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いくつかの偶然の先┊︎睡蓮の海タレー・ブア・デーン🇹🇭

    二月の終わり。
    タイ。

    暑すぎもせず、寒すぎもしない。
    季節の境目みたいな朝だった。

    睡蓮を見たからといって、
    何かが変わるわけではない。

    それでも吸い寄せられるように、
    その湖へ向かっていた。

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    ▲ まだ誰の一日も始まっていない朝、
    少しだけ遠くへ行けそうな気がする




    どうしてそこへ向かうことになったのか、
    自分でも不思議だった。

    いくつかの出来事が、
    順番をそろえるみたいに重なり、
    気がつくとここへ来ていた。

    タイ東北部ウドンターニーにある湖。
    ──タレー・ブア・デーン。
    “赤い睡蓮の海”、と呼ばれている場所。


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    ▲ この船頭さんが、
    湖の朝の案内人


    きっかけは、
    今年のはじめに書いたバケットリスト。

    死ぬまでに見ておきたい景色。
    いつか訪れてみたい土地。

    思いつくまま、
    ただ並べてみただけのもの。

    その中に、
    “タレー・ブア・デーン赤い睡蓮の海”
    という名前があった。

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    ▲ 書いてしまった場所には、
    いつか本当に朝が来る


    遊び半分だったのだけれど、
    書いてしまうと不思議なもので、
    現実がそちらへ寄ってくる。

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    ▲ 気を抜いたら、
    夢のほうに連れていかれそう




    この湖の存在を知ったのは、
    一年ほど前。

    祖母の葬儀の翌日、
    ふらりと入った馴染みのカフェで、
    なぜかその日は
    入ったことのないトイレを使った。

    壁には、
    よくある“世界の風景カレンダー”。

    一月の写真は、
    湖いっぱいに広がる赤い睡蓮。
    こんな美しい風景があるのか、と思った。

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    ▲ 一羽の影が、
    いなくなることの手本みたいに飛んでいく


    祖母は蓮が好きで、
    戒名に「蓮」という字が入っている。

    なにか言われている気がして、
    湖の名前をスマートフォンで撮っておいた。

    タレー・ブア・デーン。

    声に出すと、
    どこか呪文みたいな響き。


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    ▲ そのときはまだ、 ただ遠い風景だったのだけど



    リストに書いたときは、
    かなり非現実的な気分だった。
    書くだけで満足していた。


    ──でも先月、
    ひょんなことからチェンマイを訪れることになり、
    地図を見ていたら、
    その湖が飛行機で一時間の場所にあると知る。


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    ▲睡蓮の湖のあるウドンターニーの街
    ラオスにほど近い街




    いくつかの偶然と
    季節のタイミングが重なり、
    あれよあれよと
    赤い睡蓮の海へ向かうことになる。

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    ▲ タイミングが一瞬、
    同じ方向を向くときがある




    赤い睡蓮の見頃は
    十二月から二月の上旬だという。

    私が訪れたのは、
    旬の少しあと。

    そのせいか、
    湖にはほとんど人がいない。


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    ▲ 朝までの豪雨を、
    この花はどこまで知らないのだろう



    朝モヤがまだ残る水面を、
    小さなボートで進んでいく。

    睡蓮のあいだを
    ゆっくりすり抜けながら。


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    ▲ 世界の行き止まりに思えるのは、
    静寂が深すぎるから


    湖に入って十分ほどすると、
    太陽が水面を照らしはじめる。

    光があるのに儚くて、
    でもあまりにもきれいで、
    しばらく見惚れてしまった。


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    ▲ こんな光の中では、
    景色がひとりぶんの秘密みたいに見える



    わざわざ遠くまで来て、
    一面の睡蓮を見たところで、
    何かの役に立つわけではない。

    船に浮かび、
    ただ花を眺めていただけ。

    だからきっとここは、
    東南アジアの片田舎の湖に浮かぶ
    ただの“使い道のない風景”──。

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    ▲ 赤い湖に、白いひと呼吸



    でも、まだ言葉に使い古されていない、
    あまり“消費”されていない
    どこか遠くの片隅。

    一度しか来ていないのに、
    自分の庭みたいに思えてしまう場所。


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    ▲ 初めてなのに、 なぜか思い出みたいな街



    ただ蓮があって、
    水があって、
    朝がくる。

    それでも、
    しばらく独り占めしていたくなる。

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    ▲ 美しい旅より、
    こういう道がずっと長い


    あのリストに書いた
    赤い睡蓮の湖。

    もしかしたら
    一生行けなくてもいいやと思っていた場所。

    でも、
    書いてしまうと
    景色はぐっとこちらに寄ってくる。

    気がつくと、
    船の上にいて、
    赤い睡蓮が
    びっくりするくらい咲いていて、

    いくつかの偶然の先で、
    思わずバカみたいに泣いてしまった。



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    色フェチです。北京在住🥢「旅×写真×文字」を更新中📚“カラフル”を肴に、今宵も晩酌がてら、ニンマリひとつ。早稲田大学政経学部卒。創作大賞2025中間選考通過(エッセイ部門)🍷 旅の役には立ちません。暮らしの役にも、たぶん。 夫(🇯🇵)と二人暮らし。 ──なお、ブタは仮の姿です。

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