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ひとりごと(山田屋)

    1.THE FINAL COUNTDOWN TO LISTEN TO HEAVY METAL

    1998.1

    nomは16歳の時から、ヘビーメタル(HR/HM)を聴くようになった。
    もともとハードロック調の曲が好きで、邦楽のロック系を好んでいた。
    だが、ある1枚のCDが大きく趣味を変えた。
    洋楽も少しは知らないといけないなと思い、
    レンタルでAMERICAN ROCK HITSというCDを借りた。
    このアルバムには、STEVIE WONDERやSANTANAなど
    ROCKというよりPOPSで有名な歌が入っていた。
    10曲入りのCDだが、9曲目まではガッカリしていたことを覚えている。
    そして、最後の1曲はEUROPEのTHE FINAL COUNTDOWNであった。

    これを聴いた瞬間、何かを感じた。
    「洋楽のロックは、こんなに素晴らしい物だったのか!」と。
    そこから、VAN HALENやMR.BIGなど大御所を聴いて、
    HELLOWEENやRIOTのいわゆるMetal系と呼ばれる分野にも手を出し、
    その趣味を変えぬまま、現在に至る。

    もし、あそこでスラッシュメタルやアメリカンロックを聴いていたら、
    今頃、洋楽のROCKもMETALも聴いていないだろう。日本人の心を捕らえるEUROPEの曲だから、素直に受け入れられたのだろう。

    2.伝説の環七沿い自動販売機コーナー

    1998.1

    nomは17歳の時、埼玉県草加市に引っ越してきた。
    それまでは、東京都江東区に住んでいて、高校は学区内の都立高校に入学した。高校は東京都葛飾区の水元にあった(地元の人には高校名バレバレ)。
    それまで電車通いだったが、草加からだと電車より自転車の方が速いので、
    毎日片道35分の自転車通学をすることになった。
    学校までのルートは、日光街道を真っ直ぐ東京方面へ、そして環七に入り、
    亀有の手前で曲がって水元方面へ向かっていた。帰り道も同じルートだが、いつも環七にある24時間ゲームセンターが気になっていた。外見的にはあまり近寄りたくない雰囲気であったが、nomは足を踏み入れた。何の変哲もない普通のゲームセンターだが、脇には食事コーナーがある。だが、中には浮浪者か何だか分からないが、近寄りがたい人々がたくさんいた。
    でも勇気を出して中に入ると、なんと大量の自動販売機群があった。
    それは現在群馬県でたくさん見かけるのと同じくらい種類があり、
    トースト、みそ汁、ラーメン、かき氷などの自動販売機があった。

    これを見た瞬間、nomはガッツポーズ、一人で

    すげぇーーー

    と言っていた。

    こんな自動販売機が存在するということは今まで知らなかった。
    それからこれと同じ施設を探すが、自転車では草加から半径30km以内が限界。結局1件も見つからなかった。そして、大学入学後はしばらく販売機のことを忘れていたが、ある時ふと思い出し、環七沿いのこの施設へ行ったが何と空き地になっていた。更に2ヶ月程経過後もう一度見に行くと、以前とは見違える程奇麗なSEGAになっていた。

    おそらく東京都23区内に唯一存在していた自動販売機コーナーではなかったか。こういう奇妙で古い施設が、次々と消えていくのはすごく哀しい。

    3.国家公務員歴6年!やってて良かった

    1998.1

    nomはいちおう6年間国家公務員だった。
    17~22歳まで、郵便局でずっとバイトしていた。
    郵便配達のバイトを始めたのは、高校2年の年賀状から。
    うちの高校は12月第2周目あたりから、試験休みに入ってしまう。
    その頃は郵便配達希望者が少なかったのか、景気が良かったのか、休みに入ったら、すぐバイトをさせてくれた。今は、いくら休みがあっても年末年始の思い切り忙しい時しかやらせてくれない。

    最初は練習期間なので、前のカゴが一杯になる程の少ない量だった。
    それでも、その自転車を動かすのに苦労して、そして配達中に少なくとも10回は倒して、その度に配達中の郵便の順番がバラバラになった。
    順番を元に戻すこともできないから、そのまま配っていると、前の家の郵便が後から出てきたりして、何度も同じ所をグルグル回っている。
    だがだんだん慣れてきて、年賀状を運ぶ頃には、前と後ろのカゴが一杯になっても倒れなくなった。
    そして年賀状のバイトで貯めたお金が14万。その半分を使って
    念願のTEACのカセットデッキV-7000を買った。そんなことはどうでも良いが。そして、夏休みも配達。その次の冬も。と6年間繰り返していた。

    郵便を配達していて、嫌なことはめったになかった。
    たまに、うるさいオバチャンが
    「何でこの郵便戻ってきちゃうの!もっとしっかり探してよ。」
    などと言うことがあったが、nomは知ったこっちゃない。
    戻ってきたから、その家に入れただけ。
    あとは、うるさく吠える犬がいて、毎日来ているのに全然顔を覚えない。
    ある時、その犬の前に思い切り自転車を倒した。
    その瞬間、犬はこちらを見るとビクビク脅えるようになった。
    これはやった!と思ったが、旅行で2,3日休んでまた来ると吠える。
    犬の記憶力は所詮そんなものなのか、と思ってしまった。

    郵便配達をしていて、本当に良かったな、と思った時がある。
    大学2年の春、nomの体重は73kgと絶頂期だった。
    その時、ちょうど好きな女の子がいて、仲良くなったが、
    この体じゃその子と一緒でも恥ずかしいなと感じていた。
    大学が休みに入り、nomは毎年のようにバイトを始めた。
    ちょうどその夏は猛暑、毎日の平均気温は34~35度といったところ。
    その暑さの中、外を2~3時間まわり郵便を配達していた。
    10分経つと既に喉が渇いている。だがジュースはスポーツドリンク、1回の配達で1本と決めていた。
    夜の食事を抑えていたせいもあるが、8月から体重がみるみるうち減る。
    7月の初めには70kgあったが、8月の終わりには60kg。
    9月の後半までバイトをやっていて、結局最後の体重は57kg。
    さすがに病気じゃないか、と感じたが体調に何も異常なし。
    小学3年の時、身体検査で肥満と言われて以来11年。

    ついに痩せた。


    その後、その体重を維持、万年肥満を脱出に成功したのである。

    4.ガンプラで悪夢の日となった日

    1998.1

    nomは9歳の時に起こった事件のせいで、あることができなくなった。
    それは何かといえば、料理である。
    目玉焼きが焼けないとか、御飯が炊けないということではない。
    刃物(包丁)を持つことができないのである。

    nomが9歳の子供の日のことである。
    子供の日といえば、プレゼント。それを買うために家族とデパートへ行った。
    nomと親はおもちゃコーナーを見る。いろいろ欲しい物があった。
    でも、そこで親は何かを見つけた。それはガンダムのプラモデルだった!
    しかも安売り、値段はよく覚えていないが、3個で1000円くらいだった。
    買った種類もよく覚えていないが、3種類買ったのは覚えている。

    そして家に帰ってnomは熱心に組み立てていた。
    今までプラモデルを何個か組み立てたことがあるので、安心していた。
    部品を1個1個四角い型(何というのか分からない)から取り外していく。
    だが、ある部品を取り外した時、取り外した跡がすごく残っていて目立った。
    その部品を左手で持って、右手でナイフを持って上から切り落とす。
    だがやたら力が入っていたのか・・・次の瞬間。

    左手の親指から血が大量に吹き出してきた。

    親はその時電話中。nomがそばに行ったらビックリ。
    その電話を大急ぎで切って、救急車を呼んだ。
    そして、病院で手術、7針縫って何とか親指切断はまぬがれた。
    手術が終わった頃、パチンコをやっていた父も大急ぎで駆けつけた。

    それ以来、nomは刃物恐怖症、カッターとステーキ用のナイフしか使えなくなった。

    小学校の図工での彫刻は、簡単な物しか作れない。
    家庭科では、友達が切ったじゃがいもを鍋に入れることしかできない。

    と、授業にも大きく支障が出た。
    趣味も、プラモデル作りから別の物に移ったはず(当たり前だな)
    nomがパソコンをやり始めるようになったのは、その1年後。

    それから14年、今でも親指に傷は残っている。だが一つ言えることは、

    パソコンは手を切る心配がないから安心である。

    5.最近のnomの状況 98.1.29

    1998.1.29

    最近、ゲームミュージックのCDをよく聴いている。
    nomのお気に入りはPERFECT COLLECTION YsとYsⅡ。
    HR/HM系の曲ばかり聴いてると、時にはこういうシンセばかりの曲も聴きたくなる。
    でも、本当の理由は違う。昔ゲームミュージックをテープに録っていた。
    最近はあまりテープの本数を増やしたくないから、重ね録りをしてしまう。
    音質が悪くなるというが、テープに録る瞬間にもう劣化してるから、10%劣化しようが、20%劣化しようがあまり変わらない。それよりも置き場所が増えない方がいい。そして、HR/HM系の曲を録るが、いつも録音終わるとテープを止めてしまうので、残りは前の音楽がそのまま残る。そこにゲームミュージックが入っていたから。

    特にYsのエンディングの曲が気に入っていて、音楽もエンディング自体も好きだ。Ysは、ファルコムのRPGの中で最高傑作だと思う。あれを超える作品は未だにない。特にエンディングは、もう何度も見た。エンディングを見るために、最後のボスを倒して、Ysの本を読む直前のSAVE DISKを作った。
    当時フロッピーは高価だったのに、それだけのためにフロッピーを1枚使った。その他にも好きな場面がたくさんあったから、そのたびにセーブして、
    Ys用のフロッピーだけで5,6枚は使った覚えがある。
    初めYsのエンディングを見た時、この続きがあるのは分かっていたが、
    いざYsⅡの画面を見てみると、またYsのエンディングが見たくなった。
    SAVE DISKはフォーマットしてしまったので、また最後までプレイして、
    エンディングを見る。2度も3度も見てるはずなのに、また見たくなる。
    そんなRPGはYsだけだと思う。FINAL FANTASYもドラクエも好きだけど、
    エンディングを何度も見ようとは思わない。マルチエンディングのRPGも
    一つエンディングを見たら、他のエンディングはあまり見てみたいと思わなくなる。
    Ysの後にも何本ものRPGをやった。でもあの時ほど心は燃え上がらない。
    大人になったせいか? いや、Ysはまた見てみたい。
    でもPC-88のディスプレイが映らない(涙)。

    6.nomの長~いPC-8801時代

    1998.2

    nomは去年の12月でパソコン歴13年になる。
    しかし、途中ブランクがあった。実際触っていなかった訳ではないが、
    ほとんどパソコンをやっているというは言えない時もあった。
    大学に入ってから2年くらいはパソコンはあまり触っていた記憶がない。
    パソコンの雑誌は買っていたが、見ているだけでパソコンを買っていない。
    バイトの収入(バイトの内容は3.に詳細があります)ではとてもパソコンなど買えなかったのだ。

    初めのパソコンは10歳の時に買ったMSX。
    ソニーのHitBitというパソコン(CPU:Z80 RAM:16KB)で、確か¥27,800だった。主にゲーム用だったが、BASICやアセンブラも勉強してプログラムを作れる程になった。しかし、性能に限界を感じて、12歳の時にPC-8801FRを購入。これはディスプレイ込みで20万円近くしたが、親に全部出してもらった訳じゃない。祖父が株で儲けたらしく、お年玉になんと10万円をもらったのだ。そしてPC-88でも相変わらずゲームばかりやっていた。
    確か2ヶ月に1本くらいのペースで、ゲームソフトを買っていた記憶がある。
    当時お小遣いは月に3千円くらいしかもらってなかったはずだが、どうやって買っていたのかは謎である。確か毎月BASICマガジン(当時定価390円)も買っていたし、秋葉原へ行くのにも、1回300円近くかかったはずだが、ゲームソフトはかなり買っていた。高校に入ってからバイトを始めたが、その頃に買ったソフトは少ない。また、BASICやアセンブラのプログラムも勉強していたので、高校に入ってからは、BASICマガジンにゲームプログラムを投稿していた。1作目に作ったのは、2人対戦用シューティングゲーム。
    なかなか奇抜なアイデアで、プログラム的にも良く出来ていたが、ゲームが難し過ぎた。
    だが、見事に採用されて、掲載料1万円(源泉徴収千円マイナス、少ない所からぶんどるなよ)をGET。その後5本投稿したんだが、すべて採用された(よく採用してくれたよなぁ)
    大学に入るまで、PC-88のプログラムを何か作っていたと思う。
    さすがに16ビットマシン全盛時代に、PC-88はもう限界が来たので、95年7月にPC-9821Cxを購入。初めてWindows3.1を触った時は、「俺の知らない間に、こんなになってしまったのか」と驚いてしまった。

    PC-88を9年間も触っていたnomは、

    明治時代から現代にタイムスリップした人間のようだった。

    7.転機 1990 Winter

    1998.2.16

    nomは過ぎ去ったことはすぐ忘れる性格だが、これだけは今でも悔やんでいるというものがある。
    その1つは、15歳の高校受験である。
    ここが上手く行っていたら、かなり違う人生を歩んでいたはず。

    自慢する訳ではないが、nomは中学ではいつもトップクラスの成績だった。
    初めての中間試験で学年5位。それ以来ほとんどベスト10圏内に入る素晴らしい成績を残していた。特に中学2年の時は絶好調で、学年2位3回、3位1回、5位1回。偏差値は平均でも68、最高で72をマークしたのであった。
    しかもこの成績は、塾へ行かず独学で得たものであった。
    学校からもかなり期待されていて、担任も有名私立を狙わせるつもりでいた。

    ところが中学3年になり、周りが受験ムードに入ると、順位も偏差値も徐々に下がってきた。ベスト10圏外から外れ、かなりの落ち込みだった。
    塾へ行かないから、勉強量の差が出てしまったのである。
    2学期になると、さすがに担任から第一志望の高校も危ないぞと言われ、
    それまで遊びまくっていたnomは猛勉強を始めた。
    そして12月には再び順位を5位まで戻し、偏差値も69まで上げた。
    しかしいかんせんのが実技教科で、2が2教科、3が2教科と、
    明らかに手を抜いているのがミエミエの、優等生らしからぬ成績だった。

    nomの第一志望の高校は、偏差値67、評定平均4.0というかなり厳しい基準だった。
    (そりゃまぁ学区内トップの高校だから当然だわな)
    だが、nomは絶対の自信を持って、その高校の願書を出した。
    それ以外に私立はなんと開成も受験した。
    滑り止めも受けたが、普通併願確約を取るものだが敢えて取らなかった。

    私立向けの勉強をしてないので、当然開成は不合格、どの教科も20点程度しかできなかった。だが予想外のことが起きた。自分の成績よりレベルの低いはずの滑り止めも落ちた。その不合格は、第一志望の高校を受験してから分かったのが、また皮肉な所であった。
    そして、この話の展開からも分かったと思うが、第一志望の高校も落ちた。

    さて、nomはどこの高校へ行ったのか・・・。
    東京の都立高校というのは、落ちた人はそのレベルより低い高校の入学希望者が少ない場合、入学させてくれるという制度があるが、しかし、ここでまた再び不幸が起こる。何と一番下のレベル(偏差値45)の高校しか空いてないのだ。

    nomは完全に開き直って、その一番下の高校で遊びまわることにした。

    しかし、この高校受験では大きな失敗ではあるが、ここからnomは変わった。前より落ち着いて物事を考えられるようになり、前のような堅さがなくなった。おまけに3年間遊びまくることもできたし、大学にも入ることができた。

    この道を進んで良かったのかもしれないが、でもやっぱり悔しい。
    一流大学への道も開けていたのだから。

    他にも一生悔やむだろうことがあるので、別の機会に書きます。

    8.nomの北海道旅行記

    1998.2.27

    去年の3月に北海道に旅行へ行ってきた時のレポートを書きます。
    友達に送ったメールをそのまま移しただけです。
    また行きたくなってきました。

    卒業記念に、北海道へ行ってきました。
    今回は、北海道ぐるりフリー切符というのを使った。33500円で、
    往復は寝台、新幹線などを使えて、北海道内は特急、急行の指定席乗り放題。行きは北斗星。最近の寝台は2段で以前に比べると快適。
    それでも2時頃まで寝られず苦労したが。
    起きたらいきなり雪景色、もう青函トンネルを抜けていた。

    まず、札幌から旭川に行き、ガイドを見て宗谷岬に行くことに決定。
    宗谷岬には稚内駅からバスで行く。
    そして、電車に乗ったがここで大事なことに気づいた。
    宗谷岬へ行くと、帰りのバスがない。
    結局豊富という温泉の町で降りて、ホテルで一泊。
    温泉といっても、岩風呂ではなく普通の大浴場。
    それでも久々に気持ちいい風呂に入った気がする。
    1泊8千円だったが、思ったよりうまいメシが出てきた。

    次の日、宗谷岬を見に行った。稚内からバス。
    あいにくの雨で見えるはずの樺太が見えなかった。
    写真を撮って、日本最北端の店柏屋で土産を買う。
    これだけ見てもう終わり、夜に旭川に着いた。
    旭川で泊まると時間がないので、電車で寝てる間に網走まで移動する。
    ここで地元の人にいろいろ北海道の話を聞いた。
    電車に乗っていて、疑問に思ったことがある。
    山の上など、とんでもない場所でバスが転倒して放置されてる。
    で、その理由を聞いてみた。北海道は突然吹雪が来るから、前が見えなくなって、その時に事故るからだそうだ。
    朝、網走に着いたが何もできないので、さらに釧路まで移動。途中で流氷を見た。この網走から釧路までは、とにかく景色が良い。途中摩周湖など見たい場所もたくさんあったが、全部パス。
    バスを使うので、見るだけで一日かかってしまうから。
    そして釧路に着いて、市場を見た。
    正直言うと、上野のアメ横より高い。
    いくら丼を食べて、海産物の土産を家に宅急便で送った。
    そして、さらに根室へ移動。ここも景色が良くて、野生の鹿の群れもいた。
    そして、根室からバスに乗って、日本最東端と言われるノサップ岬へ行った。もう夕方で、ここへ行く客は誰もいない。やむを得ず、警察に写真を撮ってもらった。バスが来るまでわずか、10分しか見ないで終わり。
    また、寝ている間に釧路から札幌まで移動。

    早朝、札幌から函館まで移動。
    函館にも市場があったが、釧路より安い、失敗した・・・
    いくらとウニのセットが千円。
    函館も観光名所がたくさんあっていいが、
    結局昼までじゃどこも行けず、帰路に就いた。

    今回の旅行は良かった、行った場所自体は満足している。
    一応行きたい場所はほとんど行った。
    でも全然物足りない。
    とにかく広くて、移動するだけで時間を食ってしまう。
    最北端とか最東端とか、極端な場所ばかり行ったからかもしれないけど。
    見たい場所はたくさんあったのに、通過しなければならなかった。

    3日目の電車の中以外は、ほとんど一人きり。
    それでもあまり孤独感がなかった。
    電車の中で良い景色を長めながら、色々な思いに耽っていたから。
    (何だこれは?、今見ると気になるぞ)
    この旅行終わったら、就職は間近。
    もっとたくさん旅行に行っておけば良かった・・・

    この旅行では、ほとんど予定をたてていなかった。
    電車の中で寝るのもあまり考えていなかった。1泊5日とは、かなり無理をしている。一人旅だから、こんなことができたんだろう。
    おかげで旅行費も大幅に安く浮いたが。おみやげ代含めなければ、6万円を切っている。

    北海道の人は電車賃の面で可哀相だ。
    例えば旭川から稚内は一日4往復しかないが、そのうち3本は急行。
    他の線でも、半分以上が急行や特急である。これでは特急、急行券を使わざるを得ない。普通列車しか止まらない駅に住んでいる人は、もっと可哀相だが。

    帰りはわずか7時間で東京まで着いた。
    よく考えるとそんなに遠い場所ではない。
    暇とお金があればもう一度行きたい。

    途中で食べた弁当、食事

    旭川:蝦夷わっぱ 鮭といくらとウニの弁当
    稚内:カニメシ  カニを豪華に使ったチャーハン
    釧路:いくら丼  市場でいくらを買って、御飯にかけた
    根室:札幌ラーメン(笑)
    札幌:鮭弁当   鮭、いくらを使った弁当
    函館:イカスミソフトクリーム 灰色のソフトクリーム

    その他
    ドラキュラ葡萄ジュース 面白い味の葡萄ジュース
    キリンメッツ ガラナ味 北海道限定版
    ★ 二つとも秋葉でよく見るゲテモノジュースに近い。

    9.そろそろ転機を迎える

    1998.4.2

    さて、4月になった。nom自身は就職2年目、18日には24歳になる。
    大きな変化が大きい季節だが、実際のところはほとんど変わらない。
    会社は大きな変革を迎えたが、nomにとって良い作用は起こらなかった。
    SEとして技術的に磨かれるために、今の部に入ってきたのだが、仕事の内容は、事務的なもの、営業的なものが増えてきた。1年間技術的にかなり進歩しているはずなのに、それをあまり生かせない。大学時代に趣味としてやってきたプログラム技術も、全然伸ばせていない。
    最近の仕事は見積書の作成、電話対応、営業との話し合いがほとんど。外出してセットアップ作業というのもあるが、週に1回程度。社内にいても社外でも、nomは技術的なことをしてる時が何よりも楽しいし、そういう時の方が明らかに疲れない。
    一番望むのは、社内でプロジェクトを組んで、新しいソフトなどを開発すること。期間的に余裕があって、1本の仕事を完了させるような仕事がよい。今の仕事は技術的には磨かれるけど、時間的に余裕のある仕事が少なく、
    実際あまり理解しないままできてしまったものや、不完全なまま、営業や話で上手くまとめてしまっている仕事、技術もある。短時間で多くの仕事をこなすような仕事なんで、正式な技術よりも
    上司やお客さんをうまくまとめる技術の方が磨かれてしまう。
    とにかく、C/Sシステムやイントラネット構築も面白いが、それより更にやりたいのは、プログラムの開発なのである。SEの方が収入も多いし、実際格好良いと思う。でも、nomはSEに向いていないので、いつかはこの仕事を離れる。3年は続けようと思ったが、会社の方針変更によってそれが早まった。そろそろ動き出すつもりだ。

    理由としてはもう一つあって、サービス残業がかなり多いこと。
    その時間にやりたくない仕事をやっているから、ストレスも疲れも溜まりまくり。少ない残り時間を使って、遊びに行ったり、彼女を作ろうと頑張ってはいるが明らかに話題も少ないし、つまらない人間になりかけている。仕事の疲れは隠せない。

    10.お金より大切なもの

    1998.5.10

    「時は金なり」という言葉がある。
    でも、実際お金より大切ではないだろうか?
    今nomは24歳、24歳である時間は365日、今は5月だからもう12分の1は消化してしまった。自分で一番良かったと思う時期は17歳の時と、20歳の時。
    でもその時間はいくらお金をかけても絶対に戻らないのである。例えタイムマシーンがあったって、24歳であるnomが1994年に戻って大学2年から始めるのは無理だ。今となっては思い出という財産が残っているだけで、それを振り返ることしかできない。
    nomが一番後悔すること、それは「時間を無駄にすること」である。人生80年といったって、日にすると3万日、時間にすると72万時間。分にすると4320万分。1秒1秒だって、耐えず命を削っているのだ。どれだけ充実させたかが、人生の本当の価値であると思う。

    「時は金なり」という言葉の意味。
    時間を誰かのために消化したなら、時間は戻らないからお金で勘弁してくれ
    ということを指しているのではないか。

    人間が一人前に成長をするのには20年間かかる。そこからはだんだん衰えていくのである。一番輝いている20代。nomは前半最後の分岐点に差し掛かっている。有効に使うための手段を考える。そうすると、真下にある「9.そろそろ転機を迎える」につながっていく。お金より大切な時間を、つまらないまま消化させる訳にはいかない。例え誰かを裏切っても。

    なぜ17歳の時と20歳の時が良かったかって?
    高校の時は何も考えず遊んでられたし、
    大学2年の時は…あえて言うならすごくいい夢を見させてくれたからかな。

    11.nomの紹介(補足版)

    1998.5.17

    最近nomの紹介をかなり更新した。
    自分に自信を持っている訳ではないが、nomは自分のことを何でもばらしてしまう。本当はこんなホームページで紹介できる程nomは単純ではない。自分で自分のことをよく分かっているつもりだが、自分で自分をコントロールできなくてこの場面ではこうするべきなのに、と思っていても違う行動をすることがある。ここで書いてあることもいつ変わるか分からない。<特に理想のタイプは

    でも、やっぱりみんなが興味あるのは多分理想のタイプのところでしょう。
    だから、理想のタイプの補足説明に入りたいと思います(何で急に真面目になるんだ)

    まず小柄な人が好きというのは、前から変りません。スタイルは良くない人でも構わない。どちらかといえば少し太っている人の方が好きです。みんな足を長く見せて、無理に痩せようとしているけど、ダイエットするのは本当に太っている人だけで十分だと思う。
    次にオシャレじゃない人と書いてあるけど、本当はオシャレをしてる人ってのが男を求めている人なんだよね。元からオシャレが好きな人でも別に構わないんだけど、nomはあまり気にしないんで、いくらかわいい服着ててもよく分かりません。本当に似合う服なら、安くても古くても、「その服着てる時が一番いいな」とほめてあげます。
    冒険心のある人というのは、ただnomがそうだから、それに合わせてもらいたいだけ。臆病な人ってのは結局その次の他人に流されない人にはならないんだよね。自分で自分の行方を決められない人なんて、一緒にいても面白くないよ。
    (そう言っているnomも中学生くらいまではかなり臆病でした。)
    嫌なタイプの中にやかましい人というのがあるけど、声が低くて生意気そうな人は嫌い。けっこう女の人の声は重視する。声だけ聞いてて好きになってしまうこともあるくらい。きれい好きな人は、普通は女はきれい好きだとは思うけど、例えばオヤジが行くような薄暗いラーメン屋では食べられない、とか、極端なきれい好きはお断りだよ、ってこと。ミーハーな人、これも結構多いんだよね。まぁどうせミーハーな人だったら、nomなんか相手にしてくれないし、nomも相手にしないから別にいいや。

    結局自分が良いと思ってる人は近づいてくるし、嫌だと思う人は自分から遠ざかるんだよね。でも、いつnomと合う良い人が現れるんだろうか。

    12.ミリオンセラー

    1998.5.22

    B'zのベスト盤が発売初日だけで350万枚売れたらしい。
    この調子じゃ500万枚なんて軽く突破するだろう。彼らがベスト盤出せば絶対売れる、どうして早く出さないんだろうと思っていた。話によると、渋谷のタワーレコードの前には相当アルバムを買う列ができていたらしい。しかし売れるのは分かっているから相当プレスしているはずである。何故そこまでするんだろう?みんな訳も分からず並んでいたのかな?よく分からん。

    nomは、B'zは邦楽の中ではかなりいいグループだと思っている。稲葉のヴォーカルも松本のギターも日本の中でなら、かなりの実力者だと思う。しかし最近はなぜか分からないが、彼らの曲があまり良くない。でも売れる。二十何枚か連続オリコン初登場1位だという話だ。ふぅーん。そしてここに来てベスト盤もGLAYやELTを軽く上回りそうな勢い。やっぱ彼らはすごい。でもベスト盤のレコード会社の意向が丸見えのあの選曲といい、最近の曲といい、明らかにビジネス的になっているのではないか?
    特にあのベスト盤、ただのシングルの寄せ集めとしかいいようがない。
    あの中で本当にいいと思うのはせいぜいLOVE PHANTOMくらい。
    B'zはもっと良い曲を作れるし、もっとすごいベスト盤を作れるのに...

    ついでに言うが、GLAYが400万枚とか、よくそんな売れるなぁと感心する。本当にGLAYのファンが日本中に400万もいるとは思えない。日本の老若男女30人に1人がGLAYファンか? そんなはずはない。今は人口の15%がおじいちゃん、おばあちゃんになってる。まさか老人の心まで掴んだか?
    GLAYが本当に好きな人、TVで聴いていいなぁと思った人、それを合わせても400万人いるとは思えない。多くの人の心を掴んだのは事実だと思うけど、おそらくこの売り上げのうち半分は話題になってるから買ったとか、持ってないとバカにされるから、とかこの曲かけると女の子のウケがいいんだよね、とか、そういう人なんではないか?
    そんな消極的な理由で買う人がたくさんいるんだと思うよ。
    お金には限りがあるんだから、もっと積極的な消費理由を見つけなきゃ。
    人と同じことをするために使うのはもったいないね。

    13.やっぱりプログラマ

    1998.6.10

    今、Javaの勉強をしている。就職してから、プログラムから遠ざかっていたが、何かやりたくなって、VBやExcel VBAを覚えようと思って本を買ってみたが、どうも覚える気がしない。しかし、Javaはなぜかかなりやる気になっている。C++に似ているせいもあるが、ホームページに直接使えるから、この山田屋に使おうと思って、本を見て勉強中である。怪しい自販機や食べ物をデータベース化するためにJavaを使いたいと思っている。

    Java Language Referenceという本を見て勉強しているんだが、良い本に出会ったと思う。外国の本を訳したものだが、うまく興味をそそるような書き方になっている。C++をやっていた時も、3冊本を買ってもなかなか理解できず、壁にぶち当たっていた。その時外国の本を訳したC++の入門書を見たら、再びやる気になってきた。外国の本がすべて良いのかどうかは分からないが、いい本に会えるかどうかで、プログラムの理解度が全然変ってしまうと思う。

    nomはパソコンの本質はプログラミングにあると思っている。
    最近はハードの入れ替えやネットワークの構築なども、パソコンの楽しみになってはいるが、制約が多かった昔はプログラムで何とかするしかなかった。8ビットマシンを使っていた時代は、「このマシンでここまで実現!」という宣伝文句に毎度感動していたものである。
    処理速度を速くするのも、奇麗な画像を出すのも、プログラマの腕にかかっていたのである。今は、「新しいボードを付けましょう、メモリを増設しましょう」で片づけられる時代。
    何か悔しい思いがするのは、nomだけなのか。

    今時流行らないと思われるプログラマだが、今でもなりたい思いに変りはない。だって、小学校の卒業文集に「誰もが作らなかったすごいプログラムを作って、ものすごく売れて、nomの写真の入ったお札ができる」って書いてあるんだもん。

    14.もっと欲しい!夏休み

    1998.7.14

    7月の後半から、学生は夏休みに入る。nomも小学校から大学まで、夏休みは毎年あった(そりゃ当たり前だって)。しかし夏休みといっても、何かいい想い出がない。小学校や中学校のは確かほとんどゴロゴロしてるか、学校のプールへ行って終わっていた。高校からは、プール参加義務がなくなるんで、ほとんど自由になる。
    nomはこのひとりごとにも書いてあるように、高校3年から夏休みはすべてバイトしていた。暑い中自転車に乗って、郵便配達していたのである。しかもそれは大学4年までずっと、毎年続けていた。夏休みはほとんどバイトで、海水浴とか行った記憶はほとんどない。多分たまに秋葉原へ行って、買い物をしていた程度だったと思う。大学の時も、近くに友達がいないので、遊びに行くこともなかった。

    nomは普段バイトしないので、夏休みや冬休みで半年分の生活費を稼いでいた。高校も大学もきちんと授業に出てたんで、あまりサボることはなかった。(高校は大学推薦を狙ってたんで、あまり欠席を重ねると対象外になってしまう、ってのもあるし親に授業料を出してもらってるんだから、きちんと授業出ないと申し訳ないと思っていた。)今思えば、それはお金の無駄よりもっと後悔すべき時間の無駄を作ってしまった。
    ものすごく後悔している。

    社会人になって、毎月の給料で少しばかりお金に余裕が出てきた。
    自動車の運転もだいぶ上手くなってきて、行動範囲が広がってきた。
    そうすると、遠くの友達にも気軽に会いに行けるし、いろいろ遊びに行きたくなってくる。お金に余裕があると、一人旅をしていても楽しいと思えるほど。でもそういう状況になったのに、今度は学生のような長期夏休みがない。nomの会社の夏休みはたった4日間(普通の会社も同じかな)、土日をつなげて6日間しかない。それもどこも目一杯混むお盆(そりゃ当然か)しか休めない。なんて皮肉なことだろう、お金があるのに目一杯遊ぶことができないのである。わずかな夏休みも疲れを癒すだけの期間しかない。

    社会人になってから、こんなに遊ぶ欲求が強くなるとは思わなかった。
    真面目・働き者であった自分がこうなる、とは想像がつかなかった。

    1ヶ月くらいの大量休暇が欲しい。
    週3回、4回くらい休んで、余裕を持ってどこか遊びに行きたい。
    早く日本も外国の企業のように、長期休暇を取らせるようにならないかな。

    15.最大の後悔

    1998.7.21

    nomはこのページでも彼女募集中みたいなことを書いていて、全然モテないようだが、実は女に人気がある時代もあった。それは20歳、大学2年生の時である。この時にうまくやってれば、彼女ができたかもしれない。でもそれを見事に逃してしまった、nomの人生の中ではかなり大きな失敗である。

    大学1年の時、nomはここで彼女を見つけてやろう、とハリきっていた。クラスの中には男20人、女6人と競争率は厳しかったが、nomはある女の子に目を付けた。彼女はクラスで一番人気のある男に声をかけられても、素っ気無く、男からは近寄りがたい女であった。しかしnomは好きだった。なかなか声をかけるチャンスはなかったが、nomは彼女に近寄るチャンスをうかがっていた。

    (nomは一番最初はコーラス部に入っていて、実はその中の一人の女の子に告白をして、振られている、だがあまり面白くないので省略する。)

    大学は英語の教育に熱心で、英会話の授業では英語で自分のことを話しさせていた。そこでいつも自己紹介や出来事を話していたのだが、nomはある時、自分が以前バンドをやっててTM NetworkやB'zが好きだ、ということを英語で話した。それをある女の子(埼玉県民1号)が聞いていて、その次の授業の時、「nom君ってTM好きなの?」と声をかけてきた。そこにはnomが狙っている子(埼玉県民2号)も一緒にいて、「うん、そうだよ」と言ったら、2号は「B'zも?」と聞いてきた。
    普段滅多に男に声をかけない彼女がnomに話しかけてきたのである。
    それから少しずつ話しをする機会ができてきたが、2号はかなりシャイで、
    nomから声をかけることはあっても、彼女から声がかかることがない。
    1号は逆にすごい積極的な子で、nomに気軽に声をかけてくる。その時、2号も一緒に話しを聞いていて、たまにつっ込んでくる。「nomってどこに住んでるの?」と1号が聞いた時、「埼玉だよ」って言ったら、「えぇ、そうなの?」と2号が喜んでいるような感じだった。2号が埼玉に住んでると知っていたnomはひょっとしたら脈ありかな?と思いこんでしまった

    それから休みをはさんで、2年生になる、ここから更にnomの恋は発展する

    nomは2年の時、できるだけ(女)友達を増やそうと思い、友達と別れて
    一人での授業をたくさん取ることにした。

    だが、シャイなnomはあまり声をかけられず、孤独な授業を受けることが多かった。いつも一人で受けていた土曜日の授業だが、ある時帰りに2号がいることが分かった。その翌週、彼女が一人でいるところにさっそく声をかけた。2号も同じく一人で授業を取っているらしく、彼女はあまり授業に出れないらしいので、毎回マジメに出ているnomはノートを貸してあげた。
    そして他の授業で会った時も話しをしたりして、更に彼女はもっとノートを貸して欲しいとか、いろいろ甘えてきたので、nomはそれに応じてあげた。
    そうやって夏になってきたが、友達のままずっと進展していく。
    だが1号もよく声をかけてきて、nomはそちらとも仲良くなってきて、
    1号も悪くないなぁと思ってしまう。(その時1号はフリー、2号は彼氏がいた。)
    そして土曜日の帰り、2号はあることを聞いてきたが、よく聞こえない。その時偶然別の男が声をかけてきて邪魔が入ったが、nomはすかさず突っ込んだ。「今ディズニーランドが何とかとか言わなかった?」と聞くと、
    「nom君って、ディズニーランドとか行くの?」と聞いてきた。
    「好きなんだけどねぇ、男同士で行くのも嫌だし。2号さん一緒に行ってくれない?」
    「え~っ」とか言って否定していたが、真相はどうか分からない。
    ここでnomが押せ押せで行けば、ひょっとしたらデートできたかもしれない。しかしnomは女に関しては臆病だった。
    nomはこの時点で彼女は最低でも自分に興味があると確信していた。

    そして、夏休みが終わり、後期の授業に入る、ここが大きな山場となる。
    一度休みが入ると、しばらくは上手く話しができない。11月頃から徐々に二人で話すようになり、ある時クラスの飲み会を誰かが提案した。それまで誘われなかったnomもその頃にはクラスにも馴染んでいて、もちろん参加することにした。前から誘われていた1号、2号も共に参加することになった。

    そしてその飲み会、nomは初め野郎の友達と座っていたが、途中で1号、2号がnomの側に寄ってきて、次々とビールを注いでいく。nomはあまり飲めないはずなのに、ガンガン行く。両手に花状態で、nomは何を言っているか覚えてないが、相当ノリノリ状態で、彼女達とも完全に打ち解けて、最後はnomと2号は夫婦みたいな状態になっていた。
    だが途中で気持ち悪くなって、結局吐いてしまった。
    それからカラオケに行って、nomは得意なB'zを歌おうとしたが、酔ってて、
    音程がさっぱり分からない。2号はZARDの「揺れる想い」を歌っていたらしいが、nomは頭の中真っ白で何も聞こえてなかった。
    もしかして「揺れる想い」は何かのメッセージだったかもしれない。
    ただnomは1号が言ったたった一つの言葉「2号は彼氏いるんだよね」が引っかかっていて、結局いい状態になりながら、何もすることができなかった。

    それから後期の授業がしばらく続くが、未だに友達の殻を抜け出すことができない。nomは2号に次々とノートを貸していて、それが他の女の子にも知れ渡って、いろいろな女の子から声をかけられた。しかしノートを貸してそれだけで終わらせた。nomは2号一人に絞って、他の女の子には気がないように見せるようにしていた。
    そんな時、彼女は遂にチャンスを与えてくれた。
    「nom君、いつもノートを貸してくれてありがとう、今度何かお昼でもおごるよ。」
    nom「じゃ、今度の土曜日何か食べに行こうね」
    nomに与えられた最大のチャンス、ここで告白しよう、彼氏がいてもいいや、と思っていた。

    そして、その土曜日、彼女はnomがBILLY JOELが好きなのを知っていたので、それを録音したテープを持ってきた。
    (本当は英語の時間に適当な歌手の名前を言っただけなんだけど)
    しかし、nomが始めて女からもらったプレゼントである。
    だが、nomは女に人気出過ぎたのか、他の女の子がやってきて、ノート貸して、とか言ってきた。せっかく二人でいたのに雰囲気が壊れた。(ここで2号はムッときたかもしれない)
    そして、食事に行こうと思ったら2号の友達も来てしまった。
    nomは「2人で行きたい」とは言えず、「みんなで行こうよ」と言ってしまった。しかも2号と、友達2人の食事代もnomが出した。
    考えていた展開とは全然違う、しかし2号の左手の薬指に指輪が見えた。
    彼氏はいるが、まだチャンスはある!と信じて、このまま翌年の授業までガマンした。

    そして後期の授業、結局友達のままずっと過ぎていく。
    しかしクラスの誰かが再び飲み会を企画した。もちろん行くことにした。
    この飲み会はクラスの人が一緒になる最後の機会であり、これ以降はみんなバラバラになる。nomはこのチャンスを生かそうと思っていたが、その前にもチャンスはあった。1号が夜一緒に食べに行こう!というのである。2号も誘うということだったが、5日後あたりにこの飲み会もあるので、nomは大丈夫だと思い断ってしまった。だが実はこれは最大のチャンスで、2号が彼氏と別れた直後だったのである。
    nomがその事実を知るのは、その飲み会の時。
    1号が2号に「2号彼氏と別れちゃったんだよね。でも好きな人もいるんだよ。nom君も誰か好きな人いないの?」とか聞いてきた。
    その好きな人がnomかどうかは分からないが、nomは素っ気無く「誰も好きな人なんかいないよ」と言ってしまった。2号が彼氏と別れて喜ぶべきなのに、なぜかそんな態度を取ってしまった。
    nomはその好きな人って誰なんだろう?とずっと考えていて、「この後告白するべきか」「好きな人いるんじゃ振られるのがオチか」と頭の中でグルグル回っていた。でもせっかく掴んだ女友達と気まずい仲になっても嫌だし、
    もうどうすればいいのか、酒が入ってもずっと考えたままだった。結局そのまま終わってしまい、nomは帰りの電車の中でものすごく悔やんだ。
    やっぱり告白すべきだった・・・と。

    最大のチャンスを逃したのは確かだが、まだチャンスはあった。

    実はnomは2号と同じ研究室(ゼミ)を希望していて、それに入ることが決まっていた。授業の連絡などをするため、連絡網が配られた。実はそこで始めてnomは2号の電話番号を知り、さっそくその夜電話をかけた。その時、例の好きな男のことも聞いてみたが、「付き合ってるよ」というので、nomはもうダメじゃないかと諦めていた。

    そうやってまたどんどん時が過ぎてゆく。
    しかし2号には彼氏がいるような感じではない。少なくとも学校の中にはいない。nomはその後も接近しようとするが、1号に彼氏ができたせいか2号は別の友達と付き合うようになり、何故か近づいても近づいても、どんどん二人の距離が離れていくような感じだった。もう1号や2号と一緒の飲み会もなく、ほとんどチャンスは現れない。一度2号がnomの家に電話をかけてきて、ゼミの会合に(一緒に)行こうという話しがあったらしいが、その時ちょうどnomが不在で、これまた不運が続いていた。

    そして、なんと4年の12月まで来てしまった。
    ある時nomは2号が他の男と一緒に帰るのを見てしまった。やっぱり彼氏いたのか~とnomは最高に悔しがった。だがその2週間後、nomと2号、その他の人とゼミの会合に一緒に行くことになった。
    nomはもう諦めていて、ヤケクソで2号に近寄っていった。
    そうすると、最近素っ気無かった彼女が再び以前のように話してくれた。
    そして二人でいい感じのまま、その会合が終わり、最後に2人になった。
    辺りはクリスマス前で賑わっている。だが、nomは前見た男が引っかかっていて、結局何もせずサヨナラをした。

    だが後で友達に話しを聞いたら、実は彼はnomの友達の知り合い。彼はもう彼女がいて、2号とはたまたま授業が一緒で帰りも一緒だったとのこと。ちなみにその時2号に彼氏がいるかどうか聞いたらしく、いなかったそうな。
    クリスマス前の寂しい時、あの時だったら、可能性はかなり高かったはず。
    実はその話しを聞いたのは卒業間近。もうどうしようもない。

    nomはいいチャンスを何回も逃している。
    そのどれか1回でも生かしていれば、今頃こんな寂しい思いをしていないだろう。nomにとって2号は唯一分かり合える女友達であり、唯一好きな人であった。だがそれが大きな敗因となってしまった。
    失いたくない思いが強すぎて、思い切った態度を取ることができなかった。
    彼女がnomを好きだということを確信できる何かが欲しかったのだが、それを待っていたため、結局大事なチャンスを逃してしまった。だが普通女の方からアプローチはあまりしてこない、ましてシャイな彼女なら余計だ。結局nomに勇気がなかったのが失敗の原因であり、それを改めなければならない、ということを感じた。

    だが今度は社会人になって、女と知り合える機会すら少なくなってしまった。今度は1回チャンスを逃したら当分ところか、もうやってこないかもしれない。だからこそ手に入れたチャンスは大切に、そして大胆に生かしたいと思っている。

    もう2度とこんな後悔はしたくない nom

    16.字ばかりの本は苦手

    1998.8.28

    nomはパソコンの本やマンガ以外の本をほとんど読まない。
    小学校の時から一番苦手な教科は国語だった。国語のテストでいつも間違えるのが決まって、「ここで○○君の心情はどうだったか?」という質問である。考え方がひねくれているのか、ほとんど関係ない答えを選んでしまう。テストでポイントを稼ぐのはいつも漢字や文法の問題。他の教科では5を取れるのに、国語は常に4だった。
    (読解問題で点を取れないのが分かっていたので、漢字などは目一杯勉強した。)

    nomの考え方がおかしいのかもしれないけど、国語の読解問題で人の心情を1つに限定させるのはおかしいと思う。有名私立を受験する子供たちは、国語の読解問題でさえも暗記すると聞く。「こういう場合はこの心情だ」、そんな物を植え付けていくとみんなが同じ考え方になっていく。
    本を読まないnomが言ってもあまり説得力がないが、一つの考え方だけを押し付けるような、そんな勉強ならしない方がいい。たとえテストでいい点取れても、いい思考能力は育たない。

    で、nomが本を読まないのは読解力がないから…と言えばそれまでだけど。例えば科学書だとか宇宙論だとか、或いは外国の紹介など、そういう本ならnomは興味を持って読む。興味はあっても、実生活にはほとんど必要ないことが分かっているから、買ってまで読みたいとは思わない。

    本屋に行くと、やたらに置いてあるのが、「ビジネスで成功する秘訣」だとか、「人付き合いが上手になる本」といった一見実生活に役立ちそうな本。
    少しのぞいてみると、確かにいいことは書いてある。だがその本を読んで、その通りに実践できるかどうかといえば多分無理。それよりも、わざわざ金を払ってまで人の考え方を押し付けられたいと思わない。
    nomはどうしてモテないのか、なぜ人の気持ちを理解できないのか。その理由が一番分かるのは家族や友達、周りにいる人々であって、どこにいるか分からないビジネス本の著者ではない。それでもこういう本って売れるんだよね、頼りにできる人はたくさんいるのに。自分ですらも信頼できなくなってしまっているのかな。nomはこんな押し付け本のお世話にはなりたくない。

    結局どんな本を読むか?というと、最後はパソコンの本にたどりつく。
    パソコンなら実生活にも役に立つし、心情なんか一切入ってないからね。

    17.山田屋はJavaScriptを使っています

    1998.9.8

    山田屋はトップページからコンテンツ、更新履歴でJavaScriptを使っています。そのため、Netscape3.0やIE3.0以上でのブラウザでの閲覧を推奨しています。なぜ、JavaScriptを使ったかというと、

    1.nomが更新する時に便利だから
    前はFoodsコーナーやらで、過去のデータを見るのにわざわざHTMLでリンクを張ってました。それから、トップページは1度更新した場合、2ヶ所更新日付を変えなければなりません。しかも、テーブルを使ってるので、その個所を毎回探してきて変えてました。
    そのため、Foodsコーナーの更新日が最終更新日より新しいとか、更新漏れがよくありました。しかし、今は更新日付をまとめて1ヶ所に置き、最終更新日を自動的に変えるようにしたので、nomの更新への負担がかなり減りました。
    また、更新履歴はフレームの下の部分は過去1ヶ月の履歴を自動的に読み込み、テーブルで表示させるようにしました。
    上のフレームで更新履歴を押すと、過去すべての履歴が表示されます(IE3.0ではエラーが出るが表示される)
    JavaScriptを使うことによって、コンテンツのサイズが半分になり、
    なおかつ最小限の書き換えで済ませられるようになりました。

    2.Javaを使うと起動に時間がかかる
    Javaを勉強してるので、できればJavaを使いたいのですが、
    いろいろJavaを使ったホームページを見て、こういう結果を出しました。

    Javaは起動が遅い!

    LANでつないでいる時はJavaを使用していたら、
    仕方ない、待つかと思う程度ですが、
    ダイアルアップの時は、
    えっ、Java使用、もう見なくていい!
    こっちだって1分1秒に接続料と電話代がかかってるんだ!
    中止!、あっ、ブラウザがJava起動にリソースを取られて停止できない!
    といった具合になります。そう考えてあまり起動に時間のかからない
    JavaScriptを利用することにしました。

    3.結局のところまだJavaを理解してない
    なんだかんだ理由を付けましたが、結局簡単なJavaScriptに逃げただけです。JavaとかC++とか言語自体は嫌いじゃないんですが、それを作成するツールが嫌いです。
    そのツールの使用方法を覚えるのが面倒なんです。
    プロジェクトを管理するためにはイミディエイトペインで…
    意味の分からん英単語がごちゃごちゃ並んでいるヘルプを見るとムカついてきます。最小インストールでも、そういう物は入ってしまいます。
    nomが欲しいのは、高速コンパイラだけなんだよ!コンパイラさえ速ければ、JDKとNotepadだけであとは何とかなるわい!と思ってしまいます。
    それから、ホームページを作成するエディタも覚えるのが面倒なんで、
    結局使いませんでした。でも、これじゃ人にホームページの作り方聞かれた時、困ってしまいそう。全部HTMLで作ってくださいなんてとても初心者には言えないしなぁ。


    それから、JavaScriptのテストはNetscape3.0,4.0及びIE3.0のみで行っています。IE2.0やNetscape2.0は手元にないので、テストできません。
    IE4.0はインストールしたくないので、テストしてません。
    もしブラウザによって、不具合があったらぜひnomまでメールください。
    それから、JavaScriptのソースを見たい方もメールいただければ送信します。

    18.再び冬の夢は訪れるのか

    1998.9.18

    9月も後半に入ってきた。もう6時になると、太陽はすっかり見えない。
    街はライトを灯した自動車でいっぱいになってくる。
    いよいよ夏も終わりを告げて、秋から冬へ向かうサインを出している。

    さて、ちょっとした前置きを書いてみたけど、nomは夏より冬の方が好きである。夏はみんなが開放的になるのだが、nomはあまり開放的になるような性格ではない。周りに合わせてはしゃぐのは何となく嫌なのだ。
    それに対し冬は、静かに盛り上がっているような感じがする。冬のイベントも、クリスマス、お正月など内側で楽しむような行事ばかりでいい。なぜか寂しく、人恋しくなれるから冬は好きなのである。

    4年前の冬は好きな子と、結局付き合えなかったんだけどいい夢を見させてもらった。毎日一緒にいて、いつか何かあるような気がしていたけど、何もなかった。結局それは自分の勇気が足りなかっただけだけど。
    再びそういう機会があったら二度と逃さない、という気持ちはいつも持っている。でもそれ以来何も期待がないまま、2年が過ぎてしまった。
    今年は、最高に良かったその4年前と同じ流れで来ている。
    あの年の夏はパチンコにハマっていて、一月で10万円以上儲かっていた。
    今は仕事があるからそこまでできないけど、最近はプラス5万円/月くらいである。春から夏にかけて何人かの女性と仲良くなれたのも、これまた4年前と一緒。仕事が忙しいこと以外は、4年前とすべて一緒なのである。
    だからまた、冬には再び夢を見させてくれそうな気がする。

    これから先どうなるか分からないけど、
    今度こそ夢を夢で終わらせないようにしなきゃ。

    19.自販機コーナー探索記

    1998.10.1

    さて、今回はnomがどうやって自販機コーナーを見つけるのかを紹介しましょう。

    もう群馬やその他の県への自販機探索も10回以上は行っている。
    実は2年前くらいから、こういう怪しい物を探しまわったりしているのだ。
    昔はただいろいろな所を走っていて、面白そうなレストランに入ったり、
    奇妙な施設に入ったりして、楽しんでいた。
    ある時、群馬には自販機の施設がたくさんある、ということを知った。
    nomが高校の時見つけた環七の巨大自販機施設は、そこにしかない物だと思っていた。
    しかし、群馬に行けばまだまだたくさんある!それを聞いて嬉しくなった。

    で、いざ群馬へ行ったら全く見つからない
    朝から夜まで探し回って、結局そばの自販機の施設を見つけただけ。
    あと壊れたヒッパリーナの自販機、壊れているにもかかわらず10円玉を何度も入れていた。どこを探していたのかというと、国道122号の山を真っすぐ日光方面に行っていた。実際山の方にはあまり存在しないのだが、田舎へ行けば行くほど多いのではないか?
    と信じ込んでいた。

    もう夜も遅くなったので帰ろうとして、偶然見つけたのが、山田商店だった。その自販機の数を見て嬉しくなった。腹も減っていたので、そばからかき氷から、2個出てきた焼きそばまで、すべての自販機を試してみた。
    なぜか店の名前を「山田屋」と思い込んでいたみたいで、「このネーミングも生かしてる!」
    と山田商店との出会いを喜んでいた。

    そして何度か探索をして、他の自販機コーナーもいくつか見つけたが、
    山田商店には二度と行けなくなってしまった。
    時には夜中に何時間も群馬の道をさ迷い、山田商店を探していた時もあった。いくつも自販機コーナーを見つけたけど、一度見つけたら最後。
    次行こうとすると行けない。どうしてかと思ったら地図を持っていなかったせいであった。さっそく群馬の詳しい地図を買い、再び探索をする。
    そうすると、何もなしにさ迷っていた時とは効率が全然違う。
    だいたい県道に多くあることが分かっていたので、地図に出ている県道を片っ端から走ってみる。そうすると自販機コーナーが次々と見つかる。
    そしてデジカメで撮った自販機の写真が溜まった所で、この山田屋開店に至った。

    nomは、もう群馬のどの辺に自販機が多く分布するか、どの道路にあるか、だいたい分かっている。群馬の自販機コーナーは伊勢崎を中心に分布しているのだ。
    そして古い県道、番号が2桁以内の県道に多く分布している。
    これだけ分かっていれば数多くの自販機コーナーに出会えるのだ!
    群馬の県道まで載っている地図があれば、それだけでOK。
    でも、この法則に基づいた自販機コーナーは、
    もうすべて山田屋で紹介し尽くしてしまった。

    nomは新たな自販機コーナーを求めて、再び未知の道路をさ迷う。

    20.最近のnomの状況 98.10.17

    1998.10.17

    最近のnomの生活は安定していて、何もかも順調に進んでいるように思える。大きな失敗もなければ、大きな成功もない。特にこれといった悩みもないし、毎日の生活に不満を感じることもあまりない。
    あえていえば、仕事が少し忙しくなってきたので、疲れ気味であることくらい。だが、「9.そろそろ転機を考える」の頃に比べれば全然良い。
    でも一つ言えるのは、刺激のない生活だということだ。
    これが一番の大きな悩みである(ゼイタクな悩みだ)。

    新しい行動を起こすのには何かキッカケが必要だ。レベルアップは経験値を稼ぐだけでできる物ではない。経験を稼いで、そして自分が成長したことに気づかなければ上へ進めない。自分がいくら成長しても、コンピュータがベルを鳴らして教えてくれる訳ではない。それを気づかせてくれるのは、自分か他人かそれは分からない。

    nomが社会人になって1年半、どれだけレベルアップしたのか知りたい。
    会社の先輩は成長したとは言っているが、それがどの程度かがよく分からない。そりゃ1年半もいるんだから成長して当然であり、成長してなければとっくに見放されているはず。

    自分が成長したことは自分でも認めているが、それでも新しいことをするためには、その後のことを考えなければならない。
    今したいことはたくさんある。一人暮らしとか、海外旅行とか、いろいろ。
    だがどれもが、仕事という大きな壁に阻まれていて、いざしようとしてもできない。それをしてしまうと、仕事が大きな重圧となってしまうだろう。
    仕事を辞めても生活自体あまり困らないのだが、その後のことを考えると、
    もっと経験を積んでおかなければとか、再就職は可能か?と考えてしまう。
    今のままもっと刺激のある生活を送れれば理想的なのだが。
    そのために必要なのは、会社以外での新しい出会いが必要であると思う。

    いろいろな人に会って、自分のレベルがどれだけの物か確かめてみたい。
    そして新しいことを起こすキッカケが欲しい。

    と思っているのだが、人に会うこと、そういう人を探すこと、人付き合いがあまり得意でないnomにとっては、大きな重圧になってしまう。だから結局毎日の同じような生活を送って、休息は一人で時を過ごしてしまう。
    この無限ループから抜け出すためにはどうしたら良いのだろう?

    21.働くことの意味

    1998.11.2

    最近なぜか仕事が忙しい。
    夏の一時期は仕事がすごく楽で、週の半分以上を定時直後に帰った時もあった。だが今は、7時まで仕事するのは当たり前、10時過ぎにまでなることも月に2~3度くらいある。先週も仕事中に頭痛くなって、思考力があまり働かなくなったのに、さらに昼飯抜きでパソコンの設定をやらされて、もう客に怒りそうになった。
    でもその次の日に大事な仕事があって、風邪を薬で無理矢理治して、今度は急ぎの仕事とかで、10時半まで作業をやらされた。しかも土曜出勤もあって、過酷な勤務のツケが日曜に出てきて、通っている英会話スクールの集まりの時に、ずっと頭が痛いままだった。その日は10時間の睡眠を取っているのに、家へ帰ってすぐ寝て、日曜だけで17時間も睡眠を取った。
    1日にこれだけ寝られたのは生まれて初めてだ。

    だがこんな勤務は序の口のようで、営業はもっと大変な思いをしているらしい。それも一時的な物じゃなくて、年がら年中そうだとか。10時前に家に帰るのが珍しいくらいとか言っている。どうしてそんな会社にいつまでも張り付いているのだろう?と疑いたくなる。しかも残業したからって手当ても付く訳でもないし、給料が上がるとは限らない。
    (あくまでもうちの会社の場合。でも他の会社もそうなのかも。)
    今の生活でもきついのに、これ以上きつくなったらとても耐えられない。

    残業なんてのは、サッカーのロスタイムと一緒だと考えている。休息を取っていた時間や、仕事のできなかった時間を、後の時間で補う程度の物である。なのに今の仕事は、時間中目一杯作業をしているのに、終わらない。
    仕事中に掲示板の書き込みしたり、踊り場で話したりしている訳ではないのに。(最近は、昼休みか定時後に書き込みしてます。書き込みタイムはせいぜい2分)会社がそれだけ大きなノルマを与えているために、それを達成できないでいる。

    仕事は、生活の中のほんの一部でしかない。会社が家のようになっている人もいるけど、会社はただの働くところ。仕事が終わったら一早く出てゆきたい(速い回線でインターネットつながってるところだけはいいけど)
    なのに仕事に体も休みも潰されてしまうなんて・・・。
    nomが会社に張り付いているのは、ただ経験を積むため。入社した時から、これだけの期間やったら辞める、と決めている。<中学や高校と同じ期間だけこの生活には期限を付けないと、いつか体が壊れてしまいそうだ。

    とりあえず今は仕事がもう少し楽になることを祈るのみ。
    休みにいろいろなことをしたいから。

    22.最近のnomの状況 98.11.11

    1998.11.11

    下で書いてある頃から今はだいぶ落ち着いてきて、今のところ楽になってきている。ただ空気が悪いせいか、3~4日に1回はせきやくしゃみが多い時がある。くしゃみが3回くらい連発すると、脳への酸素供給が少なくなって、頭がクラクラする。そして体が妙に熱くなって、5分くらいは頭がボーっとしたままになってしまう。ちょっと前はそうなると、もう1時間くらいだるくなってたんだけど、今は体力も戻ってるせいか、熱っぽくなってもすぐ回復する。ちょっと前にちょっと熱を出した時に、風邪のウイルスに抵抗する細胞ができたのかな。
    もしそうなら、この冬はもう風邪をひかないかもしれない。でも、去年も風邪ひかなかったし、何だか怖い。最後に高熱を出したのは、2年前の1月頃だと思う。まとめて来年に来て、超高温の熱を出して突然倒れたりして。
    nomは小さい時に最高41.5度の熱を出したことがあるらしい。
    (あと1度高くなったら死んでた。恐ろしい)

    で、心も落ち着いているせいか、最近何だか変な感じになっている。
    電車の中とか、レストランで、いろんな女の子を「かわいいなぁ」と感じてしまう。それも、外見が自分の好きなタイプと全然違う子だったりする。
    もちろん声をかけたりはしないのだが。イチャイチャしてるカップルなんかは全然気にならないんだけど、一人でボーっとしてる子を見てると、何だか無性に「いいな」と感じてしまう。

    前なんか仕事で頭がいっぱいで、それどころではなかった。
    今は抱えている物が少なく精神的にも楽になってる、そして、
    大学を卒業してから1年半以上、誰にも恋心を抱いていないから、
    そろそろそういう気持ちになってきたのかもしれない。

    23.SLOW STARTER

    1998.11.17

    最近このホームページの移転作業の計画をしているが、その時、掲示板やカウンター等、今までプロバイダの都合で変えられなかった物を一新しようと思っている。今、アイデアを練っている所で、そのアイデアを更にCGIプログラムとして作らなければいけない。普通ならば、フリーの掲示板ソフトが大量に出回っているので、それを使えば楽に掲示板が出来上がるのであるが、nomはCGIの本を買って、掲示板の作成例を見ながら勉強している。
    もともとプログラム好きなせいか、やっていて結構楽しい。
    本は買ってしばらくやる気がなかったのだが、下のひとりごとに書いてある通り、最近やる気が出てきて、今CGIの本を見ながら悪戦苦闘しているところである。

    さて、このひとりごとのタイトルだが、その名のとおりnomはスロースターターである。仕事も趣味も人付き合いも、何をするにもなかなかやる気が出ない。そのかわり一度火が点いたら、なかなか消えない。
    このページが更新ペースが割と早いのもそのせいで、もう自分の日課となっており、楽しいホームページにしようという思いは、そう簡単には消えない。そのかわりこの山田屋の企画をしてから、作り始めるまで半年くらいかかっている。別にずっと企画をしてたとか、やる時間がなかったという訳でもない。突然エンジンがかかって、HTMLファイルを作り始めてわずか2週間で公開まで至った。

    このスロースターターなのが、実は恋愛にも当てはまってしまったりする。
    ひとめぼれどころか、なかなか人を好きにならない。
    相当長い時間一緒にいないと、どんな人でもいいなぁと感じない。
    社会人になって、同じ人と何度も会うのが難しくなっているけど、
    それでもnomは燃えさせてくれる人を探し続けるつもり。

    24.平日20時の下り電車

    1998.12.3

    最近また仕事が忙しくなってきて、就業時間中目一杯仕事をしても終わらないこともある。
    (nomはいつもネットサーフィンばかりやってると思われがちだが)
    そうすると会社を出るのが20時くらいになったりする。仕事が順調に進んだ時などは18時少し過ぎたところで帰れることもある。18時30分に帰った時と、20時に帰った時で違うと感じる物がある。

    それは下り電車の混み具合である。

    nomが主に使う(というか使わざるを得ない)電車の東武伊勢崎線の下り電車のダイヤは、18時~19時がピークになるように作られている。だいたい19時台は3~5分に1本程度来るように設定してあるのだが、20時を過ぎると急に減り、5~7分、多い時は10分程度待つことになる。
    JRだろうと他の私鉄だろうと、このピークタイムは同じだと思う。

    20時台の電車はなぜかいつもギューギューである。
    いつも朝乗っている電車より混んでいて、疲れた体に更にダメージを与える。鉄道会社だって、混雑具合を考えてダイヤを作っていると思うが、
    明らかに20時台は需要と供給のバランスが合っていない。鉄道のダイヤも少しずつ改善はされているが、電車の来る割合はあまり変らない。
    基本的なダイヤを作った時代と、現在。明らかにピークの時間が違う。

    これも何となく不況の影響ではないかと感じる。
    仕事でいろいろな会社を訪問しているが、18時どころか19時を過ぎても
    真剣に仕事をしていたりする所が思ったより多い。
    (でも残業代はきちんと出てるかもしれない。)
    ノルマを達成するためにやむを得ず残業をしているのではないだろうか。
    そんな人達が、下り電車が少なくなる20時台の下り電車に一斉に乗りこむ。

    平日の夜、残業した後は店が閉まってて、ショッピングには行けない。
    毎日の勤務で疲れた体を癒すために土日が使われる。こんな生活を繰り返していたら、お金を使う暇なんてどこにもない。だから夜遅くまでやっているコンビニや、パチンコ屋ばかりが売れるのではないかな。
    nomは大学で経済を勉強していたけど、そんな物よりも今の生活の方が
    よっぽど経済のメカニズムの勉強になってしまう。

    政治家も1ヶ月位サラリーマンを実体験して、それから経済政策を建てればいいんだ。何も知らない奴等に「経済を立て直せ」なんて言ったって無理な物は無理。ハイヤーやタクシーに乗らないで、20時台の下り電車に乗って汗をかけば、きっと何か分かるはずだ。

    25.高校パソコンルーム設定

    1998.12.19

    仕事で、ある私立高校のパソコン教室の開設準備に行ってきた。
    nomが仕事で携わったのはサーバー6台、パソコン40台、プリンタ15台くらい。実際購入しているパソコンの数はもっと多いらしいが、とりあえず
    このパソコン教室の環境を見るだけでもうらやましい限りである。

    nomが学生の時は、中学にも高校にも、大学ですら、ほとんどパソコンはなかった。(公立だからっていうのもあるけど)
    パソコンがまだ一般にあまり認知されてなくて、なおかつ高かった。
    だから、パソコンをやりたければ、自分の家に置くしかなかった。
    それに比べて、今はかなりの学校にパソコンがあると聞く。高校や中学だけでなく、小学校や幼稚園ですらあるという。時代は変ったもんだ。

    しかし、学校でパソコンを入れたはいいものの、それを教える人や、
    また、管理する人が少ないのではないだろうか?
    会社ですら、パソコンを入れても、表計算のみにしか使ってなかったり、
    メールサーバなどを入れても、ユーザーの登録すら怖がってやらない所があったりする。
    (そういう所があるからこそ、nomの仕事が成り立つのも事実ではあるが)
    学校でも同じことが言える。パソコンの先生、管理者を専任で置いている所はかなり少ないと思う。
    (技術の授業なので、技術の講師がなっているとかいう話しを聞く。)
    いくら高価なパソコンだって、中のソフトが壊れていたら何も使えない。
    生徒だって、好きにいじりたいだろうから、時にはディスクの中身をいじって、OSを壊してしまうことだってあるだろう。
    (そういうnomみたいな生徒はどこにでもいる)
    修復ディスクを使えばOSくらいは復活するけど、他のインストールしたソフトは復活しない。そういう事態を防ぐために、特定のソフトしか使えないようにしたり、ハードディスクへの制限している所もある。

    でも、ある程度技術のある人を一人置いて、パソコンのトラブルに即座に対応できるようにするのが理想であると考える。そして、生徒には好きなようにパソコンをいじってもらう。いろいろいじってもらって、それでパソコンが好きになってくれればそれで良し。
    使える物を制限して、「パソコンは○○しかできない物」と思われたら、
    かえって教育に良くないと思う。自由にいじられても、それで起こるトラブルに対応できる人がいれば、別に問題はない。

    パソコンの教育というのは、表計算やワープロの使い方を教えることではなくて、パソコンとはどういう物かということを教えることなのではないか?

    26.98年を振り返って

    1998.12.31

    98年も、ついにあとわずかで終わり。今年は、nomにとっては少し良い年であった。もしかしたら、去年が悪過ぎたので、今年がよく感じられたのかもしれないが。前半はともかく、7月以降はいろいろな面で少しずつ上向きになってると感じた。

    まず何といっても大きいのは、職場の環境改善がいろいろとnomに好影響をもたらしたのは間違いない。5~6月頃は頑張っているはずなのに、社内からいろいろと文句を言われて、最悪の環境だった。そして6月には本気で転職を考えセミナーで面接等を受けたが、7月に環境が変わるというので、そこまで我慢してみて、見事良い結果になった。おかげで今年の後半は仕事面でも、生活面でも、充実させることができた。

    そして、その充実感の元の1つはこの山田屋の製作・公開をしたことである。去年の終わり(97年12月28日)から製作を始めて、1月16日にカウンターを回し始めて、サーチエンジン登録やリンク希望を次々と行った。
    ホームページを作って、それを見てもらうだけでも十分楽しかったけど、
    社会人になってしばらくなかった、新たなコミュニケーションの入り口を
    見つけられたことが、何よりも嬉しかった。

    来年はこの上向きな気運を更に上昇させて、この25年間で一番いい年になるよう願う。

    27.98~99 冬休み

    1999.1.6

    今年度のnomの冬期休暇は12月29日~1月3日までたった6日だったが、効率良く休暇を使った。わずかな長期休暇なんで、きっちり予定立てて行かないと、無駄に終わってしまう。

    12月29日、この日は休養日、地元で軽くパチンコをやって1万円儲けて、あとは家でずっとTVを見てた。結局夜眠れなかったので、正月用に借りたビデオの「ボルケーノ」を見てしまう。ストーリーだけ見て寝ようと思ったら、初めからいきなり展開してしまうので、止められない。地震って恐いなぁと感じさせてくれた。そして、街の中に流れる溶岩が妙にリアルで、実際そんなこと起こるはずないのに、そういうことがあたかも以前起こったような感じだった。地質調査の役をしてる女優もかわいくて良かった。(もう一人いる女性は地質調査の途中で溶岩の飲まれる。でも、かわいい方は最後まで主役の補助で残ってくれてよかった。)ボルケーノは予想以上に面白かった。
    12月30日、昼間から友達と群馬へ取材活動、意外にも道路は空いていた。
    自販機フードを食べるのが目的だったが、そこで見つけたゲームにはまってしまった。以前にも増して変な景品は増えているし、景品がクルクル回転していて、それを落とすゲームが調子良くどんどん落ちるのではまってしまった。時計が一番はまったが、1300円使って結局1個しか取れなかった。賞味期限が4年も切れたお茶を飲んだり、かなり無茶してたけど、12月31日になった時点で、とどめの自販機年越しそば、これで締めくくった、ゲームと食事合わせて6千円も使った。ゲームだけでも多分4千円くらい使ってる、まるで高校時代の時のようにゲームにはまっていた。
    12月31日、家に戻ったのが朝5時だったので結局午後まで睡眠時間に食われてしまった。夜レコ大と紅白を見て、カウントダウンが終わった後30分くらいでまた寝た。
    1月1日、朝10時くらいに起きて、いろいろな人に年賀メールを書いていた。
    その日に来たアナログ年賀状は4枚、そのうち山田屋常連2名から来てたのが嬉しかった。午後から地元越谷の神社まで自転車で行って(行くのに40分かかる)去年はすごくお世話になったのでお賽銭は50円(ケチだな)。おみくじを引いたら大吉!今年の初めから何か縁起がいい。帰りにダイエーに寄ると全く平常営業、正月らしくないなぁ。
    1月2日、友達が鶴岡八幡宮に初詣に行くというので、付き合う(2度行ってもいいものか・・・?)さすがに参拝客ベスト10に入るだけだって、めちゃくちゃ混んでいる。参拝人数制限のアナウンスをしてる警察官は、ウケないのにギャグ言ってるし。ここで引いたおみくじは小吉、結ぶ時隣のおみくじが大凶と見えた。こんなの引いたら今年1年生きる気無くすなぁと思いながらも、どんなこと書いてあるのか見てみたいなぁ、と思った。
    その夜、お正月用に借りたビデオの「インディペンデンス・デイ」をまだ見てなかったんで、眠いけど見た。地球の危機が迫ってるのに、キスばかりしてる所がいかにもアメリカっぽい。ムチャクチャな展開なんだけど、今年は1999年だし、「本当に宇宙から襲来があるのかねぇ」と思って見ていた。
    そんなこと考えてても全然平気で眠れる。昔に比べてnomはズボラになったもんだ。
    1月3日、もう翌日から仕事なので、借りてきたビデオだけ返して、また家でのんびりしていた。

    99年、今年もよろしくお願いします。

    28.山田屋 1周年記念

    1999.1.16

    このホームページも、気合入れて頑張って更新している間に1年経ってしまいました。とにかく初めて見る人にも、リピーターにも飽きさせないように、できるだけ早めの更新を心がけた。記録としてみると改めて自分でもすごいと感じる。いつまでこのペースが保てるか分からないけど、続けられる限り頑張るつもり。

    山田屋は、「自販機・奇妙なお菓子・ジュース紹介ページ」という定義で、リンクを張る人にもそういう紹介文を付けてもらっている。ただし紹介とはいっても、nomが紹介したい物しか、紹介しないという何とも一人よがりなページである。共感を得るとか、新しい情報を提供しようとかそういうことは関係ない。自販機だって、本格的な情報ページにするならば、コカコーラとかアサヒ・キリンなどのメジャーな物から始めて、そこからマニアックな物まで幅広く紹介するべきであると思う。しかし、山田屋は自販機マニュアルでも図鑑でもない。面白いと思った物だけを紹介する。個人でやってるページだからそれで十分であると思っている。もし図鑑的な物を作るとしたら、面白くない情報も載せなければならないし、そんなんことをする暇もないし、やりたいとも思わない。

    山田屋は作者nomが楽しんで作っているページなので、nomが「こんな自販機を見て感動した」「こんな面白い食べ物があったのか」という気持ちをいかに伝えることが大事だと思っている。そんな感動がうまく伝わった人が、この山田屋の常連になっているんだと思う。

    こんなページでも意外な人が共感を受けたりしているので、そういった感想を聞いたりすると、頑張って作ろう!という気になる。できたら、面白い自販機を発見した時の感動、面白い自販機フードやお菓子を食べた時の何とも言い難い感じを、生で感じさせてあげたい。

    山田屋を作っていると、どこへ行っても自販機が気になる。ほとんど病気というか習慣になっている。今日も親と温泉に行った帰りに、茨城の国道を通っていて、自販機コーナーをチェックしていた。nomにとって群馬取材は義務でも何でもない。メッコールの自販機じゃないけど、

    カラダが群馬を求めている

    という感覚なのだ。茨城の自販機コーナー見てたら、また取材行きたくなっちゃった。
    早くクルマ買わなきゃ。

    29.SERAに一目惚れ

    1999.2.2

    nomは先月23日にトヨタのセラという中古車を買うことに決めた。
    ワインレッドで平成3年式、走行距離は9万km、車検1年付で29万円。
    整備費、保険、駐車場の敷金等合わせて結局60万円かかった。

    だいたい去年の終わり頃から、車は何か買おうとは思っていた。でもどんな車を買おうかとか、具体的な物は決まってなく、決まってたのは「大きくない車」(セフィーロは大き過ぎる)ということと、「あまり高くない車」と、それくらいしか決まってなかった。いちおうシルビアとかユーノスロードスターとかを考えてはいたんだけど、特に欲しいという訳でもなく、もし程度のいい物があれば買おうかなと思っていた程度だった。あまり車の性能とかデザインにも拘りがなかったから、中古車雑誌を見て真剣に研究するようなことはしなかった。ただ土日の暇な時に近くの中古車屋を回っていた。

    1月の3連休の時、栃木の温泉に行った帰り、普段は通らない県道松戸草加線を通った。そこで見たのはTAX八潮、かなりたくさんの車が置いてあるのを見て、今度自転車で来て、ゆっくりこの中古車屋を見てみたいと思った。
    (親の車はTAXの草加で買った。その時しっかりメンテをしてくれたから、というのもある)
    そしてその次の週の土曜日、さっそく見に行ってみるとやっぱりたくさん車がある。車を見ている所に一人の営業マンが来て、「お車をお探しですか?試乗してみませんか?」というので、いきなり乗せてもらったのが今回買ったセラだった。
    セラのことは全然知らなかったが、ガルウイングの車がたったの29万というのは衝撃的だった。ドアが調子悪くて開きにくかったが(もちろん直してくれる)、乗って更に衝撃を受けた。nomが好きな宇宙船みたいなデザイン、正に一目惚れの瞬間だった。それから他に10台くらい、予定に入っていたシルビアにも乗せてもらったが、一番最初に乗ったセラが印象的過ぎた。さっそく見積りを出してもらった。
    (ちょうどその時、わざわざ大阪から埼玉までセラを買いに来た人の納車の日だった。)

    あとで知ったことだけど、TAX八潮はセラがたくさん置いてあることで有名らしい。車庫証明、印鑑証明を提出する時見たら、また別のセラを入荷して整備していた。

    しかし、中古車とはいえ整備費を含めると50万円くらいかかる。初めての車の購入だし、そう簡単に決心はつかない。そこで営業マンのひとこと、「せっかく乗るんなら人と違う車がいいでしょ」これでnomの心を完全に捕えた。最後に軽く運転をさせてもらい購入を決めた。

    普段CDを1枚買うのも1日とか2日悩むのに、このセラを買うのに悩んだのはわずか3分位だった。それだけ心を奪われていたということになるのだろうか?
    セラを選んだ理由は2つある。1つは言うまでもない、ガルウイングと内装が気に入ったから。そしてもう1つは、「今年1年は思い切り遊ぶつもり」と決めていたことにある。今後のこととか考えずに何でもやってしまおう、と考えていたから、思い切って決めた。あともう1つあった、セラのことを何も知らなかったから。もし知ってたら先入観で悩んでしまってただろう。

    それから、セラのことをインターネットでいろいろ調べてみた。(買う前に調べるのが普通だろうけど)まずトヨタのホームページを見てみたが、全く乗ってない。メーカーは完全に見捨てたようだ。さすがに5年で1万6千台しか売れていない車、トヨタの中でもかなりの失敗作らしい。
    でも個人でセラの紹介をしている人はすごくたくさんいる。夏は暑い!とか、パワーがない!とか散々なことを書いている人が多いが、それでもみんなセラが好きみたい。やっぱりそういう車なんだと気づいた。nomもセラの紹介を見ているうちに更に好きになった。

    明日は遂に納車。今日は仕事が手に付かなかった。(大事な仕事は昨日やっておいた)久々に「何かが待ち遠しい」という気分にさせてもらった。

    nomの今後の愛車となるSERA、今度の休みに早速群馬の方へ散歩させて、
    景色のいい所で写真を撮って山田屋で紹介します。お楽しみに。

    30.最近のnomの状況 99.3.2

    1999.3.2

    ひさびさのひとりごと、最近どうも疲れ気味で、ひとりごとを書く元気もなかった。2月だというのに、仕事はやたら忙しいし、プレッシャーのかかる仕事が多い。今年の初めに立てた年間スケジュールでは、2月は余裕があるから勉強する予定だったのに。でも本当の疲れている原因はクルマのせいだったりして。車買って1ヶ月、しかも土日しか運転してないのに、すでに1,500kmも走っているから。

    毎週運転しているせいで疲れているのは確かだけど、買って本当に良かったと思う。なぜなら、今もしnomから車を取り上げてしまったら、土日の楽しみが何もなくなっちゃう。本当に今、仕事で忙しいせいか、何か新しいことをやる気になれないし、何か楽しみにしている物、期待している物もほとんどない。
    そんな中、唯一楽しいのは、土日どこ行こうかな~って考えている時と、車に乗って大好きな音楽を聴きながら、いい景色の場所へ向かっている時。土日をそうやって過ごすためにも、平日の退屈で面倒な生活を耐えている。

    しかし冷静に考えてみると、このままの生活で本当にいいのか?と思ってしまう。ただ時が過ぎるのを見守るだけの日々、新しいことが何もなく次々と去っていく。待ち遠しいのは、この生活を終わらせても大丈夫だと思える時が来る時。いつになるのだろう。

    31.環境問題を考える その1

    1999.3.22

    春になって、ジュースもかなり新製品が出てきた。
    Foodsコーナーで紹介している物以外にも、いろいろ出ているとの情報をもらっている。だから最近はよくコンビニを見ているのだが、そこで気づいたこと。飲み物のコーナーを見ると、半分くらいがペットボトル飲料で占められている。以前はペットボトルはかなり少なかったのに、こんな増えるとは思わなかった。そしてここにきて、ペットボトルで出す新製品がすごく多い。最近のFoodsコーナーを見ても、面白い物はほとんどペットボトルになってしまっている。ペットボトルは分けて飲めるから、飲む側にとっては便利で安上がりに済む。持ち歩けるし、たくさん飲めていいことばかり(でも変な物は500も飲みたくない)

    しかし、環境のことを考えると、ペットボトルが普及すると絶対に良くないと思う。アルミ・スチール缶はようやくリサイクル体制が整って、ほとんどの地域でリサイクルされるようになった。しかし、ペットボトルはまだあまりリサイクルできるところが多くない。少なくともnomの住んでいる草加や、会社のある渋谷では、リサイクルされているとは思えない。なのにこんなにペットボトルで発売する飲み物が増えてきている。面白い物を飲みたいから、缶ではなくてペットボトルの新製品を飲んでしまうけど、それがゴミを増やして、環境に悪影響を与えているのは残念である。おそらくペットボトルは燃やしても有害物質を発生しないんだろう。
    (そうじゃなかったら、ペットボトルがこんな普及しないよね)
    でもゴミは燃やしただけでCO2を発生させて温暖化の原因になるし、埋め立ててもメタンガスが発生する。せっかく缶がリサイクルされるようになったのに、ゴミになってしまうペットボトルを普及させようとしている。

    メーカーはゴミを減らす努力をする気はないのだろうか?
    あと、自販機ファンとしてひとこと。
    新製品は缶入りで自販機で売って欲しい

    環境問題は興味あります。これからも書いていきますのでよろしく。

    32.必要とされること

    1999.4.25

    「なんで今日来なかったの?来ると思ってたのに」
    ある日ある人からこんな電話がかかってきた。別にその日に約束していた訳ではない。その人は最近知り合った人である。そんな1回の電話から、感じたことがある。
    人は、いつから新しい人、或いは物が必要になってくるんだろう?

    もう新しい物ではないけど、今となっては電子メールの生活浸透度はすごい物がある。nomは仕事でよく会社に新しいメールサーバを設置・設定している。そして設置して3ヶ月後くらいにそのサーバが止まったりすると、「メールが使えないと仕事になんないんです。大至急直しに来てください。」とか言われる。3ヶ月前はメールなんかないのに仕事してたくせに、と思ったりするが、すぐ直しに行く。

    そのように今までなかった物が入ってきて、しばらく経つと生活になくてはならなくなる。おそらく人間関係、特に恋人同志も、いつの間にか生活に浸透しているんだと思う。生活に浸透していくのに必要な条件は、どんな物かは分からない。

    別に恋人でなくても、誰かに必要とされることは大変嬉しいことである。今までnomは、新しい人間関係を自分から切り開こうとはしなかったけど、誰が自分を必要としてるか分からないから、できるだけ積極的に人間関係を広げていきたい。そして、いつかはメールサーバのように、自分がいなくてはならない人を見つけたい。

    さて、ここを見てる皆様に一言
    山田屋は皆様の生活にどれくらい浸透していますか?

    33.最近のnomの状況 99.7.3

    1999.7.3

    久しぶりのひとりごと。最近ここを見る人(特に会社の人)が増えてきたので、ずっと何を書こうか悩んでた。過去のことは書き尽くしたし、現在のことは書きたいことが山のようにあって悩む。ホントいろいろあるけど、これに決めた!

    ハッキリ言って、今生活が充実してる。理由はあえて書かない。その理由をずっとたどっていくと、実はクルマを買ったことに突き当たる。

    クルマを買った→土日にクルマを運転するようになった→土日にしていた??を平日にするようになった→そこから先はヒ・ミ・ツ
    今年はやりたいことをやろうと決め、ポジティブに生きた結果が現在である。もちろん思い通りにやれる環境もあったからできたことでもある。良い流れがある時というのは、連鎖反応で別のことにも良い流れが出てくるものだと思う。

    過去のひとりごとを見るとネガティブなことがたくさん書いてある。大学を卒業した後の生活はひどかった。やりたいこともやれず生きる気力を失うほどであった。そんな時でも努力はしていたが、深みにはまるばかりであった。愚痴っぽい物をこのひとりごとに書いて、せめて気を紛らすことくらいしかできなかった。でもその時に貯めたいろいろな物があるおかげで今の自分があるなら、 それはそれでいいと思っている。その時苦しみに会っていなかったら、今会っているのかもしれない。

    誰だって一生楽しい生活を送れる訳じゃない。苦しい時があるからこそ、楽しいことを楽しいと感じられる。そんな苦しい時を乗り越えた時くらい、楽しい時に浸っていてもいいと思う。

    34.掲示板について

    1999.7.13

    最近、ようやく山田屋の掲示板も盛り上がってきた。
    ほとんど1日に1つ以上は書き込みがある。(カキコしてくれる皆様、感謝してます)でも、これにもきちんとした理由がある。下のひとりごと 33にも関係あるかも。

    インターネットでいろいろな掲示板を見ているが、1日に10件近くカキコがある掲示板もあれば、1週間に1回くらいしかカキコがない掲示板もある(山田屋も昔はそうだった)。内輪だけで盛り上がってる掲示板は別にして、明らかに見知らぬ人同士で盛り上がっている掲示板もある。そういう掲示板っていうのはどこからお客さんを集めてくるのか?人気のある物を取り上げているからではないようだ。

    ある掲示板で「はじめての書き込みでも、気軽に書いちゃっていいんですよ」と書いたことがある。でも実はnomがそれを実践したのは、山田屋立ち上げ直後の宣伝の時だけで、あとはお客さん待ち状態であった。久々に他の掲示板にもいろいろ書き込んでいたら、歓迎のメッセージをくれたり、そのリンクから山田屋へ遊びにきてくれた。その時に山田屋にもしっかりとメッセージを残してくれてる。それが掲示板の盛り上がっている理由だったのである。

    盛り上がっている掲示板ってのは、管理者が積極的に別の掲示板にも書き込んでいるということ。

    掲示板の書き込みで、「何事も待ってるだけでは来ないのだな」と悟った。

    35.席をゆずってもらえませんか?

    1999.8.12

    今日、電車の中で座ってヘッドホンステレオで音楽を聴きながら本を読んでいたら、いきなり30歳くらいの男の人が声をかけてきた。ヘッドホンを外して聞いてみたら、
    「家内が妊娠してるんです。席をゆずってもらえませんか?」
    どうせ次の駅で降りるつもりだったし、そういう理由だったらもちろん、とゆずってあげた。ただ気になったのはどうしてこれだけ人がいるのに、なぜnomに声をかけたのかということだった。nomと同じようなサラリーマンもたくさんいたし、ヘッドホンをしてない人の方が絶対声をかけ易いと思うのだが。

    nomは街を歩いていても声をかけられ易いというのは、ずっと前から気付いていた。人混みの中でわざわざnomを選んで、道を聞かれること、写真を頼まれること、募金や署名を頼まれることがある。悲しいことだが、声をかけてくるのはほとんど男性である。女性もいない訳ではないが少ない。そういや小学校や中学校の時は同学年に150人近くいたが、nomのことを知らない男はほとんどいなかった。自分は優しそうな顔をしてるとも思わないし、女っぽい顔だとも思わない。それでも声をかけてくる人が多いのはどうしてか。今までも何故だろう?と思いながらも聞かなかった。

    一つ考えられるのはnomが格好良くないからかもしれない。nomがもし一人ぼっちで、周りにハンサムな人とブサイクな人がいたら、どっちに声をかけるかといったらブサイク方に声をかけると思う。なぜかといえば、外見だけでも自分が優越感を感じられるからだ。先輩より後輩の方が声をかけやすいのと同じだと思う。

    声をかけられ易いのは得なのか損なのか分からないけど、悪い気はしないな。(どうせなら女性がもっと声かけてくれれば嬉しいんだけど。)

    36.人をひきつける車

    1999.8.22

    日光から群馬を回ってドライブをしている帰り、面白い体験があった。

    nomはドライブの途中、ほとんど何も食べてなかったので、群馬県邑楽町のジョイフル24にて自販機のうどんを食べた。自販機うどんなんで例のごとくつゆが辛くて、喉が乾いてジュースを買いに行って車に戻ってきたら、一人の男の人が声をかけてきた。

    男「この車の持ち主の方ですか?」
    nom「はい、そうですが。」
    男「私、このセラという車が好きでして、こんな所で運転してる方と会えるとは思いませんでした。」
    どうもこの近くに住む人で、セラにかかわらず車のことが好きな方らしくて、いろいろセラのことを教えてあげて、近くを軽く運転させてあげた。いろいろ聞いてみたらこの人も自販機コーナーが好きらしくて、よくドライブの途中に自販機コーナーに立ち寄るらしい。「群馬に来た時には連絡してください」と言ってたので、今度群馬に来る時には、ノートパソコンを持ってきてこの山田屋を見せてあげたいと思った。

    こんな所で群馬に知り合いができるとは思ってなかった。セラが人を引き付けたのか、nomが話し掛けやすかったのか、彼は「これまた人の良さそうな方が乗ってて良かった」って言ってたんで、理由は多分両方だと思う。

    だが、実は知らない人に声をかけられたのはこれだけじゃなかった。家へ向かって国道122号を走っていて、岩槻あたりで信号待ちの途中、一人の男が窓越しに声をかけてきた。
    男「私ヒッチハイクをしている物なんですが、疲れてしまって乗せてもらえませんか?」
    nom「いいですけど、草加方面に行くので川口までですよ。」
    男「はい、いいですよ。」
    この人は岩手から来たらしく、日本中をヒッチハイクで回っているとのこと。
    「こりゃすごい車ですね、初めて見ましたよ」と。まさかこんな車だと知らず驚いていた。炎天下の中ずっとヒッチハイクをしていたらしく、結構話も面白かったので、(nomの働いている会社の人も知ってるらしい)結局彼の目的地である大塚まで乗せていってあげた。

    まさか一人でドライブをしているのに、見知らぬ人を2人も乗せるなんて思ってもいなかった。セラはまさに「人を引き付ける車」かもしれない。それに乗ってるnomも引き付ける人になっているような…。今年は本当にいい車、いい人に出会ってばかり。nomが一目ボレしたセラ、買って本当に良かった。

    37.イメージ

    1999.9.23

    人は未体験の物に対しても何かしらのイメージを持っていると思う。
    例えばバンジージャンプだったら「怖い」とか、自販機フードだったら「不衛生」とか。マイナスイメージを書いたけど、バンジーは「快感」とか自販機は「面白い」とかいいイメージを持つ人もいる。体験してないうちに「これはこうなんだよ」と話す人がいるけど、あくまでも他人が体験した時の情報を仕入れただけでそれを自信を持って話すような人は、ただの知ったかぶりだと思う。実際体験してないことなんだから、いくら情報を仕入れても体験した時はどうなのか分からないのである。

    今はテレビや雑誌、そしてインターネットで数多くの情報が溢れている。自分が行けない所の物や、自分がやりたくてもできないこと、たくさん見れて本当に便利な時代だと思う。でも逆に言えば、そういう物に対して誰かが体験したイメージを植え付けられてしまう悪い所もあると思う。
    もちろんこの山田屋も例外とはいえない。自販機フードは「まずい」「いい加減だ」というイメージを与えている。nomとしては、固定イメージではなくできるだけ興味を沸き立たせるような書き方はしてるつもりだけど・・・。

    何でも、良い所を見ればそれなりに良く見えるし、悪い所を見れば悪いように見えてくるもの。せっかく興味を持った物に「これはダメだ」って悪いイメージを植え付けて、結局見たりやったりしないのは良くないなぁって感じるようになった。とりあえずチャレンジしてみて、ダメならダメでも仕方ないってある程度開き直っていかないと、何もできなくなってしまうような気がする。

    この文章に続きを付けたいけど、これ以上書くと一人よがりになり過ぎて反発買いそうだから、ここで終わり

    38.Stand Alone

    1999.10.7

    nomは10月から一人暮らしをはじめました。理由はいろいろ、お金にも余裕ができたこととか、親に甘えたままだと良くないとか。とにかく社会人になったら近いうちにやってみようと思っていたけど、最初のうちはこの「ひとりごと」に書いてある通りそんな余裕が全然なかった。前は実家から通うだけでもへばってしまって、遊びにお金も神経も使う体力が残ってなかった。
    まぁおかげで今は相棒SERAまで引き連れて一人暮らしと、かなり贅沢な生活をしている。

    最寄駅は西武池袋線のひばりヶ丘駅。急行も停車する便利な駅である。
    なぜここを選んだかというと、就職活動の時に、このひばりヶ丘の会社を受けに来た事があった。実家から約1時間半+バス15分、通うのはきついなぁと思ったけど、駅の雰囲気がとても気に入って、面接が終わった後は駅の周辺をずっと見ていた。その後すぐ今の会社への内定が決まって、ひばりヶ丘の会社の2次面接はお断りをした。それから約3年、このひばりヶ丘は逆に生活する場所となった。

    生活に必要な物はほとんど引越し時に揃えられた。必要な物は駅周辺へ買いに行けばほとんど揃う。あとまだ来てないのが実は電話回線。初めからISDN回線を予定してたのだが、申し込みが終わっただけ。インターネットは会社で見れるけど、やっぱ家に一人でいる時間にやりたい。

    ハッキリ言って、インターネットにつながらないパソコンがこんなにつまらないと思わなかった。

    いくら絵がきれいだって、動作が速くたって、一人で使ってたんじゃパソコンは面白くない。PC-88時代はゲームや音楽をやってるだけで十分楽しめたけど、通信の楽しさを知った今は、もうパソコンは完全にコミュニケーションのための道具になってしまっている。

    39.山田屋1万人突破&nomの状況 99.10.21

    1999.10.21

    山田屋のカウントがついに10,000人を突破しました。
    いつも見てくれている皆様には大変感謝しております。
    これからも自販機・ドリンク等の紹介頑張っていきますので宜しくお願いします。新しいコーナーも企画していますのでお楽しみに。


    さて、最近のnomの状況だが、一人暮らしを始めて3週間が過ぎた。
    初めは、今までやらなかったことをいろいろやらなかればいけなかったので、大変だった。自分はいかにいろいろなことを親に頼っていたかがよく分かった。面倒だなぁと思うこともあるが、自分でやって初めて面白いなぁと思うこともあった。たかが一人暮らしとはいえ、新しい発見があって、経験を積む毎日だった。仕事もやりながらなので、家に帰ってからの夜はあっという間に過ぎていった。あとは部屋の家具を揃えればひととおり生活ができる環境になる。

    さすがにもう自分の生活に染み付いたというか慣れてきて、やるべきことも減ってきた。妙に独り言が増えたような気がする。TVを見て笑ったり、メールを見て何か口にしたりしている。前はいろいろなことを親に話して、解決する訳じゃないけど安心していたような気がする。もう自分の中で悩んでることを話す相手がいなくなってしまった。電話越しにしかいない。でもこうなる為に自分を孤独の世界へ誘ったのだから、それはそれでいい。今まで寂しい思いをあまりしたことがなかったのが、実は自分自身にとって良くなかったのかもしれない。おかげで人に会った時によく喋るようになった。
    言いたいことを言えないという性格がnomにはあるのだが、そのうち治るかもしれない。

    孤独な夜をそう長く続けたくはない。ずっと一人でいるためにここにきたんじゃないんだから。

    40.道路工事

    1999.11.7

    久々に一人の土日になったので、11月6日(土)は自販機の調査に行って来た。今回目指したのは埼玉県西部と群馬県西部である。埼玉でも西の方は自販機・ドライブインがかなり残っており、今回は県道も調べて見た。が、ほとんど見つからず結局以前見つけた川越街道沿いの自販機施設で食事を取った。

    最近車を運転してて思うことなんだけど、工事が異様に多い。今回は飯能から寄居へ抜ける道を通る時、工事中の箇所が3ヶ所もあって、そのうちの1ヶ所は1km以上渋滞していて、通りすぎるまで20分近くかかった。草加に住んでいた時は、よく帰り道に日光街道の工事で止められていた。(上野周辺は地下鉄だから仕方ないが)

    その工事のほとんどが電気工事や下水道工事である。普通こういった工事って、3月に予算を使い切るためにやることのはず。こんな時に予算たくさん使って、あとどうするつもりなんだろう。もしかして建設会社が「今なら安くやるから、工事しましょうよ」と頼みこんでいるのかな?

    工事するのは構わないけど、主要な道路はあまり大規模にやらないで欲しい。それから、工事ってだいたい300m前位から看板が立ててあるけど、その前から渋滞することがほとんどだから、1km前から、国道だったら2km前から「この先工事」って書いてあってもいいのではないだろうか?何も分からず突然工事で渋滞してるから迂回することすらできずハマってしまう。


    最近のnomの状況 99.11.7


    自販機調査をするのは実家に住んでいた時以来のこと。一人暮らしを始めて1ヶ月が過ぎたけど、この間独立以外にもいろいろなことがあって、何ヶ月分も過ぎたような感じだ。1ヶ月の間に経験値がどんどん増えて、レベルが上がったような気がする。これからどうなるかは分からないけど、今はひばりヶ丘に来たことを後悔していない。

    41.地図に載らない景色を探して

    1999.11.23

    以前友達とドライブしてる時に、
    「オレ夜景がすげーきれいな所見つけちゃったから、行って見ようぜ」
    と言われて、連れていってもらったことがある。
    場所は、神奈川県秦野市のヤビツ峠。初めて見た夜景はマジで感動した。こんな近くにこんなきれいな所があるなんて知らなかった。nomが夜景を好きになったのはそれがキッカケである。

    当時はヤビツ峠はあまり一般には知られてなくて、夜景の見えるポイントには駐車場なんてなかった。道に停めて見ると、眼下には光の粒をまいたような素晴らしい夜景が見えた。全長40kmくらいある道路なのだが、すれ違う車はせいぜい2,3台。道自体が狭いので、夜景と同時に怖い道を走るスリルも味わえた。

    1ヶ月後、再びヤビツ峠に行ってみると、少しばかりすれ違う車が増えていた。それでも10台くらい、道に停めている車が多くて夜景が少し見ずらくなった。多分何かのマニアックな雑誌か何かで紹介されたんだろう、と思った。

    さらにまた何ヶ月か後、行ってみると、更に車が増えていて、すれ違う車を避けるだけで、夜景のきれいな場所にたどりつくまでえらく苦労した。しかも展望台と駐車場までできていて、車(主にカップルの車)がたくさん停まっている。大々的に紹介されたのか、ここまで有名になってしまうと、行きたくないなーって感じてしまった。

    そのヤビツ峠を見た影響でnomもいろいろ夜景のきれいな場所を探しに行ってる。探すといっても、大きい道を外してわざと登り坂の小さい道を通ってみる程度だけど。おかげで群馬県内で、いくつか夜景のきれいな道を見つけた。そのどれもが、夜は車が通ることがほとんどないマニアックな道である。(走行距離も長いし、その道を通る必然性がほとんどない道)一人で見るだけでも気持いいし、もちろん隣に誰かを乗せても喜んでくれる道ばかりである。

    先日本屋を見てみると「夜景ガイド」なる本が売っていた。ちょっと気になったので見てみると、nomが穴場だと思っていた群馬の夜景ポイントが全部紹介されてしまってた。せっかく車通りが少なくていい所だと思ってたのに、こんな物で紹介されちゃうと来る人が増えてしまう。結構ショックである。さすがにこの本を買う気はしなかった。

    夜景でも何でも、自分で探して見つけるのが楽しいと思っている。ガイドで見れば、すぐそのポイントにたどり着くことができるけど、たくさんの人と一緒に夜景を見て、満足しているような人にはなりたくない。もし隣に好きな人が乗っていたら、二人で夜景を探して二人だけで感動したい。自分が求めているものは、地図には載っていない景色である。

    42.nomを分かってくれた人へ

    1999.12.14

    nomは、飲み会やコンパ、会議が苦手である。大勢で話していると、誰かに退屈な思いをさせちゃいけないという思いが強過ぎて、言いたいことを喋れず、結局聞く側に回ってしまう。どうしてそうなったかっていうと、以前自分がいろいろ飲み会出て、興味ない話しばかりいろいろ聞かされてさんざん退屈な思いをしていたから。
    自分は一人で言いたいことをベラベラ喋る人になりたくないと思っている。このホームページを見ても分かる通り、ちょっとひねくれた性格をしてるので、口では人に話しを合わせることができるけど、頭の中では「違うよー」って思ってる。でもウソをつくのが下手だから、だんだん話しが噛み合わなくなってしまう。みんなが「これがいいよねー」とか盛り上がってる所で、自分が意見を言ってしまうと、そこで盛り上がりが止まってしまいそうなので、あまり喋らないのである。そう思うってことは結局自分が優し過ぎるのかもしれない。

    そのかわり二人で喋る時は、相手は一人しかいないので言いたいことをどんどん言う。人と二人でいる時は、自分が一番素直に出せる時間だと思っている。だから電話で話すのも好きである。電話はいつまでも二人で喋る為の物であってほしい。(このまま時代が流れると、電話も何人もの人で話せる物になりそうな気がする。)

    でも世の中の人は、多くの人が大勢で盛り上がる方が楽しいと思っているだろう。多くの場合は、出会いは大勢の集まりの中から見つける物だから、自分は溶け込めずにいい出会いをたくさん逃して損をしていると思う。nomと二人で過ごす時間があれば、良さがよく分かってもらえると思うのに、なかなかそういう機会が与えられない。ひねくれた所も優し過ぎる所も、生まれ持った物だから今から変えることはできない。

    だから自分にできることは、一つ一つの出会いを大切にすることだけである。出会って仲を築いた人を一人でも失うのは辛い。

    43.99年を振り返って

    1999.12.30

    去年も終わりの時にこれを書いていた形跡が残っているので、今年も書くことにする。

    今年はやりたいことを思いきりやって、素晴らしい1年であった。
    自分の車を持ってドライブもたくさんしたし、一人暮らしも始めたし、十分過ぎる程楽しんだ。本来25歳といえば厄年のはずであるが、大した厄除けもしてないのに厄が来るどころか、今まで生きたどの年よりも幸せに過ごせた。(まだ25歳は4ヶ月残ってるのでその間に厄が来る可能性もあるが)

    去年の暮れに書いたひとりごとにあるように、いい傾向にあったので、やりたいことをやれる環境が徐々にできあがってきたのは、自然の流れであると思う。でも、楽しくなるかならないかは、他にいろいろな要因があるはず。一番大きかったのは、自分を楽しくさせる人々にいろいろと出会えたことだと思う。車を買う時だって、店員の一押しがなければ買わなかった訳だし、一人暮らしも、不動産屋が楽しい人でいろいろ調べてくれたからすぐする気になった。それ以外にもいろいろいい出会いがたくさんあったと思う。自分が楽しい生活を送ろうとしているというのが顔にでも出ていたのかも、って思うほど周りの人がいろいろ後押しをしてくれていた。

    1999年は自分を切り替える年になったけど、2000年は切り替えた線路の上をまっすぐ進んで行きたい。

    44.2000年初めのあいさつ

    2000.1.14

    今年は2000年ということで、コンピュータの2000年問題が話題になっているが、そんなのは知ったこっちゃない。(エンジニアがそんなこと言っていいのか・・・)怖いのは自販機の2000年問題だ。自販機はあんなでかい筐体をしていても、制御しているのは小さなICチップだ。ジュースみたいに世代交代が激しい物ならともかく、そば・うどんの自販機や、トースト、ハンバーガーの自販機が2000年をめでたく迎えられたか、これが不安だ。2000年になった瞬間に昨日のそばが賞味期限切れになったり、売上がクリアされてしまったりしていなかったか、心配である。修正不可になったりして、自販機が撤去されたり交換されたりしないのを祈るのみである。

    ミレニアム○○とかいって、いろいろな物が記念商品として売り出されている。2000年だって1980年だって、同じ1年には変わりないのに今年だけがもてはやされている。そんな2000の文字を刻んだだけの商品なんか手に入れてもしょうがないのだが、そういったお祭りムードで気持ちを切り替えるのはいいことだと思う。世の中がみんな気持を入れ替えて、新しい物を生み出すパワーができれば、今年がとても楽しい年になるはず。

    こんなこと書いておいて言うのも何ですが、2000年になっても山田屋はレトロな自販機を追求し続けます。今年もどうぞよろしくお願いします。

    45.最近のnomの状況 00.3.3

    2000.3.3

    最近記憶が薄れるのが早い
    昨日のことなら、思い出せるけど
    先月何をした?どんな仕事をした?
    思い出せないよ、もう

    オレはボケたのか?そうではない
    若いんだし、ボケる程退屈じゃないさ

    過去より未来を追い求めて生きたい
    過ぎ去る時は消えても構わない
    想い出より夢は大きくしていこう
    今日より明日がいい日になるように


    いかがなもんでしょうか?
    nomの最近の状況をそのまま詩に載せてみました。
    終わりの4行なんか、普通の歌のサビとして使えそうでしょ?
    作曲もしてみたいけど、他にもやりたいことたくさんあるからやんない。

    46.交差点にて

    2000.3.20

    これは運転している時によく思うことである。

    私は上下1車線ずつの道路を通っていて、交差点で待っている。
    今、前の信号が青になり、ゆっくりと加速しながら直進している。
    交差点に差し掛かると、対向車線には1台の車が右折をしようとしている。
    しかし道幅が狭く右折レーンがないため、その後ろには十数台の車が前の車が曲がるの待っている。私の走っている車線はどんどん車が直進していくが、対向車線の車が曲がろうとしているにもかかわらず、どの車も止まって道をゆずってあげようとしない。私も交差点を渡ろうとする時に、「対向車線車が詰まっちゃってるなぁ」と思いながらも、ここで止まってしまうと後ろの車に迷惑がかかるので、そのまま渡ってしまった。結局対向車線の右折車は、信号が赤になった頃ようやく渡ることができた。後ろの十数台の車は信号が青にもかかわらず渡ることができなかった。

    どうしてこちらの車線の車は、私も含めて誰も道を譲ろうとしないのだろう?みんなそんなに急いでいるのか?
    対向車線の車が困ってるのは、私には痛いほど感じる。一瞬譲る優しさがあれば、対向車線の困ってる車達を通してあげることができる。こういう時でも譲らないのが社会のルールなんだろうけど、対向車線の車が悪いことをしてる訳でもないし、ルールを破ることで多くの車が通れるようになるなら、私は譲ってあげたい。自分が同じ状況になった時困っていることに気付けば、そんな難しいことではないと思うのだが。
    そんなことを考えているのは私だけなのだろうか?

    47.2000年バグ大国

    2000.4.11

    最近○○2000というソフトがWindows2000を筆頭にいろいろ出ている。
    nomは別にそんなに興味はないんだけど、仕事でやらざるを得ない。
    でも、2000が名前に入っているソフトは、正直言ってひど過ぎる。
    特にWindows2000なんか大量にバグが残ったまま発売しちゃってるし、
    そんなソフトをサーバーに入れようとする所も非常に少ないと思う。
    この間ある業務ソフトの2000をお客様の所にインストールしたのだが、
    インストールに時間はかかるは、起動したら止まるはで、まだ困らされてる。

    どこも2000年だからって、○○2000というのを出すのを焦ったのではなかろうか?前にも書いた通り、2000年も1990年も同じ1年なのになぜ今年がこんなにもてはやされるのだろう?今になって首を締められることを覚悟しても、2000のソフトを出すべき物だったのか。2000年の記念に乗せられて買う消費者もたくさんいるからだろうか。そんなソフトをインストールしてメシを食っているnomの身にもなれってんだ。
    インターネットを見れば大量にバグ修正版が出てるではないか。
    Windowsがあまりにもバグが多いから、ソフト会社もちょっとくらいのバグあっても発売してしまう世の中になってしまったのか。インターネットの発展も原因の一つかもなぁ。修正版をすぐにアップロードできるもんなぁ。

    ソフト会社の方々、せめて目に見えるバグくらいは取り除いてから発売してくださいな。

    48.自分に正直に

    2000.4.27

    nomもめでたく26歳になりました。
    26年も生きてて、自分自身のことは自分で一番良く分かってるはずなんだけど、いざ伝えようとすると、なぜかすごく難しいことに気付く。自分の趣味・性格・経歴など、分かってはいるのに上手く伝えられない、伝わらない。正直に言っても、だましてると思われてしまう時もある。むしろ、自分を偽って伝える方がよっぽど簡単なのである。

    今までの自分は、ほとんど本当の気持を殺しながら生きてきた。好きな物を好きと言えず、好きな人に好きと言えず、どれだけの後悔を重ねてきたのだろう?自分が否定されるのが怖かった。自信を失うのが怖かった。

    正直に伝えることは難しいと思っていた。しかしこのままでは、現状維持はできるけどそれ以上になることはできない。そんなことも気付かずに長い時が過ぎていってしまった。

    自信を持った行動をしているうちに、自分の思いが伝えられるようになってきた。思っていることを素直に言うって、すごく気持のいいことだと気付いた。正直に伝えると、得ることが多いとようやく分かった。いつからこんなになったのかは、よく分からない。優しさを失いたくはないけど、自分をもっと出していきたい。

    49.ライブに行って思ったこと

    2000.6.5

    先日、nomの好きなメタル系のバンドのライブに行ってきた。
    風邪が治りかけのところで行ってしまったので、声を出さないよう抑えてきたんだけど、結局雰囲気に飲まれて声を出してしまい、喉が思いきりつぶれてしまった。

    このライブは全員立ち見で、チケットの番号順に前の方に入れる。nomも割と前の方の場所を取って、バンドのメンバー全員の顔が見えるくらいの所だった。演奏が始まると、少しでも前へ行こうと後ろから人が押し寄せてくる。そしてみんなノリノリになって、人が割り込んできたりして、一緒に来た友達とも離ればなれになってしまった。

    野球でも選手ごとに応援が違うように、ライブでも曲ごとに客がやるポーズみたいな物がある。特に客でも前の方にいる人は熱心なファンが多いので、みんなでポーズをやる人が多い。だいたい誰かが初めにそのポーズをすると、周りが徐々に合わさっていってる。自分もやろうとすると違和感を感じるというか、やりたくないというか、そんなような気分になって、周りからは少し浮いてしまうんだけど結局やらない。冷静に見てて、みんなノセられてるようでバカみたいって思ってしまう。拍手や手拍子も周りとは少しずれているような気がした。自分は周りと合わせるのが苦手な人間なんだな、っていうのをこういう場所でも実感した。

    でもそういう人間だからって、社会から疎外されてる訳ではなくこうして生活している。もちろん多くの人と対立してしまうから、友達も少ないし社会性も低いと評価される。いろいろな人に注意を受けてしまうけど、決して悪いと思わないから直さないし、そういう性格なんだからっていうことで開き直ってる。特に日本人は大勢で固まって助け合おう、という考え方が強いと思う。でもさ、自分の生き方を決めるのは自分なんだし、無理に人に合わせる必要性はない!
    nomは、世間の流れに乗っているだけの人は嫌いだ。

    50.電車のアナウンス

    2000.7.2

    最近電車の中のアナウンスでよく聞く言葉。
    「混雑した車内では携帯電話の電源をお切りください。携帯電話の電波が医療器具に影響を与えることがあります。」

    このアナウンスを聞いて、携帯電話の電源を切る人がいるだろうか?もちろん私も切っていない。混雑した車内というのを考えてみてほしい。携帯の電源を切るどころか携帯を取り出すことすら困難である。電車に乗る前に携帯の操作なんかしていたら、後ろの人に押されて大変な目に合うし、車内で無理に携帯を出そうとしたら、バランスを崩して倒れてしまうかもしれない。そもそもペースメーカーを使うような心臓の弱い人が、あんな圧迫感のある電車には乗らないだろう。
    (一般の人でも満員電車は相当疲れるもんね~)

    こういう問題を解決するのに、消費者の協力を求める方が間違っているような気がする。我々は高い料金を払って携帯電話を使っているのに、なぜ協力しないといけないのか?ペースメーカーを携帯電話の電波の影響を受けにくくするとか、そういうことは携帯電話のメーカーか、ペースメーカーのメーカーがやるべきことだと思う。
    (個人的には電車が混まないようにしてほしいのだが)
    心臓が弱い人のことを考えていない!って言われそうだが、電車に乗ってる人全員の携帯の電源を切らせるよりは、全然実現可能な方法だと思う。

    ついでに「車内での携帯電話は迷惑ですのでお止めください」と言っているが、最近は声を抑えている人も多いので、そんなに迷惑ではないと思う。
    (昔は「オレ携帯持ってるんだぞ!」と言わんばかりに、大声を出す人が多かったなぁ)
    話すのが迷惑だからメールで済ませてる人もいる。(私もその一人である)
    それより座席に横たわる酔っぱらいや、化粧を直すガキどもの方がよっぽど迷惑ではなかろうか?

    車内のアナウンスは納得できないことが多い!

    51.本格的ひとりごと(略して本ひとりごと)

    2000.7.4

    いつからか、nomは諦めが早くなった。
    自分に合わない物を無理に追い求めるより、自分に合う物を探す方がいいと思い始めた。いいことか良くないことか分からないけど、そういう方針はそんなに間違ってるとは思わない。

    特に仕事はそういう風に考えた方がいいと思う。趣味だったら、好きだから辛くても続けられるだろうけど、仕事なんてものは基本的に好きになれる物ではないと思っている。自分が生きるために、他の人からお金をもらわなくてはいけないのだから。もちろん充実感や達成感もあるけど、そのために辛い思いをすることもある。それが自分にはどうしても合わないことだったら、我慢できるかどうか?

    nomには目標とする人はいないし、誰の生き方を真似しようとも思ってない。まだ行きたい方向が定まってないから、これから方向をいろいろ変えていくと思う。といっても、何でもかんでもすぐ諦めて努力しない訳ではない。でも、明らかにnomに合わない事や合わない人があったら、すぐに諦めて他に行くつもりだ。


    一つだけハッキリ言っておくと、nomはいろいろな人の相手が苦手だから、このまま同じような仕事を続けて本物のSEになる自信はないし、そのつもりもない。実際は人付き合いが下手な知識だけのSEもたくさんいるけど、そんなのは本物ではない。nomは人付き合いを上手くすることは既に諦めている。いくら世の中がたくさん求めてたって、合わないことはやりたくない。

    52.いじめられっ子

    2000.7.26

    この間「ここがヘンだよ、日本人」でいじめられっ子VSいじめっ子という企画をやっていた。nomは小学生の時いじめられてたので、興味深く見ていた。

    nomがいじめられた経緯としては、多分足が生まれつき悪く運動神経があまり良くない所から始まると思う。小学生の低学年の頃は、みんなの仲間に入れてもらうために野球をやっていた。でもエラーが多くて、その度にキャプテン面してる奴等に怒られていた。このせいでスポーツも嫌いになり、人付き合いも苦手になり、特定の人ばかりと遊ぶようになった。
    そして高学年になると、人付き合いが弱い面が向きだしになってしまった。あるいじめっ子グループに目を付けられて、休み時間や放課後はいつも追いかけ回されていた。多分5人位だったと思う。囲まれていろいろ悪口を言われて、反抗すると殴られたりした。さすがに5人に囲まれてはかなわないので、1対1になった時は思い切り反抗した。その度にまた囲まれて、またいじめられて、の繰り返しだった。先生などにチクると後が怖いので、結局だまったままずっと我慢していた。
    どうやって止めさせたかっていうと、いじめても反抗しないようにして、
    いじめがいを無くさせたら、ターゲットが他に移って結局いじめられなくなった。

    いじめられて良くなった所もあるし、悪くなった所もある。自分は弱い人間だと気付かせてもらったおかげで、強くはなれたと思うし、一人でもいろいろなことに立ち向かうことができるようになった。いじめをしている人間の方がダメな人間と思う、所詮一人じゃいじめることができないんだから。

    でもいじめの後遺症も残ってない訳じゃない。人が集まってるのと話すのが苦手になってしまった。1対2で話をしてても、いじめられるようで何か怖くて上手くしゃべれない。集団で話してると、いつか自分が一人になって攻撃されるような気がしてならない。これはハッキリ言って、社会に出てからかなりのダメージであると思う。合コンが苦手くらいだけならいいけど、ビジネスでもこういう機会は多いのだから。

    もう人間は変えられないと思うから、このままの性格のままで、できるだけいい生活をできるような生き方をしていくしかない。集団に染まらなくたって、きっと成功する道があるはずだ。そういう考え方ができるから、何とか生きていける。

    53.さいたま市って?

    2000.8.8

    最近高崎線・東北線に乗っていると、見慣れない駅に止まる。
    さいたま新都心
    大宮と浦和の間にこんな駅ができたのである。
    駅前を見ると、新宿を思わせるきれいなビルが立ち並んでいる。

    かなり前から話題にはなっているが、浦和と大宮と与野が合併してさいたま市になる。埼玉県にも政令指定都市を作るためとか言われている。3つの市を合わせると人口が100万近くなるらしい。

    nomも埼玉県民なので興味はあるが、はっきり言ってあまりやって欲しくない。まずさいたま市ってのがダサイ。絶対もっといい名前の候補があったはず。これだったら、元の浦和、与野、大宮の方が全然いいし、イメージもいいと思う。また県内でどこか引っ越そうとは思ってるけど、大宮辺りを考えていたのに、さいたま市だから行きたくなくなっちゃった。住むならさいたま市の隣とかに行く。

    でも思うのはそれだけじゃなくて、さいたま新都心の駅前が一番気に食わない(名前も嫌だし、高崎線や東北線が気持ち良く走ってるのを止められるのも嫌だ)。だって明らかに新宿のコピーだもん。ただでさえ東京のベッドタウンというイメージが定着しちゃってるのに、今度は東京の真似かい、って言われてしまいそう。何が言いたいかっていうと、ここは埼玉県の中心なんだ!っていう街作りをして欲しかった。どんなにきれいなビル並べたって、東京は日本の中心だし絶対にかなわないと思う。コピーするんじゃなくって、独自の物を作ってかなきゃ。埼玉は東京にはなれない。あれじゃ横浜や千葉から見ても見劣りする。あんな物に県の予算を大量につっこんで本当にもったいない。埼京線を複々線化でもした方がよっぽど県民に喜ばれるだろうに。

    でもいつになったら埼玉は東京の付属のようなイメージを脱出できるんだろう?少なくともあのさいたま市を見た限り、当分は無理だと思う。

    54.最近のnomの状況 00.9.26

    2000.9.26

    最近あまり更新してません。どうしてかっていうと、まずは更新するネタがないから。ここ1ヶ月程自販機調査していません。実際は秋田行った時に自販機コーナー何件か寄ってはきたんだけど、デジカメを忘れてしまって写真にしか収めていないです。秋田の自販機コーナーは衛生的じゃない所が多くて、あまり食う気になれなかった。ジュースの自販機ですら虫が大量にくっついていて、取りだし口に手を入れるのも嫌だった。秋田自体は景色がとても良くてゆったりしてて、いい所だとは思います。

    自販機調査に行ってない理由はもちろん他にあります。いろいろ考えることが多くなってきたから。別に飽きたっていう訳じゃなくて、何か調査する気が起きないのである。今の生活も安定してるし、大して不自由している訳でもないけど、何か不満になる。

    最近、安定してると思われる企業が倒産したり、何の不満もなさそうな家庭で事件起こったり、そういうことが起こるような状況も分からなくはないと思った。何も新しいことを起こさず続けていれば、安定した経営や生活が送れるはず。でも、それがいいことだとは全く思わない。むしろ退屈過ぎると思う。そういう状況だからこそ、刺激を求めてしまってそれが無謀な投資や事件につながってしまう。人間だし、生きている以上仕方ないとは思う。もちろん殺人は悪いことだが。

    つまり、刺激が欲しくなった時に、それを上昇させる力に変えてあげれば会社でも何でも伸ばすことができるんだろう。無謀なことをしたり、私欲の為に無駄使いしたり、あるいは事件を起こしたりしてしまうから、ダメになってしまうんだと思う。自分も、生活に刺激が欲しいし、行動を起こさなければならない時期には来ている。焦って変な方向へ行かないように、しっかり舵を取らなきゃ。

    55.最近のnomの状況 00.11.05

    2000.11.5

    なぜか疲れ切っている。大した運動も仕事も生活もしていないのに。
    ここ何日か何もする気がなく寝てしまったり、起きててもボーッとしてたりすることばかり。時々、生きているのがしんどい、生きている意味なんてないんじゃないか?って思うこともある。でも外に出ていろいろな人を見るとさらに辛くなるから、家にこもっていることも増えた。何となくnomが自販機コーナー好きってのも分かるでしょ、なぜなら孤独な人の溜まり場だから。

    自分を支えて、周りの人に気を使うだけでも、自分の限界だと思っているのに、さらに自分と全く関係のない人や物なんか、興味を持つ気にすらなれない。テレビを見てても気になるのは、自分に直接関係のある物ばかりである。なんでみんな、見知らぬ人や物のことをあんな詳しく知ってるのだろう?と不思議に思うことがある。でも知らないと話題に入っていけないような、知る必要のない物まで知らなきゃいけないような気がする。「何それ?」って興味を持たないと、話しに入れず結局仲間はずれになってしまう。特別仲の良くない人とは、話していてもストレスがたまっていくだけ。

    世の中新しい物を知らなきゃ、すぐに置いてきぼりにされちゃうっていうけど、自分の好きな物だけを、とことん追い詰める生き方もあるんじゃないの?そう思ってるから、新しい人間関係を切り開くのが難しいのではないかと思ってる。今淋しいと思っていても、誰にもそんなこと言えやしない。それでも自分は自分を信じているから、この状況を乗り切れる日は来るはず。なんだかひとりごとを書いていると、弱い自分を強い自分が励ましているような気がする。

    てなわけで、今すごく衰弱しているので、自販機その他更新ネタはもう少し待っててくださいネ!

    56.ズームイン朝で紹介されて

    2000.11.21

    2000年11月20日午前7時48分、日本テレビのズームイン朝で自販機特集の後半。
    「自販機が他の県より全然多い県があります。さて、そこは」
    日本地図で群馬がズームされて、そして出てきたのは・・・自販機研究家の・・・そう、nomが初めてテレビに出演した瞬間である。
    「他の県に比べて固まってある所が多いんです。3倍、4倍はあるんでしょうかね」
    (いや、面白い自販機や古い自販機や自販機コーナーが多い!ってのが本音)
    そして、手袋自販機やトーストの自販機、ジョイフル24の自販機が固まってる所が紹介された。約2分程度で群馬の自販機事情の紹介は終了。

    「自販機特集をやるからロケに協力してくれませんか」って連絡をいただいたのが先週の木曜日。そして次の日に電話をして、群馬までロケに行くことになった。18日(土)きれいに晴れ渡った日の朝、nomはSERAで待ち合わせ場所の群馬県高崎市まで行った。まず打ち合わせをして、SERAの助手席にはキャスターの戸川さんが乗って楽しい話をしてくれた。

    初めに行ったのは手袋自販機のある群馬県玉村町のREST PARK。そこで店の主人と話しをしたり自販機のセットをしたりしてもらって、撮影が始まった。「戸川さん、ここです!」「手袋自販機だって、ハハハ」「買ってみましょう」そして手袋を買った。主人のインタビューも収録されていたが、TVではカットされ手袋自販機の説明のみだった。

    そして次にそこから近いオートスナック354に行って、トーストの自販機の収録をした。ここでも戸川さんを連れて、トーストの自販機の所へ案内するシーンを収録した。トーストの美味そうな感じを出すため、トーストを4,5枚買って何度も録り直していた。そして次に122号に自販機コーナーが固まっている所があるから、そこへ行こうということになったが、途中にピットイン77にも寄って、そばの自販機を収録した。ここでもそばを念入りに録っていたが、結局TVではそばの自販機が冒頭で利用されていただけで、戸川さんが「マズーイ」って我慢しながら食った自販機天ぷらそばは紹介されなかった。

    そして122号の館林ドライブイン、ここから自販機巡りがスタートしたことにTVではなっている。「よろしくお願いします」ここだけはきちんと話せた。ので、TVでは放送されていた。途中のピーパックやジョイフル24で収録をして、自販機についての説明や自販機への思いを語ったのを収録したが、上手く話せなかったせいもありTVでは使われなかった。

    まあ、感想としては「恥ずかしい部分は放送されなくて良かった」っていったところだろうか。出会いのシーンの所は、割と親しみ易そうな人に映っていたので安心した。当日は風も強く髪型も整えてなかったので、あまり自分がたくさん紹介されないでよかった。群馬の自販機事情はもっと紹介してほしかったけど。ほんとわずかな時間で終わってしまった。面白自販機をもっと見たければ山田屋に来い!っていうことだったのかな?(笑)

    nomのTV初出演(もう二度とないかも)は無事終了、高井さん、竹葉さん、戸川さん、
    ロケスタッフの方々、その他日本テレビの方々、本当にありがとうございました。

    テレビで紹介されましたが、山田屋は今までと変わらず
    自販機の紹介やその他のコーナーを続けていきたいと思います!

    57.辞めます、別の所で頑張ります

    2000.12.10

    思いきりストレートなタイトルにしてみました。そうです、今の会社を辞めるのです。このひとりごとでも会社を辞めたいということは何度も書いてあったと思う。その時は書いただけで満足していたのかもしれない、でももうそれじゃ落ちつかなくなった。どうして会社を辞めたのかというと、いろいろな理由がある。今の会社に不満があるのも理由の一つだが、会社の内部事情ではなく自分の心境の変化について書く。

    転職して他の会社で頑張ろうって思うキッカケとなったのは、今年の4月のあることだ。「48.自分に正直に」を書いた頃のことである。いろいろなことがあって、自分に自信がつき始めてきたのである。その時自分の言いたいことを言って、その思いとはかけ離れた所に会社があることに気づいたから、もう今の会社には長くいられないと思った。そして次の職を探して、ここなら自分の思いと一致するという所を見つけ転職に至った。

    大学を卒業して会社入って、仕事って金もらうためにする物だと思っていた。いや、実際そういう物だが、平日だったら生活の半分位は仕事をしている時間なのである。その時間も人生の一部であり、ただ淡々とこなして金をもらうだけじゃ物足りなくなってきた。自分の価値を上げる物、自分に自信を付けるための物、そういう側面もあると思ってきた。今の仕事で進みたい方向へ向かうことができるのか?パソコンは少しずつ興味薄れてきてるし。そう思ったら今の仕事は、これ以上頑張る気にはなれなくなってしまった。

    それでも転職というのは、勇気のいることである。今まで慣れた会社、仕事を捨てることだから。次の所でまた新しい仕事や人間関係の中でやってけるかという不安もある。でも今の会社で自分の力以下の仕事をしているままでは、成長はしないと思う。どこかで踏ん切りを付けないと。そのキッカケを作ってくれた何人かの人には感謝する。そうそう、転職してもコンピュータ会社で働く野村 誠さんに変わりはないです。

    大きなカーブを曲がったら、また別の街で自分が来るのを待っているはず。そこで新しい仕事をして、新しい人々と出会って、レベルが上がってく。冒険のない生活じゃない、仕事をすることだって大きな冒険の一つなんだ。

    58.転職

    2001.1.4

    前の会社を辞めて3週間が過ぎた。
    こんなに働かないでいい時間があるのは、社会人になってから初めてだ。
    毎日ラッシュの電車に乗って出勤していたのが嘘のようだ。

    自分がコンピュータの会社に入ったのは、コンピュータが好きだから。そして今回転職するのは、ネットワークの仕事が好きになったから。もっといろいろなネットワークに挑戦したくなった。いろいろな理由があったとしても、根底はそういうこと。なんでネットワーク好きになったの?って言われてもそれは分からない。ただネットワーク図を見てると、楽しくなってくる、本能がそうさせる。

    自分の中には、何かを作る、生み出す仕事をしたいっていう気持ちがある。ネットワークの仕事がその方向に進むかといえば、そうではないかもしれない。人の作ったコンピュータの設定方法を覚えることが、何かを創ることにつながる訳じゃない。でも、ネットワークを作ること、いろいろな人をつなげることが、自分の将来の役に立つと思う。そうやってつなげていく上で、自分の本当にやりたいことが見つかったら、またそっちの方へ向かっていけばいい。ただ一つ言えることは、次の会社に入ればやりたいことが見つかって、それをやらせてくれるかも、そういう希望が持てたから行くことにした。

    仕事が人生じゃないし、金をもらうためだけのものでもない。でも仕事をするからには、その仕事にいつまでも誇りを持っていたい。誇りを持てないなら、さっさと辞めるべし。

    59.荒れた心

    2001.1.21

    最近nomは「自信がついてきた」とか「何があっても落ち着いてる」って言われる。いや、そんなことは・・・少しはそうなったかもしれない。

    いつも落ち着いてるように見えても、実際nomの心は荒れまくってるのだ。
    燃え上がったりどん底に落とされたり、それも短期間のうちに激しく動いている。自分を投げ出してしまいたい時もあるし、何もかも諦めてしまおうって思うこともある。前はそんな荒れた心の時は、家族に話したりして心を落ち着かせていた。今は一人暮らし、よく実家には帰ってはいるが、悩む時はほとんどひとり。楽しいことも辛いことも全部抱え込んでしまうから、燃える時はとことん燃え上がるし、落ち込むとどうしようもないほど落ち込む。そういう心境の変化が大きいので、だんだん強くなってきたのかもしれない。

    運が悪くて、どうにもならない時もあったりする。誰にもぶつけられない程辛い時はもう自分のせいにしてしまう。どこか自分に不備があったと思ってる。そう思うとメチャクチャ傷ついてしまうんだけど、それを乗り越えれば自分は強くなる。そうやって心を荒らしまくってるから、ちょっと位のことじゃへこたれませんよ。運命という目に見えない物に、いじめられてるのかもしれないな。いくら強くなっても、心を荒らされるだけ。癒してもらえる日は来るのかな。

    60.新しい職場

    2001.2.7

    転職して、新しい会社に入って1ヶ月が過ぎようとしている。
    まず会社に慣れること、新しい仕事の内容を覚えること、そこから始まるのだが、同じような職種とはいえ、前の会社とはいろいろと勝手が違う。出向社員とはいえ、社員数が3桁の会社と4桁の会社(今はこちら)ではいろいろ差がある。

    まず違うなぁと思ったのは、先輩や上司という概念がないということ。教えてくれる人は、その時の業務内容によって変わってしまう。誰についていけば分からない、誰を頼っていいか分からないということであった。前の会社では自分がついていけばいい人、自分が引っ張っていけばいい人が分かっていた。これだけでも一つの試練を課せられているような気がする。つまり自分の力で何とかできない人は、置いていかれる一方である。

    出向社員が多いせいもあるが、人と人とのつながりが少ないような気がする。内部社員同士は仲がいいのかもしれないが、そういったことを話す機会もない。仕事が終わったらあとはみんなバラバラ、って言ってもおかしくないと思う。社員への通達はみんなメールかイントラネット(社内ホームページ)である。会社は仕事をするための場所だから、これはこれでいいのかもしれないけど、最先端の会社はこうなってしまうのかと思うと、何か味気ないと思う。

    まあ余計な付き合いがないおかげで、仕事が終わった後はかなり自由になる。その時間が生き生きさせられるかどうかで、仕事への気持ちの入れ方も変わるんだろうな。nomはまだ新しい会社の雰囲気には慣れてないで疲れてるけど、頑張ってます。早く新しい会社で自分の居場所を見つけたい。どうなるか分からないから不安。この仕事ならnomに任せれば安心だ、そういう分野が欲しいです。

    61.自販機・山田屋の存在意義

    2001.4.26

    SPA!4月25日号の「e-定食」で山田屋が紹介された。
    今までも雑誌で紹介されたことはあるが、これだけ有名な週刊誌に載ったのは初めて。nomは紹介の依頼が来て、「いくつか面白いページの紹介があって、そのうちの一つだろ」と思っていたのだが、実際に見てみると今週は山田屋だけ。しかも割と目立つように載せてあって、紹介文も興味をひくような文章で上手い。

    その紹介文を読んでみると、nomも何か考えさせられる物があった。そうかあ、自販機も人の役に立ちたいと思ってるかー、なるほどね。確かに、自販機コーナー、特に古びた所を見ると何か悲しくなってくる。ここは本当に客が入ってるのか?自販機フードは売れているのか?汚くても、怖くても、なぜか入りたくなる、自販機の叫びが聞こえているのかもしれない。

    こんなホームページに存在意義はあるのか?と感じたこともある。星の数ほどあふれるホームページの中の一つに過ぎないのかもしれないと思った。でも見てくれる人から送られてくる感想に、「面白い自販機の数々に感動しました」とあった。そうだ、山田屋ほどたくさん自販機が載っているページはないんだ。そこから、自販機中心に更新するようになった、元々は面白ドリンクのページだったのだが。

    山田屋は決して目立つ存在じゃないけど、山間にたたずむ自販機コーナーのように、ひっそりと、レトロな自販機のぬくもりを守っていきたい。

    62.何も変わらないけど

    2001.7.19

    どんなことでもそうだけど、いい状態の時は人が集まってきて、悪い状態の時は逃げていく。会社もいい時はどんどん投資されるし、競馬も調子のいい馬の馬券はどんどん売れる。それは投資に限ったことではない、人間が生きていても同じ。同じ人間でも、どうして人がたくさん寄ってくる時と、そうでない時の差が激しいんだろう?nom自身そう感じることがあった。別に何が変わった訳でもないのに。

    状態が良くない時というのは、少し話しただけで分かってしまうようだ。一時期友達が毎日のように愚痴の電話をしてきた時期があった。その時のnomはいい状態だったから、話を聞いていろいろ励ましたりできた。それでもその友達に自分から電話をする気にはなれなかった。友達が悪い状態であったから、無意識のうちにそれを避けていたんだと思う。

    落ち込んでしまうと、どうしても人の話を聞く余裕すらなくなる。だから話していてもつまらない、結果として人が寄り付かなくなる、そういうことかな。「時間が解決してくれる」ということを言われるが、意味が分かった。
    余裕がないことに気付くまでには、しばらく時間がかかるということだと思う。

    今のnomは何も変わっていない、1ヶ月程前の落ち込んだ時と同じ。それでも時は自分自身の気持ちを開放してくれた。今までの暗闇を行ったり来たりしてるnomはもういない。燃料を入れて、また走り出そうとしている。

    63.再び山道へ

    2001.8.2

    nomはドライブをするのが好きである。海を走るのも山を走るのも平地を走るのも、みんな好きだ。でも運転していて一番充実感を感じるのは、山である。それも道が荒れていて、通れるのかどうか怪しいような山道。もちろん自分の命は捨てたくないので、地図を見て確認はするけど、それでも少しくらいは危険を感じるような道を通ると、すごく満足する。

    なぜか一人でいると、どこにつながっているか分からないような山道にわざと入る。それで上へ登っていたりすると、なぜかすごく心がときめく。そして、怪しい道がどんどん続いていると、だんだん怖くなってくる。本当に戻れるのかどうか、不安になってくる。最終的には戻れるのだが、戻れるまで緊張感を感じっぱなしである。

    なぜ緊張感を感じるのを分かってて、何度も山を登ろうとするのだろう。山を登っていて、気持ちいい景色を見れることもあれば苦しいこともある。おそらく運転していて楽しいのはほんの数分、あとは辛い狭い道ばかり。それでも入ってみたいと思うのは、人生ほとんど平地ばかりだからだと思う。

    山を登って足跡を残すだけで終わるかもしれないし、いい景色が一生胸に焼きつくかもしれない。そんな素晴らしい景色を目指して、また山を登り始める。

    64.皆様に感謝

    2001.10.28

    最近山田屋の更新が少なくてすみません。いろいろ忙しかったので、余裕がなかったです。その理由には、引越しがある。ひばりヶ丘の部屋を出て、実家に戻った。独り暮らしを始めて2年、また親元に逆戻りである。しかし理由もなく戻ったのではない。次へのステップとして、ひとまず引き返しただけである。

    それに加えて仕事も忙しくなった。タイミング良くできているもので、
    家事から解放されたと思ったら、仕事にほとんど時間を奪われるようになった。情報や更新用の写真などは次々と仕入れているんだが、山田屋に紹介するための文章を書いている時間がなくて、なかなか更新できなかった。9月なんかはほとんど更新してないから、見てくれている人に申し訳ないなあと思っていたが、掲示板の書き込みはむしろ前より増えたのですごく嬉しかった。

    更新しないと催促のメールやクレームが来たりするHPもあるというのに、
    こんなにのんびり更新しているHPなのに情報を送ってくれたり、感想を書いてくれたり、見てくれている人には感謝する一方である。だからこそしっかり取材して、更新していこうという気になる。山田屋は商用のページではないので、nomの思うがままに作っているわけだが、義務感に追われて更新するなんてのは嫌である。自販機調査が少なくなったからといって、自販機が好きじゃなくなった訳でも、HPへの意欲が失せた訳でもない。楽しんで作っていきたいという気持ちがあるから、体力や時間に余裕がある時にできるだけ面白く書いていきたいと思っている。

    でも、少しは余裕が出てきたので、更新は増やしていきたいと思ってます。

    65.ウイルスに注意

    2001.12.4

    最近nomのメールボックスに毎日のようにウイルス付きメールが入ってくる。一時期MELISSAやnimdaが流行したが、その時は全然来なかったのに今回は大量だ。入ってきたのはSIRCAMが1回と、BADTRANSという最近よく出回っているウイルスが6,7回。Netscape Mailを使っているので自動的にウイルスを実行することもないし、怪しいファイルは開かない。ウイルス関係の仕事もしてたし、会社からも情報を得ているので、被害はなかった。初めは「ウイルス付メール送るなんて、いたずらもいい加減にしろ!」と思ったが、メーカーのウイルス情報を見てみると、そうでないことが分かった。

    今回流行しているBADTRANSというウイルスは、感染したマシンのブラウザのキャッシュから、メールアドレスを見つけ出してきて、そのマシンのメールソフトを使って自動的に送るらしい。つまり、今回ウイルスを送ってきた人は、山田屋を見てくれていた人なのである。


    キャッシュというのは、ホームページを見るとその内容をハードディスクに保存してくれる機能である。次にそのページを見る時、更新されていなければその内容をそのまま表示し、更新されてればサーバから読む。山田屋の常連の方のキャッシュならばトップページのロゴなどは入っていて、毎回ハードディスクから表示している。


    だからもし山田屋のトップページがキャッシュにあったら、その中からnom@ruby.famille.ne.jpを見つけ出し、そこにウイルス付メールを送りつける。よくまあ手の込んだウイルスだ。しかしこのウイルスは以前のnimdaやMELLISAほど害はなく、マシンの中の一部のログファイルを特定のメールアドレスに送信するだけらしい。それでもウイルス(いたずらなプログラム)がマシンに入っているのは気持ちいい物ではない。

    今回のウイルスの件で、「ウイルスの送信者さん、山田屋を見てくれて感謝!」ってのもあるが、ウイルスが会社のマシンだけでなく、身近な物になってきたなと感じる。勝手に国際電話やダイヤルQ2にかけてしまう罠など、パソコンのことをあまり知らない人にとっては、パソコンの電源を付けたりインターネットにつなぐことが、怖くなってしまうかもしれない。こんな便利な物を生み出してくれたのに、とても悲しいことである。

    それでも警告しておこう、山田屋を見ている何人かのマシンに間違いなくウイルスが入っている。どんどんウイルス付メールをばらまいてしまうので、早めに駆除しましょう。
    (駆除用プログラムは、トレンドマイクロやシマンテックにあります。)

    66.2002年初めのあいさつ

    2002.1.14

    去年の後半のひとりごとで、「いろいろ忙しかったから、更新が少なかった・・・」と書いてあるが、それだけのせいで更新や書き込みが遅かった訳ではない。いろいろと悩んでいて精神的に辛い状態だったからでもある。しかし、その時はなかなか気付かない物であって、ただ忙しいだけだと思い込んでいた。

    去年の終わり頃や、今年の初めにかけて、いろいろな人から連絡やメールがあった。そして、楽しい話を聞いたりして、このままじゃいけないなーと感じた。ようやく、自分が何かに悩んでいて、これ以上こんな状態じゃいけないということに気付いた。年も変わって、これを機に自分の状態を変えていこうと決めた。今まで悩んでるから塞ぎこんでいるような感じだったけど、また明るいnomに戻そうと思い、その悩みの元を取り除こうと決めた。もう、決めた。この思いは絶対変わらない。その原因はあえて書かない。思い出したくもない。

    だんだん気持ちが楽になってきた。今まで「自分は強い。何でも解決できる」みたいな感じで生きてきたけど、そんなことはない。周りの人の力もすごく大事だってことが分かった。今は、力を分け与えてもらって、ようやく立ち直るだけの力を得たところ。これから、徐々に回復していって、またnomが持っている魅力を取り戻していきたいと思っている。そのために今年は人付き合いを大切にして行きたい。

    だいぶ日が経ってしまったけど、今年もよろしくお願いします。
    皆様にとって、そしてnomにとって、2002年が良い年でありますように。

    67.別れ道

    2002.3.4

    先日茨城の方へ行った時、国道50号を通った。
    掲示板でも情報は流れていたが、コインスナックL50が廃墟と化していた。このページを作るきっかけとなった山田商店や、群馬に自販機コーナーを繁殖させたオレンジハットの本部も、営業を止めてしまった。大変悲しいことである。

    自販機調査を始めて、たくさんの自販機コーナーと出会ってその度に喜びを感じた。しかし上に書いたように、去っていって二度と戻らない自販機コーナーもある。今は自販機コーナーよりコンビニやファーストフードの時代だし、なくなっていくのは仕方ない。これから先も、群馬でも閉店する自販機コーナーが増えていくと思う。

    人は多くの物や人と出会っていくけど、失うこともある。nomも今まで楽しい思いをしてきたけど、大事な物をたくさん失ってしまった。
    「失った物は戻らない。すぐ諦めるのが一番いい。」
    基本的にはこう考える。今まで生きてきた中で、何度も諦めるしかなかったから。それでも時には、最高に幸せだったあの日を思い出したり、山田商店跡地の前を通ったりする。でも期待しても虚しいだけ。復活するのは宝くじで1等が当るのと同じ位の確率しかない。

    だからといって、何もかも諦めてはいけない。失った物は取り戻せないけど、新しい物を探すことはいくらでもできる。自販機調査も人生も、たくさんの別れ道がある。(正確には分かれ道だが気にしないで下さい)後悔などするより、良い道を探さないと・・・まわり切れない程あるんだから。

    68.衛生保健所に行けば

    2002.3.4

    食品の自動販売機には99%はその県の衛生保健所の許可証が貼ってある。
    保健所が認めた期間は食品の販売をすることができる。だが、実際には許可期限を過ぎた自販機も置いてなくはない。これを見て思ったことがある、衛生保健所に行って登録されている自販機を調べれば、どこに面白い自販機があるか分かる!理由も適当な理由を付ければ多分教えてくれるだろうと思う。

    「じゃあ、そうやって調べればもっと載せられる自販機が増えるからやろうよ」
    「すべて見つかるかもしれないけど、そんなことして調べて楽しい?」
    「うーむ」
    自販機調査は仕事でもないし、自販機コーナーのガイドブックを出版する訳でもない。山田屋を見るのに金払ってるなんて人いないでしょ。かかるのはネットの接続料だけ。nomだって楽しくなかったらこんなに手間のかかるHP止めてる。
    「この道怪しい、通ってみるか」「おー、何だあの自販機は!?」
    見つけた物を紹介するのも楽しいが、調査している瞬間が充実してると感じる。山田屋を見ている人達の何倍もnomは楽しい思いをしていると思う。

    あてのない旅で構わない。
    見つかるか見つからないか分からない物を探すのが
    生きがいだから。

    69.SERAが教えてくれたこと

    2002.4.1

    nomは今のガンメタのセラを昨年の2月に購入した。
    その頃はおそらく何もかもが楽しく、新しいセラでのドライブも楽しんでいた。ただ後ろのハッチが買った時からガタガタ揺れて音がしていた。買った所に見てもらっても直らなかったが、nomが根性で直した。今でも多少は揺れるが、ほとんど音はしなくなった。

    ところが去年の夏頃から、今度は助手席からブオーンという音がするようになった。理由は全然分からなかった。引越しの時に一度ドアをこすってしまったからかと思った。でもドアをいくら調整しても直らない。うーむ、と思いながらもずっと乗り続けていた。

    それから自分自身も苦しくなり、家の事情もおかしくなり生活がどんどん崩れていった。セラはあいかわらずブオーンという不吉な音を立てながら走っていた。まるで助手席に何かがとりついているような感じだった。

    そして、時がどんどん過ぎて3月、久々に助手席に人を乗せた。その人はnomが新しいセラを買った時、一番乗せたかった人だった。ブオーンという音がするからどうしようと思ったけど、不思議なことにその人が乗った時は音がしなかった。

    この間音がする原因が分かった。ダッシュボードの下のケーブルが接触が悪くなっていて、振動があった時に音がするのが分かった。きちんと固定したら音は出なくなった。

    ブオーンという音はnomへの警告だったのかもしれない。SERAはnomが悪い方向へ向かっているのを分かっていたのかも。気付かなくてごめんなさい!きっといつか気持ち良く走れる日が来るから、一緒に頑張っていこう!

    70.うれし涙

    2002.7.26

    最近ほとんど毎週のように自販機の調査に出かけている。
    今年に入ってから、既に去年1年分以上の距離を走っている。
    自販機調査に出かけたある時のこと。

    夜、茨城の方へ行った帰り、つくば山の脇を抜けていく県道を通っていた。
    周りには車はほとんどいなく、すれ違う車もいない。道は走り易く、センターラインと県道表示だけが流れていく。運転にもほとんど神経を使わなく、ボーっと運転していると、急に目に涙があふれてきた。

    その時考えていたこと、それは、
    「自分の好きな道を好きな音楽をかけながら走れること、
    それってすごく幸せなことなんだなあ。」

    ってことだった。nomがnomのままでいられることに嬉しくて涙が出た。

    平穏に見えた生活もメチャクチャにしてしまったけど、本当に大事なものは失わずに済んだ。それは、自販機やドライブが大好きなnomという一人の人。失う寸前で失わずに済んだのは、友達、山田屋を見ている人々、ゆりかもめ、有明での仕事を与えてくれた上司、そして両親、すべてのおかげ。感謝してます。

    71.ウイルスに注意!2

    2002.8.11

    最近またウイルスの付いたメールがよく送られてくるようになった。
    今度は、「Klez」というウイルスで、前回のBADTRANSより広く出回っているそうだ。今のところ、1週間に1,2通だが、定期的に来ている。WEBでメールが見れるようになったので、会社でチェックして消している。

    ウイルスは、かなり前からいろいろな種類のものが出回っているのに、全然なくならない。それどころか種類が増えて繁殖するのも速くなっている。例えば、DoSアタック(大量のデータをサーバーにぶつけて動作をおかしくする等)とかSPAMメール(適当なメールサーバを使って大量のメールを送る、どこが送ったか分からなくさせる)などの迷惑行為は少なくなっているのに、なぜかウイルスだけは全然なくならない。一番無防備なクライアントPCがターゲットだからというのもあるだろうけど。

    ウイルスは、メールにくっついてたりするので開いたりプレビューをしなければ、感染することはない。しかし、ウイルスに感染してなくても、ウイルスの間接的な被害はある。たとえば、

    ・知らない人からのメールを、ウイルスメールと思って削除してしまうことがある。
    ・ウイルスのメールの繁殖によって、インターネット回線やネットワークが圧迫される。
    ・ウイルスチェッカーの動作によって、ファイルの保存・開く等の動作が遅くなり、仕事の効率が下がる。特にCPUやハードディスクの遅いマシンでは深刻な問題。
    ・ウイルスチェッカーのハードディスク全スキャンによって、ハードディスクの寿命が縮み、不良セクターが増えたり、ファイルが壊れたり、クラッシュしたりする。

    せっかくハードやソフトがすごいスピードで進化しているのに、悪用する方法も進化しているので、なかなかPCは便利にならない。データの改ざんや漏洩など、防ぐべき物は防がねばならないが、ウイルスなどにはあまり神経を使いたくないものである。

    また書くけど、山田屋を見ている人のPCのどれかに「Klez」が入ってます。
    早めに除去しておきましょう。

    72.最近お気に入りの番組

    2002.12.3

    最近お気に入りの番組がある。
    フジテレビの「昔の恋」と日本テレビの「別れてもチュキな人」である。
    「昔の恋」は終わってしまった恋愛について冷静に語る番組、「別れてもチュキな人」は、以前付き合っていた人や別れた友人などに想いを送る番組である。

    なぜ、この番組が好きかというと司会者がかわいいから、じゃなくて真剣に考えさせてくれる番組だからである(アツアツな番組や、のろけてる番組が嫌いだからってのもある。特に、秘密をバラして喧嘩させる番組は最低!やらせっぽいし)。「昔の恋」で語れるようないい恋愛をしたことのないnomにとっては、いい恋愛のカタチや、どうなったら別れることになるのか、すごく参考になる。それから、「別れてもチュキな人」は未練タラタラの番組かと思っていたけど、見てたらそうじゃないことが分かった。以前の恋人への想いを断ち切れない人に、ケジメをつけさせてくれる番組である。未練が吹っ切れた後は、スッキリしていて気持ちいい。

    nomにも、未練がぬぐい去れない時期や、昔の恋にすがり付いている時期があった。だからこそこういった番組を見て共感できるのだと思う。今でも思い出すことはあるけど、戻そうとしたり待ってたりはしない。

    どんなに楽しくても、どんなに辛くても、過去は過去である。
    何をしても100%元に戻ることはないのだから・・・。

    73.2003年はじめのあいさつ

    2003.1.6

    あけましておめでとうございます。
    今年も山田屋を楽しいHPにできるようがんばります!

    去年はずっと、失った物の重さに苦しんできて、セラも失って、何でこんな思いをしなきゃいけないの?って思ってきたけど、全部自分のせい、自分のせいだから我慢しなきゃ、って思いつづけながら時が過ぎるのを待った。

    そんな苦しい中でも実は一つだけ大きな収穫があった。何かといえば、それは山田屋を好きになってくれた人がたくさん増えたこと。Yahoo!やCasa Sony,ぶろなびで紹介されたのが大きいが、nomの更新努力も1%くらいは要因になるかな。落ち込んでると、掲示板の書き込みやメールがあってその度に回復していた。

    2003年は後ろを振り返らずに行きましょう!
    これから進む道に何かが待っている。
    別に何だっていいよ、何かがあるのが楽しみなんだから。

    ということで、今年も山田屋をよろしくおねがいします。

    74.普通停車の旅

    2003.3.12

    新聞を見てみると、青春18キップ発売の広告が載っていた。
    青春18キップとは、ご存知の通りJRの全国の普通電車がすべて乗り放題のキップで、1日分2500円で5枚セットになっている。nomは高校時代に友達と青春18キップで長崎まで行った。さすがに10年も前のことなので、詳しくは覚えてない。

    青春18キップじゃないんだけど、前の会社の仕事で普通停車の旅をしたことがある。静岡→名古屋→大阪→金沢という行程で4日間の作業という内容だった。電車賃を浮かす目的もあったけど、急いでないのでのんびり普通電車で行こうと思った。

    1日目は朝から静岡で作業だったので、前日に東京から東海道線静岡行きに乗って行った。平塚までは東海道線で行ったことがあるけど、その先は行ったことがないので楽しみだった。小田原あたりまでは割と人が乗っているけど、それを過ぎると乗客はぐっと少なくなり、沼津を過ぎてからは、1つの車両に乗っている人数はほとんど1ケタだった。

    2日目は静岡から名古屋まで東海道線、直通電車で行った。静岡県内は割と市街地が多いから景色はあまり面白くないんだけど、愛知県に入ってからは山の中を通ることも多かった。この時に景色を見たのが、その後じっくり静岡や愛知を車で旅してみるキッカケとなった。

    3日目は名古屋から大阪、新幹線で行けば1時間以内に着くがゆっくり各駅停車で。途中米原で下車、さらに京都でも下車して少し駅の近くをうろついてみた。仕事の現場は京都と大阪の間なので、大阪方面に向かった。新幹線だと15分で通過するのに、普通電車だと山をぐるっと回っていくのにはおどろいた。

    4日目の金沢はさすがに普通電車だと乗り換えが多くて大変なので、特急を使って行った。琵琶湖はながめが良くて気持ち良かった。仕事が終わった後はレンタカーで北陸ドライブを楽しんだ。

    高速で通過してしまう風景の中にも、実は目を引く物がたくさんある。
    のんびり景色を眺められたり、通過する地方の人々の生活が見られるのは、
    普通電車の旅ならではの魅力だと感じる。

    75.長野・岐阜・愛知ローラー、そしてその後

    2003.9.22

    今度の夏休み自販機ツアーは長野~岐阜~愛知を回っていくことに決めた。
    中部方面の情報が充実していたことや、愛知を中心に展開している
    ウーホーチェーン巡りもあるのだが、せっかく行くので観光もしたい。

    特に泊まる場所や日程なども決めてなくて、行ってみたい場所や(自販機コーナーだけじゃないよ)、通ってみたい道路だけを大まかに決めてある。
    予定としては、

    1日目:中央道で長野方面へ。蓼科、諏訪湖など。
    2日目:岐阜県内ウーホー巡り、飛騨高山、下呂温泉など。
    3日目:滋賀・三重方面へ。もしくは富山方面行くかも(ここら辺は気分次第)。
    4日目:愛知のウーホーを回って帰路につく。もう一度三河湾スカイライン行きたい。

    今度の旅行は一人でのローラーを思いっきり楽しむ。行きたいところ行きまくって、自販機コーナーも行きまくる。

    その後はどうするかというと、これからがんばりたいことがある。このままでも楽しいけど、何か違うような気がしてる、この頃。車を運転してて、ときどき無性にこみ上げてくるものがある。

    未来を夢見ながら走るドライブもそろそろ終りにしたいよ。

    76.偽装メールアドレス

    2004.4.7

    また最近ウイルスが増えてきた。今流行してるNETSKY.Qというウイルスはすごく出回ってる。nomのメールボックスに1日10~20通、多い時は40通くらい入ってる。別に削除するからいいんだけど、中にはにこんなメールも入る。「あなたからのメールにはウイルスが付いてるため、宛先に配信できませんでした。」で、その宛先を見ると見たことも聞いたこともないアドレス。しかも送信時間は、nomがPCを電源入れてない時間。なぜ?

    最近のウイルスは差出人を偽装するのだ

    このメールを見て、初めは「ウイルス送ってないのにーームカつくーー」と思った。しかし、このメールが来たのはいい方で、nomのメールアドレスで
    誰かにウイルスメールが届いてしまってるかもしれない。そして、「山田屋見たらウイルスメール来た、もう山田屋見るのやめよう」そんな風に思う人が出てくるかもしれない。誰かのPCから別の誰かのPCにnomのメールアドレスでウイルスメールが送られる。nomは何もしてないのに信用を失う、こんな怖いことはない。

    ただ、これはウイルスに弱いOSやソフトによる問題だけではない。メールのしくみそのものにも問題があるのだ。送信元の偽装がいとも容易くできるということが問題だ。受信をする時はパスワード等が必要だが、送信する時は何もいらない。(送信時にPOP before SMTPが必要な場合もあるけど、送信者を証明するもんじゃない)
    だから、nomが誰かのアドレスを使おうが、誰かがnomのアドレスを使おうが自由。メールの送信者の設定だけで簡単にできる。怪しいと思ったら、メールのヘッダを見れば、送信に使ったメールサーバやメールを送ったホストなどが表示されるので調べれば犯人は分かってしまう。でも、普通はヘッダなんてほとんど見ないし、普通のメールのソフトでは、見ようと思わなきゃ表示もされない。

    実際はこんな認証の甘いものをみんなが使ってるんだよ。メールのしくみそのものを変えなきゃ、いくら金使ってセキュリティ高めても送信者の偽装は防げない。みんなの信用を失わないためにも何とかしてほしいな。

    77.結婚祝いメッセージありがとうございました

    2005.6.3

    2005年4月23日、nomもめでたく結婚しました。1年間交際をしていた方と結ばれました。山田屋を見ているたくさんの方々から祝福のメッセージもいただきました。
    本当にありがとうございます。

    nomにとって、結婚とは、結婚に求めるものは、
    「結ばれた二人が共に幸せに暮らせること」
    みんな誰でもそう思っていると思う、一緒に生活して幸せになれそうな人に
    巡り合えないから、まだまだと言ってるうちに年をとってしまうんだろう。
    嫁さんとは、本当に好きな人と一緒にいると感じ、将来がすごく楽しみだった。一時だけの恋愛感情ではないということを感じた。結婚したいと思える女性だから結婚した。

    結婚して1ヶ月。香港へ新婚旅行も行った。
    仕事行って家帰って、休みは二人でドライブや買い物や遊びに行ったり。
    自販機ドライブもHPをのほほんと更新する時間も限られてしまったけど、
    それでも幸せだと感じている。

    結婚を機にHPを閉鎖したり幽霊サイトになるHPもあったりするけど、
    山田屋はそんなことにならないようにします。嫁さんが一番好きで一番大事なんだけど、自分の作った山田屋のページも山田屋でできた仲間も好きで大事なんです。見てくれている人のために、そして山田屋が大好きな自分のために、この山田屋のページを続けていきます。

    78.「マニアの叫び」収録後記 その1

    2007.3.24


    2007.3.17 1:00~1:30に東京テレビ系列の番組「マニアの叫び」にて、nomが自販機マニアとして紹介されました。嫁さんもロケやスタジオに見学に行ったからか、嫁さんも一緒に自販機マニアにされてしまいました。

    マニアの叫び出演が決まったのは、2月の上旬、ディレクターの方と直接をお話し、2月10日にロケ、2月12日にスタジオ撮影が決まった。2月12日は第2回の山田屋オフを予定していたのだが、そういう都合により中止にさせていただいた。

    2月10日、朝10時に茨城県那珂市にて待ち合わせ、3連休の初めということもあり、渋滞を避けるため早めに行ったが、ロケ車の方が渋滞に巻き込まれて撮影は遅れてスタート。ロケの初めではnomとダブルブッキングさんが待ち合わせのシーンを撮影、それからコーラの自販機の中を見せてくれる酒屋さんで自販機マニアっぷりを撮影した。nomもアウトバーンを撮影するのは事前に知っていたが、あとの企画はよく分からなかったので、すべてその場で考え付いたことを話した。コーラの自販機では知ったかぶりっぽいことを
    言ってしまって、やっぱカットされていた、よかった、よかった。マニアとはいえ、突然自販機の説明をしてほしいと言われてもなかなか出てこない。

    その次は車を運転しながら、自販機マニアっぷりを披露してほしい。とのことで、運転しながら、いろいろな話をしたのだが、全く使われてなかった。台本も何もなかったし運転しながら考えるのはなかなか難しい。ここもカットされてよかった。

    次に行ったのは、JAひたちなかの納豆自販機。関東で初めての納豆自販機、対応してくれたのはJAの方だが、設置されたのは水戸市の「だるま納豆」という会社とのこと。この自販機のためにたくさんのお金を使って改造してるそうだ。納豆チョコや納豆キャンディ、納豆石鹸などを買った。納豆キャンディを食べた時のダブルブッキングさんの顔がすごく面白かったが、残念ながら使われなかった。ほんとビックリ、納豆キャンディ。気になる方はJAひたちなかで買ってみてね。

    そして放送で使われたアウトバーン。バーガーの自販機などはダブルブッキングさんの方も知っていたようだが、そばうどん、弁当、トースト、いろいろあってビックリしていた。アウトバーンがやっぱ映像的にも面白かった、から使われたんだろう、今日イチだった。ここが一番盛り上がったし、自販機の中も見せてくれて、充実していた。特にそばうどんの自販機を扉を開けてそばを買うなんてのはなかなかない、放送されるのはこれが最後かもしれない、貴重な映像だと思う。

    ディレクターは撮影後、アウトバーンの店長にインタビューをしていた。
    「こんな自販機置いてたってほとんど儲かりませんよ。採算ギリギリで
    やってます。トーストだって昔はコンビーフトーストだったけど、それで200円で売ると赤字になってしまうからツナに換えた。自販機はもう20~30年くらい前から使っていて、昔は周りにも使ってる店がたくさんあったが、今ではほとんど使われなくなってしまった。周りにコンビニも増えてきたしね。それでも、ウチだけでも自販機で頑張ろうかと思ってます。」
    ディレクターやダブルブッキングさんも合わせてみんなで聞いていたけど、店長の優しさと自販機への思いに感動した。今生き残ってる自販機コーナーは、結局すべて自販機への思いのこもった場所ばかりなんだなぁ。店長の話を聞いたせいか、ディレクターは、撮影のためにたくさん買った自販機フードを、ADに全部食べさせた。確かトースト、そば、うどん、ラーメン、弁当があった。一つ残らず食べきった。

    日が落ちる直前にもう一つ何か自販機ネタがほしいとのことで、アウトバーン近くのスーパーヒロセヤにて古い酒の自販機を見つけた。1リットルの缶のビールなどが買える自販機で、つり銭がすべて切れていてぴったりの値段の小銭を持ってないと買えないという自販機だったが、ここは使われなかった。ここでロケは終了、朝早くて運転しっぱなしで疲れたけど楽しかったです。

    そして、その2に続きます。

    79.「マニアの叫び」収録後記 その2

    2007.4.4


    2007.3.17 1:00~1:30に東京テレビ系列の番組「マニアの叫び」収録の話その2です。

    2月10日のロケの翌々日 2月12日にスタジオにてロケのビデオを見ながらの、スタジオでの収録があった。収録はテレビ東京近くのビルにて行われた。スタジオの集合は15時頃。当日は4組の収録があって、nomは2番目の収録だった。nomの前には、nomの出た放送の前回分の「閉店看板マニア」の方の収録をしていた。待ち時間の間には、放送の最後に出る「マニアの一言」を考えたり、ディレクターから、どういう風に進めるかの打ち合わせをした。

    ほとんど台本らしい台本もなく、いくつか紹介される自販機を教えてもらって、いきなり本番。スタジオに入ると、ブラザートムさん、ほしのあきさん達がお出迎え。トムさんから、自販機が好きになったきっかけや、自販機のどんなところがいいか、などを聞かれた後、ほしのあきさんからは、自販機とはあまり関係ない、二人の結婚生活は順調ですか?
    とか、二人の出会いは?とか聞かれた。正直に答えておきましたが、使われませんでした。よろずや君やおむつの自販機のことは事前に聞かれるのが分かってるのでうまく話せたが、あとは結構話してる途中に噛んだりしていた。うちの嫁さんも話してはいたんだけど、使われなかった、うーん残念。

    トムさんは自販機コーナーには結構行っていたようで、オートパーラー上尾や、東松山のおそらくヤンブーだと思うが、よく行っていたようだ。ヤンブーの話は、逆にnomが聞き入ってしまったくらい。TVでも放送してほしかったな。アメリカザリガニさんもキツそうな人に見えるが、結構話し易い人で、カットされたけどコスモスの自販機の話はかなり長く話していた。我々と同じように子供の頃のコスモスの苦い思い出を話してくれた。当時貴重な100円がゴミみたいな物が出ると悔しかったとか。マニアの一言も緊張したけど、何とか話せた。うまく編集してあると思う。トムさんは結構認定するの渋ってたけど、認定した瞬間だけが編集してあった。

    結局使われたのは、アウトバーンのロケだけど、一番好きなのが自販機コーナーなので、よかったと思う。nomの自販機マニアっぷりというよりは、自販機コーナーの魅力を紹介してくれてよかった。マニアの一言は、収録の待ち時間に考えたもの。前日に準備してくださいとも言われてないし、当日にこんな一言を書いてくださいと言われたわけでもない。昔は、面白い自販機も自販機コーナーももっと目立つ場所にあったのに、目立つ場所にはコンビニ、ファミレス、大型スーパーなど人を吸い込むものができてしまった。だから、自販機は人の少ない場所に潜んでいる。人が少ないながらも生き残っている今の自販機コーナーはほんとうにすごい、これからも良き仲間として生きていくことを祈って、あのような一言にしました。

    ロケを盛り上げてくれて、マニアっぷりを紹介してくれたダブルブッキングさん、スタジオで話をしていただいたほしのあきさん、ブラザートムさん、アメリカザリガニさん、小阪由佳さん、そしてスーパーテレビジョン、テレビ東京のスタッフの方、ほんとうにありがとうございました。出演者の皆さんがすごく楽しそうなのが印象的でした。私達夫婦も楽しく収録させていただき、とてもいい思い出となりました。「マニアの叫び」は3月30日に終了してしまいましたが、またこのような楽しい番組を製作してくれることを祈ってます。

    80.今年得た2つのものを大事にします

    2007.12.15

    2007年12月、nomにもついに初の子供が産まれました。かわいい娘です。

    今年の暖かい冬の後、春が訪れ川沿いの桜や菜の花がきれいな時、嫁のお腹に入り、ここまで大きくなってお腹から出てきた。生まれてきた子を見ると、とにかくよく動いて食欲も旺盛。体が小さめなの以外は、他の赤ちゃんよりも元気に見える。この子がどうして生まれてきたのかすぐ分かっちゃった。お母さんのお腹の中へ入るための競争でいろいろな子を押しのけて、真っ先に入っていったんだね。

    嫁が退院する時、保育機の中にいる子と触れ合うことができた。顔はどちらかといえばnomに似ているか、小指がグニャって曲がるのもnomにそっくり。やっぱ自分の子供はかわいいもんだね、nomも普通にパパになってしまったよ。ずっと前から子供は欲しかった、自販機調査してても子連れはとてもうらやましく思っていた。実は今年はそろそろ家族増えてもいいかな、と思って、「マニアの叫び」撮影のころも頑張ってたんです。妊娠して子供が生まれるまでは何かあったら大変と心配してたけど、那須とか伊東とかいろいろお出かけしてしまったね。車もお出かけも好きな子になりそうだ、ついでに自販機も好きになってもらうよ。

    今年は「マニアの叫び」に夫婦で出演して、夫婦の絆を強さを得たのに、さらに子供という天からの授かり物まで頂いてしまった。数年前、いいろいろ大事なものをたくさん失った。何度人生最大の選択を誤りそうになったことだろう。ようやく軌道修正して進みたい道に戻った。失ったものはもう取り返さなくてもいい、新しく得たものを大事にしたい。

    81.7年の重み

    2008.12.14

    nomは今年の夏に、7年間勤めた会社を辞めて、別の会社へ転職した。ただし仕事内容はそんなに変わらない、仕事の幅を広げたいという思いはあるが、やっぱ第一は生活の安定と将来のためだ。前の勤務先はM&Aでたくさんの従業員を受け入れ、nomは派遣社員で今後どうなっていくか分からない、家族も養っていかなければならぬし転職に踏み切った。

    新しい会社に入って数ヶ月、ようやく大きな仕事を任されたけど、前の会社と同じような仕事のはずなのに、なぜか自分の実力が全く出し切れない。大きな仕事とは言っても、前の会社でやっていた仕事に比べれば全然規模もレベルの低い仕事である。会社が違うから仕事の進め方が違うというのはもちろんあるが、そうだとしても、自分の技術も知識も今までの経験も、すべてあって無かったような有様だ。

    ここ何週間か何故だろう、とずっと電車の中で考えていたのだが、何となく分かった。前の会社で7年間育んだ人間関係、7年間溜め込んだたくさんの資料、そして7年間の実績への信頼感、それらがnomの実力を発揮できるようにしてたんだろう。以前転職した時も転職して半年くらいの時期が一番辛かった。このひとりごとにもちゃんと記されている。相当悩んでいたのが分かる。

    今は昔のことを思い出してばかり、去年の今頃子供が産まれて前の会社では、何度も休みを頂いたり、ほんとに和気藹々とやっていたなぁとか。そういやその頃会社に新しく入ってきた人はすぐに辞めてしまった、会社のレベルの高さにはついていけない、と。割と会社に溶け込んでいたと思うけど、本当はすごく悩んでいたのかもしれないな。今になっていろいろなことが分かってしまうのが悲しい。

    それでも今、空前の不況で派遣社員がたくさん契約切られているとか、内定取り消しとかニュースを目にすると、nomはいい時に転職に踏み切ったこと、転職は間違っていなかったことを、確信している。7年の重みは捨て去るべきものだったのだろう。また一から頑張るチャンスを与えてくれた今の会社に感謝している。

    82.地震の後

    2011.4.15

    今までの生活って、実はこんなに脆く崩れ去るものだったんだ。いつかこんな日が来るような気はしていたけど、こんな早く来るとは。

    いつも常々思っていたこと、それは世の中がとてつもない速さで進化していること。少し前までは携帯もインターネットもなかったのに、今となっては、学生でさえも、iphoneなどで情報収集をしている。10年後はおろか、1年後ですらどんな進化をしているのか、予想がつかない。

    nomの住んでいる周りもここ数年で大型のショッピングセンターが建ちまくった。とても便利で、どこへ行っても明るい光に囲まれている。これも昔から比べるとすごい進化だ。

    大地震の1週間前、少し大きめの地震があり、小さい娘もいて心配だったので家に電話したら、「そんな心配しなくても大丈夫だよ」と。しかし、あの地震の後・・・。

    携帯も固定電話もほとんどつながらない、メールですらも送受信できない。電車はすべてストップ。都内の会社からは埼玉の自宅の情報を何一つ得られず、歩いて帰るだけしか方法が見つからない。翌週の月曜には停電で電車が動かない!それでも仕事に行かなきゃ。車に乗せてもらっても電車が動く駅までの道路は大渋滞。何とか仕事を終えたら、帰りの道路はガソリン給油待ちの大渋滞。翌日の夜は、買い物に行こうとしたら、停電でスーパーも閉まってる。すべてが大混乱だ。

    東京を含め首都圏が日本を動かしている、東京が日本を進化させている、そんな風に見えるけどそんなことはなかった。東京が、日本が、こんなにきちんと動いているのは、東北を含めた地方のおかげなんだ、と。

    進化することばかり求められていたけど、普通の生活を守ること、実はこれ一番重要!生活できるだけありがたく思わなきゃ。これからはいろいろな人の頑張りに感謝しながら、生きていこうと思う。

    nomが初めて大きな仕事をしたのが仙台だった。あの経験が大きく成長させてくれた。出張の後行った松島の絶景と美味しいカキ、帰りに見た原発近くの夕焼け、いい思い出だ。数年前に気仙沼も行った。市場で買った粒ウニが最高に美味しかった。これからの道のりは果てしなく長いだろうけど、またいつか行きたい。

    83.自動販売機なんていらない、わけねえだろ

    2011.4.15

    政治のことは、人それぞれなのであまり個人的な考えを書いても、
    しょうがないと思っていたのだが、これだけは自販機サイトの管理人として
    書かずにはいられない。

    都知事が、自販機なんていらない、と言ったらしいじゃないか。
    しかも夏場は午前10時~午後9時まで電源を切れなどという法案まで出るという。

    nomは自販機の展示会VENDEXに2度行っているが、自販機業界の努力は凄まじい。自ら厳しい基準を設けて、それを実践しているのが素晴らしい。太陽光発電でドリンクを冷やそう、と素晴らしい構想も見せていただいた。細かい仕様までは知らなかったけど、電力が本当に必要となる夏場の昼間は、1台につき数十ワット、つまりノートパソコン1台程度の電力しか使わないそうだ。自販機1台の電機代は月に数千円。これだけ省電力にもかかわらず、灼熱の太陽の下で冷たいドリンクを提供してくれるんだよ。

    でももう言ってしまったものは手遅れで、訂正しようが法案が蹴られようが、電気をたくさん食っている、というレッテルはそう簡単にぬぐえない。
    自販機業界は、節電のため消灯してかなり売り上げが落ち込んでいるそうだが、さらなるダメージを食らってしまった。しばらくは大きな動きはできないだろうなぁ。

    電力がもったいないなら、都内の自販機をどんどん被災地に移転してほしいもんだ。避難所に数台あれば、たくさんの人が喜んでくれるだろうに。

    84.自販機とコンビニ

    2015.5.20

    仕事で作業場所に向かう途中、トイレに入りたくなり、コンビニに入った。
    トイレを済ませて、何か飲み物を買おうとしたら、
    「あれ、大手メーカーの物も定価じゃない。 スーパーより高いけど自販機より安い。」
    自販機が売れなくなるわけだ。自販機の台数や売上は徐々に下降線を辿っている。少なくともコンビニが近くにある場所では定価の自販機はあまり売れないだろうね。コンビニだったら、トイレも借りられるし、お菓子とかタバコも合わせて買えるし。しかもコンビニはまだまだ増えていってるんでしょ。んー、何だかくやすぃー。・・・・・

    「でもさ、自販機は場所も少なくて済むし、人件費だって、補充やメンテナンスくらいだから、コンビニより全然維持費がかからないでしょ。もっと安くしてもいいのにね。」
    「それはね、自販機が定価販売を前提に設置されているからそうもいかないんだよ。売れる場所とか、仕入れがもともと安い物は、安く売ってたりするけどね。」
    「自販機なんだから売れる物だけたくさん入れるとか、すればいいのに。」
    「そんなのはもちろんやっているよ。次に売れる物を予想して重点的に冷やすだとか、売れるためや電気代削減の努力、環境への配慮も十分過ぎるほどやっているよ。」
    「でも、確かに定価で買うのは高いから、僕も安い自販機見つけた時に買ってしまうね。特に神戸居留地というブランドのアクティブビタミン、安いのに大手メーカーのよりも美味しいと思う。味は、炭酸の抜けたオロナミンCとかリアルゴールドを少し薄めた感じ。」
    「へぇ、そんなのがあるんだ、今度買ってみようっと。で、自販機が売れるようにするためにはどうしたらいいかなぁ。」
    「オマケ付けるくらいは出来るんじゃないかな、例えばドリンク一本買ったら、お菓子が付いてくるとか、あと仕事でお客さんに配る時とか、領収書出るようにして欲しいね。」
    「自販機の構造的にもそれだったらできるかも。開発費がかかりそうだけどね。」
    「領収書はスマホ近づければ読み込んでくれるでもいいね。画面に○○駐車場前自販機 コーヒー7本 840円 上記料金頂戴しました、って出てきたりして。」
    「お、それいいなぁ。もうどこかやっているメーカーあるんじゃないかな。」
    「あとは、コンビニが近くにない自販機コーナーだったら、トイレも欲しいね。何か飲み物買ったらトイレのドアの開閉可能になるとか。」
    「それくらい今の技術だったら十分可能でしょ。いくらコンビニが多いって言ったって、数で言うと自販機はコンビニの100倍あるんだから、まだまだいろいろ自販機は頑張れると思うよ。」

    nomの中にいる「夢を持ったnom」と「現実的なnom」の一人二役対談でした。時間がある時は、こんなことを考えていたりしています。

    85.もうすぐ20周年

    2016.9.20

    山田屋を始めてかなりの長い時間が経つ。あと1年数か月で20周年になる。
    でも、山田屋だけでなく、nomのシステムエンジニア生活もあとわずかで20周年だ。山田屋も何だかんだ続けているけど、同じようにエンジニアとしてもずっと続いている。こちらは自販機マニアと違ってすごくたくさんいるので、さすがに上に行くのは難しいけれど、それなりにできるエンジニアにはなっていると思う。

    結局20年間ずっとシステムエンジニア、しかもネットワークのエンジニアを続けている。ここまで続くと実はこの仕事が転職、いや天職だったように思えてくる。当初は、プログラミングがやりたい!だとか、人と関わりが多い仕事なんて嫌だ!なんて言っていたのに、今となっては、プログラムなんてめんどくさー、パソコンと向き合っているだけより客先行くのもある方がいいー、ってなっている。

    いつか書いた気がするけど、ネットワークエンジニアがなんで好きになってしまったのか、それはネットワークをつなげることは人と人をつなげる仕事だからである。前の職場でも、その前でも、結局nomがお客さんとエンジニア、エンジニアとエンジニアを結ぶ仕事をしていたのが、一番会社のために世のために役に立っていたのではと思う。

    こんな複雑で大変な仕事、出来そうもないし、続ける自信もない、と思って20年。今となっては、20年貯めこんだ知識で何でも解決してくれるような、そんな人になってしまっている。その知識を生かして、新コーナーを作ってみようと思う。それは、
    自販機好きのためのIT技術講座(仮)
    難しい技術のことではなく、何のためにこんな仕事が必要なのか、というものにしたい。例えば、群馬の丸美屋自販機コーナーがそばうどん自販機を2台にして、そして3台にした理由は、実は技術用語でも説明できたりします。
    (もちろん富田町の自販機コーナーで不要になったから、というのが大前提としてあります。)
    え、自販機ページは?って。もちろん自販機の紹介がメインでこちらはおまけです。では、お楽しみに。

    86.2017年を振り返って

    2017.12.21

    ここ最近は、レトロ自販機のブームも一段落着いたようだが、一時期少なかった自販機コーナーの閉店がまた増えてきた。 2017年9月に群馬県のドライブインセゾンが閉店してしまったが、遂にこの時が来てしまったように感じた。 ゲームセンター併設の自販機コーナーはだいぶ危機的状況にあると考えている。

    セゾンが閉店する頃に埼玉県のオートパーラー上尾を訪ねてみたが、営業しているのにゲームの電源はほとんど入っていない。 ほんとに営業しているのかと思ったが、自販機はすべて稼働しているので営業中であった。ゲームは店員さんに声をかければ電源を 入れてくれるとのこと。以前は、自販機だけを楽しみたいので、ゲームの音がやかましいなと思っていたのだが、無いなら無いで 寂しいと感じてしまう。昔の群馬のドライブインみたいに、メリーさんの羊の音楽の冒頭の部分や、 UFOキャッチャーの「セシル」(人は大人になる度弱くなるのよ~)だけが鳴っているくらいがちょうどいいのだけど。

    この傾向は前からあって、思い出すのはやっぱり茨城県の自販機コーナーアウトバーンのこと。 社長が閉店を決めた時、電話まで頂いて、閉店することになった経緯を話してくれた。 当時ネット通信の麻雀ゲームが流行していて、結構な借金をして購入したのだけど、どんどん客は減っていき、 更新するためにはさらに相当なお金を払う必要があるとのことで、もう経営的に限界となり、 家族や親族からも止めるよう説得されて泣く泣く閉店を決めたそうだ。 社長はアウトバーンを続けたくて最後まで頑張ったけど、もう限界だったそうだ。

    今、いろいろな自販機コーナーがゲームでは利益が出ず、ゲーム営業中止や閉店の危機に追い込まれている。 つい先日ビッグチェイス富岡、ビッグチェイス神川も経営難で閉店になった。 関東でも、一部の聖地的な自販機コーナーとチェーン店くらいしか残らないことになりそうな気配。 ゲームで利益を稼いできた自販機コーナーはこれからどうなるのだか。

    もう数年前からだろうけど、ゲームセンターでゲームをする人は相当減っているはず。 多くの人は、スマホゲームや1パチなどの低額パチンコの方に流れていってしまったのだと思う。 街中を見ても大きい街道沿い沿いを見ても、ゲームセンター自体が少なくなっていて、 どこを見てもゲームメーカー直営のゲームセンターばかり。nomが以前遊んでいた小さいゲームセンターは ほとんど閉店してしまっている。

    街道沿いで昔はとても重宝されてとても儲かっていた自販機コーナーも、どんどん収入源を失っている。 24時間営業、大型車も停められる広い駐車場、すぐに食べ物が食べられる、憩いの場、辺境地にもある、ゲームセンター、 そういったところが自販機コーナーの役割かと思うが、コンビニを筆頭に、いろいろな新しい物がその役割を 奪い取っていった。最後まで残っていたゲームセンターの役割もほぼ失いつつある。 もう自販機コーナーの利点は、レトロ感とか独特の雰囲気とか、それしか無いように思える。

    深夜や早朝の人の活動が少ない時間や、店の少ない場所で、休憩場所や食事場所、遊び場といった役割を担ってきた自販機コーナー、 今は自販機コーナーに行かなくても、近くにあったり家でできたりする。もう自販機コーナーは近くには無い、店も少ない、どんどん遠ざかっていく。 nomがだいぶ前に何かの番組か雑誌のインタビューで言った「自販機コーナーは観光地になる」。 正に今そんな状況だよね。わざわざ自販機コーナー行くために遠くまで足を運ぶもんね。

    2017年は貴重な群馬の自販機コーナーが3つも減ってしまったけど、まだまだ頑張っている自販機コーナーは応援したい。nomも近々自販機コーナー巡りをしたいと思っています。

    87.2020年 世の中を暗くさせない技術

    2020.3.24

    今までは割と長めの文章を書いてきたけど、短くすることにします。

    まさかこんな年になるとは、誰も想像してなかったよね。何かが起こりそうなする気がしたから、平和なうちに楽しんでおくか、 と正月に旅行に行っておいた。わずか1か月後、ヤバイなぁという感じはしたけど、2か月後こんなにヒドイことになっていて、まだ終わりが見えていない。

    でもさ、コロナウィルス対策でテレワークという言葉がすっかり浸透して、今は政治の世界でも海外とのやり取りはテレビ会議。nomも勤務の半分くらいはテレワーク(家でも会社にいるのと同様の業務ができる)。 みんなこのピンチを乗り越えるために、技術はどんどん使って行こうという世の中になっているよね。 衝撃を受けたのは中国の突貫病院建設。10日間という期間もすごいけど5Gなど最新技術をバリバリ利用していて、実は人間はこんな素晴らしい技術を 持っているのだと(ただし、技術が素晴らしいだけね。初動をきちんとしてくれればこんなに広まらずに済んだはず。)

    もちろん終息しないと前に進めないとは思う。でも、2020年、世の中は後退しているのではなく、新しい技術を使うための方向転換をしているのだと思う。 子供の卒業式は、保護者は参加できなかったけどリアルタイム動画配信で実行してくれたので、その時を共有できた。世の中が暗くなっていても、新しい技術が明るく照らしてくれているはず。 nomは、ネットワークエンジニアとしても、自動販売機研究家としても、持っている技術はどんどん使って行きます。
    ということで、twitterアカウントも持っているのでたまに書き込みします。@24jihankiです。ヨロシク。

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