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本能寺の変1582 【 重史 011 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【 重史 011】「看聞日記」

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    →【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
    →その一因 目次 
    →見えてきたもの 目次 
    *加筆修正 

    【 重史 011 】 ◎第58話①

    万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ、        「看聞日記」

     足利義教 (1394~1441) は、苛烈な性格の持主だった。

       山門(比叡山)の事、是非の沙汰すべからざるの由、仰せらる、
       而(しかれど)も、
       煎物(せんじもの)商人(茶売り)、路頭に於いて、此の事申す間、
       召し捕る、
       忽(たちま)ち、首を刎ねらると云々、
       万人恐怖、言う莫(なか)れ、言う莫れ、
                    (「看聞日記」永享七年1435二月八日条)

        *「看聞日記」は、この時代を生きた伏見宮貞成親王の日記で
         ある。
         親王は、崇光天皇の孫。
         子が、後花園天皇。
         すなわち、同日記は、天皇の父によって書かれた記録である。
         末尾の一行。
         義教への恐怖感が伝わって来る。

       【参照】◎第56話② 室町幕府は、十五代、240年つづいた。



     ⇒ 次へつづく


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     「本能寺の変」
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    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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