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本能寺の変1582 【重史163】 250516 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史163】 『信長公記』    250516

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 250516 

    【重史163】 ◎第11話 1~2/19          250516

    ①爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、

    ②御自筆にて、仰せ遣はさるゝ趣、

                          『信長公記』


     天正八年1580、八月**日。
                1580008**

     戦いが終われば、粛清が始まる。             →そ第7話⑦

      去る程に、新門跡(教如)、大坂渡し進(まい)らすべきの御請けなり。

     本願寺、退城。                     →そ第7話⑦

      天正八年、庚辰(かのえたつ)、
      八月二日、新門跡、大坂退出の次第。

     佐久間信盛は、大坂攻めの総指揮官だった。         【人物】

      御勅使、近衛殿・勧修寺殿・ 庭田殿。
      右の下使、荒屋善左衛門。

      信長公より相加へらるゝ御使、
      宮内卿法印(松井友閑)・佐久間右衛門(信盛)。

      大坂請取り申さるゝ御検使、矢部善七郎。

     「蛛の子をちらすが如く」 

      八月二日、未の刻(14時頃)、
      雑賀・淡路島より、数百艘の迎へ船をよせ、
      近年相拘(かか)へ侯端城の者を初めとして、
      右往左往に、縁々を心懸け、
      海上と陸と、蛛(くも)の子をちらすが如く、ちり々々に別れ侯。

     伽藍炎上。

      弥(いよいよ)、時刻到来して、たへ松の火に、西風来たりて、
      吹き懸け、
      余多の伽藍、一宇も残さず、夜日(よるひる)三日、
      黒雲となつて焼けぬ。
                          そ第7話⑦(『信長公記』)

     信盛の油断(落度)。
     警備上の問題、・・・・・。

      渡して後、やく(焼)る様に用意しけるか、
                     そ第7話⑦(「多聞院日記」八月五日条)

     信長は、誇り高い男。
     「一杯食わせられた」
     面白くない。
     腹が立った。
     なれど、忍耐。
     心の内に留めた。

     信長は、粛清の人。
     不意を衝く。
     恐ろしい男なのである。

     これが、戦国時代。
     当時の風潮。
     それ故、ここまで生き永らえた。

      八月十二日(十五日の誤り)、
      信長公、京より、宇治の橋を御覧じ、
      御舟にて、直ちに、大坂へ御成り。
                         【重史161】(『信長公記』)

     信長は、佐久間信盛を叱りつけた。
     激しい気性が滲み出ている。 

     その時の折檻状である (①~⑲) 。
     全十九ヶ条。
     長文である。

      爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、
      御自筆にて、仰せ遣はさるゝ趣、

     信長は、忍耐強い。
     そして、執念深い。
     長い間、我慢していた。
     鬱積していた感情が、ここで、一気に噴き出した。
     「この五年間」
     「佐久間父子は、怠慢だった」
     と、言い切った。
     織田家の宿老として、また指揮官として、「不適格」、との烙印を押した
     のである。

         覚

     1 一、父子、五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、
        世間の不審余儀なく、
        我々も思ひあたり、言葉にも述べがたき事。

     信盛は、そのことに気づかなかった。
     これすなわち、「油断」。

     信長は、信盛が手を抜いていると思っていた。

     しかし、信盛は、光秀・秀吉・勝家とは違うタイプの人物だった。
     波長が合わないのである。
     信長とは、全く異なる周波数の持ち主だった。

     信長は、待った。
     気づくことを期待して。
     なれど、・・・。

     そして、この日。
     ついに、堪忍袋の緒が切れた。
     不幸なことである。

     2 一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇(武辺)にも構へず、
        調儀・調略の道にも立ち入らず、

        たゞ、居城(いじろ)の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り候へば、
        彼の相手、長袖(坊主)の事に候間、
        行く々々は、信長威光を以て、退くべく候条、
        さて、遠慮を加へ候か。

     
    信盛は、あまりにも消極的すぎた。
     天王寺砦に立て籠もるばかり。
     「無為無策」
     何一つ、有効な手立てを講じなかった。

     今や、織田家は大組織。
     信盛は、その家臣団の頂点にいた。
     「己の立場を考えよ」
     そういう事、だろう。
     「示しがつかぬ」
     信長が激怒するのも、わかるような気がする。

        但し、武者道の儀、各別たるべし。

        か様の折節、勝ちまけを分別せしめ、一戦を遂ぐれば、
        信長のため、且つ父子のため、諸卒、苦労をも遁(のが)れ、
        誠に本意たるべきに、

        一篇に存じ詰むる事、分別もなく、未練疑ひなき事。
                               (『信長公記』)

     【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ 第10~15話  ◎小   小  
       ◎第10話① ◎小10①  第10話①   小 伽藍炎上
       ✓            第10話②   小 塙直政
       ◎第11話  ◎小11   第11話    小 折檻状①~⑥/⑲
       ◎第12話  ◎小12   第12話    小
       ◎第13話  ◎小13   第13話    小
       ◎第14話  ◎小14   第14話    小
       ◎第15話  ◎小15   第15話    小

     【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3粛清 の怖れ
       そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断         ◎11 11
       そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式 ◎11 11
       そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1     ◎11 11
       そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2     ◎11 11
       そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3     ◎11 11


     【引用】◎第11話 第11話



     ⇒ 次へつづく

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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