
夜明けの空vol.13 「障害受容」
毎週日曜日にこうやって昔を思い出しながら綴る。
ある方に、その時の日記を載せてるのですか?と
言われた。
いえ、書き下ろしです。
なので時々記憶がついてこなく、時系列も違うかもしれない。それでも思い出しながら少しずつ…
私は今まで一度も入院をしたことがなく、彼をはじめ父、母の人生の中で通院や手術の際、病院というものを共にする。
ママにはよく言われるのが、ひとりっ子の私は幼い頃から身体があまり強くなくて、病院通いばかりだった。
特に蕁麻疹には悩まされ、どこか旅行に行く度に疲れのせいか瞼や唇が腫れ上がり、良い写真がない。
「今の丈夫なのほんと嘘みたいね、でも身体だけはくれぐれも気をつけなさいよ」と。
彼の入院生活では1日がほぼ同じルーティン。
食堂で脳外科患者達と一斉に食べるという事に、食べ物が喉を通らないらしく、では奥様が介助してください、と看護士に言われ毎日早朝6時過ぎには病室に向かった。
誤解を恐れずに言うと、脳外科の患者の中には意思が通じない方もいる。食べ物を彼に投げたり、人の皿に手を伸ばして勝手に食べてたり、奇声を上げたり、スプーンで叩いたり、それは脳の病気によるものだとわかっていてもかなり辛かったらしく、SOSが出た。
滅多に根を上げない彼の気持ちを思うと、居た堪れなくなり、何か私ができることは、と言われた通りにやることで精神的に精一杯だった。
時々現実を見るのが嫌になるのだ。
看護士さん達は食堂でそれぞれの患者の介助でてんやわんやの中、病室で食べたい、という彼には付き添えない。手でまだ食べれない彼は、どんなにもどかしい事だったのだろう。
痒いところも掻けない、痛いところもさすれない、動かない手と足に計り知れない希望を持っていた時期。
感覚がほんの少し戻ってくる、足の親指が1ミリぴくっと動く、ミリ単位で変化があるだけでどんなに嬉しいことか…。
時々、主任の方に「障害をまだ受け入れてないですね」と言われることが、前向きに考えようとしていた心をえぐる。
は?受け入れる?待ってよ、まだ動くかもしれない挑戦してるんだけど、ついこの間まで歩いたり走ったり、美容師として髪切ってたんですけど?
まだ2ヶ月しか経ってないじゃない。諦めなさい、ということ?
はっきり言って、もうあなたは一生立てないなんて〝受け入れられる〟わけがない。
彼はいつかは立つために、とリハビリに専念した。
平日は午前中PT、午後からOTを1時間、またその後PT、と休む暇なく腕の力をつけるのに訓練を頑張っていた。(PT…理学療法士、OT…作業療法士)
トランスをするのに腕の力は必要不可欠だったから。5キロを手首に巻き上げ下げ150回したり、とにかくパワーをつけて腕で自分の身体を支えたりバランスを取ったり、一旦神経回路が中断してしまった、その先の回復を必死で試みた。
※トランスとは…介護や医療における「移乗(Transfer)する」を意味し、ベッドから車いすへ、車いすから車へ、トイレへと、トランスファーの略のこと
1996年12月20日(金)
訓練が終わり、告知の日だったらしい。(当時の日記)
彼を一方的に我儘扱いにしたので私が抗議したと書いてある。障害を受け入れない=我儘と単純に片付けてしまうその時の主任、そして主治医が図を書いて説明したと記されてた。
次の行で、若い私達の心の痛みを今の私は汲んであげたい。
〝私も彼も、わかったフリをした〟