
✐☡ 山口は誰も殺さなかった。#残されたメモ。
偉大な文豪・山口が急逝した。
遺品整理にあたった弟子の男は、書斎の引き出しの奥から 1 枚の手書きのメモを発見する。
そこには、震える筆跡で綴られた衝撃的な告白があった。
『 告白する。
私は人を殺した。
あの小説は、私の血塗られた業の、そのままの写し絵だ。
世間を欺き通せるほど、私は強くなかった。
この引き出しを覗く不埒な者よ、どうか私の愚行を嗤ってくれ 』
メモは公表され、世間は大騒ぎ。
山口の作品は、たちまち『 狂気のリアルを描いた最高傑作 』と神格化され、空前のブームを巻き起こす。
しかし、弟子の中に一抹の奇妙な違和感が芽生える。
『 …おかしい。
先生がこんな分かりやすい場所に、こんな書き置きを残すはずがない 』
引き出しを開けた時、一番に目がいく絶妙な場所。
そして、震える筆跡にみられる動揺とは相反する、世間の同情と好奇心を同時に煽る完璧な文体。
それはあまりにも「 読まれること 」を意識したものだったのだ。
不審に思った弟子は、メモに記された「 犯行日 」の山口の足取りを調べる。
当時の日記や、版元との打ち合わせ記録、汽車の領収書をひっくり返す。
『 この日、先生は東京にいた…
でも、作品の舞台は京都。
移動時間を考えても、物理的に犯行なんて不可能だ… 』
突き止めた決定的な証拠を前に、弟子は呆然と立ち尽くす。
山口は誰も殺していなかった。
『 人殺しなんて、嘘じゃないですか…! 』
誰もいない書斎で、弟子は生前の言葉を思い出す。
晩年、山口は、原稿に向かいながらよく不敵に笑っていた。
『 いいかい。
私の作品は、私の「 実際の死 」によって完結する。
この、人生と芸術が限界を超えて融合し、究極のリアリティへ到達した瞬間…
人々は、狂気的な美しさを感じてしまうのだ 』
そう。
すべては、死後もなお世間を騙し、踊らせ、自分を「 伝説 」にするための最大の虚構( フィクション )だったのだ。
『 先生、あなたって人は…
最期まで、僕らを読者にしておきたかったんですね… 』
手元にある偽りのメモを凝視しながら、弟子は呟いた。
騙された悔しさと、文豪としての圧倒的な業の深さに、ただ感嘆の溜息を漏らすしかない。
弟子はしばらく考え込んだ後、手元にあるアリバイの証拠を、書斎の暖炉へと放り込んだ。
赤々と燃える炎が、文豪の「 嘘 」を証明する唯一の真実を灰にしていく。
『 …わかりましたよ、先生 』
弟子は静かに微笑んだ。
もしこの事実を公表すれば、世間は山口を『 嘘つきの狂言者 』と嘲笑うだろう。
だが、このまま黙っていれば、永遠に『 狂気の天才 』として文学史に君臨し続ける。
『 僕がこの物語の、最初の「 読者 」で「 共犯者 」だ 』
弟子は山口の遺した偽りのメモを、再び引き出しの奥、今度は誰にも見つけられない深い闇へと仕舞い込んだ。
こうして、文豪が命を賭して仕掛けた生涯最後の最高傑作は、弟子の手によって完全な虚構( フィクション )として完成されたのだった。