
琥珀色の向こう側 【本能寺の変】後編 天下の空白 (朝廷の決断・陣定)
ねねNene - The Mother of Samurai 第二幕
前置き
二条御所における明智光秀の謀反に対し、織田信忠が瞬時に下した「嫡男・三法師の退避」と「公家・皇族の保護と脱出支援」。
これは自らの死を前提とした判断であり、戦国武将としての冷静さと高度な政治センスが際立つ瞬間でした。
「事前の心得として、信長から信忠へ『いざという時は遺体を残すな。
敵に死に様を晒してはならぬ』という暗黙の美学・教育が共有されていた」という仮説に立つと、言葉を交わさずとも異なる場所で同時に二つの遺体が消えたことは、まさに「織田家トップとしての覚悟」を共有していた証と言えます。
遺体が消えたことで生じた「沈黙の恐怖」は、周囲の大名たち(細川藤孝・忠興父子や筒井順慶など)に極度の躊躇を与え、光秀の野望を挫きました。死してなお心理戦を指揮した信長・信忠親子の無言の遺言こそが、その後の歴史(秀吉の三法師擁立と天下統一)を大きく動かしたのです。
第1章 二条御所・織田信忠の気迫と気品
天正10年(1582年)6月2日朝。明智軍が二条御所を完全に包囲した際、織田信忠は御所内にいる皇太子・誠仁(さねひと)親王とそのお子様たちの命を救うため、自ら敵の陣頭(門前)へと進み出て、明智の兵たちに向かって大音声(だいおんじょう)で語りかけます。
「ここに居られる誠仁親王様、および若君方は、この織田の戦いとは一切関わりのない、恐れ多くも日の本の東宮(皇太子)であられる。
明智の諸軍、弓矢の道(武士のプライド)があるならば、この御車(牛車)の前に立ち塞がってはならぬ!
親王様の一行を、今すぐこの門から、一歩も遅れず無事に外へと通し奉れ!」
『信長公記』の著者・太田牛一の記録によれば、この信忠の威風堂々とした一喝を聞いた明智軍の武将や足軽たちは、その気迫と気品に圧倒されたという。
「若殿の仰る通りだ。恐れ多くも親王様のお命に万が一のことがあれば、我らは天下の逆賊となる」と動揺し、一斉に道を開けた。
信忠は、親王と小さなお子様たち(後の後陽成天皇ら)が牛車に乗って門を出ていくのを、じっと涼やかな目で見送った。
別れ際、親王が涙を流しながら「信忠、お前も来い!」と手を伸ばしたのに対し、信忠は静かに頭を下げ、
「お早くお逃げくだされ。織田の勘九郎、これより父上の仇を討つため、明智の者どもをここへ釘付けにいたします」
と言葉なき目配せを送ると、門を静かに、そして重々しく閉ざしたのである。
第2章 信長と朝廷 ——「次世代」への投資
当時、朝廷は戦火によって極度に困窮しており天皇が退位して新しい天皇にバトンタッチする「譲位の儀式」を執り行う資金すら残っていなかった。
そこに目をつけた信長は、破格の経済的戦略を朝廷に提示し、了承を取り付けていた。ボロボロだった正親町(おおぎまち)天皇の御所を修繕し、さらに誠仁親王のために、後に大雲院が建つことになるあの広大な「二条新御所」を織田家の資金で新築して寄進したのである。
信長は誓約していた。
「正親町天皇が退位し、誠仁親王様が新しい天皇に即位するためのすべての儀式費用は、すべて織田家が負担いたします」と。
正親町天皇は頑固であり、信長とは何度も政治的に対立していた。一方、息子の誠仁親王は信長を深く尊敬し、嫡男の信忠とも若い頃から親交の深い「同世代」であった。
信長は計算していたのだ。
「頑固な正親町天皇に引退していただき、我らの理解者である誠仁親王を新しい天皇に据える。そして、我が息子・信忠に織田の全権を譲る。そうすれば『誠仁親王(新天皇)× 織田信忠(新天下人)』という最強の若きコンビによって、この日本を新しく統治できる」と、目論んでいたのです。
だからこそ、本能寺の変の前夜(6月1日)、本能寺に信忠を呼び寄せて夜更けまで語り明かしたあの夜、二人の間では、この「経済支援と譲位」を巡る最後の会話が交わされていたはずです。
【本能寺の前夜:信長と信忠】
織田信長(天下の名物茶器でお茶を点て、信忠に差し出しながら):
「勘九郎。お前が武田を鮮やかに滅ぼしてくれたおかげで、ようやく日本中の関所が消え、我が織田の蔵には莫大な銀子が集まっておる。
この富を使い、いよいよ約束していた正親町天皇の譲位の儀式を執り行うぞ。
すでに二条に建ててやったお前の宿(二条新御所)には、誠仁親王様がおられるな」
織田信忠(背筋を伸ばし、お茶を一口飲んで):
「はい、父上。親王様も、生まれたばかりの若君方も、信長様からの手厚いご支援に心から感謝しておいでです。
『信長殿のおかげで、ようやく朝廷の千年の伝統が次の世代へ美しく引き継がれる』と仰せにございました」
織田信長(不敵に笑って):
「ふん、これで古い時代は終わりだ。
次の天皇にはお前の親友である誠仁親王様が座る。
そして、織田家の全権はお前が握る。
朝廷の権威と、お前の持つ冷徹な軍事が完全に噛み合ったとき、
この日の本からすべての不義理な戦が消え失せるのだ。
勘九郎、この莫大な金はただの賄賂ではない。未来の平和な日本を創るための、俺とお前、そして朝廷との究極の信義の絆なのだぞ」
第3章 明智光秀の進軍と二条御所の決死劇
天正10年(1582年)6月2日、早朝4時頃。
京都の街を包み込むのは、東山や北山の寺院から一斉に鳴り響く「暁の鐘」であった。
ゴーーーン……。
「暁の鐘」が、地響きのように低く、長く響き渡ります。
静寂の中に、薪のはぜる音、井戸端で水を汲む音など「人間が目覚める音」が混ざり始める時間帯。
「本能寺の変」の約2時間前。
月明かりもない暗闇の中を亀山城から進軍してきた明智軍1万3000の足音が、地響きとなって押し寄せた。
光秀の軍勢は、全長3㎞ほどの細くながい隊列で進む。
桂川を渡った光秀の軍勢は三手に分かれ、本隊は本能寺へ、別動隊は信忠の滞在する妙覚寺・二条御所へ、そして市内の逃げ道を塞ぐべく進軍していった。先頭の部隊が本能寺を取り囲み始めた時点でも、後方の部隊は続々と京都に流れ込んでいる最中だったと考えられます。
【二条御所:別れの時】
日は昇り、二条御所の外からは明智軍の勝ち鬨と、本能寺から立ち上る黒煙が空を覆っている。信忠の小姓たちが、親王一行を逃すための牛車を急ぎ準備していた。
親王の若君(泣きながら信忠の袖を引っ張って):
「信忠の兄上! 行っては嫌じゃ! あの恐ろしい兵たちが迫っておる。
兄上も一緒にこの車に乗って逃げましょうぞ!」
織田信忠(膝をつき、優しく若君の涙を拭って):
「……若君、泣いてはなりませぬ。織田の勘九郎、この京都の地を決して敵には渡さぬゆえ、何も恐れることはありませぬ。
あなたは未来の帝になられる大切なお命。
さあ、お父上の手をしっかり握ってお行きなさい」
誠仁親王(子供を抱き寄せ、唇を噛み締めながら):
「信忠殿……お前はまだ二十六の若さではないか!
明智の軍勢は一万を超えておる。
妙覚寺のわずかな手回りでは防ぎきれるはずがない!
誇りなど捨て、私と共に民に変装して長浜へ逃げよ!
信長殿を失った今、お前まで死んでしまえば、織田の国造りはここで終わってしまうのだぞ!」
織田信忠(静かに立ち上がり、微笑んで):
「親王様、まことに温かいお言葉、五臓六腑に染み渡ります。
……ですが、逃げるわけにはいかぬのです。
私が無様に逃げ回り、途中で雑兵に捕らえられて首を晒されれば、父上が命がけで築いた織田の『大義名分』が地に落ちます。
また、私が生きて逃げれば、光秀は京都の街を焼き払い、罪なき民を何万人も巻き添えにいたしましょう」
誠仁親王(声を震わせて):
「ならば……ここで骨を埋めるというのか」
織田信忠(刀の柄に手をかけ):
「はい。私がこの二条御所に立てこもり、明智の軍勢を半日間、力づくで釘付けにいたします。
時間を稼いでいる間に、親王様方は公家たちの奥深くへお隠れください。
そして……堺にいる徳川家康殿や備中にいる羽柴秀吉にこの急報が届くための『空白の時間』を、私はこの命に代えて創ってみせます。
……親王様、最後のお願いがございます」
誠仁親王(信忠の手を強く握りしめ):
「何だ、申してみよ!」
織田信忠(真っ直ぐに見つめ):
「光秀は必ずこの後、朝廷に『お墨付き』を求めて甘い言葉で縋ってまいります。
どうか、私が創るこの時間のなかで、周りの織田の家臣らがお袋様(ねね様)を救い、大返しで戻ってくるまで、光秀にだけは絶対に正式な天下人の位を出さずに時間を稼いでくださいませ。
織田の肉体はここで滅びようとも、私たちが目指した『民が健やかに暮らす不戦の世』という魂だけは、朝廷の千年の祈りによって、次の秀吉や家康殿へと、繋いでやってほしいのです」
誠仁親王(大粒の涙を流し、深く頷く):
「……約束する!
織田信忠、お前の命がけの十二時間、この誠仁、朝廷の意地と千年の智慧にかけて決して無駄にはせぬ!
光秀がどれほど現金を積もうとも、秀吉らが戻ってくるまで絶対に宣旨など出させはしない!
お前たちの創った未来の日本の背骨は、私が、我が子が、四百年先の未来まで一寸の狂いもなく祈って繋いでみせる!」
織田信忠(満足そうにニヤリと笑い):
「親王様、これよりここは血の海の戦場となります。
皇族の方々に矢が当たっては織田の末代までの恥。
今すぐ内裏へお逃げくだされ!
……これでもう、一分の悔いもございませぬ。さあ、お行きなさい!
——諸軍、親王様の一行を命に代えて送り届けるのだ!
明智の者どもに、織田の総大将の本物の戦さぶりを見せてやろうぞ!!」
誠仁親王が、子供たちを抱きかかえて牛車に飛び乗った直後、二条御所の門がガチャンと閉ざされた。
誠仁親王が、御所を出た瞬間、周囲を包囲していた明智軍の雑兵たちが、親王の乗った牛車(乗り物)にドタドタと群がり「中にいるのは誰だ! 信忠か! 姿を見せよ!」と、弓や槍を突きつけて中を覗き込むという、朝廷に対して前代未聞の無礼(暴挙)を働きました。
親王は、この恐怖と屈辱のなかを、信忠様の小姓たちが必死に明智の兵を押し返してくれたおかげで、間一髪で生きて内裏へと逃げ延びることができたのです。
数日後、光秀から「銀500枚」の寄進とともに手紙が届いた際、誠仁親王の様子を武家伝奏の勧修寺晴豊(かじゅうじはるとよ)は日記『晴豊記』にこう記している。
「親王様は、明智の度重なる非礼と、信長・信忠親子の非業の最期に対し、深くお心を痛められ、怨みと怒りを募らせておいでである」
誠仁親王にとって信長は頼もしい大恩人であり、信忠は「自らの身を盾にして自分たちを救ってくれた命の恩人」であった。
その二人を討ち取った明智光秀を許せるはずがなかった。
後に朝廷が出した「京都守護の御教書」は、光秀を油断させて時間を稼ぐための、苦肉の策(嘘のサイン)に過ぎなかったのである。
第4章 二条御所跡地と「大雲院」の建立
信忠が命がけで誠仁親王らを救った二条御所の跡地は、戦後、信長の側室であったお鍋の方らの願いと、朝廷の深い感謝によって「織田親子を供養するためのお寺(大雲院)」へと生まれ変わる。
後陽成天皇(誠仁親王の息子の若君)は、即位の夜に勧修寺晴豊へ静かに語りかけた。
後陽成天皇:
「晴豊……。私はあの天正十年の朝、二十六歳の信忠様が明智の大軍の前に仁王立ちになり、『親王様と若君方を無事通し奉れ!』
と一喝して私を救ってくれた声を、今も耳の奥で聴いている。
あのお方が二条御所で命に代えて十二時間を稼いでくれなければ、私は今、この王座には座っていない。
晴豊、あの二条御所の跡地を貞安上人へ払い下げ、信忠様の法号を冠した『大雲院』というお寺にしなさい。
世間は信長様を恐ろしい男と書くが、私にとっては織田親子こそがこの命と朝廷の伝統を救ってくれた真の守護神(信義の友)なのだ」
信忠の法号「大雲院殿」から名付けられたこの寺は、現代の京都では、ねね(高台院)の眠る高台寺・圓徳院のすぐ隣に移転し、まるで「お袋様、ただいま戻りました」と信忠が報告しているかのように、今も静かに寄り添って建っています。
ある日、圓徳院で、ねねは感謝の祈りを捧げながら呟くのだった。
ねね:
「明智殿がどれほど金銀を積んでも、お公家様方は眉一つ動かされなかった。けれど、我が身を盾にして親王様をお逃がしした信忠様のまごころを、朝廷は決して忘れなかったのですね。
二条の御所をそのままお寺にされ、毎日祈りを捧げてくださった。それを見たとき、ハッといたしました。
あぁ、これこそがこの国が守るべき『こころの権威』なのだと。
力で奪う天下など一時の幻。朝廷と共に歩み、民のために祈る存在になってこそ、豊臣の道はあるのだと気づかされたのです」
ここで、本能寺の変のあとの光秀の動きを追ってみます。
6月2日昼過ぎ、明智光秀は、大義名分と正当性を得るために、朝廷や公家への政治的工作を行い始めます。光秀は、朝廷へ使者を送り「京都の町や御所(皇室)の安全の保障」を伝えています。
6月5日、光秀は、信長様の本拠地である安土城へと軍勢を進め、安土城を無血占領しました。光秀はすぐに天守閣や金蔵(かねぐら)に乗り込み、信長様が日本中から集めていた莫大な金銀財宝や名物をすべて没収します。
6月7日の午前中(巳の刻=午前10時頃)、安土城の金蔵から運び出された銀子500枚(約80kgの重い箱)が、光秀の使番によって京都の吉田兼見の屋敷へと到着しました。
さて、信長が突然討たれたことで、朝廷は、これから京都の治安は守られるのか。新しい権力者は誰になるのか。戦乱が再び全国へ広がるのではないか。という不安があったはずです。
おそらく最も重視したのは「天下の秩序が崩れるかどうか」という点だったでしょう。この朝廷の様子(歴史の余白)を埋めてみましょう。平安時代から続く朝廷の大事なことを決める会議・陣定を描いてみます。
第5章 内裏「陣定(じんのさだめ)」と朝廷の冷徹な判断
天正10年6月上旬の夜。御所の奥深くで、正親町天皇、誠仁親王、近衛前久、九条兼孝、勧修寺晴豊が集まり、極秘の「陣定(会議)」が開かれていた。
天正十年六月上旬の夜。御所の奥深く、御簾(みす)に囲まれた一室。
行灯の微かな光のなか、正親町(おおぎまち)天皇、二条御所で傷だらけになりながら信忠に救い出された誠仁(さねひと)親王が上座に座る 。
その前に、公家界の筆頭・近衛前久、そして、完子(お市の方3姉妹の江の娘)の嫁ぎ先となる九条兼孝、そして外務奉行の勧修寺晴豊が、重苦しい表情で居並んでいる。
そこへ、公家の吉田兼見(よしだ かねみ:正四位下)が、光秀の使者として陣定めに入る。
近衛前久:
「正親町院、誠仁親王様。光秀の使者・吉田兼見が安土より戻りました。
光秀の主張は『信長が破壊した足利幕府を再興し、義昭公を京都にお迎えする。朝廷の社領も元通りにお返しする』とのこと。
さらに、安土から奪った銀五百枚を我ら公家衆への寄付として持ち込んでおります」
九条兼孝:
「足利幕府の復活と朝廷の復権……。
信長様の力による圧迫に比べれば、光秀の言う『古き良き日本の再生』は、我ら公家にとっては魅力的な甘い蜜にございます。
晴豊殿、今すぐ光秀を征夷大将軍に任命する宣旨の準備を始めるべきでは?」
勧修寺晴豊(激しく首を振って):
「いいえ! 天皇家が千年以上続いてきたのは、戦の強い武家に無闇に味方したからではありませぬ。
この国の民が健やかに暮らし、国が安寧に落ち着くこと。
その神仏の願いを、地上で代わりに祈り、体現してきたからだ。
信長殿の戦は苛烈であったが、あの男の創った財務(税)と商業・物流の仕組みのおかげで、日本中の関所が消え、民は飢えずに商売ができるようになり、ようやく平和な暮らしの兆しが見え始めていた 。
長浜にいる秀吉殿の正室(ねね様)もな、いつも『民が美味しいお粥をお腹いっぱい食べられる世こそが本物だ』と、常日頃から言われる。
それを、光秀殿はどうだ?
ただ『昔の幕府に戻す』と言うだけで、これからの日本をどう豊かにするかという、民のための具体的な策が何も聞こえてこぬ。
ただ過去を振り返るだけの男に、民の安寧を預けることなどできぬ」
正親町天皇:
「時代が動く時、朝廷が見極めねばならぬのは、その大将が民を慈しむ器を持っているかどうかじゃ。
光秀の足元を見よ。光秀の親友・細川藤孝すら髪を剃って引きこもり、筒井順慶も動かぬという。
身内すら見限っているのだ。さらに、長浜のねね様たちが無事に逃げ延び、中国地方から秀吉が鬼の形相で大返しをして戻っているという情報もある」
誠仁親王(涙を浮かべ):
「……晴豊の言う通りじゃ。
二条の御所が炎に包まれたとき、我が身代わりとなって『皇族の方々に矢が当たっては織田の恥、今すぐ内裏へお逃げくだされ!』と、傷だらけになって敵の中に突撃していった、あの二十六歳の信忠の凛とした姿が、今も目に焼き付いて離れぬ。
あの子が命をかけて遺したかったのは、光秀のような裏切り者の天下ではない。
信長様と共に語り明かした、古い身分を壊し、誰もが笑顔で商売ができる『新しい平和な日の本』のはずじゃ。
近衛前久(静かに):
「親王様、ごもっともにございます。
……しかし、朝廷が刀を持たずに生き残ってきたのは、どちらが勝っても言い訳ができる『両天秤(フェールセーフ)』をかけてきたからです。
光秀の指針がどれほど古かろうが、今、京都を包囲しているのは明智の一万三千の武力(現実)にございます。
もしここで私たちが『お前は逆賊だ、将軍などやらぬ』と突っぱねれば、狂った明智の兵どもは、今夜にでもこの内裏に火を放ち、我ら公家を一族もろとも皆殺しにするでしょう」
九条兼孝:
「では、光秀の味方をするのですか!?」
近衛前久(深く頷き):
「そうじゃ。
光秀がお墨付きに浮かれて京都で毛利や細川に手紙を書いている間に、備中からは、あの長浜のねね様に支えられた羽柴秀吉が、信長様の生存を引っ提げて、 備中大返しで戻ってくる。
秀吉が戻ってきて明智を討ち果たせば、私たちは『いや、あれは光秀に脅されて書かされた嘘のサインだ。本命は最初から、信忠様の直系である三法師様(織田、秀吉)じゃ!』と言って、勝った方に天下をあげれば良い。 逆に、もし光秀が秀吉を返り討ちにするほど強ければ、その時に初めて、本物の将軍の冠(ハード)を被せてやれば良い。
朝廷の方針は一つ。
民の安寧を願いつつも、前線でどちらが本物の『力と筋』を掴み取るか、その勝者が現れるまで、徹底的に時間を稼いで見極める。
これこそが、我が朝廷がこの乱世を生き抜くための、絶対の仕組みにございます」
正親町天皇(御簾の奥から、静かに、重みのある声を響かせて):
「……前久の言う通りにせよ。
光秀には嘘のサイン(お墨付き)を与えて油断させ、本物の将軍の宣下は引き延ばせ。
誠仁よ、悔しいだろうが、今は耐えよ。
私たちはこの内裏の奥から、崩御された信長・信忠親子の魂(誇り)が、 秀吉やねね、そして家康という、次の未来の主役たちによってどのように回収されていくか、静かに、じっと見極めることといたそう ──」
全員(床に深く額を擦り付け、声を揃えて):
「ははっ!! 仰せの通りに!!」会議は解散となり、晴豊は光秀を油断させるためのお墨付き(御教書)の筆を執るために、夜の回廊を急ぎ足で渡っていった。
誠仁親王は、二条御所の方角の夜空を見つめ、心の中で『秀吉、一刻も早く来い。信忠の仇を討ってくれ』と、激しい怒りと共に祈り続けていた
6月9日、光秀は朝廷から「京都の治安維持を一任する」という御教書を獲得し歓喜したが、それは朝廷が仕掛けた時間稼ぎの罠であった。
第6章 圓徳院にて ——「是非に及ばず」と「包装紙の包み直し」
1605年、京都・圓徳院の茶室。太田牛一、ねね、ややの3人が静かに回想している。
朝粥の温かさが体に馴染んだころ、太田牛一が、自分の書いた『信長公記』の「本能寺」の巻の原稿を、愛おしそうにめくった。
太田牛一:
「北政所様……本日、最後にあなた様とお話ししたかったのは、あの天正十年六月一日。信長様が本能寺で過ごされた最後の一日のことにございます。
あの日、信長様はご自身が博多の商人らから買い集めた『初花(はつはな)の茶入』や『九十九髪茄子(つくもなす)』といった、天下の至宝(名物茶器)三十余種類をずらりと本能寺の座敷に並べ、京都の公家衆や高僧たちを招いて、まことに華やかな『茶の湯』を開かれました」
ねね(目を細めて、懐かしそうに):
「ええ、牛一殿。そのお茶会のことは、大坂城にいた頃、後に公家の方々から何度も自慢げに聞かされましたわ。 信長様は、ただ宝を自慢したのではありますまい。
自分がこれほどの『美意識』の頂点にいることを公家たちに見せつけ、これからは暴力ではなく、茶の湯と文化で天下を治めるのだと、新しい時代の権威を披露されたのでしょうね」
太田牛一:
「まさにおっしゃる通りにございます。
そしてお茶会が終わり、公家たちが帰ったその夜……信長様は、妙覚寺に泊まっておられた嫡男の信忠(のぶただ)様を本能寺に呼び寄せ、親子二人きりで、夜更けまで酒を酌み交わし、語り合われたのです」
やや(少し身を乗り出して):
「信忠様……。
信長様の後を継がれた、まことに聡明で、家臣思いの素晴らしい若君でしたね。 あの夜、お二人は一体どんな昔話をされたのでしょう」
太田牛一(少し声を震わせながら):
「私は、あの夜にお側に控えていた女房衆から直接聞き出しました。 信長様はね、普段のあの厳しいお顔をすっかり緩め、若い頃に尾張の浅野邸で暴れていたうつけ時代の話を信忠様にされ、
『勘九郎(信忠)、俺の時代はもうすぐ終わる。毛利を切り従えたあとは、お前がこの新しい日本の形(仕組み)を動かしていくのだぞ。お前なら、俺以上の名君になれる』と、
優しく、本当に愛おしそうに、未来のバトンを息子に手渡しておられたそうでございます。
もし、信忠様が本能寺の変を生き延びておられたら、明智光秀は一瞬で討ち取られ、秀吉様の天下も、徳川様の幕府も誕生せず「信忠様による圧倒的に合理的で洗練された織田幕府」が誕生していたことは間違いないところです。」
ねね(胸を押さえ、涙を浮かべて):
「……あの、人を寄せ付けぬほど厳しかった信長様が、最期の夜に、信忠様にそんな優しい言葉を。
まるで、天が明日の悲劇を知っていて、親子の最後の逢瀬を創ってくれたかのようですね」
太田牛一(深く頷き、原稿を強く握りしめる):
「そして、運命の六月二日の早朝。明智の軍勢が一万三千の地響きを立てて本能寺を取り囲んだ。 鉄砲の音で目覚めた信長様は、小姓の森蘭丸が『明智の謀叛にございます』と告げたとき、激昂もされず、ただ静かに天を見上げて、こう呟かれたのです。
是非に及ばず(これ以上、あれこれ言っても仕方のないことだ)……と」
やや:
「是非に及ばず……」
太田牛一:
「男の意地も、欲も、言い訳も、すべてをあの一言で断ち切られた。 信長様はすぐに弓を手に取って戦われ、弦が切れると次は槍を振るって明智の兵を突き崩されました。しかし肘に傷を受け、もはやこれまでと悟ると、
『蘭丸、決して我が首を光秀に渡すな。火を放て』と言い残し、
あの天下の名物茶器たちと共に、本能寺の奥の部屋で、炎に包まれながら潔く腹を切られたのです。
光秀はその後、三日三晩、灰の中を捜索させましたが、信長様の遺体も、首も、欠片一つすら見つけることはできませんでした」
ねね(大粒の涙を流しながらも、満面の、誇らしげな笑顔で):
「……お見事です、信長様。
遺体を残さず、すべての宝と共に煙となって天へ昇っていかれた。
首を渡さなかったということは、信長様は明智光秀に、最後の最後まで『勝たせなかった』のです。
『俺の創った時代の仕組みは、お前のような裏切り者には1ミリも渡さない』という、主君の最後の、最高に美しい戦の勝利にございますね」
太田牛一(涙を拭い、居住まいを正して):
「北政所様。信長様が遺体を消してくださったからこそ、大返しの秀吉様は『信長様はまだどこかで生きている、明智を討て!』と全軍の士気を高め、あの奇跡の逆転劇を成し遂げることができたのです 。
信長様の最期の『是非もなし』という美学が、豊臣の天下への道を、後ろから完璧に切り拓いてくれた。私はそう確信しております」
ねね(窓の外の、清々しい京都の青空を見上げ、そっと両手を合わせる):
「前夜に最高のお茶会を開き、愛する息子と未来を語り、翌朝には『是非もなし』と全てを笑って受け入れて散っていく……。
牛一殿。これほど生々しく、これほど美しい男の引き際を、あなたの筆が遺してくれた。 だからこそ、私たちは今も、信長様のあのギラギラとした優しい眼差しを、この胸のなかに生かし続けることができるのです。 ありがとう、牛一殿。これで本当に、私の心の中の本能寺の霧が、綺麗に晴れました」
【秀吉による「包装紙の包み直し」】
山崎の戦いで光秀を討ち取った秀吉は、6月15日、吉田兼見の屋敷へ乗り込んだ。光秀が安土城から奪って公家側に寄進した「銀500枚」の存在を知っていた秀吉は、兼見に迫った。
秀吉は兼見の前にドスンと座ると、鋭い目でこう言いました。
「光秀が朝廷への忠誠の印として、安土城の金蔵から奪ってあなたに預けた銀子五百枚があるはずだ。あれは謀反人の汚い金である。今すぐ私の前に差し出しなさい」
兼見は肝を冷やしました。なぜなら、その銀子五百枚のうち、大半はすでに天皇(正親町天皇)や皇太子(誠仁親王)のもとへ納付してしまっており、兼見の手元にはもう残っていなかったからです。
兼見が「あれはすでに、帝のもとへ……」と震えながら答えると、
秀吉はニヤリと笑って、秀吉は、
兼見の手元に金がないと知るや否や、
「ならば、今すぐ帝のもとへ参り、あの金は光秀ではなく『この羽柴秀吉が光秀を成敗して、朝廷に改めて献上したものである』と、形を綺麗に書き直して(包装紙を変えて)報告せよ!」
とその場で「包み直しの知略」を命じたのです。
兼見はすぐさま御所へと走り、その日のうちに天皇にこの秀吉の意図を伝えました。
朝廷(正親町天皇)側も、秀吉のこの「包装紙の変え方」を瞬時に理解しました。
「光秀からの銀子五百枚」を一度、歴史から完全に消去し、「主君の仇を討った正義の羽柴秀吉からの公式な忠誠の献上品」へと、形を綺麗に書き換えたのです。これぞまさに、事前の打ち合わせなしで成立した、天才たちの「暗黙の了解」でした。
第7章 徳と仁の世へ
動乱が一段落し、気負う秀吉に対し、ねねは静かに戒めた。
秀吉:
「おね、見ておれよ。明智を討ち果たした今、次は織田の家臣どもを従え、この藤吉郎が天下の頂点、征夷大将軍にまで上り詰めてみせるわ!」
ねね様(秀吉を優しく、しかし真っ直ぐに見つめて):
「あなた……。明智殿のように、力だけで世を従え、朝廷を脅そうとしてはなりませぬ。征夷大将軍という『力』でねじ伏せる天下など、一時の幻にございます」
秀吉(戸惑って):
「力でなくて、どうやってこの乱世を収めるというのだ」
ねね様(凛とした面持ちで):
「信忠様が命がけで朝廷をお守りし、朝廷がそれに応えて大雲院を建ててくださった。あの絆をご覧なされ。これからの天下人に必要なのは、武力ではございませぬ。
人としての信義、人を動かす徳、そして民を慈しむ仁。
この『こころ』の三つを重んじる人になりなさい。
あなたが『力』ではなく『徳』で世を包み込む男になれば、朝廷も、そして日本中の民も、必ず心からあなたに寄り添います。
農民出身の私たちがまことの平和を残す道は、それ以外にございませぬ」
秀吉(ねねの言葉の重みに、深く感じ入って):
「……信義、徳、仁、か。
おね、お前はいつも、俺の目が届かぬ高いところを見ているな。
分かった。
俺は力だけの将軍にはならぬ。
お前の言う『こころ』で、この国を包んでみせるわ」
時代はやがて江戸へと移り、武力ではなく「儒教(朱子学)」による徳と心の秩序が重んじられる平和な時代へと引き継がれていく。その土壌は、あの本能寺の変の夜、信忠が遺した気高い覚悟と、ねねたちが繋いだ「信義と徳の心」によって、すでに芽吹いていた。
(本能寺の変の結びに)
ようやく天下が統一され民が安心して暮らせる世の中に近づいてきた矢先、本能寺の変は起こりました。
本能寺の後、明智光秀は安土城へ向かい強奪した銀子80kgを、朝廷に贈ります。朝廷は、明智をどう睨んだでしょうか?さて、諸将は、このとき何を考え。朝廷はどのように動くのでしょう。
民を支え、朝廷を支え、天下を支えるため必要なものはなんでしょう。
そして
このとき生まれた「天下の空白」は、歴史の中で、どんな役割を果たしたのでしょう
一瞬、時間が止まり、
「天下の信義と秩序が一瞬にして試された時」だったように感じます。
後編 (おわり)
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