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メミ編 第1話:夜勤明けの裏口で、“メッキの下まで見てくる男”と目が合った。

    これは、戦場帰りみたいな顔で
    病院の裏口に出た看護師が、
    「その疲れ顔ごと分かってくる男」
    と出会った朝の話。

    朝の7時15分。
    病院の裏口を出た瞬間、
    メミは肺の奥まで
    冷たい空気を吸い込んだ。

    「……終わった」

    小さく呟く声は、
    マスクの内側でくぐもる。

    夜勤16時間。
    ナースステーションの
    モニターの明かりと、
    ナースコールの音と、
    患者の呻き声。

    いつものことだ。
    いつものこと、なはずなのに、
    今夜は少しきつかった。

    急変が二件。
    モンスター患者が一人。
    “呼べば何でもやってくれる人”
    だと勘違いしている家族が一組。

    「はいはい、看護師は
     魔法使いじゃないんですよ……」

    誰にも聞こえない声で
    愚痴を漏らしながら、
    自動ドアの横にあるベンチに座り込む。

    カバンから、
    缶コーヒーを取り出す。

    「夜勤明けの、
     朝のコーヒー」

    プルトップを開ける音だけが、
    静かな駐車場に響く。

    目の前には、
    夜勤明けの医師や看護師が
    次々と出てくる裏口の風景。

    タクシーを待つ人。
    自家用車のキーを回す人。
    そのまま自転車に跨って帰る人。

    「みんな、同じ顔してんな」

    誰に言うでもなく、
    呟く。

    クマ。
    肌荒れ。
    マスクのゴムあと。

    「マスク外したくない顔選手権、
     あったら優勝できる気がする」

    小さく溜め息をついたとき、
    視界の端に、
    同じような缶コーヒーを持った
    人影が映った。

    ふと横を見ると、
    ベンチの反対側に、
    背の高い男が立っていた。

    エナジードリンクの缶を片手に、
    同じように裏口の風景を眺めている。

    一瞬、目が合った。

    黒目がちの、
    でもどこか眠そうな目。
    マスク越しでも分かる、
    少し疲れた表情。

    「夜勤明け、確定」

    心の中でそうつぶやいた。

    男は、
    缶を軽く掲げて、
    小さく笑った。

    「朝のコーヒー、
     外で飲むと変に美味しいですよね」

    唐突な会話に、
    少しだけ警戒心が戻る。

    「……そうですね」

    メミは、短く返した。

    「この時間、
     この顔でここに座ってる人、
     だいたい夜勤明けの
     医療関係者だろうなって思ってて」

    「……顔に出てました?」

    「ちょっとだけ」

    そう言って、
    自分の頬を指さす。

    「ここらへん、
     マスクのゴムあとと、
     乾燥と、寝不足のクマで、
     だいぶ戦闘モード」

    戦闘モード。
    妙にしっくりくる言葉だった。

    思わず、声が漏れる。

    「……夜勤でした?」

    「はい。そっちも、
     ですよね?」

    「うん」

    メミは、小さく頷いた。

    「病院、あそこの?」

    男が、裏口から見える
    総合病院の方角を顎で示す。

    「そうです」

    「やっぱり。
     この時間にこの顔で
     缶コーヒー持ってる人、
     大体あの病院の看
     護師だろうなって思ってて」

    「失礼じゃないです?」

    「褒めてます」

    褒め方のセンスは、
    あまり良くない。

    でも、嫌な感じはしなかった。

    「お仕事は?」

    「医療系の技師、
     みたいなやつです。
     同じ病院じゃないですけど、
     あの系列の検査センター」

    「へえ」

    納得した。
    “現場を知ってる側”
    の話し方だった。

    男は、ベンチの端に
    腰を下ろす。

    「夜勤、どうでした?」

    「どうって?」

    立ち止まって振り返ると、
    男は缶を膝に置いて、
    少し肩をすくめた。

    「平和でした?それとも、
     “モンスター患者”コース?」

    その言い方に、
    思わず吹き出しそうになる。

    「ストレートすぎません?」

    「すみません。
     でも、この時間に
     この顔で座ってる看護師さん、
     だいたい何かあった日なんで」

    図星すぎて、
    笑うしかなかった。

    「……モンスター寄りでしたね、
     今日は」

    「やっぱり」

    男の目が、
    ほんの少しだけ真剣になる。

    「夜勤明け眠れないパターンのやつだ」

    「……なんで分かるんですか」

    「僕もそうだから」

    あっさり返されて、
    胸の奥が少しざわついた。

    「モンスターって、
     なんであんなに
     夜に元気なんでしょうね」

    メミが半分冗談で言うと、
    男も苦笑する。

    「昼間に構ってもらえないから、
     夜に爆発する説」

    「やめて、妙にリアル」

    「でも、そういうの
     全部受け止めてるの、
     だいたい夜勤の看護師さんじゃないですか」

    「……まあ、そうですね」

    「普通に、えらいと思いますけどね」

    さらっと出てきた
    「えらい」の一言に、
    心臓が静かに鳴った。

    「辛くてもさ、
     ちゃんと動いて、
     全部こなして。
     僕、夜勤明けの看護師さん見るたび、
     “お疲れさまです”って
     心の中で拝んでます」

    「……やめてください、そんな」

    「嫌です?」

    「嫌じゃないけど」

    どこを見ればいいか分からなくて、
    視線が泳ぐ。

    「とりあえず、
     今日はドカ食いして、
     寝られるだけ寝てください」

    「分かってますよ、
     それくらい」

    反射的に強めに返した自分に、
    少し笑う。

    男は、ふっと目を細めた。

    「強いですね」

    「……メッキです」

    口から、
    勝手に言葉が出た。

    「メッキ?」

    「強そうに見せとかないと、
     やってられないので」

    「そっか」

    男は、
    「分かる」
    と言うように軽く頷いた。

    「メッキ被せるの、
     上手そうですもんね」

    「褒めてます?」

    「かなり」

    「変な褒め方」

    そう返しながら、
    心のどこかに小さなヒビが入る音がした。

    「名前、聞いてもいいですか?」

    唐突な問いに、
    少しだけ警戒心が戻る。

    「え」

    「毎回、“夜勤明けの看護師さん”って
     呼ぶのも失礼かなと思って」

    「あー……」

    たしかに。

    「メミって言います」

    「メミさん」

    名前を呼ばれただけで、
    少し背筋が伸びた。

    「俺は、ハヤトです」

    「ハヤトさん」

    「夜勤明け裏口常連同士、一応」

    「なんですか、その括り」

    でも、悪くない。

    「また、
     この時間にここで会ったら、
     “あ、今日はモンスターいたんだな”
     って思っときます」

    「やめて」

    笑いながらも、
    否定しきれない自分がいる。

    「じゃあ、
     今日はお疲れさまでした」

    ハヤトが、
    軽く頭を下げる。

    「ちゃんと、
     えらかったですよ」

    「……」

    喉の奥に何かが引っかかった。

    「ありがとうございます」

    やっと、それだけ絞り出した。

    裏口の自動ドアが開いて、
    冷たい朝の空気が流れ込む。

    缶コーヒーを片手に
    立ち上がると、
    さっきより世界が
    少しだけ柔らかく見えた。

    ──“夜勤明け眠れないパターンのやつだ”って、
    一発で言い当ててきた人。

    ──「辛くても頑張っててえらい」って、
    冗談っぽくなく言える人。

    メミは、病院とは
    反対方向の空を見上げて、
    マスクの下で小さく笑った。

    「……また、会うかもな」

    口に出した瞬間、
    胸の奥が、
    ほんの少しだけ軽くなった気がした。

    (メミ編 第1話 終わり)
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