
【1km調査ファイル#18】月島・勝どき・佃|もんじゃの路地と、隅田川をまたぐ1km
【読者指定】この調査ファイルの宛先
この記事は、次のどれかに当てはまる人に宛てて書いています。
月島駅・勝どき駅を使う人、もんじゃストリートや隅田川テラスによく行く人
月島一〜四丁目、勝どき一〜四丁目、佃、晴海一丁目、明石町・築地に住んでいる人、住もうとしている人
豊洲(#10)や晴海(#17)と、都心に近い月島・勝どきの暮らしをくらべている人
佃島の漁師や勝鬨橋、築地居留地など、隅田川河口の歴史が好きな人
路地の街の古い部屋を借りるか、タワーを買うかで迷っている人
調査範囲のマスにかかる住所は、次の16の町丁目です(マス内の面積が大きい順、無印は中央区)。
月島三丁目/月島四丁目/晴海一丁目/月島一丁目/勝どき一丁目/月島二丁目/明石町/築地七丁目/佃二丁目/佃三丁目/勝どき二丁目/勝どき三丁目/築地六丁目/佃一丁目/晴海二丁目/勝どき四丁目
境界にかかる町丁目は、一部だけがマスに入ります。町丁目ごとの主な施設は下の表のとおりです。


ヤドスケ:「晴海のマスから北へ1マス。隅田川をまたいで、江戸の佃と明治の月島、もんじゃの路地とタワーが同じ1kmに入ってるんだ。」
調査ファイル第18号は、中央区の月島・勝どき・佃です。#17 晴海・勝どき(5339-36-82)のすぐ北隣、#11 越中島・豊洲一丁目(5339-36-93)の西隣、#10 豊洲・ららぽーと(5339-36-83)の北西の斜め隣にあたる、豊洲まわり3×3の最後のマス「5339-36-92」を、100のトピックで掘り下げます。
マスの半分は月島で、もんじゃ店が並ぶ西仲通りと、幅2.7mほどの路地が残ります。隅田川の対岸は明治の外国人居留地だった明石町、川には重要文化財の勝鬨橋。月島三丁目では、48階のタワーを含む再開発が進んでいます。地図、空中写真、統計、ハザードマップを並べて、この1kmを調べました。
最初の5トピックは無料で読めます。続きの95トピックは有料パートです。
01: 調査範囲:メッシュ「5339-36-92」とは(隅田川をまたぐ、豊洲まわり3×3の北西の角)
今回の現場は、メッシュ番号5339-36-92です。豊洲を中心にした3×3のマス(中心は5339-36-83)の北西の角にあたります。中心の豊洲から見ると、晴海と月島を越えた斜め上です。
番号の読み方です(総務省統計局)。
5339(1次メッシュ・約80km四方):南端は北緯35度20分、西端は東経139度。
36(2次メッシュ・約10km四方):南から3番目、西から6番目の区画(0から数えます)。
92(3次メッシュ・約1km四方):南から9番目、西から2番目。2次メッシュのいちばん北の段です。
範囲は北緯35.65833〜35.66667度、東経139.7750〜139.7875度。南北約0.93km、東西約1.13km、面積は約1.05平方kmです。
このマスは、隅田川が北東から南西へ斜めに横切るのが特徴です。川の東は月島一〜四丁目、勝どき一〜三丁目、佃二・三丁目、晴海一丁目。西は明石町と築地六・七丁目です。駅は、有楽町線と大江戸線の月島駅、大江戸線の勝どき駅があります。国勢調査の統計では、陸地はマスの79.0%で、残りの約2割は川と運河です。
中には、もんじゃ店が並ぶ月島西仲通り商店街、月島観音、中央区立月島図書館、5つの区立・都立の学校が入ります。一方、有名な建物の多くは「縁のすぐ外」です。勝鬨橋はマスの西端から約10m、聖路加国際病院は北端から約70m、佃の住吉神社は北へ約160m外れます(OpenStreetMapの位置から筆者計算)。
隣のマスは、東が5339-36-93(豊洲一丁目・越中島)、南が5339-36-82(晴海)、南東が中心の5339-36-83(豊洲)です。北の5339-46-02と西の5339-36-91は、3×3の外側に続きます。
出典:総務省統計局「地域メッシュ統計の概要」、国土地理院 逆ジオコーダ、総務省「国勢調査」小地域境界(2020年)、OpenStreetMap(筆者計算)





ヤドスケ:「川を1本またいだだけで、江戸の大名屋敷の跡と明治の埋立地が同じマスに入るんだ。今回は渡し舟気分でいくよ。」

02: 住所で見るこのマス:月島一〜四丁目を中心に、16の町丁目
このマスには、中央区の16の町丁目がかかります。国土地理院の逆ジオコーダで40×40の1,600地点を調べると、いちばん広いのは月島三丁目(15.9%)でした。続いて月島四丁目(12.0%)、晴海一丁目(11.6%)、月島一丁目(11.1%)、勝どき一丁目(9.3%)です。
大きく分けると、月島一〜四丁目だけでマスの約48%。勝どき一〜四丁目が約15%、晴海一・二丁目が約12%、佃一〜三丁目が約11%です。隅田川の西の明石町(6.0%)と築地六・七丁目(7.2%)は、合わせて約13%にとどまります。なお、この割合は川の上の点も近い町丁目に数えた推定です。2020年国勢調査の小地域境界で陸地だけを測ると、月島三丁目は11.4%、明石町は2.5%になります。
人が住む数も見てみます。中央区の町丁目別人口(2023年1月1日)では、月島一丁目5,910人、勝どき一丁目4,850人、月島三丁目4,180人、晴海一丁目4,144人、明石町3,687人、月島四丁目3,536人、築地七丁目3,374人、月島二丁目3,208人でした。佃二丁目は10,428人と多いのですが、大川端リバーシティ21のタワー群がある北側の大部分はマスの外です。
マス全体では、2020年の国勢調査で31,688人・16,886世帯。65歳以上は6,304人(19.9%)、15歳未満は4,101人(12.9%)でした。
住所の決まり方にも歴史があります。勝どきと晴海は1965年、築地は1966年7月1日、佃は1967年3月1日に住居表示が実施されました。学区も分かれます。月島三・四丁目は月島第一小、勝どき一丁目は月島第二小、月島二丁目と晴海一丁目は月島第三小、月島一丁目と佃は佃島小、明石町と築地七丁目は明石小です(2025年4月現在)。
出典:国土地理院 逆ジオコーダ(2026年10月14日取得、筆者集計)、中央区「町丁目別世帯数男女別人口」(2023年1月1日、Wikipedia各町記事経由)、総務省「国勢調査」(2020年)、Wikipedia「月島」「勝どき」「佃」「築地」「明石町」



ヤドスケ:「月島だけでマスの半分。でも人口のいちばん多い佃二丁目は、タワーごと北のマスに逃げちゃってたよ。」

03: 空中写真で見る80年:路地の島はそのまま、川岸と晴海一丁目にタワーが立った
国土地理院の地理院地図で、このマスの空中写真を5つの年代で見比べました。ズーム15のタイル4枚をつないで、マスの枠を重ねています。
1945〜1950年(米軍撮影)。月島の島には、細かい屋根がびっしり並んでいます。碁盤目の通りもはっきり見えます。晴海一丁目にあたる南東の角は、まだ空き地が目立ちます。隅田川に、今の佃大橋はありません。対岸の築地・明石町も家並みで埋まっています。Wikipedia(中央区の沿革図集による)では、月島地域は空襲の被害をほぼまぬがれました。写真の家並みは、その裏づけになります。
1961〜1969年。月島の家並みは同じです。南東の角には、日本住宅公団の晴海団地(1957〜58年)らしい大きな建物の列が現れます。
1974〜1978年。隅田川に佃大橋(1964年完成)が斜めに架かっています。マスのすぐ北の石川島には、まだ造船所の赤い屋根が並びます。
1987〜1990年。造船所の跡は更地になり、大川端リバーシティ21の工事が始まっています。月島の中は、まだ低い建物が中心です。
現在。南東の角には、2001年開業の晴海アイランドトリトンスクエアの高層ビルが並びます。勝どき駅の周りと月島一丁目にもタワーが立ちました。それでも、月島三・四丁目の中ほどには、細かい屋根の区画がまだ残っています。
人口の数字も、写真の変化と合っています。国勢調査で月島は1995年の9,777人から2020年の16,119人へ1.6倍。勝どきは8,570人から27,081人へ3.2倍になりました。
出典:国土地理院「地理院地図」空中写真(ort_USA10・ort_old10・gazo1・gazo4・seamlessphoto、筆者判読)、Wikipedia「晴海 (東京都中央区)」「佃大橋」「月島」「勝どき」(国勢調査)











ヤドスケ:「80年前の写真と今の写真、月島の路地の形がほとんど同じなんだ。タワーは縁から攻めてくるんだね。」

04: 地名の由来:築島から月島へ、渡しの名から勝どきへ
このマスの町名は、ほとんどが「土地をつくったいきさつ」から生まれました。中央区の町名由来のページなどで確かめます。
月島。明治20年(1887年)から始まった埋め立てでできた土地です。区は「東京湾内に月の岬という観月の名所があったことにちなみ、東京市参事会の決議で命名」と説明しています。一方、Wikipediaは、はじめ埋め立てにちなんで「築島(つきしま)」と名付け、のちに月島に改めたと書きます。2つの説明は、両方を並べて読むのがよさそうです。
勝どき。1940年完成の勝鬨橋にちなむ町名です。橋の名は、日露戦争の旅順陥落を記念した「勝鬨の碑」と「勝鬨の渡し」から来ているとされます。「鬨」が常用漢字にないので、町名は平仮名です。町名ができたのは1965年の住居表示のときでした。
佃。摂津国西成郡佃村(今の大阪市西淀川区)の名主・森孫右衛門に従って江戸に来た33人の漁師が築いた島なので「佃島」。1967年3月の住居表示で「佃」になりました。このとき区は「佃」が当用漢字にないとして、「津久田」「住江」「相生」などへの変更を考えました。地元の町内会や作家らの反対運動で、佃の字が残ったといいます。
明石町。播州明石の漁師が移り住んだから、とも、景色が明石浦に似ていたから、ともいわれます。築地は、明暦の大火(1657年)のあとに埋め立てられた「海岸に築いた土地」の意味です。Wikipediaによると、焼けた西本願寺(今の築地本願寺)の代わりの土地として、佃島の住人が造成しました。
晴海。1937年7月、京橋区議会が「いつも晴れた海を望む」という願いから「晴海町」と決めました。こうして並べると、漁師の故郷の名(佃・明石)、工事の名(築地・築島)、記念の名(勝鬨)、願いの名(晴海)がそろっています。
出典:中央区「町名由来 月島地区・佃地区・築地地区」(2023年1月18日掲載ほか)、Wikipedia「月島」「勝どき」「佃 (東京都中央区)」「築地」「晴海 (東京都中央区)」



ヤドスケ:「佃も明石も、漁師さんの故郷の名前なんだね。大阪と兵庫の地名が隅田川の両岸で向かい合ってるのが面白いよ。」

05: このマスいちばんの見どころ:もんじゃ店が並ぶ月島西仲通り商店街
このマスの主役は、月島駅7番出口を出てすぐの月島西仲通り商店街です。別名は「もんじゃストリート」。清澄通りから隅田川寄りに2本入った通りです。
お店の数は、資料によって違います。Wikipediaの「月島」は70軒以上、「もんじゃ焼き」の項は75店ほどと書いています。月島もんじゃ振興会協同組合のページには「約50店舗が加盟」とあります。振興会の店舗紹介ページを数えると、2026年10月14日時点で48店でした。加盟していない店もあるので、通り全体の数はこれより多くなります。
48店をのれん別に見ると、「おしお」が6店、「もんきち」「バンビ」「だるま」が3店ずつ、「近どう」「いろは」「麦」「まるた」が2店ずつでした。同じ名前の本店・2号店・西仲店が通りに散らばるのも、月島らしさです。
もんじゃが名物になったのは、意外に新しい話です。Wikipediaによると、もとは東京下町の駄菓子屋の鉄板で子どもが焼く食べ物でした。月島で歴史のある店は数店で、多くは1980年代後半の「もんじゃブーム」で他の商売から転業しました。きっかけの1つは、1988年6月8日の有楽町線開業です。銀座などへ買い物客が流れるなか、もんじゃ店だけが売り上げを伸ばしたといいます。
通りには、ほかにも見どころがあります。通り沿いの月島観音(月島三丁目)もマスの中です。二番街と三番街の交差点には、東京に残る交番で最も古い建物がありました。2007年3月31日で交番の役目を終え、翌日から「西仲通地域安全センター」になっています。
商店街のまわりでは、月島三丁目の北地区(約1,341戸)と南地区(約744戸)で再開発が進みます。路地の店とタワーがどう並ぶのか。それがこれからの月島の見どころでもあります。
出典:Wikipedia「月島」「もんじゃ焼き」、月島もんじゃ振興会協同組合「振興会のご案内」「もんじゃ店の紹介」(2026年10月14日閲覧、筆者集計)、東京都都市整備局「月島三丁目北地区・南地区第一種市街地再開発事業」(2025年10月31日更新)



ヤドスケ:「70軒、75店、約50店。数え方で答えが変わるのも、路地が入り組んだ月島らしいね。全部回るのは無理そう。」
