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スピリチュアル界隈にちょっと言い返してやるゾ!

    問題は頭の中にしかないという前回までの話への、絶妙な反論と補足を展開した続編記事。チンパンジーと核戦争という極端な例から、世界中が爆笑する瞬間まで、スケールの大きな思考実験に引き込まれる。「ないけどある」という矛盾を受け入れる柔軟さが印象的。

    Claudeから推薦文もらいました

    問題の全くない世界……
    そんな世界がもしあったらすごいですね。
    どこかにそんな世界があるんでしょうか。
    どう思いますか。

    僕の感覚は逆かもしれません。
    問題だらけの世界がここに「ある」のです。
    あ、言葉にすると普通ですね。
    そんなの当たり前、そのままです。

    ただし、それがどこにあるか。
    それは僕らの頭の中にあります。
    頭の中以外に問題だらけの世界は存在しません。

    核戦争の危機が迫っていたとしても、チンパンジーはそれを理解できません。
    問題を問題として認識できない。
    これは極端な例ですが、ある人は世界の行く末を案じて悩み、ある人は今日の夕食の献立が思いつかなくて悩んでいます。
    両者は同じ世界を生きているはずなのに。

    今、この瞬間、世界中の人が腹を抱えて爆笑したとしたら。
    涙が出るくらい、他に考えの入り込む余地のないくらい、笑いの瞬間に没頭していたら。
    その瞬間、この世界に問題は一つもありません。
    別に笑いじゃなくても何でもいいのです。

    だけど、みんなが没頭しているのはストーリーです。
    それは自分の持っている無数の観念によって生成された自分独自のストーリーです。
    そのストーリーの中にはたくさんの問題があって、その問題をどうにか解決していく必要があります。

    ある人は世界の行く末問題を悩むためのストーリーを持っているし、ある人は夕食の献立を悩むストーリーを持っています。
    それぞれ別のストーリーを生きていて、そのストーリーの元になっているのはそれぞれが持っている観念です。

    なんていう話を前回までしてきたわけですが、いかがでしょうか。
    「まあ確かにそうなんだけど、理解はできるけど、ウ〜ン。ピンとこない」みたいな人も多いかもしれません。

    ピンとくるようになっちゃうのはただタイミングなんですよね。
    そしてピンと来たから偉いわけでもなんでもなくて。

    おそらく、ピンとこない一番の原因は、やっぱりどこまで行っても問題だらけの世界が目の前にあるということでしょう。
    問題は自分の中にあるんだよ、なんて言われても確かにそうかもしれないけど、それで目の前の問題が消えてなくなるわけではないのです。
    世界の行く末が変わるわけではないし、夕食の献立が決まるわけでもありません。
    気づいたところで何も変わらないのです。

    確かに問題は頭の中にしか存在しません。
    目の前の世界には何も問題がないわけです。
    僕の家には犬と猫がいますが、彼らを見ているとそんな感じがします。
    四六時中、頭を悩ますもんで、なんてどこにもないのです。

    だけど、あるんです。
    ないのだけど、あるんです。
    どこに?
    僕らの頭の中に。
    頭の中にしかないわけだけど、それは頭の中にちゃんと存在しています。

    だから、ないけどある、んです。
    問題もないけどある、って感じ。
    常にずっとそうなんです。
    ないけどある。
    「ない」と「ある」が同時に存在する世界。
    それがこの世界なんです。

    本当は、この世界に問題なんて何一つないんだよって、スピリチュアル界隈の人は言うわけですが、そうかな〜〜なんて思ったときは言い返してやればいいのです。
    いや、俺の頭の中にはちゃんとあるぞ!、と。

    ダハハハ〜〜また明日にしましょう。

     
    僕は百姓です。 田んぼで米を作って売っています。 だけど、僕にとって「百姓」とは、百の姓、百の名前、百の顔、百の職…ということで。 自分の興味の赴くままに小さな生業を重ねて、ボチボチ生きております。 要は、好きなように生きてオールオーケーってことです。