
堀田さんの「塾」
20代半ば。
車屋で働いていた頃、かなりどギツい上司がいた。
仮に「堀田さん」としておく。
堀田さんは、とにかく強烈な人だった。
自分が中心にいないと気が済まない。
怒鳴る。
モノにあたる。
機嫌がコロコロ変わる。
自分の思い通りにいかないとキレ散らかす。
最初の頃は、怒鳴られること自体が怖かった。
自分が何を間違えたのかもよくわからないまま、とにかく怒られる。
車の知識もない。
接客もまだ未熟。
販売した後のトラブルもある。
とにかく常に堀田さんの顔色をうかがい、腫れ物が爆発しないことだけを願って仕事をしていた。
でも、堀田さんの本当にきついところは、怒鳴ることだけではなかった。
むしろ、後になって思い出すと、怒鳴られることよりも、終業後の長話の方がしんどかったかもしれない。
仕事が終わる。
そろそろ帰れる。
そう思った頃に、堀田さんが休憩スペースに座ってタバコを吸い始める。
その時点で、こちらはもう帰れない。
営業は基本的に同じタイミングで店を出るような空気があった。
だから、堀田さんがまだいるなら、こちらも帰りづらい。
そして、堀田さんの話が始まる。
仕事観。
人生観。
若い頃の話。
自分はこう考えている。
社会人はこうあるべきだ。
内容は、堀田さんにとってはきっと大事な話だったのだと思う。
本人としては「教えてあげている」感覚だったのかもしれない。
若い人に、自分の経験を伝えている。
そういう気持ちだったのだろう。
でも、こちらからすると、死ぬほどどうでもよかった。
こっちはただ帰りたい。
風呂に入りたい。
飯を食いたい。
寝たい。
明日もまた仕事だ。
しかも明日も堀田さんがいる。
ひどい時は、終業後に1時間以上、場合によっては2時間近く話を聞いていた気がする。
表面上は、私はかなりちゃんと聞いていたと思う。
「そうですね」
「なるほど」
「たしかに」
そんな感じで、共感している風を出していた。
実際には、心の中ではかなり削られていた。
でも、その場では逃げられない。
堀田さんの話を真正面から受けていた。
そんな車屋時代の後半、大田という同僚が来た。
(他店舗から移動になって来た。)
最初は少しいけすかない奴だと思っていた。
スカしている感じがあった。
でも、一緒に働くうちに、見てきたものがかなり近いことがわかった。
お笑い。
バラエティ。
K-1。
同世代の空気。
ある時から一気に打ち解けた。
大田は、私と違って堀田さんの扱いがうまかった。
私は堀田さんの態度を真正面から受けてしまう。
でも大田は、受けているようで受けていない。
ちゃんと接しているように見えるのに、ダメージを流している。
『ろくでなしBLUES』で、前田太尊がパンチを受ける瞬間に首をひねってダメージを逃がすような感じ。
大田は、堀田さんの言葉をそうやって受け流していた。
そしてある日の閉店間際。
堀田さんが休憩スペースから動く気配がない様子を見て、大田が言った。
「今日、塾かー」
堀田さんの終業後の長話を、大田は「塾」と呼んだ。
私はそれを聞いて、めちゃくちゃ笑った。
たしかに塾だった。
堀田さんの薄っぺらい人生観を強制的に聞かされる、終業後の塾。
授業料はもらえない。
むしろ時間と精神力を取られる。
でも、逃げられない。
その一言で、地獄が少しだけ笑いになった。
もちろん、苦痛がなくなったわけではない。
堀田さんの長話は相変わらずしんどい。
翌日が入庫の日なら、朝から機嫌が悪い可能性も高い。
休みの日の夜には、近所の小さな銭湯の薬湯に浸かりながら、「明日また地獄か」と思っていた。
でも、大田が来てから、地獄に名前がついた。
「塾」
たったそれだけで、少しだけ耐えやすくなった。
人間は、つらい環境から逃げられない時がある。
そんな時、救いになるのは、環境が劇的に変わることだけではないのかもしれない。
誰かが、その地獄に名前をつけてくれること。
一緒に笑ってくれること。
「あれ、きついよな」と言葉にしてくれること。
それだけで、地獄はほんの少しだけ、人間の手に戻ってくる。
堀田さんの「塾」は、今思い出してもかなりきつい。
でも同時に、大田がそれを「塾」と呼んだ瞬間だけは、今でも少し笑える。
たぶん私は、あの一言にかなり救われていた。