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本能寺の変1582 その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑤ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑤ 

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    →【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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    *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
    *加筆修正 

    その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑤

     【参照】その一因 一、土佐の長宗我部
     【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
         ◎第50話⑤ ◎小50⑤ ◎P50⑤  通し 第50話

    長宗我部元親の夢は、潰えた。
     突然の、「停戦命令」。
     上意下達。
     問答無用。

    元親は、領土拡大主義者 (第50話①) 。
     永禄三年1560、父国親の死により、家督を引き継いでから二十年。
     元親は、ひたすら、この路線を突っ走って来た。
     それ故、今がある。
     「阿波の統一」は、あと一歩。
     「此の期に及んで」、という場面であった。
     元親、この時、四十二歳。
     正に、男盛り。
      
     これは、難題。
     厄介なことになって来た。

    予期せぬことでは、なかった。
     元親とて、戦国武将。
     「何れ」・・・・・。
     とは、思っていただろう。
     故に、それはいい。

    しかし、余りにも早すぎた。
     「まだ、先のこと」
     「それまでに」
     「四国一統」
     そう、考えていたものと思う (第50話①) 。

     しかし、早すぎた。
     元親は、大いに困惑した。
     如何に、・・・・・。

    元親は、これに反発した。
     そのために、多くの将兵を失った。
     命を賭して戦ってきた家臣らの手前もある。
     おいそれと、承諾するわけにはいかぬのである。
     これを、「意地」と言うのならば、そうであろう。

     しかし、元親には、「志」があり、「夢」があった。
     知力・気力・体力があり、実行力があった。
     そして、「武力」があり、何よりも、「若さ」がった。

     となれば、・・・・・。
     やはり、「欲」。
     力こそ正義。
     力=領土。
     すなわち、領土拡大「意欲」。
     これが、この時代。
     「戦国時代」、なのである。

     もう一度、言う (第50話①) 。
     元親は、「同じ穴の狢」。
     信長の同類である。
     執念深く、粘り強い。 

    全ては、想定通り。
     光秀は、そう、思っていた。
     それ故、ここまでは、良かった。
     問題は、この先である、・・・・・。

    光秀の説得交渉が始まった。
     石谷頼辰・斎藤利三兄弟がこれに当たった。

    最大のネック。
     土佐は、「遠い」。
     往来には、難渋をきわめた。
     この地理的要因が、交渉遅延の最大のネックになった。

    説得交渉の成否が意味するもの。

     ①交渉が成功すれば・・・・・。

      元親は、信長の、西国における、強力な味方。
      これにより、信長の、天下統一が大いに早まる。
      これすなわち、光秀の大手柄。
      光秀は、出来る男。

      明智の将来は、いよいよ、明るい。  

     ②交渉が失敗すれば、全く、その逆である。

      元親は、信長の、西国における、手強い敵。
      これにより、信長の、天下統一が大きく遅れる。
      
    すなわち、信長の、足を引っ張ることになる。
      となれば、光秀の失敗 → 失脚。
      光秀は、敵をつくった男=役に立たぬ男。

      「役に立たねば捨てられる」

      光秀に、粛清の怖れが生ずる。

      
    明智の将来は、きわめて、危うい。

    交渉は、遅々として進まず。
     光秀は、焦りつつも、粘り強く吉報を待った。
     元親ほどの人物、である。
     道理のわからぬはずはない。
     の、である。

     これが、~ 天正九年1581の夏頃まで。

     同九年、八月。
     光秀は、中国出陣を命じられた。
     だが、この時は、実際の出陣はなく、待機したのみ、で終わった。
     この様なことがあった。

     「有為転変は、世の習い」
     いつ、どこで、何が起きるのか。
     誰にも、わからない。

    信長は、光秀に、十分な時間を与えていた。
     信長が、光秀に、催促するようなことはなかった。
     光秀は、「失敗しない男」、なのである。 

    交渉は、暗礁に乗り上げた。
     すなわち、膠着状態。
     これが、天正九年1581の秋以降 ~ 。

     そして、同十年1582正月の、「最後の使者」派遣へとつづく。

     時代は、確実に、動いていた。



     ⇒ 次へつづく


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    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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