
私が「miotokyo」という名前で絵を描きはじめて銀座三越の個展で大成功に至った理由
はじめに
はじめまして。画家の大橋澪です。noteをはじめてみました。
今日は、活動開始して4年間で銀座三越で個展を開催し、銀座三越の方に「その年のトップ5に入るほどの売上を出した個展だった」と言ってもらえるほどいい結果を残せた話をしようと思います。

活動初期は「miotokyo」というアーティスト名でした。
この名前で絵を描き始め開業したのは2020年のこと。
それは、心が疲れ果てた頃に、ただ静かに描きたくて始めたものでした。
今では、作品は800点以上の空間に届き、モデルルーム、オフィス、個人邸宅など様々な場所で作品が飾られるように。
RIGNAなど都内の大きなインテリアショップでも作品を取り扱っていただいたり、六本木ヒルズのg keyakizakaでも個展やイベントに加えて、作品は常時展示。CUCINA・Cattelan Italiaなどインテリアショップでも独占的に取り扱ってくださったりと、自分でも「勢いがきているな」と感じるまでになりました。
その中でも、銀座三越の個展は思い出に残る、過去一番の個展でした。しかも売上は当初銀座三越と設定していた目標の2倍。これは、画家で食べていけるなんて想像もしていなかった私が、“理想の世界”を描き続けてきた軌跡です。

頑張り続けた優等生時代
私は、昔から「頑張り屋の優等生」と言われるような子どもでした。
小学校から高校までほぼずっと学年1位で、通知表はオール5。早稲田大学国際教養学部を卒業し、世界でもトップ校としてランクインするロンドン大学(University College London)への交換留学も経験しました。
その裏には「何者かにならなければいけない」という焦りと、「誰にも見せたことのない理想の世界」への静かな憧れがありました。
外で頑張った後に自宅の部屋にこもって一心不乱に描く抽象的な風景や色の組み合わせだけが、本当の自分を表していた気がします。

限界まで働いたコンサル時代
大学卒業後は、経営コンサルティング会社に新卒入社。
大手企業の役員とのプロジェクト、海外クライアントとの折衝、終電・徹夜は当たり前。
“誰かに認められる私”を手放すのが怖くて、限界を超えて働いていました。
あるとき、夫にふと言われました。
「澪が笑ってるの、最近見たことないよ。」
自分が自分じゃなくなっていくような感覚の中で、その言葉は胸に突き刺さりました。気づけばゾンビのように働き、心の感覚を失っていました。
労働時間が規定時間を超えて、ついに産業医に面談するよう勧められて、「働きすぎ」と言われて一度プロジェクトを外されることに。「役に立てなかった」と自分を責め、深く落ち込んだのを覚えています。
そんな時も、週末になると絵を描いて癒されていました。絵を描く時間だけは、誰にも点数も評価もつけられず、自分が心や感性と向き合う「聖域」でした。
そんな時、学生時代にインターンで働かせてもらっていたベンチャー企業からお誘いをいただき、転職を決意。最高のチームで仕事をさせていただき、少しずつ心と身体に元気とやる気、そして余裕が戻ってきました。

ピンチと転機
勢いに乗っていたのもつかの間、突然「ダイヤモンドプリンセス号で謎のウイルスが蔓延」というコロナ渦のニュースが流れ出し、仕事が1ヶ月間休業になりました。
そしてなんと私のお腹の中には新しい命が宿り、経験したことのないレベルのつわりが襲ってきました。(1日多い時は20回近く嘔吐し、吐血と飢餓状態で人生ではじめて入院もします)
外部環境の変化で仕事がなくなり、また自分の身体の変化で、(一時的に)社会生活までできなくなってしまった。
今まで仕事だけに生きてきた私にとってこの衝撃はあまりに大きく、大きなお腹を抱えてつわり、切迫流産、切迫早産とフルコンボで入院と自宅の絶対安静を繰り返す寝たきり生活の中で「これから何をすればいいのか」と途方に暮れました。

「miotokyo」という名前でInstagramを開設
2020年、寝たきり生活の中で、1ヶ月だけ安定期に自由に動ける時間がありました。そのタイミングで、今後仕事は①自宅でできること、②コロナ渦などの外部環境の変化に左右されづらいこと、を条件に、見直そうと決意しました。
YouTuberになるか、起業するか・・・など想像しましたが「アート」だけは身近すぎて、全く仕事になるなんて気づきませんでした。
そんな私をみていた夫が、「今まで熱心に絵を描いてきたんだから、インスタにでも載せてみたら?」と言葉をくれました。
そこで、今まで描き溜めて、誰にも見せたことがなかった画用紙の作品たちを公開する勇気を出して、Instagramを開設しました。
そこで寝たきりのまま携帯で撮影を開始。
本名を出すことに抵抗があり、miotokyoという名前で、作品を投稿し始めました。

そして10作品ぐらい投稿した時、「いいね」だけでなく、「この作品はいくらですか?」とコメントがついたのです。はじめて、私の絵を欲しいと思ってくれる人がいるのだと知りました。そこからだんだん自信を持って絵を投稿し始め、少しずつ小さなご縁がつながっていきました。
小さな積み重なりから広がった活動
投稿を続けるうちに、個人邸宅、モデルルーム、ホテル、オフィスなど、様々な空間に作品が飾られるようになりました。実はヒルトンのホテルのインテリアを担当する会社の方からご連絡をもらったり、CUCINA代官山ショールームの責任者の方に「ショールーム用に作品が欲しい」とご連絡をいただいたのもインスタグラムのDMでした。
コンサル経験と、インテリアにもともと興味をもって勉強していた経験を活かして、色味を調整したオーダー制作も始まり、販売した作品は800点を超えるまでになりました。(2025年5月時点)

「miotokyo」から「大橋澪」へ
2023年ごろ、活動が軌道に乗り始めて、ギャラリーとお取引が増えた頃、私はある決意をしました。それは、「miotokyo」ではなく、本名の「大橋澪」という自分の名前で行けるところまで勝負する、ということ。そう決めて、私は“miotokyo”を卒業し、本名である「大橋澪」として活動するようになりました。
miotokyoは、がむしゃらに努力しすぎた私が、本来の自分に戻れる場所でした。
でもある程度成果が残せたことで、やっと理想も、そうでないところも、ぜんぶ含めて「自分自身」なんだと受け入れられるようになったのです。

銀座三越での個展
2024年11月。私は銀座三越で、初の百貨店個展を開催しました。
この話が決まったのは、半年前。三越のバイヤーの方がInstagramを見てDMで連絡をくださり、アトリエに訪問いただいたその場で「グループ展ではなく、個展でやりましょう」とお声がけをいただいたのです。
展示は全70作品。そのうち44作品が売約となり、売上はなんと当初目標の2倍を超えました。
ショーウィンドウに飾った100号作品も含めて、本当に多くの作品をお迎えいただけました。
驚いたのは、購入者の95%が私のInstagramフォロワーだったこと。
作品の前で涙を流してくださる方もいて、私自身がもらい泣きしそうになる場面もありました。
三越の方からは「素晴らしすぎて言葉が見つかりません」との言葉までいただき、これまでの努力が報われたような感覚を初めて味わいました。



これからの展望と、届けたい想い
今後は、東京だけでなく全国で展示を行っていきたいと考えています。
作品を通して空間にやさしい変化を与え、その人の暮らしに心地よい余白をつくれるような存在でありたい。
私の作品は、これまで出会ってきた景色、感情、人の記憶、すべての美しいと感じたものの結晶です。
だからこそ、それが誰かの部屋に届き、日々目にする風景になったとき。
その人が自分の暮らしを少しでも好きになってくれること。
それが、私にとって最高の喜びです。
一つ一つの作品に丁寧に向き合い、これからも鑑賞者にそっと寄り添うような一生ものの作品を描き続けていきます。

作品の写真や活動歴が載せきれなかったので、よかったら公式サイトやインスタ覗いてみてもらえたら嬉しいです!
◆公式サイト
◆インスタフォローしてくれると喜びます!
@miotokyo_art