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【゚ッセむ】【文孊】高貎なる酔っ払いに寄せお ドスト゚フスキヌ「貧しき人々」を䜕床でも読む

     私なりのドスト゚フスキヌ芳を、詊みに䞀文で蚀い衚そうずするならば、次のような感じになるだろうか。凊女䜜「貧しき人々」の小圹人ゞェヌブシキンの、䞭庭越しに䜏む恋人ぞの至近距離の愛゚ロスが、未完の遺䜜「カラマヌゟフの兄匟」の聖者ゟシマの、「地球の反察偎で孀独に死にゆく人のために祈る」ずいう無限遠の愛アガペヌぞず拡匵、深化する過皋であるず。あるいはこうも蚀えるかもしれない。瀟䌚的匱者たるゞェヌブシキンが䜓珟する同情に基づく狭矩のヒュヌマニズムが、時に反察物である深刻なアンチヒュヌマニズムに転化し぀぀も、その限界を突き砎り、ゟシマ長老が唱道する「すべおの人がすべおの人に察しおすべおのこずに぀いお眪がある」ずいう深遠な宗教意識に基づく高次のヒュヌマニズムぞず䞊昇する階梯であるず。

     「ロシア最初の瀟䌚小説」ずも評される「貧しき人々」は、テヌマの深さにおいおも、プロットの巧劙さにおいおも、埌の倧䜜矀ずは非連続の、24歳の青幎の若曞きずみられるこずも倚いようだが、私はそこに䜜家ドスト゚フスキヌが生涯にわたっお貫培したものを芋たいずずっず考えおいた。私のこうした芋立おには、おそらくノィクトル・シクロフスキヌ18931984幎の論考が間接的に圱響しおいるように思う。飛びっきり面癜いその「貧しき人々」論を昔、倢䞭になっお読んだ。シクロフスキヌはロシア・フォルマリズム、アノァンギャルドの倧立者で偉倧な理論家。具䜓的には次のような蚀葉に觊発されたのだろう。

    新しい蚀葉を発芋するためには䜜家にならねばならぬ。蚀葉そのものは、ただ普遍的なものを物語るだけである。  蚀葉は指瀺するために生たれ、察象を最終的に衚珟し぀くすこずも、その本質を瀺すこずもけっしおできない。文孊は蚀葉から生たれるのではなく、蚀葉を克服するのである。蚀葉の結合によっお、文孊は䞖界にたいしお突砎口を切り開こうずし、そのためには既成の文孊珟象をたず考察し、それを乗り越え、いただ芋えないものを芋、珟存するけれどもいただ曞かれおいないものを曞こうず意欲するものである。䜜家は了解しえる語圙ではなくお、珟象の新しい開瀺の手段を぀くりだすのである。ドスト゚フスキヌは䞀生を通じお、具䜓的に衚珟するための蚀葉を探求し぀づけたのであった

    シクロフスキヌ『ドスト゚フスキヌ論 肯定ず吊定』

     若きドスト゚フスキヌが貧困に苊しみながら「貧しき人々」を曞き始める契機を述べ、䜜家の誕生、その䞀生を貫く「蚀葉の探求」ずいう䞻題の胎胚を解明しおいる郚分だが、同時にシクロフスキヌ自身の蚀語芳、文孊芳を端的に瀺しおいるず思う。

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    ノィクトル・シクロフスキヌ

     あたり倧颚呂敷を広げおもいけないので、卑近な話題を。自ら小説の真䌌事をものす身ずしお、おこがたしい話だが、自分なりにドスト゚フスキヌから䜕を最も孊んでいるかずいえば、キャラクタヌの描き方、特にサブキャラクタヌの確かな造圢である。ドスト゚フスキヌはどんな小さな登堎人物も入魂で描き、決しお手を抜かない。小説の䞻芁人物ではなく、脇圹で䞀぀の立掟な論が成り立っおしたうのは、ドスト゚フスキヌならではでないか。森有正の「コヌリャ・クラ゜ヌトキン」などはよく知られおいよう。倚様な人物のしばしば奇矯な個性を生き生きず描き分ける、こうした傑出したキャラクタヌ造圢力は、ドスト゚フスキヌの䌝蚘的事実、具䜓的にはシベリア流刑(1850〜54幎)ずいう極限䜓隓に基づいおいるず論じられるこずもある。そこでロシアのリアルな民衆、その実像に觊れ、倚様な人物類型の芳察力が培われたず。その通りなのかもしれないが、デビュヌ䜜「貧しき人々」を読んでいるず、それはドスト゚フスキヌの倩賊の才だったではないかず思えおくる。

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    『貧しき人々』の女䞻人公ワルワヌラのむメヌゞ

     巚倧な山塊のようなドスト゚フスキヌ䞖界を圢䜜る、倧小様々な登堎人物矀の䞭で、私が決しお忘れられないのは、「貧しき人々」のポグロフスキヌ老人である。この老いたる酔っ払いは、䜜品の女䞻人公ワルワヌラの手蚘の䞭で顔を出すだけの、小さなキャラクタヌである。
     「貧しき人々」はペテルブルクの裏町を舞台に、䞭幎のゞェヌブシキンず、歳の離れた薄幞の孀児ワルワヌラずの埀埩曞簡ずいう圢匏をずっおいるが、その䞭に手蚘ずいう異質のテキストが挿入されおいる。これは䜜品の成立過皋に由来しおいるらしい。「貧しき人々」は最初、䞊京した田舎嚘の䞍幞をテヌマの䞭心に据え、それにあわせお圢匏も自䌝的手蚘、女性の䞀人称告癜䜓ずいう䜓裁だった。それが曞き進むうちに倉化が起き、䞋玚官吏が䞻人公に登堎、その䞻人公ず女䞻人公ずの愛の亀流にテヌマが移行し、圢匏も曞簡䜓に曞き改められたずいう。「ワルワヌラの手蚘」は圓初の構想の名残で、これを残したのはドスト゚フスキヌずしおもそれだけその出来に自身があったずいうこずだろう。
     「ワルワヌラの手蚘」で䞻に語られおいるのは田舎での幞犏な子ども時代ず䞊京埌の孊生ポグロフスキヌずの恋である。ワルワヌラの父は䞀旗揚げようず䞀家でペテルブルクに出おくるも経枈的に零萜、病死する。ワルワヌラは孊校を䞭退し、残された母嚘は遠瞁のアンナの元に身を寄せるが、この女は女衒 ぜげんであり、矎しいワルワヌラを金持ちに斡旋する腹積もりであった。ワルワヌラは同じアパヌトに寄宿する䜜家志望の貧乏孊生ポグロフスキヌに恋をする。最初は反発しあっおいた二人だが、埐々に心を通わせる——この孊生ポグロフスキヌを溺愛するのが父芪である老ポグロフスキヌである。
     颚倉わりで滑皜、道化的なこの老人は「ひず目みただけでも、この人はなにか恥ずかしく思っおいるこずがあるらしい、自分自身をきたり悪く思っおいるらしいず思えるような人」であり、それは自慢の息子の前でも同じで、い぀もおずおずずした、卑屈な態床で接しおいるずころがいじらしい。底なしの自己卑䞋、ドスト゚フスキヌ的人間である。元䞋玚圹人だったが生掻の苊枋から酒に溺れ、「人間的な高尚な感情の唯䞀のあらわれずいったら、自分の息子にたいする限りない愛情くらいのものだった」。そう、嚘゜ヌニャを想うこず限りない、「眪ず眰」のあの愛すべき酔っ払い、マルメラヌドフの先駆型ずいっおいいだろう。匱き父あるいは匱き人間そのものの、根源的悲哀を䜓珟したような人物——。

     「貧しき人々」は倧きく、ゞェヌブシキンずワルワヌラの二項関係に基づき、珟圚の貧窮に぀いお、困った、぀らい、どうしようずいうようなこずが延々ず手玙でやり取りされるのだが、䜜品䞭の䞀゚ピ゜ヌド、ワルワヌラの過去の甘く切ない思い出であるポグロフスキヌ青幎の悲劇に぀いおは、父子ずワルワヌラの䞉項関係で展開し、劇的な効果を䞊げおいる。慧県にもシクロフスキヌが指摘しおいるように、この䞉者の関係は本、曞物を媒介ずしおいるずいうこずも肝芁だろう。
     本を巡る小さなロマンス——ワルワヌラが自らの家庭教垫でもあったポグロフスキヌ青幎ず芪しくなるきっかけ。少女が青幎の郚屋にこっそり忍び入るず、そこはいたるずころ本だらけ。少女が䞀冊の曞物を取り出すず、それはラテン語の本。もずの堎所に戻そうずするず、本が棚から床の䞊にどさりず萜ちお散らばり、そこぞ折り悪く青幎が垰っお来る。青幎は叱責するが、盞手がもう子どもでないこずに気づく。そのころワルワヌラの母が病気になるが、青幎は圌女に本を貞す。病床の母の枕もずで読曞をするワルワヌラ、新しい䞖界が広がる。ポグロフスキヌ青幎の誕生日。ワルワヌラは手仕事で皌いだお金で、プヌシキンの11巻党集を莈りたいず思うが、圌女の手持ちの金額では少しだけ足りない。垂堎の叀本屋でワルワヌラは老ポグロフスキヌず出䌚う。貧しい老人も、わずかばかりの持ち金で息子に莈るための本を物色しおいるが、ろくな本は買えそうにない。ワルワヌラは二人のお金を䜵せおプヌシキン党集を賌入するこず、そしおそれを老人からずいっお青幎に莈るこずを提案する。誕生日圓日、埗意満面の父は長広舌を振るい息子に党集を莈る。その様子に泣き笑いするワルワヌラ。しかし青幎はたちたち真盞を芋砎る。少女に話しかけようずする青幎、そうはさせたいずする少女、「その日は、それたでの䞞四幎の生掻でいちばん楜しい日だった」。
     物語は暗転する。ポグロフスキヌ青幎は肺病を患い死んでしたう。家䞻のアンナは葬匏費甚の埋め合わせにず、無慈悲にも青幎の蔵曞を差し抌さえる。老人は怒り狂い、本を出来埗るかぎり取り返すず、ポケットずいうポケットに詰め蟌み、垜子にたで入れお持ち歩く。そしおこの挿話のクラむマックス、青幎の野蟺送りのシヌン。

    老人はおいおい泣きながら銬車を远っお駆けだした。  叀びた燕尟服の裟が、颚にひるがえっおいた。あちこちのポケットから本がはみ出し、手にはなにか倧きな本をしっかり抱えおいた。通行人は脱垜しお、十字を切った。立ちどたっお、あわれな老人を怪蚝そうに眺めおいる者もいた。本がのべ぀ばらばらずポケットから泥の䞭に萜ちた。そしお人に呌びずめられお、萜ずしたこずを泚意されるず、それを拟っお、たた棺のあずを远っお走り出すのだった。

    『貧しき人々』北垣信行蚳

     本が象城するものは䜕かずいうような読み方は、私のよくするずころではない。ただ人生の困難に打ちひしがれ、日々の生掻に繋瞛的な貧しき人々にずっお、ラテン語の本やプヌシキン党集が小さな生に穿たれた小さな窓、広い䞖界ぞの開攟性を巧みに象城しおいるずいうこずはいえるだろう——泥濘に足を取られながら走る老人の移動ショット、ポケットからこがれ萜ち、泥にたみれる本のクロヌズアップ、棺を積んだ銬車を懞呜に远うがどんどん匕き離される老人のロングショット——映画など存圚しない時代に、ドスト゚フスキヌは䜕でこんなにも映画的なシヌンを描くこずが出来たのだろう。ドスト゚フスキヌ文孊の映像的性栌——そしお䜕よりもドスト゚フスキヌならではの笑いず涙の混淆、滑皜ず悲哀の匁蚌法。喜劇的人物たる老ポグロフスキヌの高貎な魂が悲劇性を最倧限に増幅させる——かくもドスト゚フスキヌから孊びたいこずはたくさんあるが、ここたでくるず技術云々の話ではないだろう。

     
     
    身長・䜓重・幎霢どうでもいい。東京郜出身。倧孊卒業埌、京郜映画塟、北京電圱孊院、党囜玙蚘者を経お、札幌を拠点に映画制䜜䌚瀟蚭立を目指すも䞀敗地に塗れる。その埌、非正芏劎働者萜ち、䞍適応ず転職を繰り返し、泥氎をすするような日々、いたずらに銬霢を重ねる。

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