
GWを、ずっと外側から見ていた
騒々しいGWが終わった。
無職になった今は、特に関係ないことだった。
どこも混み合っているGWに、当然出かけるつもりもなく。
だけど、久々に友達に会いたくてランチに行った。その後、アウトレットでぶらつく。
歩いていくうちに、人の多さにめまいがした。
(あれ、人ってこんなにいるんだ)とか思ってしまった。
今年は初めて、世間のGWムードを外から眺めていた。
休みに入る人には「よかったね」って思ったし、
休みが終わる人には「大変だね」って思った。
特に、休みが終わる人たちの嘆きを目にすると、「働けることの安心感を噛み締めた方がいい」
って気持ちになる。
とはいえ、働いていた頃の私にそれを言ったら、
「それはそうだけど、行きたくはない」って反論すると思う。
働いていた頃は休み明けが憂うつだったし、
無職になれば、所属してないことへの不安感がつのる。
どちらも、あまりいい気分でないことは変わらない。
私もなぜか、GW明けが憂うつになっている。
社会の歯車が段々と回り始めたから。
世間のお休みムードで一緒に休んだ気になれたけど、今になって“無職であること”の形がはっきりと浮かび上がってきた。
働いていた頃は「休み明けが嫌だ」と思っていた。
でも、外側に立ってみて、初めて“所属できている安心感”に支えられていたことに気づいた。
“外側から見た景色”があったからこそ、自分にとっての「働く」が、以前より少し違って見える。
ずっと外側から見ていた、今年のGW。
その景色は少し寂しかったけど、自分がこれからどう働きたいのか、考える時間にもなっていた。