
「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第三十二回●待賢門院堀河●〜
後朝(きぬぎぬ)の歌、初回は待賢門院堀河(生没年不詳)です。後朝とは、男女が一夜を共に過ごした翌朝の別れのこと。
男性は帰宅途中または帰宅してからすぐ女性に手紙と和歌を送るのがマナーで、遅いと女性は「気持ちが冷めた?」と不安に。今のLINEにも似た慣習です。
待賢門院堀河は女性を表すあるモチーフでその物思いの心を詠みました。
ながからむ 心も知らず 黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ

意味)貴方の愛が長続きするか分からない。この黒髪が乱れるように心も乱れて、今朝はあれこれ物思いに沈んでいます。
「黒髪の」が「乱れて」を導き、「乱れて」は黒髪と心の乱れ両方を意味。「ながからむ」は黒髪の縁語です。
今と違って女性からは滅多に会いに行けず、ただ相手の来訪を待つしかないのでは不安になって当然です。

象徴的なモチーフ・黒髪。当時の貴族女性の理想では、身長を超えるロングで1.5~2m以上が一般的でした。平均身長は140〜150cm。床に引きずる長さがステイタス。
ちなみに洗髪は年に数回が一般的で、洗うのは一日がかり。侍女たちが複数人で米の研ぎ汁などを使って洗い、乾かすのも、火鉢で炙ったり厨子に広げて干したりと膨大な手間がかかりました。
また日柄の良い日しか行えず9〜10月などの忌み月は避けました。その代わり日々椿油や香などで艶と香りを保つなど工夫しています。

さて待賢門院堀河は5代前が村上天皇にあたる村上源氏の女房で、中古・女房三十六歌仙の一人。この歌は崇徳院(第六回)に詠進された一首です。
はじめ白河院皇女に出仕し、後に鳥羽天皇中宮で崇徳院の母・待賢門院璋子の女房になりました。待賢門院が出家した際に共に出家し、仁和寺に住んだとされています。
あの西行とも親しく、二人の贈答歌が残っています。西行は17歳年上の待賢門院璋子を密かに慕っていたという説もあります。貴族たちは本当によく恋をしますね!
では最後にもりやま作を。
黒髪や 夜の契りを ほどきつつ
この朝影に 涙な添へそ

最後までお読みいただきありがとうございました。次回も後朝の歌を取り上げます。
第六回・崇徳院については下記の記事をご覧下さい⤵︎