
「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第一回●紫式部●〜
はじめまして。もりやまと申します。noteで何を書こうか迷っていた時、自分の原点と、現在の趣味が合致するものがいいのではないかと思いつきました。

原点と言えるものの一つは「百人一首」。小学3年頃夢中になって覚え、4年頃には「源氏物語」の虜となり、以後数々の古典を読み漁りました。「国文科に行って源氏の研究者になる!」と息巻いていたものの、中学以降ビートルズや洋楽に出会ってあっさり英文科に転向。
大学では英米文学や古英語・世界史・哲学・心理学などを専攻しましたが、歴史を俯瞰して見るという点で日本の古典を愛したことは良い経験となっています。
ここで取り上げていく和歌は、私の独断で順不同とさせていただきます。意味や解釈などをできるだけシンプルに、けれど個人的解釈や感想も含めて記したいと思います。一回一首。
また添付する写真はすべてもりやま個人の撮影です(無断転載不可)
写真がお好きな方は私のインスタグラム▶https://www.instagram.com/monica_e_mario25 を是非ご覧ください。

短歌や俳句は大人になった今もたしなむため、文末には歌に着想を得た自分の一首・一句を添えます。温かい目で読んで下されば幸いです。
さあ、懐かしくて新しい「百人一首」の世界へ参りましょう!
第一回を彩る和歌は紫式部(970年or973〜1014年頃)です。
先述の通り、子どもの頃の自分は源氏物語に熱中していました。が、当時は深い背景や登場人物たちの葛藤には気付けませんでした。ただ年を重ねるごとに全く見える景色が違うのも名作の証。源氏物語は、読み取れる内容が不思議と異なるように、読み手の年代によって巧みに散りばめられているような重厚な作品。長編作者として世界的評価も高い紫式部の歌とは・・・
巡り逢ひて 見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな
意味)久々に巡り会えたというのに、それが友達だったのか、貴方だったのかわからないうちに、まるで雲の中に隠れた夜中の月のように、貴方は隠れてしまいましたね。(何だったのだろう、少し悲しいわ…)
スマホ時代を生きる我々には考えられない歌でしょう。(昭和世代にはわかるかな)なんだただのすれ違いかな思うかもしれませんが、平安当時「巡り」は「月」の縁語でした。そのため相手が「月」とも「友達」とも解釈できる二重構造の歌になっています。さらに「雲隠れ」も「月」の縁語。
「新古今集」詞書に「七月十日のころ月の夜に帰ったときに」とあるように、これは事実に基づいた歌だと思われます。しかし!私は子どもの頃、この歌は男女のすれ違いを詠んだのだと勝手に思っていました…。月か恋か、なんだかミステリアスで大人っぽい歌だなと。
なお、ラストの「夜半(よわ)の月かな」は「月影」とする資料もあり、随分と雰囲気が変わります。「新古今集」「紫式部集」では「月影」としています。
どちらがお好きでしょうか。私は昔は「月影」派でした。今はどちらかと言うと「月かな」ですかね。かの白洲正子も確か「月かな」派でしたね。
「かな」には詠嘆と言うか、歌に余白が残り、読むものの想像力をさらに増幅させるような気が勝手にしているから。語尾一つでこんなにも表現の奥深さを感じられ、かつ現代を生きる私たちでも、聞いただけでシーンをイメージできる歌はあまりない気がします。さすがは紫式部です。

月影に 隠れしなどと言ふなかれ
君をこそ見て 今も恋しき
もりやま作。あえて月影を使いました。そして幼心に想った恋の解釈にしてみました。
意味)月影に隠れたなんて言わないで 私はちゃんと貴方を見たし、今も恋しく想っているのよ。(また会えたらいいな。会いたいな)
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!
次回もどうぞお楽しみに!
