
K‘sカフェへようこそ|海ポテトを探せ
各駅停車しか停まらない小さな駅の北口を出る。
古い民家の軋む外階段を上がった先にある「K’s Cafe」の店内には、珈琲の深いアロマとともに、どこか甘く香ばしい匂いが漂っている。
カラン、と控えめなドアベルが鳴り、涼泉のS井さんが入ってきた。
ひと足ごとにミシリと床を軋ませながら、カウンターの丸椅子に落ち着いた所作で腰を下ろす。
「いらっしゃい。今日は早いですね」
「出勤前にコーヒーでもと思ってね。……マスター、どうしたんですか、それ」
カウンターの向こうで、糊のきいた白衣を着たマスターが、右手に竹箒、左手に小さな鳥籠を抱えたまま真顔で直立していた。
「あ、いや。今ね、アピオスっていう海ほたるを捕まえようと思って」
そう言ってマスターは、白衣のポケットから取り出したスマホの画面をS井さんに見せる。
「中庸と中立を愛する僕から言わせてもらうと……事実と主観を分けて冷静に考えて、マスター、ちょっとボケてない? しかも、『海』しか被ってないし」
その時だった。
「きゃー! そこーっ!」
ガラガラ、ガシャーン!
「私のーーっ! アピオスーーッ!」
店の奥からクックさんの絶叫が響き渡る。 板張りの床を、手のひらサイズの白くて丸い毛玉のようなものが、サササッと猛スピードで走り去っていく。それをめがけて、クックさんがなりふり構わずダイブした。
「私、火星に行かないといけないのーーっ! ちょっとゆうこさん、アピオス捕まえて! この白いの、Awesome YAMAUCHIさんに持っていくと200スキもらえるんだって! 私、それ換金して火星に行くのーーっ!」
「えーっ、きゃー! かわいいーーっ!💕」
ゆうこさんが両手を頬に当てて飛び跳ねた。
「きゃー😍❤️、お目々がクリクリしてるーっ! かわいいーー🥰😍マンリービーチに持って帰るーっ!😍 きゃーかわいいー、いやーそっち行ったー、えいっ!」
どこから持ってきたのか、ゆうこさんが手にした本格的な鮎捕りのタモ網を力任せに振り下ろす。
カウンターの上にいたはずの白い丸い物体を網が捉えた――と思った瞬間、シュン、と輪郭がブレて虚空に消えた。
次の瞬間、その物体は窓際のテーブルの上にこつ然と現れた。 そこでひとり、愛用の鮎釣り竿の手入れをしていた元研究員が、あんぐりと口を開けて竿を取り落とす。
「これは……! この白い毛並み、手足が見当たらないフォルム、そしてこの瞬間移動の能力……! 私のテニスにこのフットワークが使えれば……! 研究員生活40年の血が騒ぐ! ぜひ研究したい! いや、その前にシャンプーしたい!」
元研究員が両手を広げて前のめりに掴みかかった瞬間、テーブルごと派手に倒れた。 ガシャンと派手な音を立てて食器が踊る中、白い影はすでにそこにはいない。
「ちょっとみんな、落ち着いて!」
すっくと立ち上がったNaoさんが鋭く制止の声をかける。
「こっちこっち、カウンターの下! ここにいるわよ! 力づくで捕まえようとしても無理! 何か食べ物でおびき寄せないと!」
「食べ物か……」
ボロン、と乾いたアコースティックギターの和音がひとつ、店内の喧騒を静かに切り裂いた。
「これでどうかな」
大野好克さんがポケットから鮮やかな三ヶ日みかんを一つ取り出し、見せる。
「それと、俺の歌声で、おびき寄せてみよう」
大野さんはギターの弦をつまびきながら、独特の掠れた声でぽつりぽつりと歌い始めた。 身を低くかがめ、カウンターの下からちょうど一メートルほど離れた床に、そっとみかんを置く。 そのままギターを鳴らしながら、静かに、静かに後退りした。
全員の息を呑む視線が、床の一点に突き刺さる。
「みんな、見ちゃダメよ!」Naoさんが小声で素早く耳打ちする。
「無視するふりをして!」
「……あれは?」
一番奥のテーブル席。
榊が静かにルナに尋ねる。
「海ポテトです」
ルナが答える。
「なんだそれ?」
「わかりません」
「アピオスって言っていたが」
「それは芋です」
「200スキくれるって言っていたが」
「ガセです」
「……ガセか」
「ガセね」 水城が一言だけ吐き捨て、カップを傾けた。
その間にも、カウンターの暗がりから、白い丸いやつがちょこちょこと顔を覗かせた。
みかんの甘酸っぱい香りに吸い寄せられるように、床を滑るように進み出てくる。
「よし……」大野さんが息を呑む。「俺の号令で、みんなで一斉に飛びかかるぞ」
白い物体が、みかんに鼻先を寄せた。
「いまだっ!」
『いただきまーーーす!!』
全員が一斉に宙を舞い、みかんめがけて飛びかかった。 ドッシャーーーーン!
重なり合う人間たちの阿鼻叫喚の隙間を、白い毛玉は風のようにすり抜けていた。
外階段へ続く扉の隙間。そこには、いつの間にかケージを抜け出していた灰色のウサギ――なずが、腕組みをするように前足を揃えて待ち構えている。
「こんなところにいたら食われちまうよ。……おれの王国に来るかい?」
なずがニヤリと鼻を鳴らした瞬間、ウサギと白い物体は扉の影の中にスルリと消え去った。
床に折り重なった人間たちから、力のない呻き声が漏れる。
「私の火星が……」
「可愛かったわ〜……🥰」
「200スキって本当かしらね。怪しいわ」
「研究が……いや、シャンプーしたい……」
「……みかんだけ食って行きやがった」
人間たちの溜息を背に、マスターはぶつぶつ独り言を呟きながら、倒れた椅子とテーブルを起こし、箒で床の埃を淡々と片付けている。
「海ほたる……」
水城がポツリと呟いた。
「海ポテトです」
ルナが訂正する。
「アピオスって美味しいのか?」
榊が天井を見上げた。
「データがありません」
ルナが答える。
S井さんが、カップを空にして伝票の脇に小銭を置いた。 「じゃ、そろそろ仕事なんで」
カラン、とドアベルが鳴り、秋の風が少しだけ店内を吹き抜ける。
K’s Cafeの日曜日は、今日も穏やかに、そして少しだけ賑やかに暮れていく。
つづく
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みなさま、勝手にお名前とキャラクターをお借りしてしまい、本当にすみません🙇🏻
肝心の海ポテトまで逃してしまい、お詫びの言葉もございません。
どうか温かい目で、平にご容赦くださいませ。
今回初めてご来店いただいた「涼泉S井通信」さんの記事はこちら👇
「うさぎのなず日記。日常エッセイである。ーさとー」さんの記事はこちら👇
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