
【消えたのはファイルではなく、そこに至るまでの思考だった】同期を取っていれば安心だと思っていた自分が、一番危なかったという話
データを失ったことがあります。
正確に言うと、失ったのは僕ではなく、僕が手伝っていた相手でした。
でも、その場に立ち会ったときの感覚は、いまでもはっきり残っています。
戻せません、と伝える瞬間の空気は、独特です。
相手は怒りません。
怒るより先に、何が起きたのかを理解しようとします。
そして理解したあとに、静かになる。
そのとき僕が思い知ったのは、消えたものの正体でした。
消えて痛いのはファイルそのものではなく、そこに至るまでに積み重ねた判断のほうでした。
同じ内容をもう一度作ればいい、という慰めは、実際には成立しません。
作り直せるのは形だけです。
なぜその項目を残したのか。
どの案を捨てて、なぜ捨てたのか。
どこで詰まって、どう抜けたのか。
その過程は、成果物の中には書かれていません。
そして、過程を失った人は、同じものを二度は作れません。