
酒の話、箸の話
先週末の難波での出来事だった。人生の先輩と会い、いろいろあってご馳走になった。その先輩は大変仕事の出来る方で、私より一回り近く歳上ではあるが、今なお現役で不動産業界で生きていらっしゃる。若い頃には旧都市銀行の子会社でその銀行での不動産取引のややこしい案件を一手に引き受けていらっしゃった方である。
小料理屋でよく磨かれた白木のカウンターに向かい、先輩はいきなり日本酒だった。グラスに注がれた酒を舐めるように美味そうに口にする。そして、一人よくしゃべる。今なお地方で大きな物流センターの誘致を行なっているそうで、そんな話は私を一昔前に引き戻し、いろんなことを思い出させた。
でもこの時の本題はこれじゃなかった。
「宮ちゃん、箸置きは左右どっちに置く」
こんな話が飛び出し、ずいぶん昔に読んだ内田百閒の話を思い出していた。変人の百閒は、一般的な作法とは逆で右に置き、箸を取ったというものだった。その方が一動作で右手に箸を取れるといった内容だったと思う。
私は大学で合気道部に入り、畳の上での稽古以外でも先輩方に多くの社会常識を仕込まれた。その中に酒の飲み方や目上への礼法もあった。部の公式な行事である納会などには大学教授の部長や師範をお招きし、上座に着いていただく。その際には格上の部長が左席、その右に師範の席が来る。そして酒の注ぎ方、飲み方までこまごまと教えられた。その中に箸の置き方もあった。箸置きを左に置き、箸先は左で持ち手は右になるといったものだった。
なんの疑問も持たずにそれを当たり前に思っていた私がその頃たまたま目にした随筆に、「合理的な百閒先生は箸置きを右に置き、一動作で箸を取ったが、その作者には実際に行なう勇気は無かった」と書いていたように記憶する。
内田百閒が言うことにも一理はあるが、左右には意味があり古来続く作法を便利さだけで変えることには私は疑問を感じた。
「ああ、この人やっぱり変わってるな」そう思いながら話を聞き続けたが、私の知らぬ先進の不動産業界の話を聞き、「やはりこの先輩は只者じゃないな」とも思い、自身がそんな業界からすっかり離れたことを感じたのである。
もうこの歳になって若い頃のように胃に物を詰め込むことはできなくなった。でも、たらふくご馳走になった。季節の肴である秋刀魚にサツマイモのかき揚げ、松茸の土瓶蒸しなど、翌日を考え、焼酎だけを飲み続けた。どれもが美味く、芋焼酎も美味かった。
先輩は一杯のグラスの日本酒を時間をかけて飲んでいらっしゃった。先輩の最後の肴はギンナン十粒ほどだった。
「あのギンナンはひょっとしたら御堂筋で拾ってきたやつだったんじゃないか」なんて考えながら、神無月十月とは思えぬぬるい夜風に頬を撫でられながら一人ふらふらと駅に向かった。