
10年ぶりに友人Mと会った話
思えば私は、人間関係を繋ぎ止めようとする悪癖がある。
もう誰も必要としていないのに、自分だけが楽しかった時間を手放せない。
そんな自分のことを格好悪いな、幼稚だなと思っていたけど、
今回ばかりはその執着が実を結んだような気がする。
友人Mと知り合った頃のこと
私は美術大学に入学した。
高校を卒業したばかりの私の目には、
中学・高校で育んだ奇妙な価値観"いい位置に身を置く"ためだけのしょうもないスカウターが装着されていた。

いつかテレビで観た「オレンジデイズ」のように
青くて酸っぱいキャンパスライフを送るためのキャストを探していた。
美術大学には色んな子がいた。
ギャル・ロリータ・パンキッシュ・モード・和服・ノームコア、
現役・二浪・三浪・四浪…
田舎の山奥から上京してきた子もいれば、代官山のタワーマンションで生まれ育った子もいた。
入学した目的も違うし、卒業したあとの希望進路も違う。
ポケモン図鑑を埋めるように、たくさんの子と話をした。
Mは私のスカウターにかすりもしなかった。
教室に割り当てられたデスクのふたつ隣がMだったが、
「変な声のやつがいるな」程度に横目に見ていた。
なんともいえない髪型、
妙な幅のボーダーの服をまとい、
いつもどこかニヤニヤとしていて、
立ち姿に軸がない。
こんなやつは「オレンジデイズ」には出てこなかった。

ただ入学して数週間も経つと、「人間力」というものは滲み出てくる。
Mは周りからとても慕われていたし、一目置かれていた。
「居ると嬉しい」そんな風に思われていたのではないだろうか。
そして私も知らない間に、Mを慕う一人になっていた。
課題が終わった後みんなでファミレスに向かう中にMがいたら1.5倍の楽しさがあった。(※当社比)
飲み会にMがいなければ誰かが「あれ?Mは?誰か呼ばないの?」と気にしていた。私もMに「奢るから飲み会来て!!」とせがんだことが何度かある。後にも先にもそんなやつはMだけだ。
カリスマでもないし、リーダーでもない。
でも多くの同期が「この課題、Mはどう答えるかな?」と意識していたと思う。Mに才能を感じている人は多かった。
Mは高校に行っていなかったが、それすらも"量産型女子高生"だった私からすると「人と違う生き方、カッコええやんけ…」と思えた。
その頃にはスカウターの存在は忘れていた。
映像部に入る
同級生のモンモン君が「映像部」なるものを立ち上げた。
建前は「映画鑑賞サークル」だが、
単純に夜通し模型作業ができる部室が欲しかっただけだ。
モンモン君は、自分の欲望を叶えるためならいくらでも動ける行動力がある。
旅行に行けば、宿で荷物を下ろす前に風呂にお湯をためるような男だ。

彼が立ち上げた映像部には
部長のモンモン君、私、夢中カンパニーの人造人間とムラムラ、のちにムラムラの配偶者となるムラダン、そしてMの6人の部員がいた(少ねえ)
この6人でいることがすごく楽しかった。
教室でダラダラすることも、家でワイワイ遊ぶことも、
旅行に行くことも、都内まで展示を見に行くことも。
私の人生に青春時代があるとすればやはりこの時間なんだろうなと思う。

しかし人間と同様に、人間"関係"というものも変容していくもの。
少しずつ6人の間に流れる空気も変わり始めた。
人造人間には彼女ができて、そしてフラれ、
ムラムラ・ムラダン・Mは恋の三角関係になり(夏の大三角形と呼ばれるサークルクラッシュ事件)
モンモンはカンボジアと旅立ち、私たち6人はうっすらと仲良いまま卒業を迎えた。
しばらくその変化を受け入れられなかったけど、私もまた他のコミュニティを見つけ、彼らとは違う時間を過ごした。
Mと音信不通になる
卒業後、私たちは就職組・院進組で別れた。

モンモンはカンボジアで結婚・就職。
残る3人は内装設計のデザイン事務所に就職。
その労働環境は過酷だった。
(そのあたりはまぼ著:今日も財布がさみしくて に描いてあるから読んでみてネ!)
大学院に進んだやつらはまだ学生気分でいいなあ…なんて思いながら
薄給をいただき、4畳程度の細長いオフィス(というより労働施設)でひたすら図面の修正をしていた。過酷な労働環境、ストレスで顔には湿疹が広がっていた。
ムラムラとMも大学院を卒業し、それぞれデザイン事務所へ就職する頃。
夫と出会い、交際が始まった。

地獄のようなデザイン事務所だったが、夫との出会いにより、仕事というものは希望を持っていいのだと知り、この会社を辞めようと決意した。
結婚の報告を兼ねて、夫のことをムラムラとムラダンに紹介もした。渋谷のトーキョーファミリーレストランだった。ムラダンからは結婚祝いにGo proをもらった。ムラダンからは「俺が欲しいものを買った。使わなかったらちょうだい」と言われた。どんな結婚祝いだ。

「そういえば最近、Mと連絡とれないんだよなあ。」
誰かが言った。
「就職先がハードなんじゃない?入社したばっかりってそんなもんだよ、余裕ないんだって。」
たったの2年だけ先に社会人になった私は先輩風を吹かせてそんな風に答えた。
結婚式の日取りが決まり準備を進めていく中で、当然のようにMも式に招待した。
が、返信が来なかった。
そうか、来ないのか。残念だ。
そうか、来ないのか。
そうか。
転職先でも小忙しく働き、
子どもを授かり、
子育てに追われ、
気づけば漫画を描き始めていた。
その暮らしの合間に、年に数回はGoogleの検索窓にMの本名を入れていた。
大学時代から更新されていない彼のFacebookと、学生時代に手がけた作品以外は何も出てこない。
Facebookにタグづけされた学生時代の写真のMはいつも笑っている。
Mはいま笑っているだろうか、というか生きているだろうか?
これ以上は調べようがないので、今回も生存確認までいたらず…と毎度肩を落とした。
何度も「ついにMに会えた!!」という夢を見た。
同じ頃、私のようにモンモンもMについて何度も調べていた。
「とりあえず生きているということだけはわかった。」
やはりモンモンはすごい。私が何度調べてもわからなかった、「いまMは息をしているか」という情報まではこぎつけたのだ。
Podcastを始める
二人の子を産み、彼らが二足歩行になり、自分の手でご飯が食べられるようになった頃。
2018年からずっっと「お母さん」だった私に、少しずつ「本来の自分」が戻ってきた。
映画を観て、酒を飲み、下品な話でバカ笑いするどうしようもない「本来の自分」というやつが・・・・
一方でSNSで漫画を描いていると、どうしても都合よく自分自身を編集してしまうため、「正しい人間」として見られてしまうこともしばしばあって、
ああそうじゃない!!私はもっと下品でうるさい未熟者なんだ…と知ってもらうために人造人間とPodcastを始めた。
【夢中カンパニーと申します】
2人だとどうにもならなくなり、ムラムラが加わり、3人体制になったところで、ようやくPodcastはドライブするようになっていった。
2025年の2月に、先ほど紹介した「今日も財布がさみしくて」が発売された。私の勤労の遍歴を綴ったコミックエッセイだが、大学時代、映像部との思い出も当然出てくる。
"私はいまもあなたを忘れていないよ"ということを伝えるために、Mの実家の住所にこの本を送った。LINEのIDを添えて。
予想はしていたけど、返信はこなかった。
そもそも本がMの手に渡っていない可能性だってあるし、M自身が開封していない可能性も、読んだけど返事する気にならなかった可能性も…。
相変わらず夢に何度もMは出てきた
2回目のトークライブ
「夢中カンパニー」はありがたいことに、毎週欠かさず聴いてくれているリスナーがいる。(変な人たち!)
そして、トークライブも過去2回ほど行った。大学時代のお金をいただいて壇上で話すなんて、こんな人生になるとは思っていなかった。
2回目のトークライブにあわせて、3人でZINEを作った。
私は大学時代のコミックエッセイ。人造人間とムラムラは文章でエッセイを綴った。
人造人間のエッセイの中で「Mへ」という、Mに向けた文章がある。
見開き2Pほどの短いエッセイだが、私はこの作品が大好きだ。
人造人間から見たMという存在。
目の前のMに語りかけるような文体。
そして、この10年、Mが関係を断ったその選択を肯定するような優しさも感じた。
私は、Mを手放せなかったのだ。
どんな事情があるのかわからないが、生きているなら会わなくとも連絡はとれるはずだ。
Mの暮らしの中に、私たちは必要ない。ということがすごくさみしかった。
でも人造人間のMに向けたエッセイは「まあでもそんなこともあるよな、俺だっていきなりお前が目の前に現れたらどうしていいかわかんねーし」といったようなことが書かれていて、
人間関係の解釈というものはこれほどに違うものなのかと初めて知った。
私が"手放せない人間"だということも初めて理解した。
でもMに対して打つ手はもうない。
MからLINEがきた
今年の夏。
息子の友達が泊まりに来て、その子を無事にご自宅まで送り届けた日。
夕方、MからLINEがきた。
短い文章だったが、すでにMっぽかった。
思わず「え、本人?」と返してしまったけど、文章でMだとわかっていた。
すごく嬉しかった。
夫にもそのことを話し、かねてからMの話はたくさん聞いてくれていたし、私が長年探していたことも知っていた夫は、一緒に喜んでくれた。いいやつだ。
Mを除く映像部はしょっちゅう会っていることや、直近の写真、
今度屋形船にみんなで乗るけど一緒にどう?など、
お節介な母親のように何度も連絡をとってしまった。
「これ以上しつこくするとまた離れるかもしれない」と思いながらも、止められなかった。
Mに会いに行ける約束は取り付けた。
5人は多すぎるとのことで、人造人間とムラダンをお留守番させ、3人で行くことになった。
10年ぶり。正確には多分12年ぶりくらい。Mに会いに行く
モンモンとムラムラ(並べると変な名前だ、いやだあ)と車に乗った。
Mの住む北関東まで向かう。
モンモンは、最近私たちの中で流行っているボードゲームの「ブロックス」と、自宅で用意した水出しコーヒーを持ってきていた。いかにもモンモンらしい準備の仕方だ。

「でもどうする?ブロックスを持つ"手"がないかもしれない」
「姿はだいぶ変わっているかもしれない」
「大男になってたり?」
車中、あらゆる想定をした。私たちの中のMは10年前のままで、その姿が大きく変わっていた時、平然と挨拶を交わすために。
2時間半ほどかけて、待ち合わせの場所についた。
モンモンとムラムラがトイレに向かっている間に、
雨の中、傘もささずにかわいらしい男がトコトコと歩いてきた。
本当に「トコトコ」と鳴っていたような気さえする。
そういう、どこかコミカルな男なのだ。

Mは、何一つ変わっていなかった。
太っても、痩せてもいない。
おそらく10年前から1gも変わっていない。
そのまま本日まで冷凍保存されていたのか?と疑うほどに。
髪の毛はまっすぐで、サラサラだった。
そういえばこの男は自分の髪がまっすぐなのが嫌でパーマをあてたりしたっけ。
雨も降っていたので、とりあえずMを車に乗せた。
「おひさしぶりです」
なんだそれは。なんだそれは。
私がどれほど、長い間、と思ったけど、
なにひとつ変わっていないMを見て、すごく安心した。

Mの家の周辺は田舎だったけど、山がよく見え、美しい場所だった。
住宅もお店もあり、「ど田舎」というほどではない。
スーパーで買い物を済ませ、Mの家に行った。
これまでたくさんのご家庭にお邪魔してきたが、
そのどれにもカテゴライズされない、変な手触りの家だった。
奇をてらった意匠、というわけではなく。
「ここにこれがあるのはおかしくない?」のような違和感が連続した家だった。営みがあるようなないような、不思議な住まいだった。

Mには会えなかったこの時間のことをしつこく聞いた。
ムラムラは「もうよしときな」という微笑みをしていたが、
しつこくすればどうにかなる男だと思っていたので、
かなり悪あがきをしたが、得られた情報は少なかった。
けど、彼は彼の勝ち取った暮らしに納得感を持ち、
私にはできない方法で生計を立てていた。
やはりMはすごい。
あの「ぼくたちのM」が、一般企業で誰かの下で働いているイメージができなかったし、もしそうだとしたら、「そうだよな」と思いつつもどこかでさみしさを覚えたかもしれない。謎は残ったままだが、やっぱりMはMだったという嬉しさもあった。
みんなでお好み焼きを食べ、なぜかモンモンはあんこ餅を焼き始めた。
そのへんの理解不能な行動は通常通りなので、もはや何も思わない。
10年ぶりに友人に再開し、その家にあがっているとしても、彼はあんこ餅が食べたいからあんこ餅を焼いただけなのだろう。
そして我々がハマっている(ハマりすぎて各人が所有している)ブロックスを始めた。
Mはブロックスで遊ぶのは初めてだったが、頭がいいやつなのですぐにわかるだろうと思って、あまりルールやコツの説明はしなかった。
そして案の定、彼はブロックスをすぐに理解した。
結局話していたよりもブロックスで遊んでいた時間の方が長かったんじゃないか。
すっかり日が暮れ、底冷えする時間になっていた。
別れる前に旅行の約束をとりつけた。
車に乗り込み発信する時、Mはもう家に入って見送ることはなかった。
相当疲れたんだろうな……と察した。
帰りの車中「結局ブロックスで遊んでばっかりだったね」と話していたけど、3人とも「でもまあこれでよかったよね」とも言った。
あの頃部室で過ごしていたような時間が一瞬で戻ってきた。
Mに関する謎はまだまだたくさんあるけど、
もうあとは、彼から話されることだけど待とう。
私の人生に一個だけ足りなかったピースが埋まったような気持ちで安心して眠った。
こうして再開を成し遂げたのは私とモンモンの執念だと思うし、
12月に控えている彼らとの旅行が今から楽しみだ。
それでもいつかまたMは私たちの前から消えてしまうかもしれない。
その時はもう追わない。彼のその決断を肯定できるような人間に成長したい。