メインコンテンツへスキップ
見出し画像

本能寺の変1582 重要 ◎目次小 ◎001 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    重要 ◎目次小 ◎001 

    ←はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 
    ←重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 
    ← ①第1~5話 ②第6~10話 ③第11~15話 ④第16~20話 ←  
    【参照】◎第1話  第1話

    時代の風潮

      ◎今から441年前のこと*。
      ◎時代が変われば、風潮も変わる。
      ◎当時の風潮が光秀の決断に大きな影響を与えた。
      ◎光秀の性格・人格は、当時の風潮によって形成された。

    光秀の人物像

      ◎天正十年六月二日、未明。            『信長公記』
      ◎光秀は、己の心底を打ち明けた。         『信長公記』
      ◎「信長を討つ」                 『信長公記』
      ◎光秀は、出来る男。
      ◎信長の「隙」を狙っていた。
      ◎光秀は、用心深い。
      ◎実に、用意周到だった。
      ◎黙して、語らず。
      ◎最後の最後まで、秘密を明かさなかった。
      ◎世間の誰もがこのことに気づかなかった。
      ◎光秀は、「卑怯至極の表裏者」。
      ◎典型的な戦国武将だった。
      ◎光秀は、忍耐強く、粘り強い。
      ◎そして、実行力があった。
      ◎この日、この時、このタイミングを待っていた。
      ◎光秀は、中国攻めを取り止めた。         『信長公記』
      ◎老ノ坂を経て、山崎へ。             『信長公記』
      ◎光秀は、亀山を発った。             『信長公記』
      ◎光秀は、沓掛に到着した。            『信長公記』
      ◎そして、桂川へ。                『信長公記』
      ◎漸く、夜も明け方に罷りなり侯。         『信長公記』



     ⇒ 次へつづく 重要 ◎目次小 ◎002


    NEW!!

    目次 が更新されました。

    これで、全体像がよくわかる!!

    毎日更新!!

    原因・動機の究明は、この一歩から!!


    NEW!!

    重要 ◎目次 が更新されました。

    本能寺の変

    原因・動機は、この中にあり!!

    ご注目下さい!

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

    あなたへのおすすめ