
🌈虹の橋を架ける者たち 8

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8話 風の名を知らない翼
生命の樹のある丘は、静けさに包まれていた。
それは、長きにわたる戦乱と不和が鎮まった後の、深々とした静寂だ。
幹には淡い光が脈打ち、再生の証として枝先には小さな芽がいくつも息づいている。
この場所は、確実に死から遠ざかっていた。
だが、この静けさは、世界が「癒えきった」後の安らぎとは、どこか違っていた。
まるで、深い傷を負った者が、痛みで身動きが取れず、ただ息を潜めているような――どこか、恐る恐る様子をうかがっているような、不安定な沈黙。
レオンは、その静けさの中で、丘の下から続く風の流れを注意深く感じ取っていた。
その風の先、わずか十数メートル先に、一人の少女が立っている。
大きな翼を背にたたみ、その身体全体で、頑ななまでにしっかりと地面に立っている姿。
羽根は立派で、その骨格の美しさは、彼女が空のために生まれてきた存在であることを雄弁に物語っている。
だが、身体はまだ幼く、成長途上にある。
それでも、その瞳には、遥か高みを知る者の色が宿っていた。
地上の喧騒には決して汚されない、透明度の高い空の色。
レオンは、ゆっくりと一歩前に出た。
「……ここは、生命の樹の地だ。
目的がねぇなら、引き返した方がいい」
試すような声音。
その言葉には敵意はないが、警戒と、この地に足を踏み入れた者に対する厳格な主権の主張が含まれていた。
少女は、ふん、と鼻を鳴らした。
「へぇ。
じゃあ聞くけどさ、あんたらは何しに来たわけ?」
その物言いは、レオンの警戒など意にも介さない、遠慮のないものだった。
ずけずけとしていて、容赦がない。
まるで、大人の建前や駆け引きを一切知らない、鋭利な刃物のような子供じみた態度だ。
ホズミは、この無遠慮さに思わず背筋を伸ばした。
「わ、わたくしたちは……
オーロラランドの再生のために、虹の橋を架け……」
ホズミが言い終わる前に、少女は肩をすくめた。
その仕草には、大いなる努力に対する冷めた評価がにじんでいる。
「再生?
……ふーん。
それでさ、世界は――ちゃんと息してる?」
そのシンプルな問いかけは、ホズミの胸に、鋭く突き刺さった。
彼は、言葉を失う。
虹の橋を架けた。
しかし、世界はまだ、完全に息を吹き返してはいない。
その事実を、彼は誰よりも深く理解している。
沈黙を破ったのは、レオンだった。
彼の声は短く、しかし事実に裏打ちされた重さを持っていた。
「……途中だ。
だが、確実に前には進んでる」
少女は、レオンとホズミを交互にじっと見つめた。
やがて、彼女はくるりと背を向けた。
「そっか」
それだけ言って、歩き出す。
踵(きびす)を返し、緩やかな丘の斜面を降りていく。
去るのかと思った、そのとき。
「なのにさ……」
アルジェリーナの歩みが止まった。
彼女は振り返らない。
その声は、風に乗ってホズミの耳に届く。
「風が、まだ、泣いてんだよ」
その一言が、ホズミの胸を、ひくりと震わせた。
彼の敏感な聴覚には、確かに風の音が聞こえている。
だが、それを「泣いている」と表現した者はいなかった。
「……今、何と?」
ホズミが思わず尋ねる。
「あたいには、そう聞こえるってだけ」
その声には、強がりの裏に、ほんのわずかな寂しさ、そして、どうしようもない諦めのようなものが滲んでいた。
レオンは、少女の背中に、決定的な問いを投げかける。
「名は?」
一瞬の、丘全体の息が止まるような沈黙。

「……アルジェリーナ」
ホズミは、その名を、忘れないように心の中でそっと繰り返した。
「アルジェリーナさん……
あなたは……飛べる方、ですよね?」
ホズミの問いは、彼女の最も触れられたくない核心を突いたのだろう。
少女の肩が、わずかに、しかしはっきりと揺れた。
「……さあね」
彼女は振り向いた。
その瞳は、ホズミの問いへの答えを拒むように挑発的で、同時に――何かから逃げているような、影を宿していた。
「飛ぶかどうかなんて、
今は……どうでもいいでしょ」
風が、三人の間を吹き抜けた。
それは、彼らの内に秘めた秘密を掻き混ぜるような、荒々しい風だった。
アルジェリーナが去った後も、ホズミは生命の樹の根元で膝をついていた。
彼は、分厚い樹の根にそっと手を当てる。
冷たくはない。
だが、その内部で脈打つ光は、ホズミが想像していたよりもずっと弱々しかった。
「……生きて、いますね」
ホズミは確認するように呟く。
「ああ。間違いなく、戻り始めてる」
レオンが答える。
それでも、ホズミの胸の奥に残る違和感は消えなかった。
そして、その違和感を言葉にしたのは、いつの間にか戻ってきていたアルジェリーナだった。
彼女は、二人が気づかないほどの静かな足音で、少し離れた場所に足を止めている。
「……あたいにも、聞こえるよ」
アルジェリーナの声は、さっきまでの攻撃的なものではなく、どこか諦念に満ちていた。
「この木……泣いてる」
「……泣いて、いる?」
ホズミは顔を上げる。
「うん。『間に合わなかった』って」
その一言が、ホズミの思考のパズルのピースを、静かに噛み合わせた。
「……おかしいのです」
ホズミは立ち上がり、レオンを見た。
「何がだ」
レオンが促す。
「エルダ……
邪悪な者となった彼は、『最初から』世界を壊そうとしていたわけではありません」

ホズミが続ける。
「……当たり前じゃん」
アルジェリーナが、静かに口を挟んだ。
レオンが、鋭い視線を少女に向ける。
「どういう意味だ」
「悪い奴がさ、最初から『全部壊してやろう』なんて顔して生まれてくると思う?」
アルジェリーナは、冷めた口調でレオンに反論した。
ホズミは、ゆっくりと、深く頷いた。
彼の背中の針が、決意を示すように微かに逆立つ。
「エルダは……『守っていた』はずなのです」
風が、生命の樹の枝を揺らす。
それは、過去の真実を覆い隠そうとする沈黙を、打ち破る音のようだった。
「わたくしの星図の石は、これまで世界の『傷』を正確に映してきました。
ですが……」
ホズミは胸元から、輝きを放つ星図の石を取り出し、見つめた。
「エルダの『始まり』だけが、映らないのです」
その告白は、重い沈黙を呼んだ。
「……それ、変だね…」
アルジェリーナが、わずかに顔をしかめる。
「はい。
あまりにも、都合が良すぎます」
ホズミは、強く言いきった。
「誰かが、『途中からのエルダ』だけを切り取り、『邪悪な者』として歴史に残したのでは……」
レオンは、顎に手を当て、深く息を吐いた。
彼の瞳が、この世界で見てきたすべての争いを思い出すように細められる。
「……エルダは、壊したんじゃない…」
一拍の沈黙が、重い結論を運んできた。
「壊すしか、なかった…⁉️」
アルジェリーナは、空を見上げた。
「……風も、そう言ってる」
「風が……?」
ホズミが問う。
「『遅すぎた』って。
『選ばされた』ってさ」
その瞬間、ホズミの脳裏に、一つの光景が閃いた。
それは、過去の記憶でも、星図の石が映した映像でもない。
強い共感と推理によって生まれた、真実の断片。
何かを守るために、必死で手を伸ばす、一人の影。
だが、その手が、見えない壁か、あるいは力の奔流によって阻まれ、闇へと沈んでいく――。
「……エルダ様を、救えるかもしれません」
ホズミの言葉は、確信に満ちていた。
「……救う、だと?」
レオンの声には、驚愕の色が混じる。
過去の敵を「救う」という発想は、戦士にはなかったものだ。
「はい。たとえ……
彼が『邪悪な者』として倒されていたとしても」
アルジェリーナは、じっとホズミを見た。
その無表情の中に、様々な感情が渦巻いているのが見て取れた。
「……甘いよ」
間を置いて、アルジェリーナは口を開いた。
「でもさ――」
彼女は、初めてわずかに口元を緩めた。
その表情は、まだ子供の幼さを残している。
「それ、嫌いじゃない」
レオンは、しばらく黙っていたが、やがて重い溜息と共に口を開いた。
「過去を変えるってのは、簡単な話じゃねぇ。
世界の理(ことわり)そのものに喧嘩を売るようなもんだ」
「承知しております」
ホズミは、静かに、そして力強く微笑んだ。
彼の微笑みは、不安を打ち消す光のようだ。
「それでも……
『知ってしまった以上…知らなかったこと』
には出来ません」
風が、三人を包む。
その風は、確かに――
彼らがこれから立ち向かうべき、
「まだ終わっていない時間」へと、強く吹いていた。
ついに
レオンとホズミそして、アルジェリーナの3人が言葉を交わしましたね〜
次回は新たな展開へ…
わし(ムヒ)のnoteだけが知っている😁
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