐ。<br><br>人を動かす。<br><br>その間で、<br><br>金が動く。<br><br>それまでとは、<br><br>また違う商売だった。<br><br>なぜ俺がその世界へ入ったのか。<br><br>どうやって仕事を覚えたのか。<br><br>どんな人間たちと出会ったのか。<br><br>そして、<br><br>その仕事が俺の人生を、<br><br>次にどこへ連れていったのか。<br><br>第2章へ続きます。<br><br>⸻<br><br>初めて読んでくれた方へ<br><br>この第10話で、<br><br>「遠回りした男の、人生と商売の話。」<br><br>第1章は完結です。<br><br>第1話では、<br><br>ずっと先に訪れる、<br><br>東京で所持金460円になった時の話を先に書いています。<br><br>でも、<br><br>そこへたどり着くまでには、<br><br>まだまだいろんな出来事があります。<br><br>今は、<br><br>その途中の話を書いています。<br><br>▶ 第1話｜所持金460円で東京へ<br>https://note.com/mas0314/n/nc8708bc4e621<br><br>▶ これまでの記事はこちら<br>https://note.com/mas0314<br><br>遠回りは、まだ終わりません。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nd5815a541eb9'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 24 Sep 2026 15:58:46 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nd5815a541eb9</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nd5815a541eb9</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第9話｜7,000万円の借金、消えたポルシェ。そして競馬で月1,500万円を失った男。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/316322971/rectangle_large_type_2_5700285eeea8536cee14e7a3d3de65da.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="D052043D-3DBD-47C4-9A22-3926155BE561" id="D052043D-3DBD-47C4-9A22-3926155BE561">第9話｜7,000万円の借金、消えたポルシェ。そして競馬で月1,500万円を失った男。<br><br>益市｜遠回りした男の、人生と商売の話。<br><br>⸻<br><br>深夜2時。<br><br>組長の自宅まで300万円を借りに行った夜。<br><br>先輩は女の家へ向かい、俺は疲れ切って自宅に帰った。<br><br>あの頃、先輩の周りでは、とにかく金が動いていた。<br><br>数十万円、数百万円。<br><br>時には数千万円。<br><br>普通に働いていたら、一生かかっても手にすることのないような金額が、当たり前のように飛び交っていた。<br><br>だが、あれだけ金を動かしていた先輩には、いつも金がなかった。<br><br>そして、事態はさらに悪くなっていく。<br><br>今回の話は、競馬のノミ屋と、2台のベンツ。<br><br>そして、ある一人の男の話だ。<br><br>■ 7,000万円の借金<br><br>先輩は、大阪の繁華街を中心に高利貸しをしていた小山さんと付き合いがあった。<br><br>小山さんは、俺より3歳年上だった。<br><br>金の貸し借りだけではない。<br><br>一緒に商売もする関係だった。<br><br>先輩は、小山さんからすでに7,000万円を超える金を借りていた。<br><br>普通なら、これだけでも十分に危険な状態だ。<br><br>ところが、先輩には別の問題があった。<br><br>ある暴力団の本部長が逮捕されたのだ。<br><br>先輩は、その本部長が当分帰ってこないと思っていた。<br><br>そして、本部長の奥さんから預かっていたポルシェを、勝手に売ってしまった。<br><br>他人の車だ。<br><br>しかも、相手は暴力団の本部長。<br><br>まともに考えれば、そんなことをするはずがない。<br><br>だが、先輩はやってしまった。<br><br>そして、予想外の知らせが入る。<br><br>本部長が、執行猶予で帰ってくるというのだ。<br><br>当然、ポルシェはない。<br><br>先輩は焦った。<br><br>奥さんに連絡し、こう説明したという。<br><br>「あの車、調子が悪かったから安値で売ったんや。その代わりにベンツを用意したから」<br><br>もちろん、嘘だった。<br><br>ベンツなど、どこにもなかった。<br><br>■ 存在しないベンツ<br><br>先輩は、7,000万円以上を借りていた小山さんに話を持ちかけた。<br><br>小山さんが乗っていたベンツのS600を、一時的に貸してほしいというのだ。<br><br>本部長が帰ってきたら、とりあえずそのベンツに乗ってもらう。<br><br>その間に新しいベンツを用意する。<br><br>そして、借りたS600を小山さんに返す。<br><br>言葉にすれば簡単だ。<br><br>しかし、先輩には新しいベンツを買う金どころか、すでに借りていた金を返す余裕すらなかった。<br><br>小山さんには7,000万円以上の借金。<br><br>本部長にはポルシェの代わりとなるベンツ。<br><br>さらに、借りたS600も返さなければならない。<br><br>返せなければ、何を言われるか。<br><br>何をされるか。<br><br>そんな状況だった。<br><br>そこで先輩は、小山さんに新しい商売を持ちかけた。<br><br>競馬のノミ屋だった。<br><br>とにかく、大きく儲けるしかない。<br><br>それが先輩の考えだった。<br><br>だが、この商売が、さらに先輩を追い込むことになる。<br><br>■ 絶対に関わるなと言われた男<br><br>競馬のノミ屋というものがある。<br><br>JRAを通さず、客から直接馬券の注文を受ける違法な商売だ。<br><br>当時、ある男がいた。<br><br>仮に、伊藤さんとしておこう。<br><br>その男について、当時の俺は恐ろしい話を聞いていた。<br><br>日本最大の暴力団の本部から、下部組織に対して、あるお達しが出ているというのだ。<br><br>「伊藤には関わるな。必ず喰われて終わる」<br><br>それほどまでに警戒されていた男だった。<br><br>理由は、競馬だ。<br><br>伊藤さんは、とにかく競馬が強かった。<br><br>もちろん、俺がすべての成績を確認したわけではない。<br><br>だが、少なくとも先輩が関わった間の的中率は、恐ろしいものだった。<br><br>当時聞いた話では、伊藤さんは1軒のノミ屋に対して、1レース20万円単位で馬券を注文していた。<br><br>一日三場、全レース。<br><br>受けてくれるノミ屋には、片っ端から注文を入れる。<br><br>なぜ、そんな面倒なことをするのか。<br><br>理由は、後になって分かった。<br><br>正規の競馬で巨額の馬券を買えば、オッズが下がってしまう。<br><br>だから、全国のノミ屋を使っていたのだ。<br><br>その伊藤さんの注文を、先輩が受けるという。<br><br>あれほど警戒されていた相手だ。<br><br>だが、先輩にはもう、大きく儲ける以外の選択肢がなかったのだと思う。<br><br>■ ひと月で1,500万円<br><br>ノミ屋には、客が負ければ儲けになる仕組みがある。<br><br>伊藤さんとの取り決めでは、伊藤さんが負けた場合、先輩側は負けた金額の9割を受け取る。<br><br>だが、伊藤さんが勝てば、払戻金を満額支払わなければならない。<br><br>競馬は土曜日と日曜日。<br><br>精算は翌週の金曜日だった。<br><br>最初は、大きな商売になると思っていたのだろう。<br><br>ところが、伊藤さんは勝つ。<br><br>とにかく勝つ。<br><br>結果、ひと月で約1,500万円を抜かれてしまった。<br><br>毎週金曜日には、払う金を用意しなければならない。<br><br>足りなければ小山さんに建て替えてもらう。<br><br>そして、また土曜日が来る。<br><br>また競馬が始まる。<br><br>また負ける。<br><br>次の金曜日には、さらに大きな金を用意しなければならない。<br><br>儲けるために始めた商売が、借金を増やす商売になっていた。<br><br>小山さんへの借金は膨らむ。<br><br>本部長には、新しいベンツを用意しなければならない。<br><br>借りていたS600も返さなければならない。<br><br>一つの問題を解決するために、新しい問題を作る。<br><br>その問題を解決するために、また金を借りる。<br><br>もう、どう考えても正常な状態ではなかった。<br><br>■ ゲレンデとS600<br><br>結局、あちこちから金をかき集めることになった。<br><br>本部長には、ベンツのゲレンデを用意して渡した。<br><br>そして、本部長に一時的に乗ってもらっていたS600を引き戻し、小山さんに返した。<br><br>ようやく車の問題は片付いた。<br><br>だが、金の問題は残っていた。<br><br>伊藤さんに抜かれた金だ。<br><br>最後の支払いを届けに行くことになったのは、俺だった。<br><br>場所は、大阪・梅田の喫茶店。<br><br>そこで、俺は初めて伊藤さんと会った。<br><br>■ 梅田の喫茶店にいた男<br><br>どんな男が出てくるのかと思っていた。<br><br>あれだけの組織から警戒され、競馬で毎週巨額の金を動かす男だ。<br><br>ところが、喫茶店に現れたのは、初老の優しそうな男性だった。<br><br>見た目だけなら、どこにでもいる上品な紳士だった。<br><br>話をしてみると、意外なことが分かった。<br><br>伊藤さんは、ある一流企業の身内にあたる人物で、昔から裕福な家庭の人だという。<br><br>生活のために博打をしているわけではない。<br><br>とにかく博打が好きなのだ。<br><br>本人から聞いた話では、年間3億円ほどの規模で競馬を楽しみ、利益も出しているという。<br><br>俺には想像もつかない世界だった。<br><br>なぜ、そんなに競馬が強いのか。<br><br>そして、どうやって全国のノミ屋に馬券を注文しているのか。<br><br>話を聞いて、その仕組みが分かった。<br><br>伊藤さんが自分で予想をする。<br><br>奥さんが、その予想をメモに取る。<br><br>それを部下数人に渡す。<br><br>そして、一斉に電話をかけるのだ。<br><br>1レース20万円。<br><br>それを10軒。<br><br>たった一つのレースで、200万円もの注文を分散させる。<br><br>それを毎週、土曜日と日曜日に繰り返す。<br><br>なぜ、競馬場で普通に買わないのか。<br><br>巨額の馬券を買えば、オッズが下がるからだ。<br><br>もっとも、誰もが伊藤さんの注文を受けたがるわけではなかった。<br><br>むしろ、なかなか受けてもらえないという。<br><br>そりゃそうだ。<br><br>あれだけ当てられれば、受ける側はたまったものではない。<br><br>先輩がひと月で約1,500万円を失ったことを考えれば、その意味は嫌というほど分かった。<br><br>世の中には、こんな人間がいるのか。<br><br>俺は、ただ驚くしかなかった。<br><br>俺の目の前にいたのは、怒鳴り散らすヤクザでも、威圧的な高利貸しでもなかった。<br><br>穏やかな、初老の男だった。<br><br>だが、その男に金を支払うために、俺たちは必死で金をかき集めていた。<br><br>見た目と、動かしている金の大きさは、まるで釣り合っていなかった。<br><br>■ 金だけの問題ではなかった<br><br>当時、俺は伊藤さんを、いわゆるフィクサーのような存在だと感じていた。<br><br>ただ競馬が好きな金持ちというだけではない。<br><br>その背後にどれほどの人間関係があるのか、俺には分からなかった。<br><br>ただ一つ、はっきりしていたことがある。<br><br>金を払わずに終わらせることなど、考えられなかった。<br><br>先輩だけの問題では済まないかもしれない。<br><br>俺自身も。<br><br>親も、兄弟も、親戚も。<br><br>どこまで巻き込まれるか分からない。<br><br>そういう恐怖があった。<br><br>だから、何としてでも金を集めた。<br><br>そして、最後の金を梅田の喫茶店まで届け、伊藤さんへの支払いを終えた。<br><br>ベンツも返した。<br><br>本部長にはゲレンデを渡した。<br><br>競馬の支払いも片付けた。<br><br>一つひとつの問題は、何とか処理した。<br><br>だが、それで先輩の借金が消えたわけではなかった。<br><br>あちこちからかき集めた金は、当然、返さなければならない。<br><br>誰かに返すために、別の誰かから借りる。<br><br>その繰り返しだった。<br><br>もう、どうにもならない。<br><br>それは明らかだった。<br><br>それでも先輩は、止まらなかった。<br><br>そして、次に起こるのが、ふとん屋の話だ。<br><br>この話を最後に、俺の人生から、あの先輩は姿を消すことになる。<br><br>⸻<br><br>次回・第10話｜ふとん屋の話。そして先輩は消えた。<br><br>第1章、最終話。<br><br>借りては返し、返しては借りる。<br><br>そんな毎日を繰り返していた先輩が、最後に何をしたのか。<br><br>そして、俺は何を見たのか。<br><br>あの男と過ごした日々の結末を書こうと思う。<br><br>⸻<br><br>益市｜遠回りした男の、人生と商売の話。<br><br>▶ 連載一覧・プロフィールはこちら<br><br>※本記事は過去の実体験と当時聞いた話をもとに執筆しています。人物名は仮名とし、一部の人物・組織については特定を避けるため詳細を伏せています。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/ne1bbd50c9997'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 22 Sep 2026 17:06:35 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/ne1bbd50c9997</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/ne1bbd50c9997</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第8話｜深夜2時。ヤクザの組長に300万円を借りに行った夜。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/315243391/rectangle_large_type_2_145171ccb4d37c1eaa84fbe1e17a0e4d.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="2B419E3A-60B4-4A7F-AF56-C9B11C9EF3F5" id="2B419E3A-60B4-4A7F-AF56-C9B11C9EF3F5">第8話｜深夜2時。ヤクザの組長に300万円を借りに行った夜。<br><br>200万円負けても笑う男。その裏で、俺は組長に頭を下げていた。<br><br>先輩は、とにかく金の使い方が派手だった。<br><br>プロ野球の賭け事で1日に200万円。<br><br>高額な賭け麻雀。<br><br>韓国のカジノでは600万円を引っ張るようなことまでやっていた。<br><br>金があるときは豪快に使い、なくなればどこからか用意する。<br><br>その繰り返しだった。<br><br>そして、金を用意する役目が俺に回ってくることもあった。<br><br>あの夜も、そうだった。<br><br>深夜2時。先輩からの指示。<br><br>その日、先輩は賭け麻雀をしていた。<br><br>相手も、それなりの金を動かす連中だった。<br><br>勝負が進むにつれ、先輩は負け込んでいった。<br><br>そして俺に、300万円を用意するように言った。<br><br>麻雀が終わるまでに必要だった。<br><br>時刻は深夜2時。<br><br>銀行など開いていない。<br><br>今のように、スマートフォンひとつで簡単に金を動かせる時代でもなかった。<br><br>そんな時間に300万円を用意できる人間など、そう何人もいない。<br><br>先輩は俺に言った。<br><br>「組長に電話しろ」<br><br>地元のヤクザの組長だった。<br><br>俺も面識はあった。<br><br>一緒に他の組の麻雀に出席することもある仲だった。<br><br>だからといって、深夜2時に300万円を貸してくれと電話できるような相手ではない。<br><br>正直、嫌だった。<br><br>しかし先輩は、電話のかけ方まで指示してきた。<br><br>「こんな時間に金を用意できるのは、あなたしかこの街にはいません」<br><br>そう言え、と。<br><br>相手を持ち上げ、断りにくくする。<br><br>先輩は、そういう人間の動かし方をよく知っていた。<br><br>そして、その役目を俺にやらせた。<br><br>電話の向こうで、組長は怒っていた。<br><br>俺は電話をかけた。<br><br>深夜2時。<br><br>相手はヤクザの組長。<br><br>しかも、自分の金を借りるわけではない。<br><br>先輩のために300万円を借りる電話だった。<br><br>案の定、組長は怒っていた。<br><br>こんな時間に金を借りるというだけでも非常識なのに、電話をかけてきたのは本人ではなく俺。<br><br>さらに、金を取りに来るのも本人ではない。<br><br>「どうなっとんのや！」<br><br>そんな調子だった。<br><br>そりゃそうだろう。<br><br>俺だって、電話をかけるのは嫌だった。<br><br>先輩は麻雀を続けている。<br><br>俺は組長に怒られている。<br><br>何とも理不尽な話だった。<br><br>それでも、何とか300万円を借りられることになった。<br><br>俺は組長の自宅へ向かった。<br><br>組長の自宅で受け取った300万円。<br><br>深夜、組長の自宅を訪ねた。<br><br>金を借りたい本人は来ない。<br><br>代わりに俺が来ている。<br><br>組長が面白くないのも当然だった。<br><br>組長は先輩のことを、呆れたように話していた。<br><br>「あいつはほんまに……」<br><br>細かな言葉までは覚えていない。<br><br>ただ、先輩と組長の間には、俺の知らない金の貸し借りが以前からあったように感じていた。<br><br>返しては借りる。<br><br>また返しては借りる。<br><br>おそらく、そんな関係だったのではないかと思う。<br><br>もちろん、二人の間でどんな約束があったのか、俺は詳しく知らない。<br><br>俺に分かっていたのは、今夜の300万円を受け取り、先輩のところへ届けなければならないということだけだった。<br><br>そして、俺は300万円を受け取った。<br><br>200万円負けた男の、信じられない一言。<br><br>俺は金を先輩のもとへ届けた。<br><br>やがて麻雀が終わった。<br><br>先輩の負けは、約200万円。<br><br>200万円。<br><br>普通に働いていたら、簡単に稼げる金額ではない。<br><br>しかも、その金を用意するために、俺は深夜2時に組長を起こし、怒られながら自宅まで金を取りに行ったのだ。<br><br>ところが先輩は、まるで何事もなかったかのように笑っていた。<br><br>麻雀のメンバーに向かって、豪快に言った。<br><br>「こんなん、負けたうちに入らんわ！」<br><br>笑いながら。<br><br>まるで200万円など、どうでもいい金額であるかのように。<br><br>俺は、その姿を見ていた。<br><br>ついさっきまで300万円を借りなければならなかった男が、目の前では200万円の負けを笑い飛ばしている。<br><br>先輩は、どんなときでも自分を大きく見せた。<br><br>金があっても、なくても。<br><br>勝っても、負けても。<br><br>周りの人間には、決して小さく見られたくなかったのだろう。<br><br>少なくとも、俺にはそう見えた。<br><br>先輩は女の家へ。俺は自宅へ。<br><br>麻雀が終わると、先輩は女の家へ向かった。<br><br>200万円負けたというのに、最後まで大きな顔をしていた。<br><br>俺は、そのまま自宅に帰った。<br><br>疲れ切っていた。<br><br>深夜に組長へ電話をかけ、怒られ、自宅まで300万円を取りに行く。<br><br>すべて先輩のためだった。<br><br>それでも先輩は、最後まで大きな顔をしていた。<br><br>俺は家に帰り、ただ疲れ切っていた。<br><br>【次回予告｜第9話】<br><br>先輩との日々は、まだ続く。<br><br>次に書くのは、競馬のノミ屋とベンツの話。<br><br>表の世界では見えない金の動き。<br><br>そして、そこに関わる人間たち。<br><br>あの頃の俺は、そんな世界の中にいた。<br><br>次回、第9話。<br><br>「競馬のノミ屋とベンツ。金が動けば、人も動く。」<br><br>益市｜遠回りした男の、人生と商売の話。<br><br>実体験をもとに、当時の出来事を振り返って書いています。会話や細部には、記憶に基づく再構成を含みます。</p><figure embedded-content-key="embd8853554b2b2" embedded-service="note" data-src="https://note.com/mas0314/n/n4f5f3ac66653" contenteditable="false" name="74EA753D-C096-4AE1-9869-9BD23E3C860B" id="74EA753D-C096-4AE1-9869-9BD23E3C860B" data-identifier="n4f5f3ac66653">                                        </figure><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nbaf6362ed177'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 19 Sep 2026 15:28:59 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nbaf6362ed177</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nbaf6362ed177</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第7話｜カジノから600万円を抜いた男。返したのは60万円。それでもVIPだった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/314886136/rectangle_large_type_2_a86b51f9757c3929c2660bb81285dcad.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="AE4EC24B-5D9C-460A-85D9-F8F9FE7B80A8" id="AE4EC24B-5D9C-460A-85D9-F8F9FE7B80A8">第7話｜カジノから600万円を抜いた男。返したのは60万円。それでもVIPだった。<br><br>あの頃、俺は一つ年上の先輩の秘書のようなことをしていた。<br><br>先輩は、とにかく勢いのある男だった。<br><br>周りには普通では考えられないような人間が集まり、毎日のように大きな金が動いていた。<br><br>プロ野球の賭け事では、1日200万円。<br><br>三人麻雀では、一晩で60万円。<br><br>そんな世界にいた俺にとっても、今回の出来事は今でも謎が残る事件だった。<br><br>舞台は韓国・釜山。<br><br>パラダイスカジノだった。<br><br>600万円を用意しろ。<br><br>ある日、先輩から指示があった。<br><br>金をかき集め、600万円を銀行から海外送金することになった。<br><br>当時、海外送金は相手の口座に着金するまで1週間ほどかかっていた。<br><br>一方、カジノには送金手続きの明細をファックスで送れば、着金前でも現地で金を用意してくれる仕組みがあった。<br><br>俺は指示どおり600万円を集め、銀行で送金手続きをした。<br><br>銀行の隣には、先輩の従兄弟が経営する携帯電話販売店があった。<br><br>そこのファックスを借りて、送金明細をカジノへ送った。<br><br>そして先輩に電話をかけた。<br><br>送金したこと。<br><br>明細を送ったこと。<br><br>すべて報告した。<br><br>俺の仕事は、これで終わったはずだった。<br><br>ところが、先輩から次の指示が出た。<br><br>送金を取り消せというのだ。<br><br>手続きをしてから、まだ10分ほどしか経っていなかった。<br><br>俺は銀行へ戻った。<br><br>送金の必要がなくなったと説明し、手続きを取り消してもらった。<br><br>600万円は現金で戻ってきた。<br><br>一方、韓国のカジノでは、すでに送金明細を受け取っている。<br><br>先輩は現地で600万円を受け取った。<br><br>つまり、送金を取り消したにもかかわらず、カジノから600万円を引き出したのだ。<br><br>着金の確認までには時間がかかる。<br><br>発覚するのは、およそ1週間後。<br><br>そのとき先輩がカジノにいなければ、少なくともその場で捕まることはない。<br><br>そういう話だった。<br><br>ところが、先輩はまだカジノにいた。<br><br>なぜ帰らなかったのか。<br><br>その理由は、今でも分からない。<br><br>知らないはずの番号に電話が鳴った。<br><br>当時、俺は実家に住んでいた。<br><br>自分の部屋には、専用の電話回線を引いていた。<br><br>その番号を知っている人間は、かなり限られていた。<br><br>ある日、その電話が鳴った。<br><br>出ると、相手はパラダイスカジノだった。<br><br>なぜ、俺の部屋の番号を知っているのか。<br><br>相手は、送金を取り消した理由を尋ねてきた。<br><br>俺は説明した。<br><br>「理由は分かりません。必要がなくなったと言われたので、取り消しました」<br><br>すると、相手は先輩を拘束していると言った。<br><br>さらに、今、俺の地元の駅にいるという。<br><br>金を用意してほしい。<br><br>そう要求された。<br><br>600万円。<br><br>すぐに用意できる金額ではなかった。<br><br>俺は、とりあえず60万円だけ持って駅へ向かった。<br><br>田舎の駅に、場違いなスーツの男がいた。<br><br>駅に着くと、一人の男がいた。<br><br>田舎の駅には、どうにも似つかわしくないスーツ姿だった。<br><br>話し方は、韓国訛りの日本語。<br><br>俺たちは駅の待合室に座った。<br><br>俺は持ってきた60万円を見せた。<br><br>「今は、これしかない」<br><br>600万円に対して、60万円。<br><br>たった1割だ。<br><br>男は話を聞くと、分かったという様子で金を受け取った。<br><br>そして、そのまま帰っていった。<br><br>それだけだった。<br><br>怒鳴られることもなかった。<br><br>その場で残りの金をどうするか、具体的な話を詰められた記憶もない。<br><br>男は60万円を持って帰った。<br><br>しばらくして、先輩から連絡があった。<br><br>どうやら解放されたらしい。<br><br>そして日本に帰国してきた。<br><br>なぜ60万円だけで解放されたのか。<br><br>残りの540万円はどうなったのか。<br><br>先輩は、その理由を語らなかった。<br><br>俺にも分からなかった。<br><br>普通なら、もう二度と行かない。<br><br>600万円を騙し取った。<br><br>カジノ側に発覚した。<br><br>拘束された。<br><br>俺の地元まで回収の人間が来た。<br><br>普通に考えれば、もう懲りただろう。<br><br>二度とあのカジノには近づかないはずだ。<br><br>俺もそう思っていた。<br><br>ところが、先輩は違った。<br><br>また釜山へ行くという。<br><br>しかも、今度は俺も一緒だった。<br><br>意味が分からなかった。<br><br>だが、俺は先輩と釜山へ飛んだ。<br><br>空港には、いつものリムジンが待っていた。<br><br>釜山の空港に到着した。<br><br>すると、いつもどおりリムジンが迎えに来ていた。<br><br>あれだけの事件を起こした相手だ。<br><br>出入りを禁止されてもおかしくない。<br><br>ところが、何事もなかったかのように迎えの車が用意されている。<br><br>そしてホテルに到着した。<br><br>さらに驚いた。<br><br>販促部長と数人のスタッフが、外で俺たちを出迎えていた。<br><br>VIP待遇だった。<br><br>俺には、まったく理解できなかった。<br><br>600万円を抜いた。<br><br>60万円しか返していない。<br><br>拘束までされた。<br><br>それなのに、なぜまたVIPとして迎えられるのか。<br><br>先輩に聞いた。<br><br>どういうことなのか、と。<br><br>先輩は、ニコッと笑うだけだった。<br><br>何も説明しなかった。<br><br>あの男は、何をしたのか。<br><br>俺は、先輩のそばでいろいろな人間を見てきた。<br><br>金を持っている人間。<br><br>金を動かす人間。<br><br>金を回収する人間。<br><br>そして、普通なら絶対に許されないようなことをしても、なぜか元の場所に戻ってくる人間。<br><br>先輩は、その最後の人間だった。<br><br>あの事件の裏で、どんな話があったのか。<br><br>誰が誰と話をつけたのか。<br><br>残りの540万円は、どうなったのか。<br><br>俺は知らない。<br><br>先輩は何も語らなかった。<br><br>今になって考えても、分からないことだらけだ。<br><br>ただ一つ、確かなことがある。<br><br>600万円を騙し取って拘束された男が、60万円を渡した後に解放され、再び同じカジノを訪れた。<br><br>そして、何事もなかったようにVIPとして迎えられた。<br><br>俺が知っているのは、そこまでだ。<br><br>あのとき、先輩は何をしたのか。<br><br>今でも、その答えを知らない。<br><br>――第7話・終<br><br>【次回予告｜第8話】<br>深夜2時。俺は地元のヤクザの組長に、300万円を借りに行った。<br>銀行が開くのを待つ余裕などなかった。<br>なぜ、そんな時間に。<br>なぜ、そんな相手から。<br>そして、その300万円は何に必要だったのか。<br>次回、第8話。<br>「深夜2時。ヤクザの組長に300万円を借りに行った夜。」</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n4f5f3ac66653'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 18 Sep 2026 16:42:59 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n4f5f3ac66653</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n4f5f3ac66653</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第6話｜一日200万円。金銭感覚が壊れていった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/314549772/rectangle_large_type_2_37ab351a8e0011b7d254329e9fdce0a1.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="8AD8485F-DC13-4D16-80AB-95FB6F15EA56" id="8AD8485F-DC13-4D16-80AB-95FB6F15EA56">第6話｜一日200万円。金銭感覚が壊れていった。<br><br>昨日まで、俺は海に出て月18万円を稼いでいた。<br><br>冬の日本海。<br><br>落ちれば助けない。<br>助けに行けば、そいつまで死ぬ。<br><br>そんな世界で命を張って働いて、<br>月18万円だった。<br><br>ところが、先輩のそばに行ってから、<br>俺の目の前で動く金の桁が変わった。<br><br>プロ野球の賭け事だけで、<br><br>一日200万円。<br><br>夜になれば、高額の麻雀が始まる。<br><br>三人打ち。<br>24,000点持ち。<br><br>細かいレートまでは、もう正確には覚えていない。<br><br>ただ、一日で60万円ほどの金が動くこともあった。<br><br>俺が海の上で三か月以上働いて、<br>ようやく手にする金だ。<br><br>それが、たった一日で動く。<br><br>勝てば笑う。<br><br>負けても、また次の日がある。<br><br>最初は、<br><br>「こんな金の使い方するんか」<br><br>と思った。<br><br>でも、人間というのは怖い。<br><br>毎日見ていると、<br>それが普通になってくる。<br><br>異常な世界にいることより、<br>異常を異常だと思わなくなることの方が怖い。<br><br>俺の金銭感覚は、<br>少しずつ壊れていった。<br><br>⸻<br><br>先輩の周りには、<br>とにかく勢いのある人間が集まっていた。<br><br>金を持っている奴。<br><br>金を作るのがうまい奴。<br><br>口だけで大金を動かす奴。<br><br>韓国のカジノを舞台に、<br>大金を抜くような話もあった。<br><br>当てもないビルの図面を使って、<br>金を引っ張るような話もあった。<br><br>今なら分かる。<br><br>普通じゃない。<br><br>でも当時の俺には、<br>その「普通じゃない」が面白かった。<br><br>昨日まで漁船に乗っていた俺が、<br>突然そんな世界の真ん中にいる。<br><br>先輩のそばで動き、<br>車を運転し、<br>いろんな人間に会う。<br><br>電話一本で、<br>何十万、何百万という金が動く。<br><br>昨日と同じ一日なんてなかった。<br><br>俺はどんどん、<br>その世界に引き込まれていった。<br><br>⸻<br><br>そして当然、<br>その世界には表だけじゃなく裏もあった。<br><br>金を貸す人間がいる。<br><br>借りる人間がいる。<br><br>約束通り返す人間もいれば、<br>返さない人間もいる。<br><br>そして、<br><br>逃げる人間もいる。<br><br>ある時、<br>金を巡って一人の男が逃げた。<br><br>本人が見つからない。<br><br>すると回収する側は、<br>その男の弟を連れてきた。<br><br>場所は、<br>人気のない空き地だった。<br><br>弟を立たせて聞く。<br><br>「兄貴はどこにいる」<br><br>答えない。<br><br>男の手には、<br>ゴルフのドライバーがあった。<br><br>でも、<br>打つのはゴルフボールじゃなかった。<br><br>地面に落ちている石だった。<br><br>弟のすぐそばで、<br>石をフルスイングする。<br><br>「兄貴はどこや」<br><br>また聞く。<br><br>答えない。<br><br>また石を打つ。<br><br>俺は、<br>その光景を見ていた。<br><br>金を借りたのは弟じゃない。<br><br>逃げたのも弟じゃない。<br><br>それでも、<br>そこまでやる。<br><br>映画でもない。<br><br>作り話でもない。<br><br>俺の目の前で起きていた。<br><br>⸻<br><br>ただ、ここで格好をつけて、<br><br>「俺は恐怖で震えていた」<br><br>なんて書くつもりはない。<br><br>正直、<br>怖くはなかった。<br><br>そもそも俺自身、<br>そんなに真面目に生きてきた人間じゃない。<br><br>17歳の頃には、<br>本物の銃でロシアンルーレットまでやったことがある。<br><br>今考えれば、<br>ただの無茶だ。<br><br>一つ間違えば、<br>俺の人生は17歳で終わっていた。<br><br>だからなのかもしれない。<br><br>普通の人なら、<br>あの空き地の光景を見た時点で、<br><br>「ここにいたらまずい」<br><br>と思ったのかもしれない。<br><br>でも俺は違った。<br><br>やっていることが普通じゃないことくらいは分かっている。<br><br>それでも、<br><br>普通じゃないことへの耐性だけは、<br>昔から妙にあった。<br><br>むしろ、<br><br>「こういう世界もあるんやな」<br><br>くらいに思っていた。<br><br>今振り返れば、<br>そこが一番危なかった。<br><br>⸻<br><br>プロ野球で一日200万円。<br><br>麻雀で一日60万円。<br><br>金を返さず逃げれば、<br>普通では考えられない回収が始まる。<br><br>そんな世界に毎日いる。<br><br>それでも、<br>俺は離れようとは思わなかった。<br><br>怖い世界だとは思っていなかった。<br><br>むしろ、<br><br>毎日何かが起きる、<br>面白い世界だった。<br><br>昨日まで、<br>月18万円で日本海に出ていた。<br><br>それが今は、<br>一日で何百万円という金が動く場所にいる。<br><br>会う人間も変わった。<br><br>聞く話も変わった。<br><br>金銭感覚も変わった。<br><br>そして少しずつ、<br><br>俺自身も変わっていった。<br><br>ただ、この頃の俺には、<br>まだ一つ大きな勘違いがあった。<br><br>俺は先輩の秘書だ。<br><br>車を運転する。<br><br>言われたところへ行く。<br><br>人と人をつなぐ。<br><br>俺自身が金を借りているわけじゃない。<br><br>俺自身が逃げているわけでもない。<br><br>だから、<br><br>自分は「見ている側」だと思っていた。<br><br>でも、そんな境界線なんて、<br>最初からなかったのかもしれない。<br><br>その世界の中にいる以上、<br>いつまでも傍観者ではいられない。<br><br>そしてこのあと、<br><br>俺はそれを、<br>自分自身で知ることになる。<br><br>「見ている側」では、<br>いられなくなった。<br><br>――第7話へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n84341c2e7d67'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 17 Sep 2026 12:17:41 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n84341c2e7d67</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n84341c2e7d67</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第5話｜「お前、俺の秘書になれ」漁船を降りた俺が、サウナに入りミナミに出た。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/314139870/rectangle_large_type_2_3eb9990a27f241749d2da82a1663057b.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="24688A59-F2AF-4F9F-A9E0-2F833FB6303D" id="24688A59-F2AF-4F9F-A9E0-2F833FB6303D">第5話｜「お前、俺の秘書になれ」漁船を降りた俺が、サウナに入りミナミに出た。<br><br>「お前、俺の秘書になれ」<br><br>一つ上の先輩は、突然そう言った。<br><br>その頃の俺は漁師だった。<br><br>船に積んである飲み物は酒だけ。<br><br>網を上げれば、カジキもオコゼも、毒を持った魚も歯の鋭い魚も暴れている。<br><br>そして船には、<br><br>「落ちる者は助けない」<br><br>というルールまであった。<br><br>助けに行った人間まで命を落とすからだ。<br><br>そんな世界で毎日働いていた。<br><br>だからなのかもしれない。<br><br>普通なら、<br><br>「何の秘書やねん」<br><br>と警戒するところを、<br><br>俺はその話に乗った。<br><br>とにかく、勢いのある男だった。<br><br>先輩には、とにかく勢いがあった。<br><br>理屈より先に動く。<br><br>人を巻き込む。<br><br>そして何より、<br><br>その周りに集まっている人間たちが凄かった。<br><br>それまでの俺が生きてきた世界とは、<br><br>明らかに種類が違った。<br><br>そんな先輩が、<br><br>ある日俺を連れて行ったのが、<br><br>園田競馬場だった。<br><br>先輩は芝生の上に寝転び、<br><br>新聞を眺めていた。<br><br>競馬新聞を広げたまま、<br><br>しばらく動かない。<br><br>俺は隣で、<br><br>「何をしているんだろう」<br><br>と思いながら見ていた。<br><br>すると突然、<br><br>先輩が飛び起きた。<br><br>さっきまで寝転んでいた男とは思えない勢いだった。<br><br>新聞を握りしめ、<br><br>そのまま馬券を買いに走っていく。<br><br>何を見つけたのか。<br><br>なぜ急に動いたのか。<br><br>俺には分からなかった。<br><br>ただ、<br><br>先輩は迷っていなかった。<br><br>そしてその馬券が、<br><br>帯になった。<br><br>帯。<br><br>馬券の払戻金が、<br><br>札束の帯になるほどの金額だった。<br><br>俺はその光景を見て、<br><br>言葉が出なかった。<br><br>昨日までの俺にとって、<br><br>金は働いて手に入れるものだった。<br><br>漁船に乗り、<br><br>魚を獲り、<br><br>怒鳴られながら働いて、<br><br>月給を受け取る。<br><br>それが普通だった。<br><br>でも先輩は、<br><br>芝生に寝転び、<br><br>新聞を眺め、<br><br>突然飛び起きて馬券を買い、<br><br>一瞬で帯を手にした。<br><br>その姿を見て、<br><br>俺は初めて、<br><br>自分の知っている金の動きとは、<br><br>まったく違う世界があることを知った。<br><br>サウナに入り、ミナミに出た。<br><br>競馬場を出たあと、<br><br>先輩は俺をサウナに連れて行った。<br><br>汗を流すためだったのか、<br><br>頭を冷やすためだったのか、<br><br>今となっては分からない。<br><br>ただ、<br><br>俺にとっては、<br><br>それまでの生活から切り替わる時間だった。<br><br>漁船では、<br><br>海に出れば逃げ場がない。<br><br>波が荒れても、<br><br>魚が暴れても、<br><br>船の上で仕事を続けるしかない。<br><br>でもサウナの中では、<br><br>何も持たずに汗をかく。<br><br>時計を見ながら、<br><br>熱さに耐える。<br><br>水風呂に入り、<br><br>またサウナに戻る。<br><br>その繰り返しだった。<br><br>先輩は、<br><br>そんな場所でも落ち着いていた。<br><br>競馬場で突然飛び起きた時と同じ男には見えない。<br><br>何を考えているのか分からない。<br><br>でも、<br><br>次に何かが起きる。<br><br>そんな気配だけはあった。<br><br>サウナを出ると、<br><br>俺たちはミナミに向かった。<br><br>大阪の夜は、<br><br>海とは違う熱を持っていた。<br><br>人が多い。<br><br>店の明かりが多い。<br><br>呼び込みの声が飛び交っている。<br><br>酒の匂い。<br><br>香水の匂い。<br><br>車の音。<br><br>笑い声。<br><br>怒鳴り声。<br><br>その全部が混ざっていた。<br><br>俺は漁船を降りたばかりだった。<br><br>それなのに、<br><br>今度はミナミの夜の中に立っていた。<br><br>先輩は慣れた様子で歩いていく。<br><br>俺はその後ろをついていった。<br><br>その時の俺はまだ、<br><br>自分がどこへ向かっているのか分かっていなかった。<br><br>ただ、<br><br>海から出た男が、<br><br>サウナに入り、<br><br>ミナミに出た。<br><br>それだけだった。<br><br>でも、<br><br>その夜から、<br><br>俺の周りにいる人間はさらに変わっていった。<br><br>周りにいる人間たちも、普通ではなかった。<br><br>先輩には、とにかく勢いがあった。<br><br>理屈より先に動く。<br><br>人を巻き込む。<br><br>そして何より、<br><br>その周りに集まっている人間たちが凄かった。<br><br>今なら、<br><br>書くことさえためらうような話が普通に飛び交っていた。<br><br>某アイドルグループのために大麻パーティーを開き、<br><br>そのために女の子をキャバクラごと押さえた——。<br><br>そんな話まで耳に入ってきた。<br><br>この件に俺自身は関わっていない。<br><br>実際にどこまでが事実だったのかも、俺には確認できない。<br><br>ただ、<br><br>そんな話が特別なことのように聞こえない人間たちが、<br><br>先輩の周りにはいた。<br><br>昨日まで俺がいた漁船も、<br><br>十分に無茶苦茶だった。<br><br>でも、<br><br>海の上では危険なものが見えた。<br><br>荒れた波。<br><br>カジキ。<br><br>オコゼ。<br><br>毒。<br><br>鋭い歯。<br><br>ロープ。<br><br>網。<br><br>機械。<br><br>ところが、<br><br>この世界は違った。<br><br>一番危ないものが、目には見えなかった。<br><br>金だった。<br><br>欲だった。<br><br>そして、<br><br>人間だった。<br><br>気づけば、俺もその中にいた。<br><br>最初は、<br><br>破天荒な先輩についていっただけだった。<br><br>園田競馬場で帯になる馬券を見た時も、<br><br>サウナで汗を流した時も、<br><br>ミナミの街を歩いた時も、<br><br>俺はただ驚いていただけだった。<br><br>でも、<br><br>いつの間にか俺自身も当事者になっていた。<br><br>その一つが、<br><br>韓国のカジノを舞台にした金の一件だった。<br><br>あるカジノだった。<br><br>俺自身も関わった。<br><br>ここで、<br><br>具体的に何をどうやったのかを書くつもりはない。<br><br>真似してほしい話でもない。<br><br>武勇伝にしたいわけでもない。<br><br>ただ、<br><br>金を巡る問題を起こした。<br><br>そして俺たちは、<br><br>その時になって初めて知ることになる。<br><br>本当に怖いのは、金を手にするまでじゃない。<br><br>その後だった。<br><br>回収が始まった。<br><br>空気が変わった。<br><br>俺がそれまで知っていた金の揉め事とは、<br><br>明らかに違った。<br><br>彼らの回収は凄かった。<br><br>ここで細かいことを書くつもりはない。<br><br>ただ、<br><br>その時になって初めて、<br><br>俺は自分たちがどんな世界の金に触れてしまったのかを実感した。<br><br>園田競馬場で見た帯は、<br><br>あれほど簡単に手に入ったように見えた。<br><br>でも、<br><br>金が動けば、<br><br>必ずその先に人間がいる。<br><br>金を手にした瞬間には、<br><br>その金の後ろにいる人間までは見えない。<br><br>その代償も見えない。<br><br>でも、<br><br>見えた時には遅い。<br><br>漁船では、<br><br>危険が目の前にあった。<br><br>カジキが暴れれば、<br><br>危ないと分かる。<br><br>オコゼなら、<br><br>毒があると分かる。<br><br>ロープが足元にあれば、<br><br>巻き込まれないように避ける。<br><br>海が荒れれば、<br><br>全員が警戒する。<br><br>でも、<br><br>金は違う。<br><br>静かに置いてある。<br><br>ただの紙だ。<br><br>その向こうに何があるのかは、<br><br>触ってみるまで分からない。<br><br>俺はその時、<br><br>海とはまったく違う怖さを知った。<br><br>それだけではなかった。<br><br>別の金の話にも、<br><br>俺は関わった。<br><br>当てもないビルの計画。<br><br>図面があった。<br><br>そして、<br><br>その計画を材料に金を引っ張る。<br><br>その中にも、<br><br>俺はいた。<br><br>今振り返れば、<br><br>とんでもない話だと思う。<br><br>でも当時は、<br><br>それが俺のいる世界だった。<br><br>昨日まで、<br><br>月給18万円ほどで漁船に乗っていた男だ。<br><br>豆腐工場でも働いた。<br><br>朝から海へ出て、<br><br>魚を捌き、<br><br>怒鳴られ、<br><br>俺も怒鳴り返していた。<br><br>それが、<br><br>一人の先輩との再会を境に、<br><br>目の前で動く金も、<br><br>付き合う人間も、<br><br>話の内容も、<br><br>全部変わっていった。<br><br>芝生に寝転んでいた先輩が、<br><br>突然飛び起きて馬券を買い、<br><br>帯を手にする。<br><br>そのあとサウナに入り、<br><br>ミナミの夜を歩く。<br><br>そこから始まった世界は、<br><br>競馬場の中だけでは終わらなかった。<br><br>人生というのは、<br><br>本当に分からない。<br><br>俺は、被害者だったわけじゃない。<br><br>ここだけは、<br><br>綺麗に書きたくない。<br><br>俺は誰かに無理やり連れて行かれたわけじゃない。<br><br>何も知らないまま、<br><br>騙されていたわけでもない。<br><br>俺自身が関わった。<br><br>自分で選んだ部分もある。<br><br>だから、<br><br>「悪い先輩に巻き込まれました」<br><br>なんて話にするつもりはない。<br><br>それでは嘘になる。<br><br>当時の俺には、<br><br>当時の俺なりの考えがあった。<br><br>勢いもあった。<br><br>怖いもの知らずだった部分もあったと思う。<br><br>園田競馬場で先輩が見せた、<br><br>あの迷いのなさにも惹かれていた。<br><br>新聞を眺め、<br><br>突然飛び起き、<br><br>馬券を買い、<br><br>帯を手にする。<br><br>そのあとサウナに入り、<br><br>何事もなかったようにミナミを歩く。<br><br>そんな生き方があるのかと思った。<br><br>でも今振り返れば、<br><br>明らかに道を踏み外していたこともある。<br><br>それも含めて、<br><br>俺の人生だ。<br><br>成功した話だけを書いて、<br><br>都合の悪いところだけ消したら、<br><br>この話を書く意味がない。<br><br>海より怖かったもの。<br><br>漁師をしていた頃、<br><br>俺は海が怖いと思った。<br><br>一歩間違えば死ぬ。<br><br>だから、<br><br>みんな本気で怒鳴った。<br><br>そして、<br><br>「落ちる者は助けない」<br><br>とまで教えられた。<br><br>残酷なルールだった。<br><br>でも、<br><br>あの海には少なくとも、<br><br>何が危険なのかは見えていた。<br><br>陸に戻って、<br><br>俺が入った世界は違った。<br><br>危険なものほど、<br><br>普通の顔をしていた。<br><br>競馬新聞。<br><br>馬券。<br><br>帯になった札束。<br><br>サウナの熱気。<br><br>ミナミの明かり。<br><br>金。<br><br>欲。<br><br>嘘。<br><br>人間関係。<br><br>そして、<br><br>勢い。<br><br>どこからが危険なのか、<br><br>境界線さえ分からない。<br><br>気づいた時には、<br><br>自分もその中にいる。<br><br>俺は漁船を降りた。<br><br>でも——<br><br>安全な陸地に戻ったわけではなかった。<br><br>海では、<br><br>落ちたら命を失う。<br><br>陸では、<br><br>道を踏み外せば、<br><br>人生そのものを失うことがある。<br><br>そして俺は、<br><br>その時すでに——<br><br>かなり深いところまで来ていた。<br><br>それでも、<br><br>まだ終わらない。<br><br>むしろ、<br><br>ここからだった。<br><br>——第6話へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n966115e6ac76'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 16 Sep 2026 06:59:26 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n966115e6ac76</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n966115e6ac76</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第4話｜借金の次に待っていたのは、荒くれ者たちの漁船だった。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/314136311/rectangle_large_type_2_3a63c441fb9c7a99c0f84c68e4d9f44d.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="A1654222-771D-43B9-B409-865DA5A3FBCD" id="A1654222-771D-43B9-B409-865DA5A3FBCD">第4話｜借金の次に待っていたのは、荒くれ者たちの漁船だった。<br><br>すべてを失った。<br><br>父から継いだサウナも終わった。<br><br>商売をしていた人間が、次に何をするのか。<br><br>将来をゆっくり考える余裕なんてなかった。<br><br>金は必要だった。<br><br>とにかく働かなければならない。<br><br>そして俺が次に選んだ仕事は——<br><br>漁師だった。<br><br>舞鶴の定置網漁。<br><br>月給は、確か18万円くらいだったと思う。<br><br>それまで商売をしていた俺が、朝の海に出て魚を獲る。<br><br>人生というのは、本当に分からない。<br><br>ただ、この時の俺はまだ知らなかった。<br><br>これから自分が入っていく世界が、<br><br>陸の常識なんてほとんど通用しない場所だということを。<br><br>船に積んである飲み物は、酒しかなかった。<br><br>ビールと日本酒。<br><br>本当に、それだけだった。<br><br>今なら、<br><br>「水は？」<br><br>「お茶は？」<br><br>となるだろう。<br><br>でも、そんな感覚ではなかった。<br><br>酒を積んで、海へ出る。<br><br>それが普通だった。<br><br>賄いも豪快だった。<br><br>その日に網に入った魚を船の上で捌く。<br><br>刺身にする。<br><br>残った魚は汁にする。<br><br>獲ったばかりだから、当然うまい。<br><br>高級料理店なら何千円、何万円するような魚でも、船の上ではただの賄いになる。<br><br>トラフグが入ることもあった。<br><br>そしてなぜか——<br><br>毒見役は、いつも俺だった。<br><br>今になって考えると、<br><br>「なんで俺やねん」<br><br>という話だ。<br><br>でも当時は、それすら日常だった。<br><br>寒い海の上で日本酒を温めたくなれば、エンジンの熱を使う。<br><br>日本酒をエンジンに差し込んでおく。<br><br>しばらくすると、<br><br>熱燗の出来上がり。<br><br>知恵があるのか、ないのか。<br><br>今でもよく分からない。<br><br>でも、それも経験だった。<br><br>網の中には、何がいるか分からない。<br><br>定置網を上げる。<br><br>そこに入っているのは、食卓に並ぶ綺麗な魚だけじゃない。<br><br>カジキ。<br><br>オコゼ。<br><br>毒を持った魚。<br><br>歯の鋭い魚。<br><br>凶暴なやつ。<br><br>とにかく、何でもいた。<br><br>しかも、全部生きている。<br><br>網の中で暴れる。<br><br>跳ねる。<br><br>逃げようとする。<br><br>噛もうとするやつもいる。<br><br>その中へ人間が入っていく。<br><br>魚を選別しなければならないからだ。<br><br>怖いのは魚だけじゃない。<br><br>船は動いている。<br><br>網も動いている。<br><br>ロープも動いている。<br><br>機械も動いている。<br><br>海も止まってくれない。<br><br>魚に気を取られて足元を疎かにする。<br><br>ロープの位置を一瞬見失う。<br><br>周りとの呼吸がズレる。<br><br>たったそれだけのことが、大事故につながる。<br><br>そして、船には一つのルールがあった。<br><br>「落ちる者は、助けない」<br><br>最初に聞いた時は、<br><br>何を言っているのかと思った。<br><br>仲間が海に落ちても助けない。<br><br>冷たいからじゃない。<br><br>仲が悪いからでもない。<br><br>助けに行った人間まで、命を落とすからだ。<br><br>一人を助けようとして、<br><br>二人死ぬ。<br><br>それを避けるためのルールだった。<br><br>海の上では、<br><br>「仲間なんだから助ける」<br><br>という陸の上では当たり前に思える感情さえ、<br><br>時には全員を危険にさらす。<br><br>だから、<br><br>自分の命は、自分で守る。<br><br>それが海だった。<br><br>このルールを聞いた時、<br><br>俺は初めて分かった気がした。<br><br>ここは、<br><br>「危ない仕事をする場所」じゃない。<br><br>本当に人が死ぬ可能性のある場所なんだ。<br><br>だから操業が始まれば、<br><br>上も下もなかった。<br><br>先輩も後輩も関係ない。<br><br>怒鳴る。<br><br>怒鳴り返す。<br><br>「危ない！」<br><br>「何しとんじゃ！」<br><br>船の上には怒号が飛び交う。<br><br>知らない人が見たら、本気の喧嘩だと思っただろう。<br><br>でも、喧嘩じゃない。<br><br>怒鳴らなければ、<br><br>誰かが落ちるかもしれない。<br><br>そして落ちた人間を、<br><br>簡単には助けに行けない。<br><br>だから怒鳴る。<br><br>あの怒号は、生きて丘へ戻るためのものだった。<br><br>丘に上がれば、みんな穏やかだった。<br><br>これが不思議だった。<br><br>数時間前まで、<br><br>「何しとんじゃ！」<br><br>と怒鳴り合っていた男たちが、丘に上がった途端に普通に笑っている。<br><br>普通に話す。<br><br>普通に酒を飲む。<br><br>さっきの喧嘩は何だったんだ？<br><br>最初はそう思った。<br><br>でも、そのうち分かってきた。<br><br>あれは喧嘩じゃない。<br><br>生きて帰るための怒号だった。<br><br>海の上では遠慮している方が危ない。<br><br>言いたいことを飲み込んだ一秒が、事故につながるかもしれない。<br><br>だから怒鳴る。<br><br>そして丘に上がれば、終わり。<br><br>妙にさっぱりしていた。<br><br>俺は、そんな男たちが嫌いではなかった。<br><br>ただ、海の上の無茶はそれだけじゃなかった。<br><br>今なら、とても笑えない話もある。<br><br>薬物に手を出す者もいた。<br><br>そしてある時、<br><br>やり過ぎた人間のために港へ救急車を呼んだことがある。<br><br>俺は、その救急車に同乗した。<br><br>漁師になって、<br><br>まさか救急車まで一緒に乗るとは思わなかった。<br><br>不法投棄もあった。<br><br>もちろん、今なら許されることではない。<br><br>でも当時の俺が見た海の上には、<br><br>陸の法律や常識が、どこか遠くにあるように感じる瞬間があった。<br><br>何でもあり。<br><br>無茶苦茶。<br><br>そんな世界だった。<br><br>ある時、船頭が言った。<br><br>「漁師が一番、海を汚す」<br><br>海で飯を食っている人間が、<br><br>自分たちでそんなことを言う。<br><br>その言葉が妙に生々しくて、<br><br>俺は今でも覚えている。<br><br>綺麗な海。<br><br>新鮮な魚。<br><br>威勢のいい漁師。<br><br>陸から見れば、そんな世界に見えるかもしれない。<br><br>でも俺が見た海は、<br><br>そんな綺麗なものだけではなかった。<br><br>荒かった。<br><br>怖かった。<br><br>無茶苦茶だった。<br><br>そして何より、<br><br>人間臭かった。<br><br>それでも、俺は働いた。<br><br>給料は18万円ほど。<br><br>だから漁だけではなく、<br><br>豆腐工場でも働いた。<br><br>親友も同じ船に入ってきた。<br><br>華やかなものなんて何もなかった。<br><br>朝から働く。<br><br>また働く。<br><br>金が必要なら、さらに働く。<br><br>一度は商売をやっていた。<br><br>自分の店も持った。<br><br>それを全部失って、<br><br>今度は漁船に乗り、<br><br>魚と格闘し、<br><br>豆腐工場でも働いている。<br><br>惨めだと思ったか？<br><br>不思議と、そうでもなかった。<br><br>人生なんて、<br><br>落ちる時は一気に落ちる。<br><br>でも落ちたところで、<br><br>腹は減る。<br><br>朝は来る。<br><br>仕事も始まる。<br><br>だったら、やるしかない。<br><br>今振り返ると、<br><br>あの海で覚えたことは多かった。<br><br>危険を察知すること。<br><br>周りを見ること。<br><br>遠慮せず声を出すこと。<br><br>そして、<br><br>昨日どれだけ怒鳴り合っても、<br><br>翌日にはまた同じ船に乗ること。<br><br>知恵があるのか、ないのか。<br><br>まともなのか、無茶苦茶なのか。<br><br>よく分からない世界だった。<br><br>でも——<br><br>それも全部、俺の経験になった。<br><br>そして、そんな生活をしていたある冬。<br><br>俺の人生をまた別の方向へ動かす男と再会する。<br><br>一つ上の先輩だった。<br><br>昔から知っている男。<br><br>ただ、この男——<br><br>とにかく破天荒だった。<br><br>俺もそれなりに無茶な人生を歩いてきたつもりだった。<br><br>でも、この先輩は少し種類が違った。<br><br>久しぶりに会った俺に、<br><br>先輩はいきなり言った。<br><br>「お前、俺の秘書になれ」<br><br>漁師をしていた俺に、だ。<br><br>秘書？<br><br>何の？<br><br>何をさせるつもりなんだ？<br><br>普通なら警戒するところだと思う。<br><br>でも、その頃の俺は、<br><br>船に酒しか積んでいない世界で働き、<br><br>トラフグの毒見をし、<br><br>凶暴な魚と格闘し、<br><br>海の上で怒鳴り合い、<br><br>救急車にまで同乗していた。<br><br>だから、<br><br>「俺の秘書になれ」<br><br>くらいでは、もう驚かなかった。<br><br>ただ、この時の俺はまだ知らない。<br><br>この破天荒な先輩についていったことで——<br><br>俺の人生が、またとんでもない方向へ転がり始めることを。<br><br>——第5話へ続く。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/nc10d3df7e6b5'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 16 Sep 2026 06:37:15 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/nc10d3df7e6b5</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/nc10d3df7e6b5</guid>
    </item>
    <item>
      <title>第3話｜父のサウナを継いだ。そして、すべてを失った。</title>
      <media:thumbnail>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313848950/rectangle_large_type_2_5bfd770af9d863d10d1b8091ffb995ad.jpg?width=800</media:thumbnail>
      <description><![CDATA[<p name="AC7D1EC1-3C60-4E6E-8C5C-8EDA4BBC8E76" id="AC7D1EC1-3C60-4E6E-8C5C-8EDA4BBC8E76">第3話｜父のサウナを継いだ。そして、すべてを失った。<br><br>19歳で始めた「パジャマDEおじゃま」。<br><br>店の前には毎晩行列ができた。<br><br>売上は上がる。<br><br>現金は入ってくる。<br><br>そして私は、その日の売上を握って飲みに行く。<br><br>商売の勉強なんて、ほとんどしなかった。<br><br>完全に調子に乗っていた。<br><br>そんな私の生活を変える出来事が起きた。<br><br>店のスタッフとの間に、<br><br>子供ができた。<br><br>⸻<br><br>「まともな人間になろう」<br><br>子供ができたと分かった時、<br><br>私はその女性と結婚するつもりだった。<br><br>そして初めて、<br><br>「まともな人間になろう」<br><br>と思った。<br><br>19歳で店を持ち、<br><br>金が入れば飲みに行く。<br><br>そんな生活をやめて、<br><br>ちゃんと働こう。<br><br>ちゃんと家庭を持とう。<br><br>そう考えた。<br><br>私は繁盛していた「パジャマDEおじゃま」を相方に売った。<br><br>そして幼馴染の紹介で、<br><br>鳶職として働き始めた。<br><br>日当は15,000円。<br><br>毎日働けば、<br><br>毎日ちゃんと金が入ってくる。<br><br>今度こそ、<br><br>普通に生きようと思った。<br><br>⸻<br><br>高所恐怖症なのに、鳶職<br><br>ところが、<br><br>仕事はきつかった。<br><br>そして正直、<br><br>あまり面白くなかった。<br><br>何より致命的な問題があった。<br><br>私は、<br><br>高いところが苦手だった。<br><br>高所恐怖症なのに鳶職。<br><br>なぜこの仕事を選んだのか。<br><br>今考えても、<br><br>よく分からない（笑）。<br><br>ただ当時は、<br><br>「ちゃんと働かなあかん」<br><br>そんな気持ちだったのだと思う。<br><br>でも人生は、<br><br>そう簡単にはいかなかった。<br><br>結婚しようと思っていた女性とは、<br><br>子供が生まれる前に別れた。<br><br>鳶職も辞めた。<br><br>そこからまた、<br><br>いろいろな仕事を転々とした。<br><br>「まともな人間になろう」<br><br>そう思ったはずなのに、<br><br>また自分がどこへ向かっているのか、<br><br>分からなくなっていた。<br><br>そんな頃、<br><br>親父の人生に終わりが近づいていた。<br><br>⸻<br><br>癌になった親父<br><br>親父は、<br><br>昔からいろいろな商売をしていた。<br><br>フィリピン人ホステスの派遣。<br><br>フィリピンクラブ。<br><br>その他にも、<br><br>いろいろな事業をやっていた。<br><br>商売人だった。<br><br>自宅も、<br><br>少し変わっていた。<br><br>約1,000平米ほどの敷地があり、<br><br>そこには24時間営業のサウナと、<br><br>簡易宿泊施設まであった。<br><br>その頃、<br><br>親父は癌になっていた。<br><br>余命も、<br><br>もう長くなかった。<br><br>それまでやっていた事業の多くは、<br><br>すでに畳んでいた。<br><br>でも、<br><br>サウナは残っていた。<br><br>しかも、<br><br>そのサウナは繁盛していた。<br><br>そして私は、<br><br>親父からそのサウナを引き継ぐことになった。<br><br>⸻<br><br>今度は、真面目に商売をした<br><br>19歳の頃とは違った。<br><br>「パジャマDEおじゃま」の時は、<br><br>店が流行れば、<br><br>売上を握って飲みに行った。<br><br>金を残すことも、<br><br>経営を勉強することも、<br><br>ほとんど考えていなかった。<br><br>でも、<br><br>親父から引き継いだサウナでは、<br><br>私は真面目に仕事をした。<br><br>ちゃんと店に向き合った。<br><br>ちゃんと経営しようとした。<br><br>自分の中でも、<br><br>少しは大人になっていたのだと思う。<br><br>サウナは繁盛していた。<br><br>このまま、<br><br>この商売をやっていく。<br><br>そんなつもりだった。<br><br>そして、<br><br>引き継いでから1年ほど経った頃。<br><br>親父が亡くなった。<br><br>⸻<br><br>葬儀が終わった直後だった<br><br>親父の葬儀が終わった。<br><br>すると、<br><br>すぐに家の中で問題が起きた。<br><br>私には、<br><br>母親の違う姉がいた。<br><br>そして当時の親父には、<br><br>5人目の妻だったフィリピン人の嫁がいた。<br><br>葬儀の後、<br><br>その二人が一緒になった。<br><br>そして、<br><br>会社に籠城するような状態になった。<br><br>私からすれば、<br><br>意味が分からなかった。<br><br>親父が癌になり、<br><br>私はサウナを引き継いだ。<br><br>約1年間、<br><br>真面目に経営してきた。<br><br>サウナも繁盛していた。<br><br>それなのに、<br><br>親父が亡くなった途端、<br><br>事業と財産をめぐる家族の争いが始まった。<br><br>こちらも弁護士を入れた。<br><br>何とかならないかと考えた。<br><br>でも、<br><br>もともと家族関係も権利関係も、<br><br>かなり複雑だった。<br><br>相続となれば、<br><br>当然、妻にも大きな権利がある。<br><br>弁護士からも、<br><br>争い続けるより、<br><br>諦めた方がいいと言われた。<br><br>結局、<br><br>私はサウナから手を引いた。<br><br>⸻<br><br>また、振り出しに戻された<br><br>腹が立った。<br><br>ものすごく腹が立った。<br><br>なぜなら、<br><br>今回は真面目にやっていたからだ。<br><br>19歳の頃のように、<br><br>売上を握って遊び回っていたわけではない。<br><br>親父から任された仕事を、<br><br>自分なりにちゃんとやっていた。<br><br>店も流行っていた。<br><br>それなのに、<br><br>全部なくなった。<br><br>自分で商売に失敗したのなら、<br><br>まだ納得できたのかもしれない。<br><br>でも今回は、<br><br>そうではなかった。<br><br>私の感覚では、<br><br>また振り出しに戻された。<br><br>そうとしか思えなかった。<br><br>そして私は、<br><br>完全に投げやりになった。<br><br>「もう当分、真面目に仕事なんかするもんか。」<br><br>そう思った。<br><br>⸻<br><br>それから約1年、荒れた<br><br>仲間と飲み歩いた。<br><br>とにかく、<br><br>荒れていたと思う。<br><br>もちろん、<br><br>ずっと遊んでいただけではない。<br><br>次は何の商売をしようか。<br><br>何かできないか。<br><br>いろいろ考えた。<br><br>でも、<br><br>どれもうまくいかなかった。<br><br>時間だけが過ぎていった。<br><br>気がつけば、<br><br>そんな生活を1年くらい続けていた。<br><br>19歳で繁盛店を作った。<br><br>親父のサウナも経営した。<br><br>商売がうまくいく感覚も、<br><br>少しは知っていた。<br><br>それなのに、<br><br>また何者でもない自分に戻っていた。<br><br>そして、<br><br>ある時から思うようになった。<br><br>「このままでは、本当に死んでしまう。」<br><br>⸻<br><br>母親を安心させたかった<br><br>もう一つ、<br><br>気になっていたことがあった。<br><br>母親だった。<br><br>母方は、<br><br>真面目な家柄だった。<br><br>親戚の目もあった。<br><br>その中で私は、<br><br>若い頃から店をやって、<br><br>飲み歩いて、<br><br>仕事を変えて、<br><br>また商売をして、<br><br>家族と揉めて、<br><br>そしてまた飲み歩いている。<br><br>母親からすれば、<br><br>心配だったと思う。<br><br>私も、<br><br>そろそろ母親を安心させたかった。<br><br>このままではダメだ。<br><br>中途半端に何かを始めても、<br><br>また同じことを繰り返す。<br><br>だったら、<br><br>もっと厳しいところへ行こう。<br><br>楽な方へ逃げられない環境に、<br><br>自分から入ろう。<br><br>そう考えた。<br><br>いろいろな仕事を考えた末、<br><br>私が選んだのが――<br><br>漁師だった。<br><br>⸻<br><br>私は、海へ行くことにした<br><br>地元、<br><br>京都府舞鶴市。<br><br>定置網漁。<br><br>朝早く船に乗り、<br><br>海へ出る。<br><br>楽をして金を稼ぎたいと思っていた19歳の私が、<br><br>数年後には、<br><br>自分から一番しんどそうな仕事を選んでいた。<br><br>人生というのは、<br><br>本当に分からない。<br><br>商売をして、<br><br>金を持って、<br><br>飲み歩いて、<br><br>失って、<br><br>今度こそ真面目にやろうとして、<br><br>また失った。<br><br>だったら、<br><br>一度すべてを変えてみよう。<br><br>私は、<br><br>海へ行くことにした。<br><br>この時の私は、<br><br>まだ知らなかった。<br><br>この漁師生活の先で、<br><br>また私の人生を大きく変える男と再会することを。<br><br>その男は後に、<br><br>私にこう言う。<br><br>「俺の秘書になれ！」<br><br>この一言から、<br><br>私はまた、<br><br>とんでもない世界へ入っていくことになる。<br><br>つづく。</p><br/><a href='https://note.com/mas0314/n/n9ce1b5de2226'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/313816934/profile_565521a03ae9306c2e13773a4f1c8450.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>遠回りした男の、人生と商売の話。</note:creatorName>
      <pubDate>Tue, 15 Sep 2026 10:44:55 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/mas0314/n/n9ce1b5de2226</link>
      <guid>https://note.com/mas0314/n/n9ce1b5de2226</guid>
    </item>
  </channel>
</rss>
