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「安心できる居場所がほしい」と感じたときに読んでみて

「誰かと話しても、なぜか満たされない」
「人の輪の中にいても、透明人間な気がする」

そんな感覚を、あなたも持ったことはありませんか?

私は、過去ありました。
むしろ、ずっとそれが当たり前でした。
笑顔で話して、空気を読んで、迷惑をかけないように生きてきたけれど、
心のどこかでは「私なんて、いてもいなくても変わらない」と感じていたのです。

でも、あるときふと気づいたんです。
「自分が安心できる場所は、“与えられる”ものじゃなくて、“つくっていく”ものかもしれない」と。

それに気づくきっかけをくれたのが、京都という土地、そしてアドラー心理学でした。



 京都で暮らし始めたわけ

私が京都に引っ越したのは、ある意味「逃げ」でした。
職場の人間関係に疲れ、心がすり減っていたころ、ふと訪れた京都で「ここなら、呼吸できるかも」と感じたのです。

誰も私を知らない場所で、ゼロから暮らしてみたかった。
そんな衝動的な気持ちに背中を押されて、京都での生活が始まりました。

でも現実は、そう甘くありませんでした。
人と関わらずにいれば寂しいし、関わろうとすれば怖い。
「どこにいても同じじゃないか」と、自分を責めたくなる日もありました。

そんな私が、どうやって「私はここにいていい」と思えるようになったのか



 

アドラー心理学には「共同体感覚」という言葉があります。
簡単に言えば、「私はこの社会の一員だ」と心から感じられる感覚のことです。

でも、私にとってこの言葉は最初、遠いものでした。
なぜなら、
「誰かと一緒にいること」=「我慢」や
「評価に応えること」だと思っていたから。

それが少しずつ変わっていったのは…






 
 
日々の中で、心に引っかかったことを書いています。 自分の心が動いたほうへ、少しずつ。表に書きにくい話は、メンシプで。