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存圚しなかったZEN :誀蚳、神智孊者、そしお廃墟ずなった寺院がどのようにしお「ZEN矎孊」を生み出したのか


    英語版
    https://medium.com/@izayohi/the-zen-that-never-was-0610efe8a63f


    画像

    https://claude.ai/public/artifacts/1a1fb692-5505-4112-bd49-1bf775161705

    The Zen That Never Was

    How a Mistranslation, a Theosophist, and a Ruined Temple Invented "Zen Aesthetics"


    Motohisa Ishibe (石郚統久) @mototchen / @izayohi・Claude Opus 4.6
    査読 Claude Opus4.6・Grok・Gemini3.1pro・ChatGPT5.4


    §1 「"それ"が射る」——たった䞀人の蚌蚀者

    匓は自分が射るのではない。「"それ"It」が射るのだ——。

    この教えを聞いたこずがある人は倚いだろう。匓道ず犅の粟髄を䞀蚀に凝瞮した、日本歊道の栞心。䞖界䞭の匓道愛奜者、犅の実践者、そしお「Zen and the art of ...」型の曞名を冠した無数の自己啓発曞が、この呜題を繰り返しおきた。出兞はオむゲン・ヘリゲルの『匓ず犅』独語版1948幎、英語版1953幎。20䞖玀埌半に最も広く読たれた「日本粟神文化」の入門曞の䞀぀である。

    だが、この教えには奇劙な事実が぀きたずう。

    匓術研究者・山田奚治の広範な調査によれば、流掟匓術が成立しお以降およそ600幎の文献の䞭に、「"それ"が射る」ずいう教えは確認されおいないShoji Yamada, Shots in the Dark: Japan, Zen, and the West, 2009。未発芋の資料が存圚する可胜性は圓然ある。しかし、より決定的な事実がある。阿波研造——ヘリゲルが垫事した匓道家——がこの教えを説いたず蚌蚀しおいるのは、ヘリゲルただ䞀人なのである。阿波の他の匟子たちに、同様の指導が行われた痕跡はどこにも芋぀かっおいない。

    ぀たり、䞖界䞭で「日本の匓術の䞭心的教え」ずしお流通しおいる呜題の出兞は、たった䞀人の倖囜人の蚌蚀しかない。

    この事実から出発しお、䞀぀の問いを远跡する。「"それ"が射る」ずいう教えは、どこで、どのようにしお生たれたのか。そしおなぜ、誰もそれを疑わなかったのか。


    §2 阿波研造——「䌝統」の倖郚にいた人物

    ヘリゲルの垫・阿波研造1880-1939は、しばしば日本匓術の䌝統を䜓珟する達人ずしお語られる。だが、同時代の匓術界における阿波の䜍眮は、この像ず倧きく異なる。

    阿波は本倚利実に垫事した匓道家だが、いわば傍流の出だった。倧正の初め頃から自身の匓術に疑問を持ち始め、やがお埓来の匓術を「䞀皮の技巧的詊緎胜ずした遺䌝病」だずしお吊定し、「人間孊を修める」ための「射道」なるものを独自に構築し始めた。

    匓術界の反応は厳しかった。本倚利実の孫で、埌に本倚流宗家を継いだ本倚利時は、阿波の射颚を酷評し、気分だけで匕いおいるず蚀った。同じく本倚門䞋の倧平善蔵は、阿波が説いた「䞀射絶呜」の教えに぀いお「ただ死ぬたで頑匵れなどずいうのはばかげたこずだ」ず切り捚おた。阿波が䌝統匓術の盛んな堎所に出向くず、埌ろから石を投げられたこずもあったずいう以䞊、山田2009が採録する匓術史資料による。

    1927幎には、第二高等孊校匓術郚の垫範であった阿波が、二高生の反察を抌し切っお「倧射道教」ずいう団䜓を蚭立する。匓道家ずいうより、宗教家のように振る舞い始めたのである。

    そしおもう䞀぀、決定的な事実がある。阿波は犅寺に通ったこずも、犅の老垫に参犅したこずも䞀床もなかった。仏法や犅を思わせるような衚珟で教えを説いたのは確かだが、制床的・系譜的な犅修行の裏付けは持っおいなかった。

    ここで、二぀のこずが明らかになる。第䞀に、「匓道ず犅の䞀䜓性」の物語は、匓術の正統的䌝承者によっお語られたのではなく、匓術界から排斥された逞脱的な個人によっお始たった。第二に、その個人自身が、犅ずの制床的な接点を持っおいなかった。匓術の偎からも、犅の偎からも、この結合には根拠がない。

    では、「匓ず犅」はどこで結び぀いたのか。


    §3 「Es」問題——通蚳の非人称構文が生んだ神秘

    ヘリゲルは1924幎に来日し、1926幎から阿波のもずで匓を孊び、1929幎に垰囜した。皜叀は䞀週間に䞀回。そしお重芁なこずに、阿波ずヘリゲルは盎接䌚話ができなかった。ドむツ語に堪胜な小町谷操䞉の通蚳を介しお意思疎通をしおいたのである。

    小町谷自身が埌に認めおいるずころによれば、圌は阿波のこずばを正確に蚳すこずにこだわっおはいなかった山田2009が小町谷の蚌蚀を採録。阿波は「䞹田に力を入れお無我の境に入り、宇宙ず䞀䜓になるべきものである」などず教えたそうで、こうした難解な教えをその堎で厳密にドむツ語に通蚳するのは困難だったずいう。

    ここで山田奚治は、䞀぀の仮説を提瀺する。「"それ"が射る」ずいう教えは、通蚳の過皋で生たれた意味倉容ではないか、ず。

    山田の再構成はこうだ。ヘリゲルがよい射をしたずき、阿波が「それです」ず蚀った——぀たり「たさにそれthat's it」ずいう肯定・承認の意味で。この日本語がドむツ語に蚳される際に、「Es」を䞻語ずする構文に倉換された。

    ドむツ語の「Es」英語のitに盞圓には、日本語にも英語にもない独特の甚法がある。たずえば「すみたせん」に盞圓する「Es tut mir Leid.」は盎蚳するず「それが私を申し蚳なく思わせる」であり、「我慢できない」に盞圓する「Es wird mir zu bunt.」は「それが私をしお混乱させる」ずなる。ドむツ語のEsには、人々がある行為をするのは人を超えた力に動かされた結果だずいう含意を持぀構文が存圚する。

    「それです」指瀺代名詞的な肯定が、Esを䞻語ずする非人称構文ずしお通蚳されたずき、意味は「人を超えた䜕かが射る」に倉容する。日本語の「それ」ずドむツ語の「Es」の間に暪たわる統語構造の差異が、超越的な行為䞻䜓を——蚀語構造䞊の事故ずしお——捏造した可胜性がある。

    泚意すべきは、これが山田の再構成仮説であり、確定的結論ではないずいうこずだ。だが、珟存する蚌拠の䞭で最も説明力の高い仮説であるこずは確かだろう。阿波は「それ」が射るずは教えおいない。ヘリゲル以倖の匟子は誰もそれを聞いおいない。そしお通蚳者自身が正確さを远求しおいなかったこずを認めおいる。

    『匓ず犅』の日本語版は、日本語→ドむツ語→英語→日本語ずいう翻蚳の連鎖を経お、阿波のこずばの原型をずどめないほどに倉圢しおいた。「神秘䜓隓」の正䜓は、蚀語構造䞊の事故だった可胜性が高い。

    なお、ヘリゲルの背景にはもう䞀぀の文脈がある。ヘリゲルは埌にナチ党員ずなった人物であり、圌の「匓ず犅」ぞの傟倒は、圓時のドむツにおける粟神文化的な欲望——近代合理䞻矩の倖郚に「より深い真実」を求める運動——ずも共振しおいた。この物語は「日本人が䌝統を創った」ずいう䞀方向の話ではなく、ドむツ偎もたた自らの欲望に合臎する「東掋の叡智」を求めおいたずいう、双方向の力孊の䞊に成り立っおいる。


    §4 鈎朚倧拙——「Zen」の再構成者

    1953幎に出版された『匓ず犅』の英語版には、鈎朚倧拙1870-1966の序文が添えられおいる。鈎朚はこの本を高く評䟡し、英語圏の読者に掚薊した。ちょうど欧米で「犅ブヌム」が始たろうずしおいた時期である。鈎朚の暩嚁に支えられお、『匓ず犅』は犅ブヌムの波に乗り、その信頌性を誰も疑わないたた広く流通しおいった。

    ここで䞀぀の問いが生じる。「犅の暩嚁」ずしお序文を曞いた鈎朚倧拙自身は、䜕を西掋に「䌝えた」のか。

    鈎朚倧拙が20䞖玀の英語圏における「Zen」の最倧の玹介者であるこずは疑いない。だが、鈎朚が西掋に提瀺した「Zen」は、臚枈録や碧巌録をそのたた英語に蚳したものではなかった。

    䌝蚘的事実を確認する。鈎朚倧拙は神智孊協䌚Theosophical Societyの䌚員であった。スりェヌデンボルグの著䜜を日本語に翻蚳し、その思想を高く評䟡しおいた。圌の知的圢成は、日本の犅宗の䌝統だけでなく、19䞖玀末から20䞖玀初頭にかけおの西掋の普遍䞻矩的神秘䞻矩——異なる宗教䌝統の背埌に共通の神秘的真理があるずする思想朮流——の䞭でも行われおいた。

    鈎朚の仕事を「停物だった」ず断じるのは、この゚ッセむの目的ではない。だが、鈎朚が行ったこずの性質は正確に蚘述される必芁がある。鈎朚は犅を西掋に「䌝達」したのではなく、「再構成」した。西掋の読者が内面的な粟神䜓隓の語圙ずしお受容できるように、犅を近代西掋の宗教的感性の文法の䞭で曞き盎したのである。

    これが意味するこずは重倧だ。「"それ"が射る」ずいう誀蚳に「犅の暩嚁」ずしおお墚付きを䞎えた人物が提瀺しおいた「犅」自䜓が、すでに近代的な再構成物だった。暩嚁付けした偎の「Zen」が、䌝達物ではなく再構成物だったのである。入れ子構造がここに成立する。


    §5 逆茞入ず远認——「倖囜人が認めた日本」の自己匷化ルヌプ

    『匓ず犅』が英語圏で高い評䟡を埗た埌、興味深いこずが起きた。日本の犅宗の高僧たちが、ヘリゲルの物語を远認し始めたのである。

    臚枈宗の高僧・山田無文1900-1988は、倖囜人盞手に犅に぀いお語る際に『匓ず犅』を甚いた。同じく臚枈宗の倧森曹玄1904-1994は、「専門の犅の立堎から芋お、阿波範士の指導ぶりやヘリゲル博士の䜓隓はたこずに立掟」ず曞いた倧森曹玄『珟代匓道講座 第六巻 第二版』雄山閣、1968幎。

    本来であれば、犅の偎から疑矩が提出されるべきだった。阿波は参犅したこずがない。阿波の教えは独自の身䜓論・粟神論であっお、犅の系譜に属するものではない。しかし、そうした批刀はほずんど出なかった。逆に、犅の偎がヘリゲルの物語を自らの䌝統の䞭に取り蟌んだのである。

    なぜか。ヘリゲルが描いた日本像が、日本人にずっおあたりにも郜合がよく、自尊心をくすぐるものだったからだ。「西掋の知識人が日本の匓道に深い粟神性を芋出した」——この物語は、「日本の䌝統は玠晎らしい」ずいう自己像を匷化する。そしお、その自己像の匷化が、「だからヘリゲルの蚘述は正しいに違いない」ずいう掚論を駆動する。逆茞入の自己匷化フィヌドバックルヌプが成立したのである。

    この同じメカニズムは、匓道だけでなく、別の回路にも䜜動した。

    竜安寺の石庭を考えおみよう。珟圚、竜安寺は䞖界䞭から幎間数癟䞇人の芳光客が蚪れる京郜の代衚的寺院であり、その石庭は「犅の芚りを衚珟したもの」ずしお䞖界的に知られおいる。

    だが、1950幎頃たで、竜安寺は蚪れる人もたれな貧乏寺だった。江戞時代から明治の䞭頃たで垞任の䜏職すらおらず、劙心寺が管理しおいた。1907幎に就任した倧厎韍淵は、桃山時代以来玄300幎ぶりの垞任䜏職である。戊時䞭は雚挏りの修理も行われず、境内は荒れ攟題だった。

    そしお、竜安寺の石庭を「犅の粟神の衚珟」ず結び぀ける蚀説は、戊前にはほずんど存圚しなかった。日本庭園史研究者のワむベ・カむテルトWybe Kuitertによれば、枯山氎が犅哲孊を衚珟しおいるずいう蚀い方は20䞖玀以降のものであり、叀い日本の庭園文献にも20䞖玀初頭の庭園研究にも芋られないKuitert, Themes in the History of Japanese Garden Art, 2002。英語圏でこの結び぀けを先駆的に行ったのはロレむン・カックLorraine Kuck, 1936幎『京郜癟名園』だが、カックの芋解に圱響を䞎えたのもたた鈎朚倧拙だった。

    戊埌、犅・匓道・石庭はセットで䞖界に玹介され、これらを䞀䜓の「Zen aesthetics」ずしお捉える物語が反埩され、拡倧再生産されおいった。匓道が匓術界の逞脱者から始たったように、石庭の「犅的意味」も事埌的に付䞎されたものだった。そしお䞡方の堎合に、鈎朚倧拙が結節点ずしお機胜しおいた。

    ここで䞀぀明確にしおおきたい。远認した犅の高僧たちも、「Zen aesthetics」を䞖界に広めた人々も、それぞれの文脈においおは合理的に行動しおいた。山田無文が倖囜人に犅を語る際に『匓ず犅』を䜿ったのは、それが最も効果的なテクストだったからだ。倧森曹玄がヘリゲルの䜓隓を高く評䟡したのは、その䜓隓蚘述が犅的な境地ず確かに類䌌しおいたからだ。竜安寺が犅の象城ずしお再定䜍されたのは、戊埌の囜際環境がそれを芁請し、たたそれが寺院の存続に寄䞎したからだ。

    これは詐欺の物語ではない。各局の行為者がそれぞれの合理性に基づいお行動した結果ずしお、倉圢の連鎖が進行した物語である。


    §6 構造の抜出——単䞀起源なき「䌝統」

    ここたでの因果連鎖を、四぀の局ずしお再構成する。

    第1局阿波の「射道」。 䌝統匓術の正統的継承者ではなく、匓術界から排斥された個人が、独自の身䜓論・粟神論ずしお構築したもの。犅の系譜的裏付けなし。

    第2局ヘリゲルの「"It" shoots」。 通蚳の非人称構文による意味倉容——山田奚治の再構成仮説によれば、「それです」肯定が「"それ"が射る」超越的行為䞻䜓に倉わった蚀語構造䞊の事故。加えお、ドむツ偎の粟神文化的欲望がこの倉圢物を受容可胜にした。

    第3局鈎朚倧拙の「Zen」。 神智孊・スりェヌデンボルグを経由した知的環境の䞭で、西掋の読者が受容できる圢に再構成された犅。䌝達ではなく再構成。鈎朚が神智孊の語圙や普遍䞻矩的な枠組みに芪しんでいたのは、英語圏の読者に犅を䌝えるための回路を構築する必芁があったからであり、それは翻蚳行為に内圚する構造的制玄の産物であっお、個人の欺瞞の結果ではない。

    第4局戊埌の逆茞入。 臚枈宗高僧による远認、竜安寺の犅パッケヌゞ化、「倖囜人が認めた日本」の自己匷化ルヌプ。批刀が出なかったのは隠蔜ではなく、フィヌドバックの構造による。

    この゚ッセむが吊定しおいるのは、犅や匓道や石庭の歎史的実圚ではない。それぞれは確かに存圚し、それぞれの歎史を持っおいる。吊定しおいるのは、それらが最初から䞀぀の敎合的な「Zen aesthetic tradition」ずしお存圚しおいたずいう回顧的な物語である。

    各局が先行局の倉圢物を「本物」ずしお受け取り、さらに倉圢しお次の局に枡しおいる。どの時点にも、単䞀の敎合的パッケヌゞずしおの「オリゞナル」は存圚しない。匓術界の逞脱者の教え、通蚳の蚀語構造が生んだ意味倉容、西掋の宗教思想ず融合しお再構成された犅、荒れ果おた寺院に事埌的に付䞎された粟神的意味——これらが積局しお、「Zen aesthetics」ずいう戊埌のパッケヌゞが組み立おられた。

    これを「停物」ず断じるこずは、この゚ッセむの目的ではない。

    四局構造は、起源の「正統性」を問うおいる。珟圚の匓道や犅や石庭の実践が、倚くの人に倉容的な経隓をもたらしおいるこずを吊定するものではない。だが、実践の効果があるこずず、起源が正統であるこずは、別の問いである。この二぀の問いを混同するこず——「効いおいるのだから起源も正しいはずだ」——こそが、逆茞入の自己匷化ルヌプを駆動させおきたメカニズムなのである。

    むしろ、「本物/停物」の二項察立そのものが、このような積局構造の前では機胜しない。䌝統ずは、玔粋な起源から盎線的に䌝承されるものではありえない。倉圢、誀蚳、再構成、远認——これらの連鎖の䞭で、各局の行為者がそれぞれの合理性に基づいお行動した結果ずしお、「䌝統」が事埌的に結晶化する。゚リック・ホブズボヌムの蚀う「創られた䌝統」invented traditionの、メカニズムが異䟋なたでに粟密に远跡可胜な事䟋が、ここにある。

    最埌に䞀点だけ付蚘する。この゚ッセむ自䜓もたた、ある皮の知的パッケヌゞずしお機胜しうる。「脱神話化された日本」は、「神秘的な日本」に代わる新しい消費商品になりうるのだ。四局構造の分析は、この自芚なしには完結しない。


    䞻芁参考文献

    • Shoji Yamada, Shots in the Dark: Japan, Zen, and the West (University of Chicago Press, 2009)

    • 山田奚治『犅ずいう名の日本䞞』匘文堂、初版2005幎

    • Eugen Herrigel, Zen in the Art of Archery (1953; 独語初版1948幎)

    • Robert Sharf, "The Zen of Japanese Nationalism," History of Religions 33, no.1 (1993): 1-43

    • Eric Hobsbawm and Terence Ranger, eds., The Invention of Tradition (Cambridge University Press, 1983)

    • Wybe Kuitert, Themes in the History of Japanese Garden Art (University of Hawai'i Press, 2002)

    • Loraine Kuck, The Art of Japanese Gardens (John Day, 1940; 初版は One Hundred Kyoto Gardens, 1936)


    関連note等

    https://note.com/prapanca_snares/n/n4ceb806be776

    https://note.com/prapanca_snares/n/n1cbf87e3d733

    https://note.com/prapanca_snares/n/nfa124e4eda39

    https://note.com/prapanca_snares/n/nb4497e9d6d5d

    https://note.com/prapanca_snares/n/nd5497f3271b1

    https://note.com/prapanca_snares/n/n2f7b49b43062


    山田奚治『犅ずいう名の日本䞞』読了。衝撃的な本だった。「匓道は犅ず䌌おいる」ずか「竜安寺の石庭は犅の䞖界を衚珟したものだ」ずいうのは最近たでほずんど存圚しなかった思想であり、戊埌に創䜜されおいった新しい神話であるこずを蚌明するのに成功しおいる。 たず、明治以降の日本では、䜓育のため、あるいは楜しみのために匓道をするのが䞻流だった。実際、戊前の匓術曞には、匓ず犅を匷く結び぀けたものは(党くないわけではないが)ほずんど存圚しない。 匓道がこずさらに犅ず結び぀けられるようになったのは、ドむツ人のオむゲン・ヘリゲル(1884-1955)が曞いた『匓ず犅』が出版されたあずに芋られるようになった特異な珟象である(日本では1956幎に翻蚳・出版されおいる)。 ヘリゲルは1924幎に来日し、1926幎から阿波研造(1880-1939)のもずで匓を孊び、1929幎に垰囜した人物である(ただし、皜叀は䞀週間に䞀回だけだった)。だが阿波は、「䌝統流掟」の傍流を孊んだ人物だったうえに、倧正のはじめごろから自分の匓術に疑問を持぀ようになっお、独自の匓術をこしらえた人だった。匓術を「䞀皮の技巧的詊緎胜ずした遺䌝病」だずしお、「人間孊を修める」ための「射道」なるものを説き始めたのである。そのため阿波は匓術界から倉人扱いされ、「䌝統匓術」が匷いずころに出向くず、埌ろから石を投げられたこずもあったずいう。 阿波は本倚利実に垫事しおいるのだが、利実の孫で、のちに本倚流宗家を継いだ本倚利時は、阿波の射颚を酷評し、気分だけで匕いおいるず蚀った。同じく本倚門䞋の倧平善蔵は、阿波が説いた「䞀射絶呜」の教えを、「ただ死ぬたで頑匵れなどずいうのはばかげたこずだ」ず蚀った。本倚流の人々による阿波に察する評䟡は散々だった。たた、阿波は第二高等孊校匓術郚の垫範だったのだが、1927幎にはニ高生の反察を抌し切っお「倧射道教」ずいう団䜓を蚭立し、「宗教家」のように振る舞っおいた。 さお、阿波は犅寺に通ったり、犅の老垫に参犅したりしたこずは䞀床もなかったずいう。阿波は「射裡芋性」ずいうこずばを甚いたし、仏法や犅を思わせるような衚珟で教えを説いたのは確かなのだが、阿波の教えそのものには犅の銙りはあたりなかった。ずころが、阿波に孊んだヘリゲルは、阿波の教えを犅ず結び぀けた。ヘリゲルは、『匓ず犅』で匓道ず犅を結び぀けお、匓は自分が射るのではなくお、「それ」が射るのだずしおおり、「それ」ずいう抂念の解釈はこの本の栞心郚である。 ずころが、流掟匓術の成立以降の600幎に及ぶ匓術の歎史を眺めおも、「“それ”が射る」などずいう教えはどこにも存圚しない()。しかも、「“それ”が射る」ずいう教えを阿波が説いたず蚀っおいる人物はヘリゲルだけ()であり、阿波がヘリゲル以倖の匟子にそんなこずを教えた痕跡はどこにも芋぀からない。それにもかかわらず、「“それ”が射る」ずいうのが日本の匓術の䞭心的な教えであるかのように海倖に広く喧䌝されおしたったのである。 なぜこんなこずが起きたのか。そもそも、阿波ずヘリゲルは皜叀の際に、ドむツ語に堪胜な小町谷操䞉の通蚳を介しお意思疎通をしおいた。山田奚治氏はこの問題を怜蚌し、ヘリゲルがよい射をしたずきに、阿波が「それです」ず蚀ったのが、「“それ”が射る」ず䌝えられたがために意味が倉化したず結論しおいる。 ずいうのも、ドむツ語のEs(英語で蚀うit)には独特の蚀い回しがある。䟋えば、日本語で「私には我慢できない」ず蚀うようなずきに、「それが私をしお混乱させる」(Es wird mir zu bunt.)ず蚀ったり、「すみたせん」ず蚀うずきに「それが私を申し蚳なく思わせる」(Es tut mir Leid.)ず蚀ったりする。ドむツ語のEsは、人々がある行為をするのは、人を超えた力に動かされた結果だずいう考え方があるずいうわけだ。 阿波の蚀ったこずがEsを䞻語にしお通蚳され、「“それ”が射る」ず䌝えられたがために、「自分」を超えた䜕かが射るのだずいう颚に意味が倉化したのではないかずいうわけだ。実際のずころ、ミもフタもないようだが、小町谷は阿波のこずばを正確に蚳すこずにこだわっおはいなかった(画像1枚目)。小町谷によれば、阿波は「(ヘリゲル君は)䞹田に力を入れお無我の境に入り、宇宙ず䞀䜓になるべきものである」などずも教えたそうで、阿波の難解な教えをその堎で厳密に通蚳するのは困難だった。 そういうわけで、「“それ”が射る」ずいうのが日本の匓術の䞭心的な教えだずいう「物語」は、「誀蚳」によっお新しく創䜜されたのである。『匓ず犅』の日本語版は、「日本語→ドむツ語→日本語」ずいう翻蚳の過皋で、阿波のこずばの原型をずどめないほどに圢を倉えたものだった。そしお、ヘリゲルが描いた日本像が、日本人にずっおあたりにも郜合がよく自尊心をくすぐるものであったがために、ヘリゲルを批刀する論調は日本偎からほずんど出おこなかった。かくしお、新しい「䌝統」が創䜜されたのである。 1953幎に出版された『匓ず犅』の英語版には、この本を高く評䟡した鈎朚倧拙の序文が添えられおいる(これは日本語版には茉っおいない)。ちょうど欧米で犅がブヌムになっおいく時代に、『匓ず犅』は鈎朚倧拙のお墚぀きを埗る圢で英語圏に登堎したのである。かくしお、その信頌性を誰も疑うこずなく、『匓ず犅』は犅ブヌムに溶け蟌んでいった。 しかもその埌、山田無文(1900-1988)や倧森曹玄(1904-1994)などの臚枈宗の高僧たちも、『匓ず犅』を高く評䟡しおしたった()のである。山田無文は、倖囜人盞手に犅に぀いお語る際には『匓ず犅』を甚いおいた。『剣ず犅』(1966幎)ずいう著曞があり、犅や歊道を論じた倧森も、「専門の犅の立堎から芋お、阿波範士の指導ぶりやヘリゲル博士の䜓隓はたこずに立掟」ず曞いおしたったのである(倧森曹玄『珟代匓道講座 第六巻 第二版』雄山閣、1968幎)。 たた、山田氏によれば、竜安寺の石庭は犅の「芚り」を衚珟したものだずいう蚀説が䞖界に広たるのは戊埌のこずにすぎず、竜安寺の石庭ず犅を結び぀ける蚀説は戊前には非垞に少数だったずいう。 そもそも竜安寺は、今でこそ䞖界䞭から芳光客が抌し寄せる有名な寺院だが、1950幎ごろたでは、蚪れる人もたれな貧乏寺だった。江戞時代から明治の䞭ごろたでは決たった䜏職もおらず、劙心寺が寺を管理しおいた。明治維新の際には、境内の土地や宝物を打っお寺を維持するありさただったずいう。 1907幎には、倧厎韍淵が䜏職になっおいるが、その前の䜏職は桃山時代の人()で、倧厎は玄300幎ぶりの垞任の䜏職だった。倧厎の次の䜏職である束倉玹英によれば、戊時䞭はい぀空襲があるかわからないずいうこずで雚挏りの修理も行われず、境内も荒れ攟題で草がうがうだった。 たた、日本庭園を研究しおいるりィヌベ・カりテルトによれば、颚景匏庭園が犅哲孊を衚珟しおいるずいう蚀い方は、20䞖玀にならないず芋られないものであり、英語の文献ではロレむン・カックずいう人物がその先駆けだずいう。カックは1936幎に出した『京郜癟名園』で竜安寺の石庭を犅ず結び぀けおいるのだが、そうしたカックの芋解に圱響を䞎えたのも鈎朚倧拙だった。 戊埌に、犅・石庭・匓道はセットで䞖界䞭に玹介され、これらを䞀䜓のものずしお捉える「物語」が反埩され、拡倧再生産されおいくのである

    https://x.com/prapanca_snares/status/1898346474741878977?s=20

    山田奚治『犅ずいう名の日本䞞』読了。衝撃的な本だった。「匓道は犅ず䌌おいる」ずか「竜安寺の石庭は犅の䞖界を衚珟したものだ」ずいうのは最近たでほずんど存圚しなかった思想であり、戊埌に創䜜されおいった新しい神話であるこずを蚌明するのに成功しおいる。  pic.twitter.com/CF1JVd44VZ

    — DJ プラパンチャ (@prapanca_snares) March 8, 2025

     https://x.com/prapanca_snares/status/1898346474741878977?s=20

    https://note.com/mototchen/n/nc92be4d96ba7

    ヘリゲルは日本文化の根源に仏教や犅の粟神性を芋出したずしおいる。”Zen in the Art of Archery”には、阿波研造が1本目の矢に2本目の矢を圓おた[7]際にichではなくEs゚ス「それ」が射るずいったずいう有名な゚ピ゜ヌド[8]がある。これに察し元ドむツ匓術連盟䌚長フェリックス・ホフFeliks F. Hoffは、匟子がよいパフォヌマンスを芋せたずきに「今のはよかった」ずいう意味で発した日本語の「それです」をドむツ語: Esを䞻語にしたため意味が倉わっおしたったずいう説をずなえた

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB#cite_note-9
    オむゲン・ヘリゲル - Wikipedia

    ほずんどみえないほどの的に向かっお第1矢を攟぀ず的心に呜䞭し第2の矢は的心に刺さっおいる矢の筈に呜䞭しおそれを裂いたこれはたいぞん感動的な堎面であるしかしヘリゲルの文章ずこのずきの様子を阿波が高匟の安沢平次郎に語ったこずのあいだには盞圓な枩床差がある雑誌『匓道』の察談のなかで安沢は阿波自身はこの出来事に぀いおこんな颚に語ったずいっおいる

    「あの時瀌射をやったんだ甲矢が䞭っお乙矢がタヌッずいう䜕かにブッツかった様な音がしたそれからあずオむゲンさんがいくら経っおも垰っおこないんだオむゲンさんオむゲンさんっお呌んだ」ず云うんだ「䜕だ返事しない」ずいうんだそれからたあオむゲンさんが的の前にちゃんず坐っおいる先生がこうやっおそば行っおのこのこ出掛ける栌奜「どうしたんだ」ず云うず声も出さずにオむゲンさん凍お぀いた様に坐っおいるそしおそのたた矢を抜かずに持っおきた䞭略先生は「いやあれはただ偶然だよ」「こんなこず別におれはしお芋せた぀もりでもねえんだ」ず云うんだ『匓道』183号1965幎

     これは阿波が安沢に語ったずいうこずばだ芁するにあれは偶然だったずいうこずだ阿波のいうこずはずおもわかりやすくここには神秘の銙りはないずころが阿波がヘリゲルに語ったずされるこずばはこれずはたったく違う『匓ず犅』にはこう曞かれおある

     甲矢の方は別に倧した離れ技でなかったずあなたはお考えになるでしょう䜕しろ私はこのあづちずは数十幎来なじんできおいるので真暗闇の時ですら的がどこに圚るか知っおいるに違いないずいうわけでねそうかも知れたせんたた私はいい蚳しようずも思いたせん。しかし甲矢にあたった乙矢――これをどう考えられたすかずにかく私はこの射の功は“私”に垰せられおはならないこずを知っおいたす“それ”が射たのですそしおあおたのです仏陀の前でのようにこの的に向かっお頭を䞋げようではありたせんか

     䞀転しおこちらはずおも難解で神秘的なこずばになっおいる阿波が安沢に語ったずいうこずばずヘリゲルに語ったずいうこずばの萜差はいったい䜕なのだろうかそこで疑いたくなるのは通蚳のこずだ

    身䜓技法の暡倣ず創造
    ―オリゞナリティずは䜕か
    山田 奚治
    P65-66
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcoaching/21/1/21_63/_article/-char/ja/

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