メインコンテンツへスキップ
見出し画像

本能寺の変1582 【 重史 24 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【 重史 024】「春日文書」 

    ←はじめに ←目次 ←【 重要史料 】 【重史一覧】 ← 
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 目次中 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【 人物 】 
    *加筆修正 

    【 重史 024】◎第79話 ◎小79   第79話

    ①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、

    ②また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、

                           「春日文書」

     道三の国盗りは、父子二代にわたるものだった。
     六角承禎が証人である。
     以下、「春日文書」に、その来歴に関する記述がある。
     なお、同文書は、永禄三年1560、承禎が、家臣らに宛てて書いた
     ものである。 

     ①父新左衛門が基盤をつくった。
      前半は、父新左衛門に関する部分。
      法花坊主 → 西村 → 長井同名。
      長井氏を取り込んでいく様子である。

       一、彼の斎治(斎藤治部大輔義龍)身上の儀、

         祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落ちにて、西村と申し、
         長井弥二郎(長弘)の所へ罷り出で、
         濃州錯乱の砌(みぎり)、心はしをも仕り候て、
         次第にひいて候て、長井同名になり、

     ②道三が完成させた。
      後半は、道三について。
      長井 → 斎藤同名。
      法花坊主の子倅が、名実ともに、美濃の守護代斎藤氏と同格になった。 
     
         また、父左近大夫(道三)、代々惣領(長井氏)成るを討ち殺し、
         諸職を奪い取り、

         彼の者(道三)、斎藤同名に成りあか(上)り、

      道三は、目的のためには、手段を選ばぬ男だった。
      正に、下剋上の化身。
      そのもの、である。
      恐ろしい時代の、恐ろしい人物だった。

         剰(あまつさ)え、次郎殿(土岐頼純)を聟(むこ)に取り、
         彼が早世候て後、

         舎弟八郎殿へ申し合はせ、井口へ引き寄せ、
         事に左右をよせ、生害させ申し、

         其の外の兄弟衆、或いは毒害、或いは隠害にて、

         悉(ことごと)く、相果て候、

         其の因果歴然の事、
           (「春日文書」永禄三年七月二十一日付六角承禎条書第三条) 

     【引用】◎第72話 ◎第79話 第79話



     ⇒ 次へつづく

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

    あなたへのおすすめ