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少しは水泳を教えてくれても良かったんじゃない?

    わたしは超がつくほどのカナヅチだ。清水の舞台から飛び降りるくらいの思い切りがないと、顔を水につけられないほどの重症。もともと体育は嫌いだったけれど、それに拍車をかけたのが水泳の授業だった。

    その原因は小学生のころ通っていたスイミングスクール。水泳の得意な幼なじみが通っていたところを選んだ。そこへ行けば泳げるようになるんだと勝手に期待に胸を弾ませて。

    しかしいざ通ってみると、あたりまえだけど何かが違う。幼なじみはスクールに通わなくても、もともと水泳が得意だったのだ。その一方で泳げないわたしのような子はみんなドボン! とプールに投げ込まれてしまう。自分の短絡的思考を呪ったが後の祭り。

    水の中に投げ込まれたわたしの鼻には必ず水が入り、と同時にブクブクと水の中に泡が立つ。これが本当に泣きそうなくらい苦しかった。今でもプールを見ると反射的にこのブクブクの苦しさを連想してしまう。トラウマとはまさにこのことだ。

    泳げない子や泳ぎたくない子に無理に水泳を教えなくてもいいのではないかと、今になれば思う。水泳の授業になると水着の是非や女子の生理といった問題が必ず生じる。

    わたし自身水着になるにはかなり抵抗があった。それに生理のときは必ず見学に回らねばならない。まるで自分から「今生理中です!」と大声で言い回っているようなもの。

    そんな水泳の授業が本当に要るのだろうか。今は民間に水泳の授業を委託したり、市民プールを借りる学校もあるらしい。わたしの学生時代には考えられないくらい、水泳の教育方針は変わっている。プールの維持費という問題もあるだろう。

    だったらいっそのこと水泳の授業は選択制にして、泳ぎたい子や泳ぐのが上手くなりたい子に限定したらどうだろう。もっと上手くなりたければスイミングスクールなどに行く方法もある。もうそろそろ水泳の授業を強制するのを終わりにしてもいいのでは?

    こんなに水泳が苦手なわたしだけど、実を言うと父は水泳の選手だった。大学時代からマスターズにおけるまで記録を残している。父に似て欲しくないところをかき集めて詰め込んだのが今のわたしなのだ。

    泳ぎだけでも似ていたら墓参りに行くたび少しはありがとうが言えたかもしれない。というか、少しは水泳を教えてくれても良かったんじゃない? ね、お父さん。




    こちらの記事はへんいちさんのエッセイ講座中級受講記事です。

    投稿して講座修了となるため、今わたしはnoteをお休みしていますが敢えて投稿します。

    初級はかなり前から受講していましたが……。
    中級には上がりたくなかったんですよね。なぜかというと、公開添削だからです。

    原稿が(有料部分ではあるけれど)記事の中に掲載され、へんいちさんの講評やらご指摘やら全てあからさまにされるシステム。

    これ、初めてだとキツイ! 何から何まで見られる、丸裸にされているような感覚。でも他の方も皆同じ条件なので、すぐに慣れました(笑)

    このエッセイのテーマは「水泳」です。なぜか水泳の授業の是非まで問うような作品になりました。言いたかったこと、分かっていただけたでしょうか?

    へんいちさんのエッセイ講座は、初級ならどなたでも受講可能です。中級上級はメンバーシップの加入が必要になります。

    へんいちさんは元編集者のnoterさんです。プロですから確かな指導をしていただけます。受講してみたいと思われた方がいたら、ぜひ!

    (へんいちさん、こんな感じでよろしかったでしょうか?)

    修了メダルをいただきましたー!

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    まだ1回目なのでそんなに手放しでは喜べませんが。



    では、私はもう少し休養させていただきます。

     
     
    生きづらさや日々の小さな違和感を拾い、考えたことを綴っています|双極症・摂食症・社交症などの経験から、生きやすさを一緒に考えたり、読書や詩、日々の楽しみを書いたり|答えを急がず、心にそっと灯りをともせるnoteを目指しています|Kindle『追憶の欠片たち』発売中

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