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Photo byyuuka_ai

自分が無い人、にとっての生きる意味

    心の中に、確かな【自分】という意識、が育っていないと、
    誰かが、自分に対して下す評価、でしか自分の価値を測れなくなってしまいます。

    つまり【自分】が育っていない人の自己評価は、他者が決める、と言い換える事が出来るのです。

    人がコントロールする事が出来るのは、自分の心、だけなのですが、
    心の中に肝心な【自分】が不在であるならば、
    外からの自分に対する評価がそのまま自己評価になってしまう、という事です。

    言うまでも無く、他者の心を意のままにコントロールする事は不可能なのですが、
    その制御不能な他者に、自己評価を委ねてしまう在り方は、極めて不安定と言わざるを得ません。

    よって心に、確かな【自分】という意識、が育っていないなら、
    安定した自己像や、安定した自己評価は獲得出来ない、という事になります。

    現れ方は様々ですが例えば、
    今、他者から褒められて調子に乗ったかと思えば、
    次の瞬間には、他者から批判されて自己評価は地に落ちてしまうといった、他者に依存した極めて不安定な心理状態に陥ってしまいます。

    そうなると他者に対していつも、自分の価値、を証明し続けていなければなりませんし、
    高じたなら、過剰な結果至上主義にならざるを得ません。

    ギターが好きで弾くのでは無く、他者から、スゴい、と言われる為だけに弾く様になります。

    勉強の中身に興味があって学ぶのでは無く、有名校に合格する為だけに猛勉強します。

    周りからもてはやされたい一心で高級車に乗り、高い時計を身に着けます。

    SNSのフォロワーと高評価が欲しいのであって発信する中身には実は、興味も薄ければ喜びも楽しさも感じません。


    スゴい、と言われたいのが悪いという意味ではありません。
    有名校を目指すのが悪いと言っている訳でも、
    もてはやされたい、という欲求を否定するのでも、
    フォロワー数や高評価を追い求めるのが悪い事、などと言ってもいません。

    人には、他者より優れた存在になりたい、という欲求は有って当たり前だと思っていますし、それを証明したいと思う事も自然な欲求だと思っています。

    しかし、心に【自分】が不在である場合、
    自己証明の欲求は健康的で自然な範疇に収まる事無く、
    喉元に刃物を突き付けられたかの様な切迫した感情によるものであるのです。

    証明して他者から評価されなければ、自分に価値を感じる事が出来ないのですから切迫します。

    心に【自分】が有る場合の目標に向かう心持ちは、ポジティブな動機に後押しされる感覚であるのに対し、

    【自分】が無い場合のそれは、目標を達して他者の評価を得なければ、自分には価値が無くなってしまうという、ネガティブな動機に追い立てられる感覚です。

    両者の行動だけを切り取れば、同じに見えるかも知れませんが、
    行動に至る動機に目を移すと、180度違うのです。


    繰り返しますが、心の真ん中に【自分】が在る人は、外に自分の評価を委ねません。
    他者の評価は他者の評価であり、参考にする事は有っても、他者の下す評価によって自分の存在意義が脅かされる事は極めて少ないのです。

    一方、心に【自分】が無い人は、外の評価が自己評価に直結する為、他者が下す評価は、たちまちのうちに自分の存在意義を揺るがします。
    したがって、【自分】が無い人は、外に向かって常に自分の存在意義を証明し続ける必要が有るのです。


    ではどうして、心の真ん中に【自分】が在る人と、
    心に【自分】が無い人に分かれてしまうのでしょうか?

    それは幼少期に親から肯定的に受け容れられたか、
    それとも親の要求に応えた時のみ受け容れられ、応えなければ否定される幼少期を過ごしたか、だと思うのです。

    人生の責任は本人にある、と私は思っていますが、
    唯一本人に責任が無いのが、幼少期、です。

    幼い子どもは無垢で無力で、親が無くては生きる事が出来ない儚い存在です。

    だから親は幼い子どもを一人の人として尊重し、育み、守り、愛する責任が有ります。

    親が無くては生きる事が出来ない幼い子どもにとっては、親はすべてであり、親こそ世界です。

    すべてを失いたくは無く、世界にそっぽを向かれたく無い幼い子は、全身全霊をもって親を慕い尽くします。
    幼い子は、徹底的に無力であるが故に、親を慕い尽くす事によって生きる仕立てになっています。

    そんな幼い子どもを親が、一人の人として尊重する事無く、
    親の眼鏡に叶った時のみ受け容れて、親の要求に応えられ無かった時には否定する様な構えであったなら、

    幼い子どもは、ありのままの自分に価値を感じる事は出来ず、
    親に対して価値を証明する事が、生きる意味、になってしまいます。

    人は幼少期の親子関係によって得た、感じ方のテンプレート、を使って、
    後の人間関係を構築します。

    肯定的な親から受け容れられた子は、他者に自分の価値を証明する必要は無く、
    純粋な興味、関心、好奇心を推進力に、自分の人生を歩み、

    否定的な親から、親の要求に応えた時のみ受け容れられ、応える事が出来なければ否定される幼少期を過ごした子は、

    幼い日に、親に認められる事が生きる意味であった様に、
    他者に自分の存在価値を証明する事が、生きる意味、になってしまうのです。

    証明し続けなければならないのですから、いつも追い立てられる様に焦ります。
    自分の興味や関心や好奇心、つまりプロセスや中身よりも、
    結果を出して周囲から評価される事こそが、
    心に【自分】が無い人の、生きる意味、なのです。


    幼少期の親子関係によって手にした、感じ方のテンプレート、は、
    後の人生を左右する重大な要素ではあります。

    けれども親が手渡したテンプレートを、後生大事に使い続ける必要は無いのです。

    何故なら、生い立ちはどうであれ、

    成長した今のあなたは、

    もう無力では無いから、です。

    生まれた時には、

    自分を証明する必要があったから、

    そうして来ただけ、のことです。

    ずっとそう感じる必要があったから、

    そう感じ続けただけ、なのです。

    成長して、

    もはや無力ではなくなって、

    そして気がついたなら、

    歪なテンプレートは、

    捨ててしまって良いのです。

    だって生き抜いたあなたは、

    本当は強く、

    本当は勇敢で、

    尊く、価値有る、

    存在なのですから。


    読んで頂いてありがとうございます。
    感謝致します。


    伴走者ノゾム







     
     
    感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生きる』をサポート。 TSL/Tsubasa Spirit Laborator代表、心理カウンセラー カウンセリングに関するお問い合わせ・お申し込み 📩tslnozomu@gmail.com

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