
日々の落ち込みは、気づきとして提供できる。
ここ数日、というか、9月になって一向に安定しない天気に、右往左往している。
幸い先日の台風25号での被害は、私の家には残っていない。
住んでいる区内で所々、倒木や冠水などはあったようだけど、家にいる限りは安全に過ごせていたのは、ありがたいことだとばかり思う。
こんな天気の中で落ち込む人も多いし、被害が甚大でどうしたらいいかという人もいるだろう。
まずそんな事態にお見舞い申し上げたいのと、私も戸惑っているので、上手いことを言えないことをお詫びしたい。
昨日9月22日の火曜日、関東は一転して台風一過。
かなりの晴天で私も体調がよく、夕方には涼しい風を感じながらちょっとした買い物やお片付けをした。
シルバーウィークの5連休後半として、とても過ごしやすかったように思う。
その翌日の今日、というか昨夜から。
とてつもなく落ち込んでいる。
そして今日の昼前から、関東にはしっとりとした雨が降っている。
昨夜は自分の気持ちが下向きになっていくのを時間経過で感じながら、愛用しているティーポットも洗えないままに寝た。
「たぶん天気予報通り、明日(つまり今日)は雨なんだろうな」、そう思いながら。
実際に今日は昼前の起床で、祝日休みの母にお昼ご飯のサラダうどんを作ってもらった。
嬉しいと思いつつも食後に淹れるコーヒーの香りがわからない。
作業部屋に戻って淹れたてのアイスカフェオレを飲みながら、ズンズンと落ち込み、一度声をあげて泣いた。
そもそもに、私には回復途中の統合失調症があるので、気分は揺れやすい。
安心していただきたいのは、今は軽快はしていない程度だが一旦落ち着いてこの文章を書けている。
土日の鼻風邪も残っているので、時々痰が出るのに対応しながら、明日には内科に通院する予定だ。
「天気でめちゃくちゃ落ち込む。」
それは確実に私たちのそばにある、現実なんだと思っている。
ここまできて、最近私が気にしながら発信していることのポイントについて、話したい。
ここ数ヶ月は、Xでも体調の揺れを投稿しながら「あなたはどうでしょうか、体調を崩していない?」みたいに締めるように気をつけている。
自分の体調の変化を、『自分事だけで終わらせない』というか、『日々の気づきとして提供できないか』に注視して、発言しようとしている。
もちろん、毎回それができるとは言えないし、表現がうまくいかない日もある。
それだけ気をつけていれば返信があるのか? という問いがあったとしても、自分自身期待しない通り、ほぼ返信はつかない。
それでいいと思う。
そして返信よりもいいねがつくこともあるが、つくことすらなくてもいいと思っている。
返信がないことは相手の時間を奪っていないということだし、いいねだけ返してもらえるのも嬉しい。
そしてもし、ポストが届いた相手が「あ、私の不調もそうかな」と一瞬でも思ってもらえている可能性があるなら。
それが1mmでもあったら、私が望むことである。
体感として、気圧や天気の変化で、急に体調や精神の具合に変化があるのは、大体わかるはずだ。
そこに『日々の気づきとしての提供』があるか否かで、「自分の変化に自責の念を増やさない」ことにも変化がある。
だから、少しばかりしみったれたポストではあるけど、しないよりずっとマシだと、そう思ったのだ。
一昨日の25号の大雨の時の、口が重い感覚も覚えている。
そのことについてもちょっとこぼしたけど、そのポストには静かにいいねを返してもらえていた。
そこにも書いたけど、私たちの創作や活動は、生きている限り止まっていないと言える。
ただ少し目の前の雨に口が塞がるだけ。
雨音を聞きながら、湿度に言葉が詰まっているだけ。
そこに対しての向き合い方は、未だ模索中ではある。
そんなに大袈裟なことでもないとも思うけど、どこかにちょっとした工夫をしたい、と思っている。
私たちの創作は、気づいた瞬間に動く。
それを『気づきの提供』として話せたら、誰かの“生きる”が楽になるだろう。
そんな日々は、無駄じゃないと感じるのだ。
2026年9月23日(水・祝) ミトシ 拝