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三島由紀夫文学を、愛してやまない。

    【第一章】三島事件

    作家・三島由紀夫は45歳で亡くなった。

    場所は東京・市ヶ谷。
    陸上自衛隊東部方面総監部。
    日本を代表する作家が、
    自衛隊の施設で演説し、割腹自殺に至った。

    後に「三島事件」と呼ばれる出来事だ。

    三島由紀夫。本名、平岡公威。
    『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』『豊饒の海』など、数々の作品を残した小説家であり、劇作家でもあった。
    その三島が、なぜ自衛隊の施設にいたのか。
    何を訴え、何が起きたのか。
    まずは、事件当日の経緯をたどる。


    【三島事件の経緯】

    三島は1968年、民間組織「楯の会」を結成。
    学生を中心とする組織だ。
    自衛隊での訓練も行っていた。
    事件当日、三島は楯の会の会員4人とともに、
    東部方面総監の益田兼利を訪問した。
    面会中、三島らは益田総監を拘束。 
    救出に向かった自衛官らにも負傷者が出た。

    三島は自衛官を集め、
    自らの演説を聞かせるよう要求した。


    正午ごろ、三島は総監室のバルコニーに立つ。
    演説では、戦後憲法と自衛隊のあり方を批判。
    憲法改正に向けた決起を呼びかけた。
    でも、集まった自衛官からは、賛同は得られず
    演説は野次や騒音にも妨げられた。
    三島は演説を終えると総監室に戻り、割腹。
    森田必勝は介錯を試みたが果たせず、
    古賀浩靖が代わって行った
    森田もその後、割腹して亡くなった。

    三島45歳、森田25歳。

    残る会員3人は現場で逮捕された。


    当時、事件は新聞やテレビで大きく報じられた。
    著名な作家が自衛隊の施設で総監を人質に取る。
    演説の後に自決する。

    事件当日に配布された三島の『檄』は、
    現在も本人の著作として確認できる。
    そして最後の演説についても記録がある。

    三島はなぜ、この方法を選んだのか。

    今回、これを書くにあたり
    私には、戸惑う事があった。

    三島の作品が、好きだからだ。 

    伝説と語られる三島ではない。
    三島由紀夫という作家が生んだ作品を、
    私は愛している。

    何度書こうとしたか、もう分からない。

    彼が書き、語った言葉は昔から読んできた。

    三島について記事を書くのならば、
    触れずには居られない事になる。
    それが三島事件だ。

    三島がなぜ、あの自決を選んだのか。
    私が何を書きたいのか。

    後者だけは明確にしておきたい。

    三島由紀夫という作家の素晴らしさではなく、
    三島事件の詳細でもない。

    三島由紀夫に付きまとう、闇だ。

    私には、彼の様な文才も繊細さもない。
    だからとても、惜しく、悔しく思ってしまう。

    ーーなぜ、自決を選んだんだ。

    遡っていこう。
    三島の世界の中に答えを見つける。

     
     

    ゼロ

     
     
    ゼロ35♀。ルポ記事からノウハウから日常。 YouTubeも曲配信もやっている。 メンシプに切り替えたが、ついてこい。 損なんかさせないぞ。

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