
【1km調査ファイル#17】晴海・勝どき|幻の万博から選手村、そして1万人の街へ
【読者指定】この調査ファイルの宛先
この記事は、次のどれかに当てはまる人に宛てて書いています。
勝どき駅を使う人、晴海トリトンスクエアやららテラス HARUMI FLAGによく行く人
晴海一〜五丁目、勝どき二〜四・六丁目に住んでいる人、住もうとしている人
豊洲(#10)や月島・勝どき(#18)と、駅から歩く晴海の暮らしをくらべている人
幻の万博や見本市会場、前川國男の晴海団地など、晴海の歴史が気になる人
HARUMI FLAGの中古を買うか、まず借りるかで迷っている人
調査範囲のマスにかかる住所は、次の11の町丁目です(マス内の面積が大きい順、無印は中央区)。
晴海二丁目/晴海四丁目/晴海五丁目/晴海三丁目/晴海一丁目/江東区豊洲六丁目/勝どき四丁目/勝どき二丁目/勝どき六丁目/勝どき三丁目/月島四丁目
境界にかかる町丁目は、一部だけがマスに入ります。町丁目ごとの主な施設は下の表のとおりです。


ヤドスケ:「豊洲駅前のマスから西へ1マス。運河を渡ると晴海の島で、万博、見本市、選手村と、昭和と令和の夢がつまってるんだ。」
調査ファイル第17号は、中央区の晴海・勝どきです。#10 豊洲・ららぽーと(5339-36-83)のすぐ西隣、#16 豊洲市場・晴海五丁目(5339-36-72)の北隣のマス「5339-36-82」を、100のトピックで掘り下げます。
万博予定地から見本市会場、選手村、そしてHARUMI FLAGへ。同じ土地が4つの顔を持ち、晴海五丁目は2024年からの2年あまりで1万人以上が暮らす街になりました。マスの中に駅はなく、北の端から約15m先に勝どき駅があります。地図、空中写真、統計、ハザードマップを並べて、この1kmを調べました。
最初の5トピックは無料で読めます。続きの95トピックは有料パートです。
01: 調査範囲:メッシュ「5339-36-82」とは:晴海の島をななめに切り取る、豊洲の西隣のマス
今回の現場は、メッシュ番号5339-36-82です。豊洲まわり3×3の中心マス(5339-36-83、豊洲)のすぐ西隣にあたります。地図で見ると、晴海の埋立島がマスの中を南西から北東へ、ななめに横切っています。
番号の読み方をおさらいします(総務省統計局)。
5339(1次・約80km四方):南端は北緯35度20分、西端は東経139度です。
36(2次・約10km四方):南から3番目、西から6番目の区画です(0から数えます)。
82(3次・約1km四方):南から8番目、西から2番目。豊洲の「83」の左隣です。
範囲は北緯35.65000〜35.65833度、東経139.7750〜139.7875度。南西の角は北緯35度39分・東経139度46分30秒です。南北約0.93km、東西約1.13kmで、面積は約1.05平方kmです。
マスの中には、晴海の歴史が積み重なっています。北側には2001年開業の晴海アイランド トリトンスクエア。西の端には、1959〜1996年の東京国際見本市会場の跡地があります。Wikipediaの座標(北緯35度39分6.1秒・東経139度46分35秒)は、マスの西端から約130m内側です。跡地には中央清掃工場(2001年)と、2024年開校の晴海西小・中学校(晴海5-3-5)が建ちました。国土地理院の住所検索では、HARUMI FLAGの北側の街区(晴海五丁目4・5番)もマスに入ります。
隣のマスは、北が月島・勝どき(5339-36-92)、東が豊洲(5339-36-83)、南が豊洲市場と晴海五丁目の南端(5339-36-72)、西が5339-36-81です。マスの南東側は晴海運河の広い水面で、晴海大橋が豊洲へ渡っています。
出典:総務省統計局「地域メッシュ統計の概要」、国土地理院 地理院地図・逆ジオコーダ・住所検索(2026年10月14日)、Wikipedia「東京国際見本市会場」「晴海アイランドトリトンスクエア」「HARUMI FLAG」「中央区立晴海西小学校」(筆者計算)





ヤドスケ:「豊洲のお隣は、島と運河が半分こ。万博、見本市、選手村…1つのマスに昭和と令和の夢が詰まってるよ。」

02: 住所で見るこのマス:晴海一〜五丁目と勝どき、水面の豊洲六丁目
このマスの住所は、ほとんどが東京都中央区晴海です。国土地理院の逆ジオコーダで40×40点を判定すると、面積比(推定)は晴海二丁目21.2%、晴海四丁目20.8%、晴海五丁目13.8%、晴海三丁目12.8%、晴海一丁目9.9%。晴海の5つの丁目で約79%を占めます。
残りは、朝潮運河の北側の勝どき(四丁目7.7%、二丁目3.9%、六丁目1.1%、三丁目0.4%)、月島四丁目0.1%、そして江東区の豊洲六丁目8.5%です。ただし豊洲六丁目の部分は、標高データが返らない点ばかりで、空中写真でもほぼ晴海運河の水面でした。水の上も、住所の判定では最寄りの町に割り振られます。
人の数は、中央区の町丁別集計(2026年10月1日)で見ます。晴海全体は29,473人・13,457世帯。2019年12月の16,843人から、7年足らずで約1.75倍です。
晴海五丁目:2024年1月1日の1,827人が、2026年10月には13,209人。HARUMI FLAGの入居(2024年1月〜)で約7.2倍になりました。
勝どき四丁目:2023年1月の1,790人が6,891人に。2023年8月竣工のパークタワー勝どき(南58階・中45階)の入居が重なります。
晴海四丁目:わずか135人。面積は大きいのに、住む人はほとんどいない丁目です。
町名ができたのは、晴海も勝どきも1965年4月1日の住居表示です。晴海の前身「晴海町」は1937年に一〜六丁目で生まれ、このとき一〜五丁目に組み直されました。郵便番号は晴海が104-0053、勝どきが104-0054。トリトンのオフィスタワーX・Y・Zには、フロアごとの郵便番号(104-60xx〜104-62xx)があります。
出典:国土地理院 逆ジオコーダ・標高API(2026年10月14日)、中央区「町丁目別世帯数男女別人口」(2019年12月〜2026年10月)、Wikipedia「晴海 (東京都中央区)」「勝どき」「晴海アイランドトリトンスクエア」、マンションマーケット(パークタワー勝どき)



ヤドスケ:「晴海五丁目は2年で7倍! でも四丁目は135人だけ。同じ晴海でも、住む町と働く町がくっきり分かれてるね。」

03: 空中写真で見る80年:がらんとした埋立地から、見本市のドーム、そしてタワーへ
国土地理院の年代別空中写真を、このマスの範囲で切り抜いて並べました。見えてくるのは「何度も中身を入れ替えてきた島」です。
1945〜50年:島には碁盤の目の道路が引かれていますが、建物はまばらです。倉庫のような細長い屋根が点々と並ぶだけ。朝潮運河の北の勝どき側は、家がぎっしり建っています。この時期、晴海は米軍に接収されていました。
1961〜69年:マスの南西に、丸い屋根の建物が現れます。1959年開場の東京国際見本市会場の東館(ドーム館)です。隣には大きな展示館が並び、南東の岸壁には船が着いています。北東の端には、平行に並ぶ住棟(1957〜58年竣工の晴海団地とみられます)と、貨物線の線路の束が見えます。島の中ほどは、まだ空き地が目立ちます。
1974〜78年:中ほどの空き地が埋まり、長い影を落とす中高層のビルが増えました。北東には赤い屋根の大きな倉庫と、線路の束が残っています。
1984〜86年・1988〜90年:景色は大きく変わりません。ただ1988〜90年の写真では、北東の線路の帯が薄くなっています。晴海線は1989年2月10日に廃止されました。
現在:ドームは消え、トリトンの高層棟とタワーマンションが並びます。南東の水面には、2006年開通の晴海大橋(橋長580m)が豊洲へ渡っています。
どの年代でも変わらないのは、マスの南東側が水面だということです。16×16点で標高を調べると、56点(約22%)はデータが返りませんでした。ほぼ晴海運河の水面です。
自分で見比べるなら、地理院地図の「空中写真・衛星画像」から年代を切り替えるのが手軽です。1931年の埋立完成から約95年。写真の上では、空き地→展示場→団地→タワーと、ほぼ20〜30年ごとに主役が交代しています。
出典:国土地理院 地理院タイル(ort_USA10・ort_old10・gazo1・gazo3・gazo4・ort)を筆者が切り抜いて判読(2026年10月14日)、国土地理院 標高API、Wikipedia「東京国際見本市会場」「晴海高層アパート」「東京都港湾局専用線」「晴海大橋」











ヤドスケ:「丸いドームが現れて、消えて、タワーが生えた。空から見ると、晴海は20年ごとに模様替えしてるんだ。」

04: 地名の由来:「いつも晴れた海」の晴海と、渡し舟から生まれた勝どき
このマスの地名は、どれも100年前には存在しませんでした。土地そのものが、まだ海だったからです。
晴海の土地は、1931年4月に「月島4号地」として完成しました。このまちアーカイブスによると、当初は「新月島」とも呼ばれました。正式な町名は1937年7月15日、地元住民などからの公募で「晴海町」に決まります(一〜六丁目)。由来は「いつも晴れた海を望む」という願いとされます。1965年4月1日の住居表示で、今の晴海一〜五丁目になりました。
同じ1937年7月には、運河の向こうの5号地が「豊洲」と名付けられています。こちらは「豊かな洲」として繁栄を願った名前です。晴れた海と、豊かな洲。番号で呼ばれていた埋立地に、同じ年、希望をこめた名前がそろって付きました。
北側の勝どきは、月島2号地(今の一〜四丁目)と3号地(五・六丁目)にまたがる町です。名前のもとは、1905年1月18日に有志が開いた「勝鬨の渡し」。日露戦争の旅順陥落を祝う記念でした。1940年にその場所へ勝鬨橋が架かり、1965年の住居表示で町名になります。「鬨」が当用漢字・常用漢字にないため、平仮名で「勝どき」と書きます。
さらに北の月島は、最初「築島」と名付けられ、のちに月島に改められました。築いた島が、月の島へ。湾岸の地名には、埋立の記憶を明るい言葉で包んだものが多いのです。
運河の名前にも由来があります。晴海と豊洲の間の晴海運河は、晴海通りの春海橋にちなみ「春海運河」とも呼ばれます。晴海と春海、読みは同じでも字が違うので、地図を見るときは注意が必要です。
出典:Wikipedia「晴海 (東京都中央区)」「勝どき」「勝鬨橋」「月島」「豊洲」「晴海運河」、三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 晴海」、江東区「江東区の地名由来」



ヤドスケ:「番号で呼ばれてた島に、晴れた海、豊かな洲って名前が付いたんだ。名付けた人たちの願いが聞こえるね。」

05: このマスいちばんの見どころ:万博予定地→見本市会場→選手村→HARUMI FLAG、同じ土地の4つの顔
このマスの西の端、晴海五丁目の一角。ここは日本でいちばん「大イベント」に振り回された土地かもしれません。
最初は1940年の万博です。皇紀2600年を記念する日本万国博覧会の主会場が、月島4号地(晴海)に予定されました。入場券(12枚綴り1冊10円)まで売り出されましたが、1938年7月15日に延期、事実上の中止が決まります。
戦後の1959年、ここに東京国際見本市会場が開きます。敷地205,137㎡、7つの展示館で展示面積56,121㎡。東京モーターショーは1959〜1987年、コミックマーケットも1981年から使いました。最盛期は年600万人超が訪れています。1996年、役目を有明の東京ビッグサイトに譲って閉場しました。
跡地の一部には2001年に中央清掃工場ができます。残りの土地には、2016年五輪招致でメインスタジアム計画が描かれましたが、落選で白紙に。そして2020年大会の選手村になりました。都の資料では宿泊棟21棟(14〜18階建て)、オリンピック時18,000ベッド、パラリンピック時8,000ベッド。大会は1年延期され、2021年7〜9月に開かれました。
大会後、宿泊棟は住宅に改修され、HARUMI FLAGになりました。全24棟・5,632戸、計画人口約12,000人。入居は2024年1月19日に始まり、50階建てのタワー2棟「SKY DUO」が2025年9月19日に入居を始めて全棟がそろいました。晴海五丁目の人口は、2024年1月の1,827人から2026年10月の13,209人へ。85年かけて、ようやく「人が暮らす場所」になったのです。
まずは晴海通りから清掃工場の177.5mの煙突を目印に歩いてみてください。入口付近には見本市会場の記念碑、南には選手村から生まれた街が広がります。詳しくはトピック13・16・17で掘り下げます。
出典:Wikipedia「紀元2600年記念日本万国博覧会」「東京国際見本市会場」「HARUMI FLAG」「中央清掃工場」、東京都オリンピック・パラリンピック準備局「選手村施設概要」、中央区「町丁目別世帯数男女別人口」



上:TBS NEWS DIG Powered by JNN「東京五輪の選手村跡地「HARUMI FLAG」(晴海フラッグ)誕生祝う記念式典 来秋にはタワマンが完成予定」(2024年のまちびらき式典の報道)
ヤドスケ:「万博は幻、見本市は引っ越し、選手村は2週間。85年かかって、やっと人が住む町になったんだね。」
