
50代 譲れないものがみえるころ
50代になって、楽になってる。
私は50で、人生を大転換。
振り返ってみれば、若い頃からずっと、何かを手に入れようとしていたようとがんばってた。
あれが欲しい。
これも欲しい。
こんな暮らしがしたい。
こんな自分になりたい。
そうやって生きてきて、50。
欲しい欲しいと願ってきたもの
手に入れてきたもので
両手がいっぱいになる頃なのかもしれない。
でも、それで完成!
とはならなかった。笑
最近、stand.fm「恋するミトコンドリア」で、食べ物が私たちの體の材料になるお話をしました。
私たちの體は、食べたものを消化し、吸収し、それを材料にして、毎日自分自身を作り直しています。
古くなったものを壊し、新しいものを作る。
私たちの生命は、完成品ではないんです。
それにしても、不思議。
毎日毎日、新しく作り直しているんだから、ある日突然、女優さんみたいになってもよさそうなものなのに。
そうはならない。笑
小さな頃の面影をちゃんと残したまま、新陳代謝を繰り返している。
変わり続けているのに、ちゃんと私。
これって、生きることの大きなヒントじゃないかな。
私はフルボ酸を通して、自然界の循環にも目を向けるようになっている。
木々の葉が落ち、朽ちて、微生物によって分解されていく。
その過程で生まれるフルボ酸は、さまざまなミネラルと結びつき、自然界でのミネラルの移動や循環に関わっていく。
体の中でも必要なものを受け取り
そして、不要になったものを手放してる。
そんな生命の営みに、フルボ酸の働きを重ねてみると、なんだか人生にも通じるものを感じる。
振り返ってみると、これまでは、譲れるものと譲れないものの区別が、いまいちついていなかったように思う。
欲しい欲しいと願って、手に入れたもの。
その一つひとつが大切で、なかなか手放せなかったのかもしれない。
でも、50代になった今。
形あるものは、案外譲れるものばかりだなぁ、と思う。
一方で、どうしても譲れないものもある。
それは、形のないもの。
自分の中にある、譲れない何かをキュッと掴んで、形にしてみる。
そして、作った形をまた壊す。
壊して、作って。
作って、壊して。
その繰り返し。
私たちの生命だって同じ。
古くなったものを壊し、新しいものを作る。
それでも、ちゃんと私のまま。
だったら、人生だって完成はないのかも。
譲れないものは大切にしながら、形は何度だって変えていけばいい。
これまで積み重ねてきたものだって、次の私を作る材料になっていく。
50代。
今日も食べて、眠って、笑って、悩んで。
體も心も、少しずつ作り直されていく。
譲れないものがあるから、何度でも壊せる。
これからは、そんな作り直しを楽しんでいこうと思う。